今年も高知へ、よさこい祭と共に海の幸も楽しむ。(1)
今年も鉄分の補給も含めての旅、よさこいにもしっかり参加。
今回は鉄道旅行記の様な内容かも・・(^^ゞ

今年も暑い時期により暑い所・・南国土佐の高知で行われたよさこい祭りの見物、参加、美味しい海の幸も堪能してきました。
地元Hさんの案内で今までとは一風変わったところも見物・・いつもお世話になりっぱなしで・・有り難う御座います。

今年も昨年と同様に東京から四国は高松まで向かう夜行寝台特急の”サンライズ瀬戸”を利用しようと思い利用日の一ヶ月前・・同じ日に指定席や寝台を買いに旅行センターへ・・しかし既に満席・・(゜◇゜)ガーン・・。
昨年は発売日より数日遅れていても確保出来たのですが今年は日にちと曜日の関係が良いため当日に買いに来ましたが会社勤めでは昼間は無理・・この差が出たようです、また旅行会社の窓口では確実に取れるかは解りませんが予約が出来るらしく窓口が開くと同時に集中する模様・・予約は2ヶ月前から出来るとのこと。
やむを得ず予備にと考えていた23時発夜行急行銀河の寝台を押さえ、それに繋がる新幹線と南風3号の座席を予約することに・・出発日が夜行なので新幹線と南風は翌日が一ヶ月前になりまだ買えないのです、予約が出来ることが解れば帰りの列車も予約した方が便利、帰りの南風と500系で運転されるのぞみの指定席を予約して帰りました、結果は電話で連絡してくれるそうな。
翌日午後まず銀河に繋がる新幹線の指定が取れたとの連絡、ただそれに岡山で繋がる高知行き特急の南風3号が満席・・グリーン席が空いているとの話なのでちょっと贅沢してグリーン席を押さえてもらう事に・・これで行きの寝台、座席は確保出来ました。

数日後帰りの座席を予約した結果がわかりました、利用したかった高知15時発の南風20号は満席なので1時間早い18号を押さえてくれたとか、そうしたら新幹線もほぼ1時間早い列車を気を使って押さえてくれたのですが私達の希望が上手く伝わっていなかった様で・・「500系新幹線に乗りたいのでその”のぞみ”の指定席をお願いしていたのですが・・」と伝えると慌てて確認・・良かった500系にも空きがまだ有りました、高知発の南風が一本早い時間なので岡山での待ち合わせが長くなりますがそこは鉄チャン・・ホームで色々な列車を見ていたり喫茶コーナーでコーヒーを飲む等して時間はつぶせます。
とりあえず行きと帰りの座席が確保出来一安心・・出発日を楽しみに待つことに・・・。

そして出発日の8月9日夜・・仕事を終えてからシャワーを浴び東京駅を目指します、万一事故などでダイヤが乱れても対応出来るように早めの出発に。

地元駅で乗れたのは直通で東京まで行く列車でした、途中で乗り換える手間が無く助かります、友人のF氏が合流し東京へ・・乗ったのは新型車でした、かなり増えたなぁ。
東京にダイヤ通り到着し飲み物とおつまみ、翌朝飲む缶コーヒーなどを購入し銀河の入線を待ちます。

