2年前きらりさんからいただいた初めてのメイルには「マイナス思考しかできない性格をプラス思考に変えるにはどうすればいいか」と問いかけられていました。goshinは今でも、もしそのような言葉を使うならば、マイナス思考のままに安んじられることこそがプラス思考だと思っていますが、きらりさんの詩はそのことを示して下さってるのでないでしょうか?ご自身の心を「弱い」と仰有るきらりさんでそが、そんなきらりさんの強さを2年前からずっと感じてきました。心の強さ心の弱さってなんだろう・・そんなことを考えてみませんか?


 

星野きらりの詩

目   次

私の過去
少しずつでも・・
生きる目的
心の弱さ
もう一人の自分
約束の地へ向かって・・・・
欠けているからこそ感じれるものもある
ちょっとした気持ちが大事だよね  
物よりも心
心は 移ろいやすいもの
人とは・・・・・
幸せって、いったい、どこにあるの?
体験
未知なる力
あるがまま
正しく清らかな心
無常観・・・・
想うこと
価値とは、いったい・・・・
踊れよ ガチャピン・・・・・・。
ココロン森の熊さん

 最  新  2001.10.31

こころのゆくえ

神 秘

ただ そこにいてくれるだけで

あたりまえ

けろけろ村のきらりん昔話

全てが大きな流れの中


   私の過去     

 

私の20代 それは、心が嵐のように強く吹き厳しい ものであった。

不安になり、憂鬱になり、孤独を感じ劣等感を感じ。 寂しさを感じ、また、強いマイナス思考。

物事をいい風に考えられない。悩み苦しみ抜き。

強くなりたい。不安なんか嫌だ。何故、自分だけ こ んなに苦しまなければ・・・    何故・・

壁 壁 壁の連続・・・・

ある時、ある本で、

「道は 開ける」

「究極のプラス思考は究極のマイナス思考に潜ん でいる。」

という文章を見つけた。

それから どれぐらい 年月は流れたのだろうか。

ある日 思った。

弱くてもいいんじゃないのかと。人間は 例外なく弱い生き 物ではないのか。と

強そうに見える人間でも心の中までは分からない。

弱さを認めた時、それが本当の強さではないか。弱さを 知っている人間 それが、本当の強さかもしれない。

ある日 思った。

不安を感じない人間なんているのかな。悲しみを感じな い人間なんているのかな。 寂しさを感じない人間なんているのかな。

いや、いないだろう。

皆 楽しい事も苦しい事も辛い事も いろんな事 を経験して生きているんだろうなあ。

1年前、もがき苦しみ絶望し、また、最近になって同じよ うなことが起こった。

そこから抜けきったあと、すごく気分が楽になったような 気がした。

すごくプラス思考ができてる。なんか 何事もうまく い きそう。

一見 マイナスの出来事それは、実は自分のためにプラス になっていたのだと嵐(嵐の最中はそのようには絶対感じ られないが。逃げたい逃げたい の一心)から抜けきったあと、感じた。

すごく人の気持ちに敏感になった。ちょっとしたことが ありがたく感じるようになった。

この 十数年の苦しみから学んだ事

人間とは基本的に弱い生き物であり、「思いやりの心」「 助け合いの心」「感謝の心」「謙虚な心」「優しい心」が 必要で大事であるということを、2度の荒れ狂う大試練か ら学んだ。 (かっこつけていると言われるかも知れないですね。)

  今 私は比較的 安定してます。(マイナス思考が顔を 出す時は多いのは確かですが。)

苦労 苦しみ その時は、もう嫌だ、逃げ出したい、も うたくさんだと感じ もう どうにもならないと行き詰ま りを何回も感じてしまった。

でも、必ずや時間が解決してくれる。(経験上言えること)

時間が 洗い流してくれる。

それと 道は必ず 開ける。 でも、人それぞれ 時期は違うと思います。

究極のマイナス思考から究極のプラス思考への移行。

究極のマイナス思考を経てからしか 究極のプラス思考はでき ないでしょう。

今、辛い・苦しいと感じていても 必ず 花は咲くものですね。 皆平等に・・・

いずれ・・・・


   少しずつでも・・

   

