想い出となった交通博物館

2006年5月に閉館された東京神田の交通博物館・・物心付いた私がまだ福島県の勿来(現在のいわき)に住んでいる頃から何らかの用事で東京に出ると秋葉原とセットにて立ち寄ったのが交通博物館でした、特急などは簡単に乗れる時代ではなく庶民?の足として利用されたのは準急・・東京に出かけると言うことは私にとって一大イベントでした。
建物の耐震性など老朽化のため神田の方は閉館しましたが後に大宮近くにもっと規模が大きくなって開館する事を今は楽しみにしつつ旧交通博物館でチョコチョコ撮影してきた画像を並べ想い出の一つのコーナーにして行こうと思います、まだほんの一部ですが。
左の画像は中央線神田駅から交通博物館まで向かう道筋・・煉瓦積みのガードか続き倉庫や駐車場になっていたりお店として整備されていたり・・でもここだけ時間が止まっている様な雰囲気があります。

2007年7月末の交通博物館
 
 2007年7月に秋葉原まで出た時に立ち寄りカメラに納めてきました、既に閉館後1年以上が過ぎ殆どの展示物は搬出されていると思います、左画像は玄関・・照明も点き閉館直後とあまり変わっていません。
右画像は閉館後カバーがかけられていましたが展示されていた新幹線0系の先頭部とD51の先頭部は搬出され、家主がいなくなったレールがポツンと残されていました。
 
同じく駐車場側・・別館と本館を結ぶ通路は撤去されここから大型の展示品を搬出した物と見られます、別館下に展示してあった弁慶号など蒸気機関車は搬出を終えやはりレールが2本寂しそうに残されていました。
新しい鉄道博物館開業までこのレポートUP時から2ヶ月と少しに迫り最後の仕上げに入る頃でしょうか。
2007年2月初めの交通博物館
 
2007年2月初めに秋葉原まで出たのでちょっと博物館の方へ行ってみました、デジタルカメラを持っていなかったので携帯電話のカメラらで撮影したため画質は今一ですが館内の車両搬出準備が始まっていました。
この時はまだ展示品の移動などは見られませんでしたが本館と別館を結ぶ通路が取り壊されると見え一部が削岩機で削られ電気等の配管も切断撤去されていました、おそらくこの通路を撤去しその空間を利用して内部の車両や展示物を運び出す物と推測されます。
工期は1月から10月の文字・・昼間は小型の展示物、夜間は機関車など大型の展示物を移動させるのでしょう、近ければ足を運んで見たい所です。
鉄道雑誌によると2月末にはC57が搬出された様です、玄関前のD51の先頭部は既に大宮の鉄道博物館に据え付けてある写真が掲載されていました、跡地がどうなるか興味があります。
2006年8月末の交通博物館
 
閉館して約3ヶ月後の交通博物館です、まだ玄関には照明も点き囲われてはいますが玄関横の0系新幹線とD51型正気機関車の先頭部は保管され姿を見ることが出来ます。
あの独特な階段部分の窓もまだ健在、本館内にはまだC57-135号機やシミュレーターなどがひっそりと置かれていると思われます。
 
駐車場入り口と蒸気機関車を展示していた辺り・・やはり囲われていますが中にはまだ機関車が保存されていると思われます、推測ですが大宮に建設中の鉄道博物館が完成する前位までこのまま保管し、完成する少し前に移設する展示車両を運び出す物と考えられます、2007年夏辺りに大きな動きが有るかも知れません。

交通博物館とは関係の深い元万世橋駅跡
交通博物館の建物の元となった元万世橋駅跡が一般公開されました、友人がその見学の為の予約を取ってくれて今後は見ることは出来ないと思われる元プラットホームなど貴重な場所を見学する事が出来ました、画像はその時に撮影した一部です。
画像は掲示してあった場所は異なりますが元万世橋と博物館の平面図とその歴史の一部、見学は人数を制限し一回あたり30分程度だったでしょうか・・予約制で一日に数回程度行っていました。
元万世橋駅には左の画像の博物館内に設けられた専用の入り口から入り案内されて先ずは高架下へ・・。
見学時間が短く場内での三脚を使用しての撮影は禁止され三脚持参の方は入場前に預ける様になっていました。
その高架下・・平面図では一番右上の部分になるでしょうか・・煉瓦積みのアーチが見られます、結構広いスペースになっていてここで案内と解説のビデオが数分放映されます、左画像の台の上にプロジェクターが置いてあり右画像のスクリーン映し出されます、スクリーンが有る壁の向こう側は神田川?。
左画像、何処かで見たような形のこの様なアーチも・・この形は館内の展示スペースでも見ることが出来ます、展示スペースを結ぶ通路としてカバーがされていますが気が付いた方も多いのでは。
右画像、この高架橋はどの部分かは解りませんでしたが定期的に塗装がされていたのですね、見学したのが2006年3月でしたから丁度6年前に塗装されたことになります。
ガード下の見学を終えると万世橋ホームへ案内されます、上の左右画像はそのホームに続く通路と階段・・もう何年もの間人目には触れずひっそりと時が流れていたのでしょう、白熱電球の光が良い雰囲気を出していますがこの屋根は後から作られた物なのかな?

