その2日目です
表が明るくなり始めてから寝たのだけどやはり7時過ぎには目が覚めてしまう・・まだ家主のgoさんは起きそうもないのでトイレに行ってからまた布団に潜り込む・・でもやはり8時30分位が限度・・。 goさんも起動完了後身支度をしてお出かけです、先ずは腹ごしらえ・・久しぶりに朝Macでホットケーキを楽しむ、結構好きなのですここのホットケーキ。 食後は車を飛ばして(とにかく一般道や農道の様な道でも東京の首都高速並に走れてしまう・・(^^ゞ )一路北へ、帯広から十勝三股を結んでいた国鉄線の士幌線廃線跡・・埋もれた轍を見に行きました。 |
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帯広を後に北上・・平日の事もありますが帯広市街を抜けるとこんな風景が続きます、車は殆ど走っていないし速度制限は標識が無いので60Km/hとなりますがその様な速度で走っている車は無いし都心の首都高速より速いかも・・。(^^ゞ | |||||||||||||||
運転中のgoさん・・今日、明日とお世話になります・・、何時もこの位に走れると車って良い道具なのですが・・東京では無理ですね、このような快適な走りは・・。 | |||||||||||||||
旧国鉄の士幌線、士幌線とは根室本線帯広駅から十勝平野を北に走り途中糠平を経て十勝三股まで結ぶ78.3Kmの路線で、後には十勝三俣から更に北上し留辺蘂まで延長される計画だったとか。 大正14年(1925年)で帯広から士幌までが部分開通し翌年の大正15年には上士幌まで開通、それから間をおき昭和14年(1939年)に上士幌〜十勝三股まで開通・・。 後に糠平ダムが建設され昭和31年(1956年)の完成にて路線の一部が水没する事になり路線が大幅に付け換えられました、タウシュベツ川にかかるアーチ橋はその旧線で代表的な物になります。 開通当時の糠平〜十勝三股間は平行する道路が全く無かった様で鉄道のみが住民の移動手段となっていた模様、しかし鉄道に平行する国道が整備されると木材等の輸送がトラックに取って代わり利用客や貨物も激減・・・、そのため昭和53年(1978年)12月25日から糠平〜十勝三股間は列車代行バスに切り替わりました、この代行バスと言うのもこの路線が国鉄として初めての事だった様です、しかも後に列車の運転再開を考えていたためレールや駅などの施設はそのまま残されていたと雑誌やビデオで紹介されていました。 残念ながら再開する事は無く国鉄がJRに変わる直前に士幌線全線が国鉄再建法に絡み昭和63年(1988年)3月22日に廃止されてしまいました、そのため廃線後も新旧見ることが出来る所が有ります。 |
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国道273号を快適に走り脇道へそれて砂利道をしばし走行、道の真ん中にgoさんが車を止めました、線路跡の匂いがするポイントです・・元は踏切だったのでしょうね。 停車中の車両はgoさんの愛車・・この後は土埃で真っ白に。 |
車を降りて帯広方向を望んでみた画像・・真っ直ぐ埋もれた轍が続いています、まだ雰囲気は残っていますが木が生い茂り自然に帰りつつあります。 | ||||||||||||||
goさんにも尋ねられた物体、パイプは新しいのですがそこに取り付けてある物は大分錆びて朽ちてきています、踏切にある遮断機用の予備竿を保管しておくケースの様な感じですがここでは無用の物、線路が生きていた頃にもおそらく警報機などは無かったでしょうから・・・。 | 地面を見ると・・大分角が落ちて丸くはなっていますがバラスト・・枕木や線路の下にひく砂利らしき物が見られます。 | ||||||||||||||
こちらは同じ場所から十勝三股方面を見た所・・既に木が生い茂り獣道の様な状態・・廃線後かなり時間が経っている様に見受けられます、この線路跡・・糠平ダムの建設で移設する前の士幌線旧線になります。 | 車を走らせ国道から糠平湖を挟み反対側へ来ました、雪解け水の関係で水位は上昇しているとか、映画”猿の惑星”に出てきそうな風景・・。(goさん談) | ||||||||||||||