できる事から始めればいいと思う。 第一歩を踏み出そう。少しずつでも、無理をせず、 自分のできる範囲でいいと思う。 前を向いて、一歩、一歩、・・・

ひとかかえもあるほどの大木も、産毛のように 柔らかな小苗から育ち、九層の塔も一箱の土から 建ち上がり、千里の道も一歩から始まるのである。

はじめからは うまくいくはずはないんだよ。う まく行かなくてもいいんだよ。

仕事でも、皆、はじめから うまくいく人なんか 一握りだ、いや、いないのかもしれない。 皆、ミスもし苦労もして悩み挫折もし、でも、そ んなことはなかったような平気なふりの知らん顔。 案外 そんなものかもしれない。

人間関係に自信のあるやつなんか いないよ。

はじめから うまくいく人生なんてないと思う。 皆 生きている以上 それなりの苦労はしてきて いる。

皆、悲しみを背負って生きている。 自分だけじゃないんだ。

全てが うまくいく人生なんて存在しない。 やはり、うまくいったりうまくいかなかったり 嬉しくなったり 悲しくなったり 怒りを感じた り それが人生なのかもしれない。

うまく いかなくたっていいじゃないか。 不安になったっていいじゃないか。

人間だもの・・・・・・・・


     生きる目的

やはり、「人間」の最終、行き着く所、それは、「真心」だと思います。 名誉でも地位でも財産でもなく、「まごころ  本当の心」を見つける こと。

その「真の心」を見つけるため、人間は、苦しみ、悩み 日々心を磨い ているのです。

苦しいこと、悲しい事、辛いこと、不安に感じることもあろう。でも、 それは、自分自身の大きな歩みと繋がっているのです。

今は何を言っているのか分からないかもしれない。 気付かなければいけない時期になれば 必ずや気付きます。

苦しいこと、悲しい事、辛いこと、不安なことは 嫌かもしれない。 逃げたいと感じるかも知れない。 人間だもの、当たり前。私だって できることなら したくないし 避けて通りたい。

でも、この苦しいこと、悲しい事、辛いこと、不安の一見 マイナスに 見える事でも 必ずや プラスに働く日がきます。

悪い事も良い事も最終的には 全てが 結果「良し」となるのです 人生に無駄なし・・・・・・

人間としての正しく進むべき道

それは

「思いやりの心」「 助け合いの心」「感謝の心」「謙虚な心」「優しい  心」を持つ事 つまり 真の心 真心を見つけるため、日々 私達は  精進しているのです。

相手の気持ちを大事にと・・・・


   心の弱さ

人間なんて しょせん 一人では 生きていけないのですよ。

小さな生き物なのですよ。「弱さ」は「悪」では、ないんで

すよ。

誰かに頼ればそれでいいのです。心を開いて誰かに・・

人間なんて助け合って 生きていけば それで いいのです。

不安な時もあろう。悲しい時もあろう。憂鬱になる時もあろ

う。

悲観する時も一回や2回じゃないはずだ。挫折する時も必ず

あるはずだ。しかし、仕方ないじゃ ないか。

人間だもの。人間 皆 悩みを抱えながらも励まし励ませれ

愚痴もいいながらも不安になりながらも少しずつ少しずつで

も前に進めば それで いいんじゃないんですか。

それ以外に何が出来るというのですか。

考えてみて下さい。

どのような人生にしろ、苦しみながらも悲しみながらも消えて しまいたいと考えながらも あなたは、ここまで生き切ったじ ゃないですか。

今この一瞬一瞬を生き切っているじゃないですか。

先の事なんか 考えなくても良いのです。 人生 どうにか なるものです。

考えてみなさい。 すごいことなのですよ。 今まで 「ミジメな情けないどうしようもなく大嫌いだったと した自分がいても、でも、いろいろと交差するその感情にも反 して ここまで これた自分に対して 一回も誉めたことのな い自分自身に対して ご苦労様」って言ってあげる自分がいてもい いんじゃないですか。


