悪いことをすると仏罰があたり地獄に堕ちるというのは、本当?


気に入らないといって罰を与えるような神や仏なら
人間と大して変わりないんじゃないですか?
  
仏教では「仏罰」などあり得ません。
  
地獄はどこかにあるという[場所]ではなく
いまこれを読んでいるあなたがつくりだすかも知れない[境界]です
 
あなたは地獄がこわいですか?
地獄がこわいから悪いことをせずにおこうと思って、その通りに出来ますか?
  
親鸞聖人は「悪いことをせずにはいられないわたしである」と言い切られます。
自身を「地獄一定」と見極められたのが親鸞聖人です。
  


ゴシンの仏教Q&A【E−1】

「天罰とか仏罰とか、たたりとかってホントにあるの?」

仏教では天罰とか、仏罰、たたりなど、人間を超え る力が人間を不幸に陥れるというようなことは言いません。
仏や神が自分の意志に沿わない人間を憎んで罰するということは、 ありえません。
そんなことをする仏や神がいるとしたら、それらは、 人間の作り出した仏や神でしょ、人間とレベルが同じ、そう 思わない?

「そう言われてみればそうよね。そんな神や仏って信じられないよね。でも そんなことをいう宗教が多いよ」

私たちは自分の思い通りにならない世界に生きながら自分の思い通りにしたいと願うから苦悩が生じるのだけど、それを他のものや他人のせいにしようとする。それで、天罰、仏罰だの、たたりだのと言い出す。
  
それを迷いと言うんだよね。迷いの現実を明らかにするのが仏教。仏教は地獄を怖がらない。地獄を怖がるのは宗教じゃないよ。

「でも、地獄に堕ちるとか、六道を輪廻するとか言うでしょ。あれは罰じゃないの?」

地獄とか六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道)は死後の世界のことだと思っているでしょ?
それとも、善いことを勧め悪いことを悪いことを戒めるために人間が創ったと思ってる?

「悪いことをさせないための脅しでホントはそんなものないんだとも思う。でも、死後のことは分からないから、もしかしてあるかも知れないでしょ?万が一あったら、こわ〜い」

仏教は「勧善懲悪」の教えじゃないよ。
昔から「六道」は勧善懲悪的に語られてきた歴史があるけど、江戸時代ならともかく、悪いことをすると「地獄」に墜ちる・・と聞き、地獄の恐ろしさを教えら れ・・悪いことをいてはいけない・・とそのまま信じられる現代人が、 どのくらいいるかな〜。
地獄があるなら、どこにあるのか?誰が その様子を見てきたのか?そう問い返したくなるでしょ?

「そうそう、ただ信じなさいなんて信じられない〜!理性で理解出来ないもの、科学的に証明出来ないもの は、なかなか納得できない。でも、死後のことは分からないだけに、ひょっとして地獄があったらともおもう。それが、こわ〜い」

「六道」とは衆生(生きとし生きるもの)が業によって生死を繰り返す6つ の迷いの世界をいうんだよね。
  
「生死を繰り返す」というと死んだあとの輪廻転生をいっていると受け 取る方が多く、またそのような言い方だけをされる宗教者もおられるけど、生死を繰り返す6つの迷いの世界とは、 私自身がいま現に、彷徨い続けている世界もそうだよね。

「今って?生きている今?今は人間界にいるんじゃないの?」

ちょっと本の受け売りだけど、人間界、つまり人間道は「苦、無常、不浄」を感じるところとされてるんだよね。だからここから、ほかの 五道をいったりきたり生死を繰り返すんだって。毎日の生活の中で。
  
例えば、地獄にも黒縄地獄、衆合地獄、刀葉林地獄などいろいろな地獄が 描写されてるけど、面白いように私たちの日常を現している。
  
有名な無間地獄は、足を上に頭を下にどんどん落ちていく絶対に出られな い地獄だそうですが、これは人間の思考法が万事逆になっているということ をあらわしている。
  
餓鬼道もそう。例えば昼夜に5人ずつ子どもを産んで産む後からそれを 食べていくがお腹がふくれないという餓鬼もいます。子ども達からどんなに よくしてもらっても喜べぬ人の姿でしょう。

「へえ〜っ、私たちの日常の姿なんだ」

畜生道は34億の種類があるんだって。鎖につながれた役にたつ獣は地位で束縛 をうける人の姿でしょ。

阿修羅道は恐れと不安の姿を表しているのかな。

天人には、欲界、色界、無色界がある。欲界は 政治家などの権力者かな、色界は科学に熱中している人、無色界は芸術や 宗教に酔っている人。この天人の特徴は、いつか必ず墜ちるということ、墜ち ていく先が人間道。

「あ、なあんだ。死んだ後じゃないんだ。ホントに閻魔さんがいるのかと思っていた、これなら怖くないよ。

死んでからは六道なんてないんでしょ?」

そんなこと分からないよ。現世にあるってことは三世(前世・現世・来世)を通じてあるってのが道理でしょ?