この大きな葉っぱは蕗かな?アーチ橋に向かう線路跡らしき道の横なのですが看板の”クマ出没”の文字が・・(^^;) すれ違ったハイカーと思われる方に”ヒグマの声が聞こえたので注意された方が・・”との言葉に尚更(^^;;;;; そう、本州にいる月の輪熊とは違いこちらでは大きなヒグマなのです・・金属のぶつかる音が苦手との事でハイカーや山に入る人は鈴を付けるそうな・・とりあえずぶら下げていたカギをガチャガチャ・・(^^ゞ |
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士幌線のタウシュベツ川にかかる旧線の橋梁でコンクリートによるアーチ橋、5月末にgoさんが見に来た時には水が殆ど無かったとか、一ヶ月程の間に水位が上がってきたのです、これから雪解け水などでどんどん水位が上がり秋口には完全に水没してしまうとか・・。 水に浸かり冬は凍結し大自然の気候にさらされていますがコンクリート構造物というのは頑丈な物です、しかし徐々に浸食されている模様・・今後どのくらいこの姿をとどめているのでしょうか・・。 |
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アーチ橋の反対側から・・中央部分が欠け落ちています、 これは十勝沖地震の際に落ちてしまったとか。 |
糠平湖から北の方向を望む・・大雪山系の山並みでしょうか、自然・・と言う言葉がピッタリの風景。 | ||||||||||||||
アーチ橋の端から帯広方面を望む・・以前は渡ることも出来たそうですが現在は倒壊の恐れもあり立入禁止に。 水没や凍結を繰り返し受けているためコンクリートも少しずつ浸食されていますね。 |
左の画像のアーチ橋から振り返り十勝三股方面を向くとこの様な感じに・・画像真ん中の暗い所がが路線跡です、ダムが満水になると木の茂っている辺りまで水が満たされる物と見られます。 | ||||||||||||||
その線路跡を車が止めてある所まで戻る途中の画像です、十勝三股の方へ向いています、線路の下に引かれていたバラストなどは見ることが出来ませんでした。 | 左の画像を撮影した所から振り返り帯広方面を見たところです、画像では白く飛んでしまいましたが延長線上に先ほどのアーチ橋が有ります。 | ||||||||||||||
タウシュベツ川にかかるアーチ橋をあとにして少し北上、国道273号線からよく見える大きなアーチ橋は第五音更川橋梁・・こちらは既に旧線と新線が合流した後のアーチ橋になります、水没してしまうことが無いので今でもそのきれいな姿を見ることが出来ました。 下の川を流れる水もきれいです、少し緑っぽく見えるのは何かの堆積物と見られます。 後日調べていて解ったのですがこの先にもきれいなアーチ橋や見所が有りました、またリベンジしたい気持ちに・・。 ^_^; |
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5月にgoさんが下見に着たときには無かったと言う散策路を歩くと第五音更川橋梁直ぐ側まで行くことが出来ました、十勝三股方面を見た所で待避所もしっかり残っていてちょっと整備すれば直ぐにレールが引けそうな雰囲気です、バス代行後も路線が復活出来るように考えていたと言うことが解ります。 | 第五音更川橋梁から帯広方面を見た所・・復活を考えて有ったためか倒木は有りますが路盤もしっかり残り線路跡がよく解ります。 | ||||||||||||||
第五音更川橋梁の端で金網に着いていた看板・・何か説明書きらしき物が有った様ですが日に焼けたのか薄くなって読みとることは出来ませんでした。 | 第五音更川橋梁の十勝三股方向を見る・・、気動車の明るい色が似合いそうな風景です。 | ||||||||||||||