   もう一人の自分

 

星野きらりへ。

苦しかったよね。悲しかったよね。挫折もしたよね。不安にもな り行き詰まりを何度も感じたよね。消えてしまいたいと思ったこ とも 1回や2回じゃなかったはずだ。

私はあなたを ずっと見ていたんだよ。

あんなに勉強したのに 何故か 会社ではミスの連続、ミジメに 感じた事もあったよね。もう逃げてしまいたいと考えたよね。 人間関係に疲れきったよね。 会社でも人の前でうまく喋れず その場から逃げたいと よく考 えたものだよね。

私は、知っているんだよ。隠さなくてもいいんだよ。隠す必要なん

かないんだよ。

それは、悪い事と いつも 思っていたよね。自分に対して嫌悪 感じていたよね。

でも、違うんだよ。星野や。

苦しんでもいいのだよ。悲しくなってもいいじゃないか。憂鬱に なってもいいんだよ。消えてしまいたいと思うこともある。それ は誰にでもある事なんだよ。 仕事で ミスをしたっていいじゃないか。怒られる時には怒られ ればいい。 自分のできる範囲で精一杯やったんだろ。それで いいんじゃ ないのかい。それ以上あなたは何を望むんだい。

物事 結果ではないんだよ。「思い」なんだよ。「思い」が全て。 どういう「思い」で その事に取り組んだか それが 一番 大事 なんだよ。 失敗したら したなり 本人には分からずとも必ず 何かを得て いるものなのだよ。

難しい仕事を与えられ、分からないながらにも 一生懸命やって いれば 不思議と誰かが 助けてくれるものなのです。

一生懸命やっている「思い」が不思議と相手に伝わってしまうの でしょうね。決して結果じゃないんですよ。

例えば、会社で私のパソコンの調子が悪く 困っていたとしよう。 そこで 隣の人が 「どうしたんだい。」と言って 分からない ながらにも 自分の仕事が忙しいながらにも一生懸命パソコンを 直そうとして でも、パソコンは 前よりも調子悪くなって  しまったとしたら あなたは その人に対して どういう感情を 持ちますか?

結果は確かに悪かったかもしれないが、でも、その人に対して「 困っている自分に対して 自分の時間をさいて一生懸命 直して くれようとするその気持ちに ありがたい」と思わないかい。

結果ではなく どういう「思い」で そのことに取り組んだか それが一番大事なのです。

なあ、星野よ、

仕事で 失敗する時には失敗するがよかろう。悲しい時には泣け ば いい。不安になる時には 不安になればよい。 人前で喋れなければ また、それも良かろう。 他人の視線が気になるようであれば気になってもいいじゃないか。 マイナス思考になってしまうのであれば、また、それでもいい。

でもな、今までの この自分に対して いろんな感情を経て い ろいろな事を経験して 何か大事な事を掴まなかったか?

いいんだよ。そのままで。自分の出来る範囲で精一杯やっていれ ば。

心に嵐が吹けば 立ち止まるべきだ。決して無理はする必要はな い。ただ、やはり嵐が過ぎ去った後、心は前に向けておくべきだ ろう。

「前向き」。できないかもしれない。実際 私も「心」は常時い んな方向へあちこち動き回っているので。それは仕方のない事か もしれない。

でもな、やはり、長い間 いろいろな事を経験して 「心」は昔 に比べれば わずかずつでも安定してきているのがおまえには分 からないか。時間なのだよ。待つしかないのだよ。

「前向き」「心の開放」。その人の一番いい時期に訪れるものな のかもしれない。

苦しいこと、かなしいこと、憂鬱なこと 不安なこと この世で 起こる 全てのいろいろな事が 何故 起きているのか 自ら考 え、その問いに気付いた時。それは訪れるものなのかもしれませ ん。

星野や、そのままでいいのですよ。

仕事の能力は 確かに人より 劣っているかもしれない。不安に なるかもしれない。憂鬱になるかもしれない。マイナス思考にな るかもしれない。これからも必ず挫折もするだろう。消えてしま いたいと考えてしまうこともあるかもしれない。

