今  月  の  言  葉

今月の言葉 (間違ってる)かも知れない仏教用語(^^ゞ 付  はこちらです。

拙い解説を入れさせていただきました。
解説というより感想ですね。
ことばの文字列をクリックして下さい 



「宗教」

「ののさ おらもしたか?ののさ おらもせ」
                                  (福井県勝山地方の方言 のんのさまに御礼申したか?)


 「元気の素」

「まこっちゃんねぇ、悠はおいらの元気の素なのよん
そんでそれを悠は喜んでると思うべし。」

                                (金ちゃん20ウン才SE) 


 「いのち」

本当の生命(いのち)は形があっても形がないのである

                                (曽我量深) 


 「知」

「”ありがとう”と言ってくれてありがとう」                         
                         (大ちゃん10才

 「見」

    
   
「焼かれた」のでもない、「焼いた」のでもない。
ただ「焼けた」と。
そうすると事実を事実のまま淡々と受けていけるのではないかね
自も他も損なわんで済む。こんなことを今度の火事で学びました。
  
                               (安田理深)
  
             
  

     「浄土」
    
   
「浄土は本当にあるのか」
と親鸞に問えば、
「本当の意味で『ある』といえるのは浄土だけである」と答えられるはずである。
   
  
               ( 梯 實圓 ) 
  

   「わたし 」
 
 
わたし「が」仏教「を」学ぶのではなく、仏教「に」わたし「を」学ぶ
                                          (信国 淳)
 
 

 「いのちを問う時

 

問われていたのは私でした。私を目当ての御催促でした。 他の人や社会を分別し、相対化しようとす る、 大いなるものを我が手にとって量ろうとする私でした

(板垣 公裕)  

 


 「ひとりぽっちの時

 

いのちが私有化されるとき「私」なる仮設概念が実体化される

(隠れ里のおじさん)


 「焦燥感に苛まれる時」

   

生きるものは生かしめ給う

死ぬるものは死なしめ給う

我に手のなし南無阿弥陀仏

(藤原 正遠)


  「祈らざるえない時

   

宿業かぎりありて、うくべからん病はいかなる諸々の仏、神に
祈るとも、それによるまじきことなり。祈るによりて病もやみ、
命も延ぶることあらば、たれかはひとりとして病み死ぬるひとあらん。
 
『和語灯録』
 

 「子供たちへ〈5〉

   

さるべき業縁のもよおせばいかなる振るまいもすべし

                                歎異抄十三章

 


 「子供たちへ〈4〉 

  

  さびしいか、さびしさに徹せよ。

  
  
                  住岡夜晃 『難思録−孤独の内転−』 より
  

 「子供たちへ〈3〉

無意識のうち に老少・善悪を判定する判定者の位置にいて、
自身は老でも少で も、善でも悪でもないところに立って発言している。
したがって、自身 は阿弥陀仏の救いの場から見事にはみだしてしまっている。
 
                                (梯 實圓

 「子供たちへ〈2〉

我々の常識では、人間というものは苦しみばかりではでない、
楽しむということもあるというが、
実はそうではなくて、人間はすべて苦悩でないもの はない。
  
                                (安田理深)

 「子供たちへ〈1〉

極重悪人唯称仏
我亦在彼摂取中
煩悩障眼雖不見
大悲無倦常照我 
(親鸞聖人)   

  
 「仏教入門6
  
如来は見えざるものの目をひらき、見えざるひとを招喚して、
われここにありとしめしてくださる。
                           (曽我量深)

 「仏教入門5

自分の座忘れて 人の座につこうとするさけ むつかしなる

                             (山越初枝) 


 「仏教入門4

人のいのちは日々に今日やかぎりとおもい、
時時に只今やおわりとおもうべし        (親鸞聖人)
   

一大事とは今日只今のことなり       (正受禅師)


 「仏教入門3

「生きていくのに、必要な事は、性能のいい脳だけではないと思いました。」(MHさん)

 他20才代の方々のこんな言葉                                       


 「仏教入門2

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、                 
よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、
ただ念仏のみぞまことにておわします  『歎異抄』        
  
  
浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし
虚仮不実のわが身にて  清浄の心もさらになし
親鸞聖人『正像末和讃』愚禿悲歎述懐
  

 「仏教入門1

一切の迷いは皆、身の贔屓ゆえに迷いをでかしまする。
身の贔屓と離るれば、一切の迷いは出で来はしませぬ。 盤珪禅師
  
生きるための一切の努力を忘れて眠りこけていた私なのに、
目が覚めたら、生きていた  東井義雄
  
人間の”知恵”、自分のちっぽけなはからいを後生大事にして、
一番肝心の、息が出ていることを有り難いとも思わない、そういう私を、
そういう私というものを照らし出してくれるのが仏の”智慧”というものです。米沢英雄
 

 「自 分」    

よ う こ そ  よ う こ そ      因幡の源左          

 「人 生

阿弥陀さん 我が師友なり
結果如何は君にまかせん    大渕 功「信仰歌集」          
    

 
 「人 生
    
不 条 理      アルベール・カミュ「シジフォスの神話」          
 

 
 「生きる
    
良い地に落ちた種 −聖書に生かされた石川正一君の詩− 
 

 
 「仏
    
声を聞くべし、光をみるべし (近角常観)
    

  
 「罪福心」
    
世人は、狐や天狗を崇拝するものを指して迷信というが、
これは 左程笑うべきでない。
笑っているもの自身も、金や物を崇拝したり、
地位や名誉を崇拝しているではないか。  (清澤満之)
    

  
 「不安」
  
みんな不安なんですね。私は、まだ20歳。
私だけがそう思うのかと思ってました。   
年を取れば、迷いなど、不安など、ないと思ってました。 (A子さん19才
  

 「不思議」

現に与えられている存在の事実が不思議だ  (安田理深)
   

 「自分さがし」

    眼 横 鼻 直      (道元禅師)
   

 「救 い」

救いとは「帰る場所を与えられる」 ということではないでしょうか   
(豊島学由)

  


 「浄 土」

世間では、あの世はあるかないかなどと、かんたんに議論するが、    
あの世がなくては生きていけぬ人にとって、あの世は実在する。(吉野秀雄)
    

 「幸 せ」

貴方が幸せをのぞむのならば、いつ、いかなるときでも、
幸せを感ずる心根を枯らしてはいけない (廣瀬 杲)

 「自 分」

生かされて生きているにも拘わらず、自分の力で生きていると
思いこんでいる。それで飛び出しているという (米沢 英雄)
 

 「信 仰」

信仰を人生のあらゆる問題を解決する万能薬のように思っているひとがある
人生の問題に解決なしと決着することが信仰なのに  (毎田 周一)
  

 「人 間」    声は 耳にある  (安田 理深) 


 「あたりまえ」  朝のこない 夜はない  (高光 大船)


 「自己」  自己とは何ぞやこれ人生の根本問題なり  (清沢 満之)


   
たとえ一生を尽くしても 遭わなければならない 一人の人がいる
それは私自身

     
信仰により己に向けられた目が まず見るものは、
この自分というものは救われる身であるというよりも
如何に救われ難き身であるかということである

   
悟るといふても
迷ふていることを 悟るのである (安田 理深)

 「願い」 

願いを懸け続ける限り苦しみや悲しみからは逃れられない
懸けられた願いに気づいたとき、苦しみや悲しみから逃れる必要がなくなる
     

今月の言葉 (間違ってる)かも知れない仏教用語(^^ゞ 付  はこちらです。

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