「そう言われてみればそうよね。そんな神や仏って信じられないよね。でも そんなことをいう宗教が多いよ」
「でも、地獄に堕ちるとか、六道を輪廻するとか言うでしょ。あれは罰じゃないの?」
「悪いことをさせないための脅しでホントはそんなものないんだとも思う。でも、死後のことは分からないから、もしかしてあるかも知れないでしょ?万が一あったら、こわ〜い」
「そうそう、ただ信じなさいなんて信じられない〜!理性で理解出来ないもの、科学的に証明出来ないもの は、なかなか納得できない。でも、死後のことは分からないだけに、ひょっとして地獄があったらともおもう。それが、こわ〜い」
「今って?生きている今?今は人間界にいるんじゃないの?」
「へえ〜っ、私たちの日常の姿なんだ」
畜生道は34億の種類があるんだって。鎖につながれた役にたつ獣は地位で束縛 をうける人の姿でしょ。
阿修羅道は恐れと不安の姿を表しているのかな。
天人には、欲界、色界、無色界がある。欲界は 政治家などの権力者かな、色界は科学に熱中している人、無色界は芸術や 宗教に酔っている人。この天人の特徴は、いつか必ず墜ちるということ、墜ち ていく先が人間道。
「あ、なあんだ。死んだ後じゃないんだ。ホントに閻魔さんがいるのかと思っていた、これなら怖くないよ。
死んでからは六道なんてないんでしょ?」
そんなこと分からないよ。現世にあるってことは三世(前世・現世・来世)を通じてあるってのが道理でしょ?
「エエッ〜やっぱり死んでからもあるの?どんなところ?やっだ〜こわ〜い〜」
地獄は、はじめからつくられている世界ではない、つまり、どこかにある「場所」ではなくて、自分がつくりだす「境界」なんだよ。こわ〜いって言うなら、地獄より地獄をつくりだす自分のほうが怖いんじゃないの?
地獄は怖くないけど、我執、わがままな心が地獄を嫌って地獄をつくってるんだって。
「自分がつくりだす?」
こんな話があるよ。
ある若者が「地獄はホントにありますか?」ってお坊さんに聞いたら「ないぞ」って答えた。
若者は得意そうに「やっぱり思った通りだ。ところが、うちの年寄りは、何かというと「地獄に堕ちるぞ」と脅すので、そんなもの誰か見てきた者がいるのかというのですが「見てきた者はいないが絶対にある」と言って聞かないのです。それで専門家にお聞きしに来たのです。これから帰って年寄りをとっちめてやります」と言って帰ろうとした。
その背にお坊さんが「地獄はないが、つくってはならぬぞ」と声をかけた。
若者「どういうことですか?」
お坊さん「いまから、地獄なんてものはないと言って年寄りを言い負かすつもりだろうが、それが地獄をつくることだ」
「地獄は自分が創り出す境界?」
仏教では身、口、意の業を因として出来るのが地獄という境界とされている。
境界と場所の違いがわかる?例えば、あなたの思っている地獄には「地獄の門番の鬼」や「裁判官の閻魔さん」がいるわけでしょ?門番や裁判官は地獄にいるけど、苦しんでなんかいないでしょ?閻魔さんや門番の鬼と、地獄に落っこちた人とでは、同じ地獄にいても、違うでしょ?違うのが境界
「身、口、意の業って?」
私たちが身で行い、口で言い、心で思う全ての行為(業)は因となって縁と結びついて、必ず果となるってのが仏教でいう因縁因果の道理だよね。悪因苦果の道理で悪いことをすれば地獄に堕ちる。
「じゃ自業自得ってことでしょ?わたしは地獄へいくしかないの?」
すべてのものごとがは直接間接の複雑な因果関係や無数の縁が絡んで成立しているという道理は疑いようがないでしょ?悪いことをしなければいいじゃないの
「よく、そんなこというよ〜!身、口、意で為したことは全て因となって縁と結びついて果となるといったじゃない。心の中まで問題になるのなら地獄行くしかないじゃないの〜」
そこに気付けば大したモンよ。悪いことをしてはいけないと知りながらも悪を重ねなければ生きられないのが人間だよね。縁があれば何をしでかすか分からないのが人間。
「だから、宗教を信じて神や仏に天国か極楽に連れていってもらおうって思うんでしょ?」
地獄の苦しみが嫌だから、楽しそうなところへ・・って願うのは欲でしょ?人間の我欲を満足させる宗教なんて似非宗教だと断言できるよ。我欲が地獄をつくりだしていくと明らかにするのが仏教。
「じゃ、ホントの宗教は天国や極楽や浄土に連れていってくれないの?」
連れていけ、連れていけって遊園地へ行くわけじゃないのよ。
地獄も浄土も場所じゃない「境界」。地獄にいてもそこが浄土ってQ&AのCで言ったでしょ、あれが境界
「地獄にいてもそこが浄土?」
そう、私たちは因縁因果の道理からいったら地獄一定・・けど、地獄一定と知らされるのは仏の光に照らされたから気付かされたこと。光に照らされたところが浄土
いつも言うことだけど、自分の向こうに「地獄」とか「浄土」とか「仏」とかを並べて、それを分かろうとしても、ますます分からなくなる。結局、自分というものを問題としない限り、ただの「はなし」になってしまう。
だから、一番問題になるのは常に自分自身。 いま、自分がなぜ、地獄や六道をを問題としているのかが、一番の答え。
「人生は自分を見つける旅。このページは自分探しのページ。問いの答えを見つけるのでなく自分の問いの中に自分を見つける・・・また、れいのワンパターン」
けど、それに気づけないから、人生を嘆き失望し、また他の五道を行ったり来たり 輪廻を繰り返しているのでしょ
ゴメンね上手く説明できなくて。ほかの仏教ページにもリンクできるからね。
それから、メールで質問して下さいね!
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