でも、いいじゃないか。仕方ないじゃないか。どうできるという のだい。そのままでいいんだよ。

いっその事、全てを認めてしまいなさい。

私は これからも あなたと一緒に 喜ぶ時は喜び、悲しい時は 一緒に悲しみ 不安な時は一緒に不安になり 憂鬱な時は一緒に 憂鬱になり 一緒に考え 共に歩んで行くつもりだよ。

なあ、星野よ

人間として 何が大事な事なのか 学び続け これからも精進し て行くのだ。

正しく生きて行くのだ。

さすれば、おまえにも必ずや いつの日か「心の開放」の日が訪 れるであろう。

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あなたは、「バラ色の人生」というものが この世にあると思い ますか?

あなたは「意気揚々たる人生」がこの世に存在すると思いますか?

大企業に勤め東大出のエリ−トコ−スの金に不自由したことがなく 環境的にも十分恵まれている人間が はたして「幸せ」を感じてい ると思いますか?

浮きつ 沈みつの繰り返し・・・・

それが、この世に「生」を受け、今なお生き続けている全ての人に 与えられた「定め」だとはあなたは思いませんか?

〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆


     約束の地へ向かって・・・・

人間って本当に 不思議な存在だ。

長い間、自分と付き合ってきてるのに分かっているようで

自分の事 全然 分かっていない。

まだまだ、未熟な私・・・

人生というものに 叩かれて 叩かれて 踏まれて 踏ま

れ続け これでもかというぐらいに・・・・

何故 こんなに苦しいの 何故・・・・・

耐えて 耐えて 辛抱し続けて・・・・

そこから いろいろなことを学びながら・・・

本当に本当にすごく大変だ・・・

生きていくことは・・・

私はこれからも不安 劣等から逃れる事はできないでしょう・・・

私は これからも大いに悩み苦しみ続けることでしょう。

でも、やはり 生きていかなければならない。

今は まだ見つける事のできない大事なことを見つけるために・・・・

約束の地へ行きつくために・・・・


     欠けているからこそ感じれるものもある

人より欠けているか

らこそ 人の優しさを 強く感じることができる・・・・・・

人より劣っているからこそ 人の思いやりを強く感じることができる・・・・・

ありがたい。ありがたい。本当にありがたい・・・・・・

人生思ってるより捨てたもんじゃないんだなあ・・・・・・

人より欠けているからこそ 何か大事なものを学べるものかもしれない・・・・

人一倍苦しんできたからこそ 大事なものを感じる権利があるのかも知れない・・・ ・・

どんな苦しみでも引き受けられる そんな大きな心を私は持ちたいのだ・・・・・

どんなことでも許せるそんな大きな心を私は持ちたいのだ・・・・・

どんなことにでも感謝でき謙虚な心を持ち続ける・・・・・

私は、そういう人間になりたいのです・・・・・・


  

   ちょっとした気持ちが大事だよね  

    

自分のために何かをしてくれる・・・ 自分のために動いてくれる・・・    

掲示板への自分に対するレス・・・・ メ−ルが返ってくる・・・・             

話しかけて笑顔が返ってくる・・・・    

挨拶が返ってくる・・・・ 自分のために・・・・      

たとえ小さなことかもしれない。たとえちょっと したことかもしれない。当たり前と思ってしまう かもしれない。                

でも、違うんだよ。相手の そのちょっと した 気持ちが大事なんだよ。そのちょっとしたことは、 本当に本当に大事なこと。そのちょっとした気持 ちを大事にしたい。

そのちょっとした気持ちが何よりも何よりも か けがえのない程 大事なんだよ。

ちょっとした気持ちが人を元気にしてくれる。

やはり お互いに 相手の気持ちを大事に大事に していかないといけないのでしょうね。 

ただ、それだけ・・  

ちょっとした気持ちが何よりも何よりも私には か けがえのないほど大事なものなのです。


     物よりも心

このような話がアメリカにはあります。 ご存じでしょうか。有名ですよね。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

