浄 土


      
あの世がないならば、わたしがあの世をこしらえよう、そこで再び彼女に
会うめあてがないとしたら、とてもこの世を生きていけるはずがない。    
 
世間では、あの世はあるかないかなどと、かんたんに議論するが   
  あの世がなくては生きていけぬ人にとって、あの世は実在する。        
 

吉野秀雄「やわらかな心」より

どれみの絵この絵は、どれみちゃんが創って下さいました


この言葉は、受け取りようによっては誤解をうむのではないかと思い、
今月の言葉で取り上げようかどうか、大分迷いました。けれども、どうしても心から離れず
ここで、ご紹介させていただきました。
吉野先生の仰有る「あの世」とは死後の世界ではなく
「浄土」のことではないかと感じたからです。
  

  
吉野夫人がご自身の死を間近にしたときに、
  
「私には死後の世界は信じられない。人間はこの世だけで終わるに違いない。
 そして、この世に関する限り、私は幸せであったとあなたに感謝する。」
 
と仰有ったそうです。それに対して、
そのときに夫として実感した事実を答えられたものが上記の言葉とのことです。
  

 
つい最近、桜の花が咲くのを待ちながら一人の女性がお浄土へ還られました。
「私も同じ病気になって同じ苦しみを味わい、同じように死にたい」と慟哭する友を前に
私は一言も声をかけることができませんでした。
彼は、こうも言いました。
「死ぬことは恐くない、喜びだ」 
  

 
そう言って泣く友に、私は何と言えばいいのか、何か言わなければと思いながらも、
言葉がみつかりません。
  
それでも、何か言わなくてはと思い、
 
あの方は、自分と同じような苦しみをあなたに味わって欲しいと願っておられるか、
早く自分のもとへ来て欲しいと願っておられるだろうか、もし、あなたが、あの方を
残して先に逝かなければならなかったら、あなたはあの方に対してどんなことを願う
のか・・・あなたは謝ってばかりいるけど、こうもしてあげたかった、ああもしてあげた
かった、こうすればよかった・・と言ってばかりいるけど、私にはあの方が「ありがとう
ごめんね、幸せでいてね、元気でいてね」とあなたに願ってる声がきこえる・・・
  
そんなことを、グチョグチョ言ってしまいました。
あ〜〜友よ、ごめん。そんなこと言う必要なかった・・と知らされたのが、
吉野先生のこの言葉に出会ったときでした。
 

  
あの世がないならば、わたしがあの世をこしらえよう、そこで再び彼女に
会うめあてがないとしたら、とてもこの世を生きていけるはずがない。    
 
世間では、あの世はあるかないかなどと、かんたんに議論するが   
あの世がなくては生きていけぬ人にとって、あの世は実在する。 
  

 
理屈なんてなにもいらない、理屈がどうのこうの、分別がどうのこうの、
そんなものを超えて伝わってくるものがある。
 
言葉を超えて通じ合う世界がある。
  
悲しみも苦しみもいっぱいの涙も、暗闇も絶望も、切なさも・・・
全部そのままで、それでも生きていける、そんな力を私たちは与えられている。
 
先に逝った大切な人たちがそんな力を与えて下さる。
 

 
その方たちと出会える場が浄土なら、
あの世もこの世も全部浄土です。
大切な人たちの願いに生かされ生きている私たちです。 
 
 「私には死後の世界は信じられない。人間はこの世だけで終わるに違いない。」
 
と吉野夫人は仰有ったけれども、
夫である吉野先生の言葉の中に夫人は生きておられます。
この世もあの世もそのまま永遠の流れの中に生きておられます。
  

  
この世の終わったあとにあの世があるのではなく、
いつもこの世といっしょにあり、
この世を支えてくれているのがあの世ではないでしょうか。
浄土とはそんな世界のことでしょう。
 
言葉のいらない世界、願いだけが通じ合う世界、そんな世界に支えられ、
そんな世界の大切な人たちに支えられているからこそ、
大切な人を失った悲しみを超えて、私たちは生きていけるのではないでしょうか。
    

  

  
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