長浜城跡(長浜城歴史博物館)
室町時代初め 京極道誉が今浜(長浜)の地に出城(長浜城の原型)。
1574年 羽柴秀吉 長浜城築城。城下を長浜と命名。
1585年 秀吉の家臣、山内一豊 5年間在城。
1606年 家康の家臣、内藤信成 入城。
1615年 内藤信正 摂津高槻に移り、長浜城は廃城。建物、石垣の大半は彦根城に移された。昭和58年 長浜城歴史博物館として再建。建設費の半分近くが市民の寄附により作られた。
旧長浜駅舎
現存する日本最古の駅舎。
明治政府は、産業振興のため鉄道建設に注力。特に日本の東西、太平洋と日本海を結ぶ路線を重視し、明治13年、日本6番目の鉄道路線として、長浜−敦賀間着工。長浜駅は明治15年に完成した。
長浜−大津間は琵琶湖汽船航路で結び、大津−京都−大阪−神戸までが鉄道で結ばれた。
現在、内部は鉄道資料館となっている。
表は、現在の長浜駅に続いている。慶雲館
旧長浜駅舎の向かいにある慶雲館は、明治22年天皇皇后行幸の由緒があり、伊藤博文の命名による建物。
この日は、琴の発表会に使われていた。大通寺
本願寺別院大通寺。通称「ごぼうさん」。元は伏見城の建物。内藤信成が当地に移築。
門前は長浜御坊表参道として観光客でにぎわう。長浜八幡宮
4月の「長浜曳山まつり」は、京都祇園まつり、高山まつりと並ぶ、日本3大山車祭りとして親しまれている。
写真は、八幡宮そばの「高砂山」。山車本体の作製は1745年以前といわれ、曳山行事は国の重要無形民俗文化財に、山車は県の有形民俗文化財に指定されている。
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