「愛し合っていた夫婦がいました。ある年のクリスマスに互  いに何かを贈ろうと思いましたが、たいへん貧乏であっ  たため、何も買うお金がありませんでした。妻は、美しい  ブロンドの長い髪の毛をもっていたので、夫は何とかこの  髪に似合うアクセサリ−を贈りたいと思い、一方、妻の方  は、夫がただ一つだけ立派な物として金の懐中時計を持っ  ていたので、これに合う鎖を買ってあげたいと考えていた  のです。  クリスマス・イブの日、夫は妻に隠れて金時計を売り、そ  のお金で髪飾りを買いました。妻は、自慢のブロンドの髪  を切ってかもじ屋に売り、夫のために時計の鎖を買ったの  です。  その夜、お互いがプレゼントを開いた時、それぞれの品物  が何の役にも立たないことを知ったにもかかわらず、何を  贈られたよりも嬉しく、今までのクリスマスで最も幸福な  クリスマスを過ごしました。」

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

自分の大事なものを捨ててでも 相手を喜ばせたい・・・・ 大切なのは人の「心」であって、決して物そのものではない ということなのです。そう、「心」なのです。「気持ち」な のです。何よりも 尊く かけがえのない 何よりも何より も お互いに これから大事にしていかなければならないも のです


   心は 移ろいやすいもの

嬉しくなったり悲しくなったり憂鬱になったり腹をたてたり 優しい気持ちになったり不安になったり、楽しくなったかと 思えば憎らしいと思ったことさえもある・・・ いろんな感情を経験してる・・・ 人間の「心」というのは なんと移ろい易いものなのか・・・

今まで 30数年生きてきて いろんなことがあった・・・ 苦しみを感じつつ その苦しみも時間とともに薄れつつ 嬉 しさを感じつつ その嬉しさも時間とともに薄れつつ 繰り 返し 繰り返し・・

でも、「心」は、確かに進化している・・・・ いろんなことを経験しつつ・・・・

30数年生きてきた・・・・ いや、生きてきたのではなく 生かされて生きてきたのかも しれない・・・

いろんな力に支えられ、いろんな縁と出会いながら・・・

これからも・・・・ これからも・・・・


   人とは・・・・・

基本的に人とは 優しい生き物・・・ 基本的に人とは 寂しい生き物・・・ 基本的に人とは 弱い生き物・・・

仕事がうまく いかなくなった時、 なにもかもが うまく行かないと感じて しまう・・・

そのまま 抜け出せないように感じてしま う・・・・・

そのような辛い立場に置かれた場合、人 のちょっとした優しい言葉に救われた・・・

苦しみ苦しみ抜いて いつも ギリギリのところで どうにかなっている・・

どうにかなるものなのだ・・・

人生とは どうにかなるものなのですね・・・

先のことを考えてもしかたない・・・ 一日一日を一瞬一瞬を精一杯生き抜こう・・・・ 精一杯やっていれば ただ、それだけでいいので しょう・・・ 精一杯やってる姿に人は心打たれるものです・・・

おかげ様で 私も どうにか ここまで これました・・・

ありがたいですよね・・・・

本当「人の気持ち」がね・・・・


    幸せって、いったい、どこにあるの?

「幸せ」「不幸せ」とは 自分の「心」がつくるもの・・・

心の力とは なんと すごいものなのでしょう・・・・

心「思い」には、自分を幸せにすることもでき、逆に自分を追い込んで しまうことも簡単に できてしまうものなのですね。

この心の能力を持ち合わせないことには どんな恵まれた状況に 置かれても 幸せを感じることはできない・・

本来、回りを見渡せば、幸せの種はないどころか 世の中には たくさんの幸せが詰まっているのかもしれないですね・・・


    体 験

人間とは最終的には 大きな「愛」を感じる ために生きていると聞いたことがある。

愛にも いろいろある・・・ 親子間の愛 男女間の愛・・・ 友情なんかも そうなのかもしれない・・・

基本的に この世は この宇宙は「愛」そのも のであると聞いたことがある・・・

でも、「愛」を感じるためには 寂しさを知ら なければならない・・・ 「愛」を感じるためには 孤独も知らなければ ならない・・・

幸せを感じようと思えば 本当の苦しみを知ら なければならない・・・ 本当の喜びを感じようとすれば、本当の悲しみ を知ってからこそ はじめて 感じられるもの である。