←今回のために付けられたと思われる駅名札、札自体は古い物かも知れません。
階段を上り左に曲がるとまた階段がありホームはその上となります。
階段を上がりきるとホームの端に顔を出せます、危険防止のため直接ホームに出ることは出来ず上から見ると左画像の様に屋根とアクリル板で囲われたスペースとなっています、私が見学した日はあいにくの雨模様でしたが濡れることもなく元万世橋ホームからの眺めをカメラに納める事が出来ました。
右の画像は上り方向・・神田方面を見た所です、余談ですが当日は雨だったためアクリル板にかなり滴が付いてしまいデジタル一眼レフなどレンズ径の大きなカメラをお持ちの皆さん撮影には苦労されていました、私の持っていたデジカメはレンズ径が小さいので滴の付いていない僅かな隙間からこの様な表の画像を撮ることが出来ました。
左画像は下り側お茶の水方向を見た所・・上り列車が通過していきます、駅名札は今回の公開に備え新調した物だそうですが読む方向が当時にならって逆になっているのですね。
右画像は列車から見た元万世橋ホーム、見学している人を列車の方から見るとこんな感じに・・ズーム比は違いますが丁度左画像の列車位置から撮影しました。
博物館内に特設展示されていた開業当時の万世橋駅の模型、現在の東京駅をイメージさせる作りです、右は同じくプラットホームの模型・・真ん中のホームが現在残っているホームではないかと思われます。

交通博物館での想い出画像
左上の画像は館内に展示してあった開業当初の交通博物館の写真を引用いたしました、昭和11年に開業したと記録にありますが今見ても建物のデザインは立派に通用すると私は思います、左画像の入り口上になにやら”目玉”の様な物が見られますが何だったのか気になります、アドバルーンなのかも知れません。
右の画像は閉館前2006年2月の入り口風景、当初壁だった所に入場券の自動販売機が設置されていて屋根の構造も少し変わっています、窓位置は当時のままですがアルミサッシに交換されているのが解ります、エアコンの配管がちょっと邪魔ですね。
左画像は3月に入ってからの撮影ですが建物の右側・・昔は何も無かったところに0系新幹線の先頭部とD51型蒸気機関車の先頭部が展示してありました、0系はかなり前から有りましたがD51は何時頃設置されたのか解りません。
JR・・のマーク下辺りに昔は時計が有ったのですね、右の画像はこの建物の特徴にもなっている張り出したモダンな作りの階段・・2箇所有ります、やはり窓はアルミサッシに交換されている様ですが原型を良く留めていると思います。
左は駐車場から見た建物・・別館への渡り通路は後から追加されたものになります、右は館内に掲示されていたパネルを引用したのですが開館当時の青写真だと思います、まだ別館は無く万世橋のホームと屋根が見て取れます。
また入り口付近からは見られませんがあの独特の階段がもう一つ有ることが図面ではよく解ります。
あとちょっと驚いたのですが博物館入り口から道を挟んで左の画像のガソリンスタンドが有るのですがこのスタンドは博物館開業当時からこの場所に有ったと見られ上の青写真にもしっかり表記されていました。
右画像は青写真から入り口付近をアップにした物ですがその場所に”ガソリンスタンド”と書かれているのが解ります、今はスタンドの数が減っていますが凄い事かも知れませんね。
自動券売機で入場券を買い求め中に入りますが入場券は係員に渡し代わりに記念となる券が手渡されました、中に入ると右側はお土産物コーナー・・売店が有ります、そのまま右に進むと・・。
3階まで吹き抜け構造の機関車ホールに出ます、そこには大きな赤いスポーク型動輪や9850・・マレー型と言われる蒸気機関車と、北海道で最後まで活躍した蒸気機関車C57の135号機2両が仲良くお尻をこちらに向けて並んでいます。
このC57型が入る前はホールの真ん中・・画像の通路辺りに9850が置いてあり、機関車の下にはピットのような通路もあって機関車を下から観察することも出来ました、記憶が定かでは有りませんがこの機関車の動輪はモーター仕掛けでゆっくりと回すことが出来たと思います。
ホームのような雰囲気の見学通路、9850のキャブ・・運転台は解放され乗って観察する事が出来ますがC57は通常閉鎖されていました、何かの記念行事時には見ることが出来たのかも知れません。
余談ですが9850マレー機関車はその構造が解るようにカットモデルになっています、この機関車は昭和初期に東京駅北側のガード下に有った鉄道博物館の時代から展示されていたとの事ですが、カット工事を行った工場から博物館の側までこの状態で線路上を走って運ばれたとか・・もちろん自走は出来ませんので他の機関車に牽引されてきたのですが途中の駅や踏切などでこの機関車を見た人の目にはどの様に映ったのでしょうね・・。