ホームに入ってきた銀河は客車6両に専用電源車が付く7両編成、乗客が多い時期なのに増結は無しでした。

ブルートレインが激減した中で急行で短い編成と言えども貴重な夜行寝台列車とし頑張って走り続けている銀河ですが廃止や季節臨時列車への格下げ話も聞かれます。

銀河、鉄ネタ一口メモ
私は3度程利用した銀河、最後まで20系客車で運転されていた夜行寝台列車・・と言う位しか私も覚えていません、そこでちょっと銀河について調べてみました。
歴史は結構古く終戦間もない昭和24年・・1949年の9月に走り出したとの事、当時は全てが寝台ではなく今で言う座席のグリーン車(当時は2等車)4両に今の普通車(当時の3等車)7両に1等寝台(今は1等に当たる車両は有りません)2両を繋げた13両編成と言う立派な編成、ピークでは14両編成で運転されていました。
当時は東京を20時30分の発車で大阪着は7時54分・・牽引する機関車の性能や線路条件も有りますがゆったり走っていました、ただ等級の良い車両では利用料金も高く乗客は伸びなかったとか・・その後こまめに編成や運転時間が変更され全編成が寝台車になったのは1960年台に入ってから・・しかしまた座席車が連結されたりと需要により変わっていたのです。
当時の特急寝台は20系寝台車からベット巾の広がった14系や24系寝台車に変わり運用を放れた20系寝台車で銀河が運転されるようになったのが1976年2月から、1985年には新系列の寝台車14系に衣替え・・翌1986年11月には今と同じ24系25形となりました、でも編成は11〜12両編成と今の倍です。
新幹線の延長で寝台車が減ってきた中、新幹線の大阪行き最終列車が発車した後に東京を出て始発の新幹線が大阪に到着する前に大阪へ着けると言うダイヤのため今まで生き残ってきた様です、また特急に格上げすると使いにくいダイヤとなるため急行のままゆったりと走っているのも人気だったのかも知れません。
ただ利用客の減少で多客期を除き6両編成の運転と寂しくなり、車両も古く急行料金は良いものの寝台料金は他の特急と同じで設備的にも見劣りが・・今後新型車の導入も無理そうなので上でも書きましたが廃止や季節運行の臨時列車に格下げ・・の噂も有ります。
画像は終点大阪までもう一息と快走する急行銀河、この画像のみRailstation.net様より引用させて頂きました。
B寝台車の寝台ブロック1つは4人が利用出来ます、下段2人上段2人・・上段は窓が無く表が見えないので車窓が楽しめません、真ん中は上段に登るための階段がセットされた状態、私と友人は下段の左右になります。

過去2回私はこの銀河を利用していますが時期の違いもあり一つのブロックに私だけと言うことも有りました、しかし今回は東京出発時点で全てが埋まりました、私と友人は下段なので流れる車窓を楽しめますが上段の方はそれも出来ずカーテンを閉め早々に寝支度に・・早めに下段を押さえて良かった・・。(^^ゞ
出発後の車内放送ではA、B寝台全て満席になっていると伝えていました、お盆にはまだ少し早いのですが驚きました。
出発時間となり軽い衝動と共にホームが流れていきます、缶に入ったウイスキーの水割りを飲みながら友人と流れる車窓を肴に夜汽車の旅を楽しむ・・上段にも乗客がいるのであまりお喋りも出来ず酔いも軽く回ったところで就寝、適度な揺れと轍の響きを楽しみながら・・と思っていましたが乗った車両に小型のコンプレッサが付いていて時々起動し”トコトコトコトコ・・”とちょっと騒々しい。
この寝台列車は機関車が牽引する客車列車ですが台車の空気バネの関係で圧縮空気消費量が多く、機関車の負担を減らす為客車の一部・・車掌室がある緩急車に小型のコンプレッサを装備しているのですが今回指定の寝台がその車両に割り当てられていたわけで・・でもいつの間にか記憶がなくなっていました。
寝台でウトウトし目が覚めたら列車が停車している・・乗客の乗り降りをしない駅でも乗務員の交代などで停車する”運転停車”と言う事がある、何処の駅だろうとカーテンを開けてみると豊橋駅・・「あれ?、豊橋で運転停車したかな・・」と思いながらもトイレへ。
後で調べたら上りも下りも豊橋で運転停車が有ることが解りました。

画像上は豊橋駅では有りませんが深夜で人気のないホーム、寝台列車が減り寂しくなった東海道本線ですがやはり日本の大動脈的な路線になります、旅客列車は走らなくても夜間はコンテナ特急・・貨物列車が多くはしります。
画像は寝台車の通路・・壁には引き出して座れる補助イスが付けられています、なかなか寝付けない人が流れる夜の車窓をぼんやり見ていたり喫煙が可能な車両ならそこに座ってタバコを楽しむことも出来ます。