「エエッ〜やっぱり死んでからもあるの?どんなところ?やっだ〜こわ〜い〜」

地獄は、はじめからつくられている世界ではない、つまり、どこかにある「場所」ではなくて、自分がつくりだす「境界」なんだよ。こわ〜いって言うなら、地獄より地獄をつくりだす自分のほうが怖いんじゃないの?

地獄は怖くないけど、我執、わがままな心が地獄を嫌って地獄をつくってるんだって。

「自分がつくりだす?」

こんな話があるよ。

ある若者が「地獄はホントにありますか?」ってお坊さんに聞いたら「ないぞ」って答えた。

若者は得意そうに「やっぱり思った通りだ。ところが、うちの年寄りは、何かというと「地獄に堕ちるぞ」と脅すので、そんなもの誰か見てきた者がいるのかというのですが「見てきた者はいないが絶対にある」と言って聞かないのです。それで専門家にお聞きしに来たのです。これから帰って年寄りをとっちめてやります」と言って帰ろうとした。

その背にお坊さんが「地獄はないが、つくってはならぬぞ」と声をかけた。

若者「どういうことですか?」

お坊さん「いまから、地獄なんてものはないと言って年寄りを言い負かすつもりだろうが、それが地獄をつくることだ」

「地獄は自分が創り出す境界?」

仏教では身、口、意の業を因として出来るのが地獄という境界とされている。

境界と場所の違いがわかる?例えば、あなたの思っている地獄には「地獄の門番の鬼」や「裁判官の閻魔さん」がいるわけでしょ?門番や裁判官は地獄にいるけど、苦しんでなんかいないでしょ?閻魔さんや門番の鬼と、地獄に落っこちた人とでは、同じ地獄にいても、違うでしょ?違うのが境界

「身、口、意の業って?」

私たちが身で行い、口で言い、心で思う全ての行為(業)は因となって縁と結びついて、必ず果となるってのが仏教でいう因縁因果の道理だよね。悪因苦果の道理で悪いことをすれば地獄に堕ちる。

「じゃ自業自得ってことでしょ?わたしは地獄へいくしかないの?」

すべてのものごとがは直接間接の複雑な因果関係や無数の縁が絡んで成立しているという道理は疑いようがないでしょ?悪いことをしなければいいじゃないの

「よく、そんなこというよ〜!身、口、意で為したことは全て因となって縁と結びついて果となるといったじゃない。心の中まで問題になるのなら地獄行くしかないじゃないの〜」

そこに気付けば大したモンよ。悪いことをしてはいけないと知りながらも悪を重ねなければ生きられないのが人間だよね。縁があれば何をしでかすか分からないのが人間。

「だから、宗教を信じて神や仏に天国か極楽に連れていってもらおうって思うんでしょ?」

地獄の苦しみが嫌だから、楽しそうなところへ・・って願うのは欲でしょ?人間の我欲を満足させる宗教なんて似非宗教だと断言できるよ。我欲が地獄をつくりだしていくと明らかにするのが仏教。

「じゃ、ホントの宗教は天国や極楽や浄土に連れていってくれないの?」

連れていけ、連れていけって遊園地へ行くわけじゃないのよ。

地獄も浄土も場所じゃない「境界」。地獄にいてもそこが浄土ってQ&AのCで言ったでしょ、あれが境界

「地獄にいてもそこが浄土?」

そう、私たちは因縁因果の道理からいったら地獄一定・・けど、地獄一定と知らされるのは仏の光に照らされたから気付かされたこと。光に照らされたところが浄土  

「う〜〜ん、そこのところが、いつも、なんか、わからない。急に仏や浄土が出てきて、分からなくなる」

いつも言うことだけど、自分の向こうに「地獄」とか「浄土」とか「仏」とかを並べて、それを分かろうとしても、ますます分からなくなる。結局、自分というものを問題としない限り、ただの「はなし」になってしまう。

だから、一番問題になるのは常に自分自身。 いま、自分がなぜ、地獄や六道をを問題としているのかが、一番の答え。

「人生は自分を見つける旅。このページは自分探しのページ。問いの答えを見つけるのでなく自分の問いの中に自分を見つける・・・また、れいのワンパターン」

そう「人生は自分を見つける旅。このページは自分探しのページ。問いの答えを見つけるのでなく自分の問いの中に自分を見つける・・・」
  
私たちは人間だけど、人間界は、苦、無常、不浄を感じるところだって、さっき言ったよね。
だから、人間は、、それと反対の、安楽、永遠、清浄を 求める、即ち求道心が目覚める唯一の境界といえるんだよ。人間を超えた真実 が近づこうとするところ、仏から呼ばれているところ。

けど、それに気づけないから、人生を嘆き失望し、また他の五道を行ったり来たり 輪廻を繰り返しているのでしょ

つまりは、人間に自分自身を見つめさせるべく六道の教えはあるのであって、 自分の外に六道をおいて、問いをたててみても、答えは決して得られない。
  
「だからやっぱり、人生は自分を見つける旅。このページは自分探しのページ。問いの答えを見つけるのでなく自分の問いの中に自分を見つける・・・ってか?」

ゴメンね上手く説明できなくて。ほかの仏教ページにもリンクできるからね。

それから、メールで質問して下さいね!

   
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