いろいろなことを経験しなければならない。 楽しいばかりじゃダメ、嬉しいことばかりじゃ  ダメなのでしょう。

今 起こっている 苦しみ 悲しみ どうしよ うもないような不安、嫌で嫌で しかたないけれ ど、でも、自分には必要不可欠なものなのかも しれません。

いつか必ず 出会える本当の自分に会うため の・・・・


   未知なる力

さあ、目覚めなさい。

無限なる力よ・・・・。

さあ、目覚めなさい。

眠っている未知なる力よ。

さあ、目覚るのです。

今は隠れている潜在能力よ。

さあ、今なのです。

今この時なのです。

時は満ちました・・・・。

さあ・・・・・・・・・・。


    あるがまま

全てのものを受け入れることとしよう・・・・。

苦しみも悲しみも・・・・・・・・・・・・・。

歓びも・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

あるがまま 生きていくこととしよう・・・・。

それで良い・・・・・・・・・・・・・・・・。

それで良い・・・・・・・・・・・・・・・・。

全てに意味があるので・・・・・・・・・・・。

最近、多くの「気付き」がある・・・・・・・。

成長していかなければならない・・・・・・・。

ちょっとずつでも・・・・・・・・・・・・・。

これからも・・・・・・・・・・・・・・・・。


    正しく清らかな心

より純粋な「心」・・・・・・。

   助け合う心    謙虚な心    思いやる心    感謝の心    優しい心    暖かな心   相手を敬う心

「真の心」に より近ずいていけ るよう我々は生きているのかも知 れない。

でも、私は、まだまだ人間として 未熟である。

今は「不安な心」「苦しい心」「 寂しい心」「ネガティブな心」「 怒りの心」「逃げてしまいたい心 」「欲望の心」が心の中に存在す る。 当たり前だ、人間だもの。誰でも そうだ。今は、あくまで過程の段 階である。

いろいろな経験をすればいいのか もしれない。 それが、本人が望もうと望まなく とも・・。

最終的に「真の心」に到達すれば、 それでいいのかもしれない。

結果的に「真の心」に到達すれば、 それでいいのかもしれない。

これが 本当の人の生きるべき姿 なのかもしれない・・・・・・・・・・・。


   無常観・・・・  

時間は流れる。   嫌な事があっても嬉しいことがあっても ただ、ひたすら、時間は流れる。

時間が止まって欲しいと願っても でも、 時間は流れていく。  

朝 昼 夜・・・・・・・・・・・・・。 春 夏 秋 冬・・・  

感情も悪くなったり 時には良くなったり 留まるところをしらず 移ろい変わってい く・・ 

時間は流れる。 何かに向かって ただ、ひたすら・・・  

今 悩んでいることも悲しいことも 全て のものを のみ込みながら、いずれ、今 悩 んでいること、苦しんでいることも忘れ去 られてしまうものだ・・・  

時空は全て 私達の味方なのである・・・。


    想うこと

ここ十数年 地球環境汚染が加速していき、地球環境保護について は大きく叫ばれてきたところであるが、決定的な歯止めをかけるこ とが出来ていないのが現状である。 ここ数年で見た場合、国レベルで、気候変動枠組条約締約国会議を 定期的に開催し、1997年の京都会議(COP3)では、我が国 では、温室効果排出ガス(CO2等)を2008年〜2012年の間 に6%削減(1990年対比) という目標が課されている。また、 各企業でも、地球環境保護については、「エネルギ−問題」と合わ せ、より一層力を入れて取り組んできている。