私が乗ったのはもちろん禁煙車両、寝台に戻り横になると間もなく列車は走り出した・・運転停車にはちょっと長かったがまあ大した遅れでは無いだろうと・・また眠りの中に。



目が覚めると列車は軽快に走っています・・というより限度ギリギリに飛ばしている感じにも・・元々急行と言えども運転速度は高い列車ですが・・カーテンを開けてみると今日も暑そうだなぁ・・半分寝ぼけ状態でいると車内放送が・・”おはようございます、次の停車駅は岐阜・・”
あれ?岐阜停車は5時のはず・・まだ放送が入る時間ではないのだけど・・と思っていたら案内が続きます、”・・軌道短絡(信号故障)の関係で列車は1時間20分の遅れで運転しております・・”えっ?・・その放送を聞いていた友人も飛び起きた、どうりで表の風景明るい訳です。

5時到着予定の岐阜を6時20分に発車・・このままでは通勤ラッシュの時間帯に入り、定期列車を優先させるため遅れが増大し大阪到着はお昼頃になるとの放送、救済処置として新大阪まで手持ちの寝台急行券で新幹線乗り継げるよう手配を取ったとの案内、次の米原で乗り換えて下さいとの事。

しかしこの遅れではその後の乗り継ぎ列車にどう頑張っても間に合わない、新大阪からののぞみ・・岡山からの南風グリーン車の指定席が全て無駄に・・ガーン・・ゴソゴソ着替えて友人と時刻表で使えそうなスジ、列車を探すが混雑するこの時期では座ることは先ず無理でしょう・・あ〜ぁ、ここまで来てこの様なイベントが発生するとは、寝ている間に遅れていたのですね1時間以上も。

米原駅では殆どの乗客が降りた模様、新幹線乗り換え改札は一部のゲートが解放され列車遅延の証明と新幹線に乗り継ぎ手続き済みの明記がされた紙が渡されます、振り替え輸送と同じ様な物ですね。
新幹線の利用で大阪までの乗客は40分程度の遅れで着けることになるがそれ以西に向かう我々にはこれでも辛い・・でも行けるところまで行くしかないです・・新大阪から岡山まではのぞみの指定席を押さえていたが乗車時間は40分程度なので立ち席でもかまわないのでとにかく新大阪まで行くことに。

乗り継いだのは300系こだま、以前は初代のぞみとして活躍した300系だが今はひかりとこだまの運用に付く、もっともお盆になるこの時期は臨時としてのぞみで走ることも多いが・・こだまと言えども300系、足は速い・・速く走らないと後続列車に支障を来してしまう、米原を出ると次は京都と新大阪なのでひかりもこだまもあまり所要時間はかわりません。

新大阪到着後そのまま後続ののぞみに乗ることに、指定列車に乗れなくても切符は自由席特急券としては有効なので立ち席でも来た列車に乗れる、走ってきたのは品川をその日の朝6時6分に出発した新700系のぞみ・・こちらは昨晩から動いているのに今朝出た列車に追いつかれた訳で・・この季節なので通路やデッキまでいっぱいになる、私たちは通常なら一番やかましく揺れやすい連結器の上・・貫通路の渡り板付近に立つ、しかし流石新型・・デッキ部にも空調の吹き出し口も有り快適で何よりも静かで揺れない、300Km/h近くの速度を出していると思うがデッキの貫通路までしっかり防音され立っていてもまことに快適・・思わぬ形で300系と新700系の乗り比べが出来てしまいました、変な所に関心している内にのぞみは岡山駅に滑り込みます。
(このドタバタで車両の画像をカメラに収める事をすっかり忘れていました・・2000系気動車は昨年も利用しているし・・せめて300系新幹線車両でも撮影すれば良かったなぁ。)
思わぬ形で初乗車となった新700系、岡山駅も新幹線から在来線に乗り換える所にも改札口が有りますがここでちょっと問題が出そうな雰囲気に・・私たちの持っている新大阪から岡山までの新幹線特急券は改札機による入札がされていない・・米原では振り替えと遅延証明を受け取り有人ゲートや解放されたゲートを通ってしまい新大阪ではそのまま後続の”のぞみ”に乗ってしまったので切符を改札機に通していないのです。
入札の記録が無いので恐らく改札機に入れると引っかかるはず、そう思い係員のいる窓口へ・・遅延証明と乗車券特急券を見せて訳を話すと”そのままお通り下さい・・”とパス、あれ?新幹線の特急券が集札されなかった・・。