9850号機とC57-135号機を前から・・。
閉館が近づくとこの135号機にもさよなら・・
のヘッドマークが取り付けられていました
C57型が搬入、展示されるようになってからはこちらに目が行ってしまいますが展示場所が室内でしっかり管理されているため状態は良く火を入れれば直ぐに走り出せそうな感じです、実際JR東日本でD51に続き蒸気機関車を復活させる話が出たときにこの135号機も候補に上がったとか・・結局新潟の小学校に静態保存されていたC57-180号機が整備され復活、現在は磐越西線で「SLばんえつ物語号」として活躍しています。
これも余談ですが・・復活を果たしたC57-180号機、新潟県で活躍しその使命を終えて廃車になり新津駅側の小学校に静態保存されたのですがその小学校が線路の直ぐ側にあり新津駅の引き上げ線を仮線で小学校校庭まで延長・・その上を機関車が自力で走行、保管場所に停止後そこで火を落としたと言うことです。
C57-135号機の右側には廃車された機関車のプレートがズラリ展示されていました。
交通博物館に保管されていたC57-135号機の足回り・・野外に保存されている機関車は錆止めも含め銀色に塗装されているロッド回りもここでは定期的に磨き出されていたため綺麗な金属光沢を放っていました、画像左はクロスヘッドとメインロッドのスモールエンド、クロスヘッドは子供心にも人の顔のように思えました、人と言うよりロボットかな、右の画像は第2動輪とメインロッドのビックエンド・・バルブギアを動かす為のリンクも綺麗に磨かれ今にも走り出しそうな雰囲気・・近づくと蒸気機関車の”体臭”も微かに感じられます。
この135号機・・退役する少し前にNHKで放送された番組で当時のアイドル歌手だった山口百恵さんが乗った列車を牽引していました、私もその時の映像・・放送を録画したテープを保存していますが当時はまだ一般家庭にビデオデッキが普及する前・・ベータマックスやVHSが登場する前で3/4インチ巾のテープを用いたUマチックビデオデッキでの録画でした。
左画像は9850・・マレー型機関車のキャブ・・運転台、現役時は解りませんが案外質素な作りに見えますマレー方とはシリンダーと動輪の組み合わせが二組あり山道・・勾配区間でその力を発揮する機関車だと思われます、シリンダーは4つ有るため蒸気の消費も多かったのでは・・。
右側画像はD51の運転台・・恐らく野外に展示してあるD51の運転台だと思われます、展示当初は運転台だけを置いた形でしたが後に機関士席前方の窓前にテレビモニターを設置し蒸気機関車の前方展望ビデオを放映し雰囲気が味わえるようになっていました。
博物館のお楽しみのメインはこれ、鉄道模型のパノラマ運転場です、日に数回時間によりJRの代表的な列車、型式が次々と走り回ります、運転時間外でも一部の車両は自動運転で走っていました。
資料によると博物館の開業当初に比べて拡張されているとの事です、建物が近代化され新幹線が増え路線も増えていますが博物館に展示されていた開業当初の写真を見ると山並みや水路を模した通路など開業当初の面影・・構造がそのまま残っている所が随所に見られました。
私も田舎から東京に来たときこのパノラマ運転場の前でかじりついて見ていた記憶がよみがえります。

2ページ目へ