帰り道に立ち寄ってみた上士幌町鉄道資料館・・糠平駅の跡地に建てられていて入館料100円が必要ですが私は安いと感じました、士幌線が運転されていた当時の運転席から撮影した展望映像も見られます、ただ音は後から付けられた様な感じもしました・・そのほかアーチ橋の資料や絵はがき等も有ります。 | 資料館の横には何故か車掌車の”ヨ”がポツンと一両保存されていました、時々整備されているようできれいなのですが塗色が本来の黒ではなくブドウ色・・濃い焦げ茶色だったのは何故なのかな・・?。 | ||||||||||||||
この車掌車は塗装されて間もない様でご覧のようにピカピカ・・その先には腕木式信号機がポツンと残されています。 | その腕木式信号機のアップ・・帯広向きの信号機です、本来は複数有ったと思われますが本線用の物を残したのでしょう。 | ||||||||||||||
←こちらは十勝三股側を見たところ・・この先は代行バスで運行されたのでこの信号機は早くからその役目を終えていたと思われます、ポイントの転轍機も本線用ではなく荷扱い用の測線で使われていた物と見られます。 | |||||||||||||||
資料館の中の展示物・・駅名の看板や車止め、保線用の道具や工具、駅員の制服・・結構小物類が豊富に展示されていました、右は切符の保管箱・・当時の物かは解りませんが今となっては貴重な硬券切符・・硬い切符が見られます・・手前は標識灯ですが既に充電式の小型の物になっています、今ではこの標識灯もLEDになっているのです・・。 | |||||||||||||||
単線区間での列車の衝突を確実に防ぐための方法でタブレット閉塞式は1つの駅間に複数の通票(タブレット、右画像の金色の物)を納めたタブレット閉塞機(画像の機器)を各駅に設置し、駅同士の電話による打合せによって閉塞機からタブレットを取出して使用する方式・・どちらかの駅で閉塞機からタブレットを取出すと再びどちらかの駅でタブレットを閉塞機に収めるまでは次のタブレットを取出すことが出来ない様になっています、つまり一つの閉塞・・駅間でタブレットは同時には1つしか出ていないため、タブレットを持っていない列車は出発させないようにすることで1閉塞に1列車という閉塞の基本・・安全が保たれます。 ここの展示は一台だけですが終点起点を除き中間駅ではこの装置か2台並びます、それぞれ上り側の駅と下り側の駅との連絡用に使われるためです、展示物にさわれない場合が多いですがここの閉塞機は触ることが出来、タブレット返納用のスライダーを動かす事が出来ました、右がスライダーを開いた状態でここに列車から受け取ったタブレット(玉とも呼ばれます)を納め押し込む事で機器に取り込まれその区間の閉塞が解除されます、タブレットの取り出しは機器の下側にあるスライダーから行われますが隣の駅と連絡を取り互いに機器を決められた順番で扱わないと取り出すことが出来ない様になっていて勝手に取り出せないシステムになっています。 そのため下側のスライダーはロックがかかっていて動かす事は出来ませんでした。 一番右の画像はそのタブレット(玉)とそれを納めて運転手に渡すタブレットキャリアと言う物です(画像は1/2の模型)、通票閉塞・・と言うとこのタブレット式が多く見られますが他に通票式やスタフ式と呼ばれる方法もあります。 |
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埋もれた轍・・士幌線、とても半日程度では見ることが出来ませんでしたが滅多に見られない風景を楽しむ事が出来ました、また次回残りのアーチ橋や記念物を見に来たいと思います。 資料館や士幌線の埋もれた轍散策を終えて十勝平野も一望出来るというナイタイ高原の牧場まで移動・・相変わらず農道の様な道・・それでも東京の都道よりも広い道を快調に飛ばす・・勢い余って牧場への入り口をオーバーラン・・(^^;) 途中で追い抜いたディーゼル車が前にまた入ってしまい上り坂なのでちょっと煙たい・・急ぐ旅では無いので少し離れて走り高度を上げていきます・・。 |
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3日目へつづく。(^^;) トップページへ折り返し・・はこちら |