岡山で乗り換え高知へ向かう南風に乗り換えるのですがグリーン席を押さえた南風3号は既に出発している・・期待は出来ないと思うが窓口で遅延証明と3号のグリーン指定席特急券を見せて南風5号に座席のキャンセル・・空きが無いか訪ねる、遅延証明を見て”ご迷惑をおかけしました・・”とマルス端末を叩いてくれたがやはり全て満席・・列車に向かい車掌に相談して欲しいと言われました。
ん!座席にありつけるのぞみが少し出てきた・・実は列車にもよりますが何かトラブルが発生したときのためにマルスでは発券できない通称”車掌持ち”と言われる座席が少し有るのです、ただし緊急時の対応用なので自由席が混んでいるから指定席に移りたいと言ってもダメ、今回の私たちのように鉄道会社側のトラブルで列車が遅れ、指定券を持ち本来乗れるはずの列車に乗れなかった等の救済用に使うことが出来る席になっている様です。
南風5号の入線、発車にはまだ時間もあり朝食も食べていないので駅中の喫茶コーナーでモーニングを食べる、寝不足気味の体には丁度良いボリューム。
さてホームに下りると既に南風5号は入線していました、列車に乗り込み点検をしていた車掌さんに切符と証明を見せて訳を話し”普通席で良いのでなにか救済してもらう事は出来ませんか?・・”と訪ねて見た、ここで強気に出てはダメ・・。(^^;;;;
車掌はちょっとお待ち下さいとノリホ”乗車報告書”をパラパラ見ながら・・”2号車の14番のどちらかへお座り下さい・・”と伝えてくれた、やはり車掌持ちの座席が一列有った模様で私たちは無事に座席にありつけました、良かった・・。
程なく出発時間となりハイパワーのエンジンを吹かして岡山駅を後にします、車内検札も始まり私達の所へ・・切符を確認し再度遅れのお詫びが・・こちらも”諦めていたのですが席に座れて助かりました”とお礼、一安心です・・この振り子式列車で2時間以上立っているのは辛いですから・・。
画像は普通席車内にて、空いている席も見られますが途中でほぼ満席になりました。
やっと車窓を眺める余裕も出来て・・ホッと一息で車窓は稲穂の伸びた田んぼ・・きれいな緑を見ながの旅、南風5号は軽く足慣らしをしながら瀬戸大橋へ向けての線路を軽快に走ります、途中児島駅で乗務員はJR西日本から四国の乗務員に代わります。

児島を出ると一気に加速し高架の線路を走りトンネルを何個か抜けると瀬戸大橋へ、列車で渡るのは昨年に続き2度目、昨年はサンライズ瀬戸の階下席だったのであまり瀬戸大橋からの眺めは楽しめませんでしたが今回は良く見えました。

列車は程なく四国に入りこまめに停車しながら大歩危小歩危に向けて山道に入りいよいよ振り子機能を発揮、ハイパワーのエンジンをふかし右に左に車体をくねらせて登っていきます。


ボ〜っと流れる車窓を見ながら1時間ほど走った時に車掌さんが来て”グリーン席に空きが出ましたのでよろしければご案内いたしますが・・”と伝えてくれた、既に西日本の乗務員から四国の乗務員に代わっていましたが私たちの事をしっかりと申し送りしていた様です、折角なのでグリーン席の座り心地も楽しむことに・・残り半分ほどの行程ですがグリーン席にも座ることが出来ました。

画像はそのグリーン席と前面風景、パノラマとは行きませんが前面展望と運転席が見られます、去年乗った”しまんと号”はトンネル区間に入ると暗幕を下ろししばらく前面は見られなかったのですがこの南風はトンネル区間に入っても幕を下ろさず前が見えます、これは先頭車の形状の違いにもよりますね。

