埋もれた轍・・・

体験運転を終え、友人の車で帯広へ戻る帰り道・・
ふるさと銀河線の埋もれた轍・・廃線跡にちょっと立ち寄って見ました。
この時で廃線後2年が経ちレールの撤去作業もかなり進んだ状態に・・。

この3枚は陸別を離れてから途中に有った道路の踏切部分で撮影。

左上は池田方向を撮影、路線廃止後2年が過ぎますがまだ列車が走って来そうな雰囲気が残ります。

上は同じく北見側・・線路が草に覆われ自然に帰りつつ有ります、レールと枕木の撤去作業はどんどん進められていてレールが残る部分も少なくなりこのレールも間もなく撤去されるでしょう。

左は別な踏切ですが池田方面・・手前に踏切から外されたレールが放置されています、軌道自転車で走ってみたいですね。

  
この3枚は走る車の車窓から・・左から鉄橋、線路が撤去されたバラストが残る路盤、舗装されてしまった踏切跡です、線路跡はかなりの月日が経っても整地されなければその跡が色濃く残ります、前回帯広の友人に案内されたタウシュベツのコンクリート橋と路線跡・・既に何十年も経っている廃止路線でしたが線路が有った跡がよく解りました。

途中道路に近い駅に立ち寄ってみました、その一つ元上利別駅、その構造から見て国鉄時代から有った駅の様です、ローカル線の駅らしい駅・・と言ったところでしょうか、鉄道模型で作られそうな駅・・以前は列車交換・・列車のすれ違いが出来た駅だったので腕木式信号機やポイントを動かす為の”テコ”が有った場所もその跡が残っていました。

駅舎、まだ営業している感じがします。

駅のホーム側から駅舎を・・

構内の一部にはレールも残されていました。

転轍機テコや信号機テコが有った場所。

駅のホーム側壁にはこの様な画が描かれていました、駅の窓をボイラーに見立てて書いた蒸気機関車の絵ですが運転席に書かれているキャラクター・・最初は何なのか解りませんでしたが”足寄”に引っかけた”足”だったのですね。(^^ゞ

絵の中で汽笛が大汗かいて頑張って鳴っている・・ユーモラスに描かれていますが頑張って鳴ったその汽笛の音も鉄路の廃止で時間の経過と共に消えていってしまうと言う寂しさも見ていて感じました。
小型GPSの画面、三角矢印の所が上利別駅が有った所です。
駅前の一角にしか道路もなく小さな駅前だったのでしょう。
上利別駅を背にして駅前風景・・飲み物の自販機は見えますが商店・・お店らしき建物は解りませんでした。
代行バスの停留所がやけに新しくみえてしまいました。
  
その上利別駅横で見つけたガソリンスタンドの跡・・かなり昔に営業を止めたようでブランドが日石・・日本石油のままになっています、後に日石三菱となり現在ではエネオスと社名が変わっていますので・・。
日石ダッシュ・・懐かしい名前です、レギュラーガソリンですね、風雨(雪?)に曝されていると思うのですが計量器は破損もなくきれいな方・・しかし計量器の示す数字・・店の方のユーモアだったのでしょう、ガソリンの方が777.7で経由の方が33.3リットルになっています・・でも経由の方が桁数多いのでは?。(^^;
上利別駅から少し南下してこちらは愛冠(あいかっぷ)駅、ユニークな形の駅舎が残っていました、駅名も北海道ならではですが駅名だけ話すと別な意味に捉えられてしまう可能性も・・。(^^;
愛冠駅舎を道路側から見た画像、花がきれいに手入れされているので定期的に掃除などをされている感じです、右側の扉はトイレですが施錠されていました。 駅舎をホーム側から・・後ろ姿は帯広の友人・・。
駅舎のデザインは駅名に合わせ冠(かんむり)をモチーフにして作られているとか。
  
駅の手前に小さな川が有るのですがその川にかかる橋にはこの様なプレートが・・銀河線が運転されていた頃には一日に何人位の人が渡っていたのでしょうか・・、左の画像に写っているトラック、撤去したレールが積まれていました。
    
駅の横には”愛の泉”がわき出していました、本当のわき水なのか飲むことも出来た様です、やはり銀河線が運転されていた頃に作られたのでしょうね。(後日調べた所国鉄時代から愛の泉とユニークなデザインの駅舎は有ったとの事でした。)
ホームへの入り口、小さな階段になっています。 ホームから北見方向を見る・・レール撤去作業をしている重機のブームが見えます。
左上は池田方向を見た所・・この駅は片面1線だったのですね、上はガラス越しに待合室を覗いて見たのですがレール撤去作業時に事務所か休憩室に使われていたのかきれいに整備されていました。
券売窓口が有ったと言うことは有人の時間も有ったと思われます。

左は愛冠駅でのGPS画像・・道路らしき物が見られません。

こちらは元足寄駅、駅舎は橋上タイプのように見えます、この建物になったのは平成6年らしく駅以外にも地域に密着した施設も兼ねている物と思われます、1985年に車で駅前を通過していますがその当時は普通の国鉄の駅でした。
建物正面から撮影するのを忘れていたり・・。
駅舎の下を貫いてレールが引かれている構造、左に管制塔の様に見える塔は展望台として上る事が出来るとか。 足寄駅ホームから池田方向を見た所・・やはり駅構内の一部にレールが残されていました。
こちらは路盤より北見方向を撮影・・この辺りはレールの撤去が早かったのでしょうか・・。 同じくローアングルで駅構内を撮影・・もう列車は来ません。
 
左上は役目を終えてオブジェとなってしまったATS・・列車自動停止装置の地上子・・もう信号電波を出すことは有りません。
上の2枚は北見側出発信号機とホーム上の時計、信号機は赤と青の2灯式で黄色の表示が無いタイプ、ホーム上の時計は今も正確な時間を刻んでいました。

←は巨大なフキ、実物が一本飾ってありました、写っている方はここ足寄が出身地の松山千春氏、等身大のパネルになっていてフキの大きさが解るようになっていました、それにしても大きい、食用にもなるそうですが固くないのかなぁ。

やはり近代的な駅舎に立て替えられていた元本別駅、”ステラプラザ”と言う名前にもなっていました、郵便局が有り今は閉店していましたがレストランも有った様です。

きれいな建物、駅名はそのまま残されていました。

ホームから池田方向を見る。

北見方向、レールの撤去は早かった感じです、
木造の古い跨線橋が残ります。

これは余談ですが本別駅で見つけたPHS携帯電話の新型基地局、陸別含め足寄駅も私愛用のWILLCOMは圏外でした・・。
本別駅に着いて間もなく溜まっていたメールが着信しエリアになっていることを知りました、そしたらホームの目の前に基地局が。

時間が有れば他の駅も見たかったのですが国道から離れた駅もありちょっと無理・・この後路線跡からは離れてしまいました、足寄やこの本別駅見ていると廃線が惜しまれてしまいます。

鉄道大好き人間にとって路線の廃止・・は寂しく感じますが現実に沿線のこの様な風景、状況を見ると公共交通機関と言えども会社・・乗ってくれる人が居ない、収益が出なければ続けるのは難しいでしょう、代行バスはどうなのか気になる所でもあります。
陸別鉄道が今後も観光施設として人気となり、車両や設備の維持が継続でき、また気動車のハンドルが握れることを願って・・。

・・前のページに戻る