グリーン席の乗り心地・・この車両は一両の前半分がグリーン席で後ろ半分が普通指定席の合造車、車体や足回りは同じなので乗り心地はあまり変わりませんが一列が3席となりゆったり巾のあるシートと前面展望を楽しめました。

グリーン席から覗ける運転席。


半分くらいの行程ですがグリーン車のシートに収まりこの様な車窓も楽しむ・・水がきれいですよね。
切符は高知まで買って有りますが少し手前の後免駅で南風を下車、高知よりの先頭車(左)画像のように少し流線型になっています、近すぎて入り切りませんでした・・。
岡山よりの先頭車(右)この様に平面スタイルの2000系ディーゼルカー、これはグリーン席が有る車両だけのようで昨年乗ったしまんと号は前後とも同じ形。
高知に向けて加速していく南風5号を見送る・・発車してホームを離れる時に私たちの前で車掌さんが軽く会釈をしていったのが印象的でした・・。

後免で下りたのは昨年昼食を食べたレストランにまた行くため・・。
1000円以下の料金でランチながらフルコースに近い美味しい食事が出来たので今年もそこでお昼を食べる事にしたのです。

←後免駅で土佐黒潮鉄道に乗り換えるため日の当たるホームを移動、歩いていくと南国高知の日差しを浴びます・・ジリジリとやはり暑いです。

後免駅のホームは長く見えますが乗ってきた南風5号は4両編成・・東京を走る列車から見ると短いですね。

後免駅からは土佐黒潮鉄道で一駅・・後免町駅へ向かいます、一駅で3Km未満の乗車ですが200円・・どうしても高くなってしまいます、運賃。


途中下車して寄ったレストラン・・昨年に次いで2度目。

880円のランチプレート。
ランチは昨年と変わらず880円、和食と洋食が選べます、食べたのは洋食・・昨年と違うのは昨年は料理が個別の器に盛りつけられていたのが今年は一枚のプレートにデザートも含め全て盛りつけられていました、これにスープ、ライスとコーヒーが付きます。
宿のチェックインにはまだ早いので土佐黒潮鉄道の後免奈半利線(正式には阿佐線)に途中まで試乗してみることに、この辺りでアニメのあんパンマンの作者が生まれたらしくその関係でJRの特急車などの車両、黒潮鉄道の車両、駅のロータリーなどにあんパンマンのキャラクターが多く見られます、画像は後免町駅前に有った石のベンチとあんパンマンの石像。
後免町駅で待っていたら走ってきたのは土佐黒潮鉄道の奈半利線(阿佐線)専用の9640形気動車・・”電車”では有りません。
9640形は始めて乗る車両になります、昨年は乗り入れているJR四国の1000系気動車でしたのでどんな走りをするか楽しみです、型式の9640形とは”くろしお”に引っかけて付けた形式だとか。

ステンレス車体のディーゼルカーですが小型の軽快形ではなく20m級の在来線ではフルサイズ、ワンマン運転仕様の車両になりますが女性の車掌が乗っていました。
運転席はマスコン(車では加速のためのアクセル)とブレーキレバーが別になった2ハンドルタイプ、マスコンもブレーキも横軸形と言われるタイプになっていました。
軽くエンジンを吹かし走り出したと思ったら一気にフルノッチ、マスコンレバーを最大加速位置まで投入・・軽い車体でもあり加速がよい、グイグイ加速し100Km/hまで出た所でノッチオフ、惰行に移る。
下手な電車より加速がよく後で調べたらエンジンは小松製の14000cc、出力は450馬力のハイパワー、速いわけです・・最高運転速度は110Km/hだとか。
線路も高規格で造られているので車両の性能も遺憾なく発揮できます、画像の様に高架線で直線が多いのです。

昔走っていた土佐電鉄、安芸線の用地を譲り受けて建設されたとの事ですが高架線で作られたため踏切が無いので安心して高速運転ができるのでしょう。

乗っていて気になったのは加速時の変速ショック、モーターではなくエンジンで走るため速度に応じ自動的に変速するのですがギアが切り替わる時にガツンとショックが来ます、加速しエンジンが吹けきる前に一旦出力を絞り変速、再度加速を開始するのですがマニュアルミッションの車で下手にクラッチを繋いだ時のようにガツンと来るのです、エンジンの制御で抑えられると思うのですが他の作りが良いだけにこの変速時のショックは残念に感じます。

海が青くきれい・・色が2色に分かれています、高知の海岸は急に深くなっているためこの様に色が変わるとか・・きれいな風景を見ながら列車の走りも楽しみました、乗った列車は快速運転だったので軽快な走り、乗り心地も楽しめました、終点まで行くと高知に戻るのが遅くなるので途中安芸駅で下車、折り返すことにしました。
右画像、乗ってきた9640形の車体にはこの様なキャラクターが沢山描かれていました、駅毎にキャラクターが有ったような。
安芸駅まで乗車し駅前を散策しようと思いましたがあまりの暑さにめげてしまいまた安芸駅へ戻る・・駅の方を見たら左画像の様な車両が目に入りました・・車両としては9640形なのですが黄色と黒のトラ縞模様の車両・・。

駅のホームから車庫を見るとこの様な感じ・・タイガースカラーの車両、屋根が有るので車体は暗くなってしまいましたが”V”マークとタイガースのマークが見えます、詳しくは有りませんがこの辺りでタイガースがキャンプでも行うのかも。
土佐黒潮鉄道阿佐線(奈半利線)、鉄ネタ一口メモ
2001年に初めてよさこい祭りの見物、参加したときのレポートと一部ダブります、昭和49年までは今の路面電車区間の御免線終点から先・・安芸市方面へと向かう鉄道線”安芸線”が走っていたと言うことを書きました・・東京に住む私なので実際に現場を見た訳ではありませんが鉄道が好きで手持ちの鉄道雑誌などで見た程度ですが・・。

安芸線は高知県東部の土佐湾沿岸を結ぶ鉄道として、高知鉄道が大正13年に後免町〜手結間が開業し翌14年には近隣の土佐電気(今の土佐電気鉄道後免線)が後免町駅前まで延びて接続された、さらに大正15年には後免町〜後免(現在のJR土讃本線後免)間が開業し国鉄との接続も達成・・かなり歴史が古いのですよね。

昭和5年には手結〜安芸間も開業、開業当初は蒸気機関車や気動車だったのが戦後の燃料不足から安芸線は戦後の昭和24年に全線電化され、のちに軌道線のはりまや橋まで直通運転をしていたとの事です、安芸から乗り換え無しで高知市内まで行けたのは当時としては画期的な事だったと思われます。(私の勝手な推測ですかその関係で土佐電鉄の線路巾が1067mmなのかな?)

しかし後免から室戸岬をまわり牟岐線牟岐を結ぶ国鉄阿佐線が計画され昭和34年に工事開始となりました、昭和40年から安芸〜田野間で工事が開始、安芸線と同計画線とがほぼ重なっているため昭和49年3月末に路盤用地の捻出の為か廃止されてしまった様です。

のちに阿佐線は昭和50年から後免〜田野間(現在の奈半利駅1つ手前)で工事が始まりました、当初は安芸線の廃止で捻出された路盤を再利用する予定だったのが高架構造の新線で作ることになり、ある程度工事が進んだ物の赤字に喘ぐ国鉄が昭和56年の路線見直しで新しい安芸線も工事が中止に・・折角作ったトンネルや高架橋がしばらくの間トワイライトゾーン状態になったと思います。

昭和63年に土佐くろしお鉄道が引き継ついで工事が再開されかなり時間はかかりましたが2002年7月に開業・・旧安芸線の路盤を使わず高架線やトンネルを多用したため高規格の路線となり、踏切もなく100Km/hを超える速度で運転出来るようになったと思います。
ネットで検索してみると新しい阿佐線に沿って旧安芸線の構造物が残る模様でその辺りも散策してみたいです。
高知へ戻る列車として着たのはJR四国の1000系気動車、既に何回か乗車していますが奈半利線に入るのは1000系の中でもトイレが付いている車両に限られるとか、1035番か1045番の車両がトイレ付きで走ってきた車両には1045の番号が見えました。

面白いのはこの1000系の運用、高知から奈半利に向かう列車は全て各駅停車、奈半利から高知へ戻る列車は快速として運転されている模様。
エンジン出力や変速機の違いで9640形よりちょっと加速力は弱いですが100Km/hの速度で気持ちよく高架線上を快走します、後免駅からJR線に入り途中特急列車の待避やすれ違いで小休止しながら高知へ向かいます。
高知駅に到着、駅前に出ると真っ青な空に4度目で見慣れた高知駅前の風景が目に飛び込んで来ます。

日向に出ると肌がジリジリ焼けるような暑さ、しかしちっょと日陰に入ると心地よい風が抜けていきます、都心とは何かが違う暑さです。

既に宿にもチェックイン出来る時間なので宿に向かい他の皆さんを待つことに、明日朝到着する1人を除いて高知へもう一息の所まで来ていることを電話端末のメールで確認、車で来たGaさん、高知の西方面を散策して来たReさんが到着・・チェックインを済ませ地元Haさんの体が空くのを待ちます。



待ち合わせ場所に踊りを見ながらノンビリ移動・・地方車からのサウンドが体を揺らします、地方車と言うのは踊るための音楽を流す先導車の様な車で3トンクラスのトラックの荷台にエンジン発電器、PAアンプ、スピーカ、照明を乗せ踊り子さんに向けて音楽を流します。




地方車もそのデザイン、飾り付けが審査の対象になるので各参加チームは衣装と共に工夫を凝らします。
そのパワーは半端では無くホントお腹に響きます、しかし歪んだり割れたりする事はなく抜けの良い音、聞いていて不快にはなりません。
以前にも紹介していますが地方車を後ろから見るとこんな感じ、黒い部分は全てスピーカー、野外ライブで使われている機器を一部積み込んでいるのです、音質が良いわけです。

音楽は地方車にバンドが乗り組み生演奏するチームも有れば専用に編集したパッケージを流すチームもありその辺りは自由。

出番を待つ踊り子さん達。
小さい内から鳴子を持ち、よさこい祭りに馴染んで行くのですね、鳴子を持ちヨチヨチ歩くオチビさんまでお揃いの衣装を着ています、地方車からの大きな音を物ともせずにスヤスヤ寝ている赤ちゃんまで・・しっかり鍛えられている?。(^^ゞ
今年のよさこい祭りは終わったばかりですが既に皆さんは来年に向けて衣装、踊りの振り付けを考え始めているでしょうねぇ・・・。


カツオのたたきが巻かれた土佐巻き。

(私は当初”黒潮巻きと勘違いしていました”(^^ゞ
地元Hさんから教えていただきました。)
地元Hさんは”市民憲章踊り子隊”というよさこい踊りチームの世話役をしています、私たちが着いた夜もまとめ役として暑い中奮闘していました、そしてHさんがフリーになる時間に待ち合わせをして予約していた飲食店へ・・まずは無事に着けたのとHさんも1日目が無事に終わりお疲れさまと言うことで乾杯、

早速カツオのたたきや、たたきのカツオを海苔巻きにした”土佐巻き”を頂く・・美味しい、旅の目的の1つはこれだったり・・。(^^)
Hさんとは昨年年末にHさんが上京して来て一緒に忘年会をしているので8ヶ月ぶりの再開、私は今回でよさこい祭りは4回目の参加になるがお会いしたのがちょっと前位に感じます、高知の町並みも目に馴染んでしまったし、確かに一度お祭り中ではなく静かな高知も楽しんで見たい所です。
ゆっくりと飲んで食べて談笑し・・アッという間の一時でした、明日の打ち合わせをしてお別れし私たち4人は宿へ、この宿・・ビジネスホテルも昨年に続き2度目なので勝手も知っているし落ち着けます、チェックインして直ぐにシャワーを浴びましたが寝る前にもう一度シャワー・・旅の疲れも有り普段より早めに寝床へ、アッと言うに寝付いてしまいました、自宅より熟睡したような感じ、高知での2日目を迎えます・・。

高知の2日目へ