今までの「より快適に より便利に」という物質的豊かさだけを追 求し続けてきた人類であったが、やはり、それは、人間のエゴの何 者でもなかったのかもしれない。

この物質的豊かさのみ追求してきた人類は、地球環境破壊という負 の遺産を残しつつ 21世紀を迎えようとしている。

今、まさに大きな曲がり角にきているのは、誰もが感じているとこ ろであるが、今後は、「地球」を守り、「人」を守り、「人の心」 に重点を置いた生き方、「物の豊かさ」の追求を捨て、「心の豊か さ」の追求を行っていく、利他心で満ちた社会が到来するのは、必 至であるが、その為にも、国、企業だけに「地球環境問題」「エネ ルギ−問題」を任せるのではなく、まず、何よりも我々一人一人が 意識の改革を行うのが何よりも重要である。

昨日もテレビのドラマ(少し見ただけですが)で このような内容 の事をやっていたが、地球環境保護に対する意識は、ますます高ま ってきている。

私達一人一人の意識改革、価値観の転換が図られた時、地球環境破 壊も改善されていき、地球に優しい、人に優しい、全てに優しい本 来あるべき人としての生き方に転換するのかも知れない。

今は、一人一人 何でもいいので、できることから簡単な事から始 めれば良いのかも知れない。

マスコミでは、地球環境問題は深刻であると報道されています。確か に深刻なのは、確かです。でも、人間って、物事を おおげさに言っ てしまう面があります。あれほど騒がれていた深刻であった2000 年問題も通過すれば、「一体 あれは何だったのだろう?」という結 果でした。

でも、深刻と言われる地球環境問題は、本当は、今までの生き方が正 しいと思いこんでる人間の今の生き方が実は間違っていますよ とい う警告なのかも知れません。

自分達が より便利に より快適になる為に、地球を犠牲にし他の生 き物を犠牲にしてきました。

本来、地球全てのものと調和を図りながら生きて行くべきであるはず なのに 自然の法則から逸脱し 「物の豊かさ」のみを追求し、でも、 欲の捨てきれない人間は、物の豊かさだけでは、幸せにはなれない という 事に気付いてきた人が増えてきています。

日本は、物が溢れ 非常に物質的には、豊かな国で、こんな国は、世 界のほんの数%であるが、しかし、幸せと感じられている人は ほん とうに少ないし、しかし、物質的には貧しい国でありながら、幸せを 感じながら生きている国はたくさんあります。その人達は「心の豊か さ」を追求した生き方をしているのでしょう。価値観とはいったい・・。

これからは、世界的に「心の豊かさ」を追求する時代に入って行くと 考えられます。

相手を尊重し合い 助け合い、相手を思いやりながら全ての人が仲 良く、 物がなくても十分幸せを感じられるんだ、そんな社会になると考 えられます。

そこには、人としての優劣は一切存在しません。 皆が 長所を出し合い、欠点をカバーし合う、助け合い支え合い  共に悲しみ 共に喜んでいく そんな社会。  

ただ、地球環境汚染は、あなた達は、何かが間違ってるんじゃない の? 他人ごとだと思わずに 「ちょっと考えてみなさい」と ただただ、 教えてくれているのかもしれない。自ら気付くのを待っているのかも しれない。 多くの人が「誰かがやるんじゃないの」と思って ここまできたけれ ど、「あなたがやらねば誰がやる の?」と訴えているのかもしれない。「もっともっと人として大事な こと、大事な生き方があるんじゃないの」と じっと気付くのを待っ ているのかもしれない。

今 まさに他人事と思わずに全ての人が考えるべき時期にきているの かもしれない


      価値とは、いったい・・・・

人の価値とは、一体何なのでしょうね?お金持ちになること?社長になること? 出世すること?人より 贅沢をすること?

この世では、誰が偉いのでしょうね?政治家?大企業の社長?有名芸能人?

私達 「人」には、動物の中で唯一、誰しも「考え」「思い」というものが存 在します。

他の動物には、ほとんどみられない「考える」「思う」(他動物の中では、思 考が存在しているものもいるかも分かりませんが人間程 深く考えたり深く思 ったりはできてません。)という感情が存在します。

だから、人は、この「考える」「思う」という感情があるからこそ、他人と比 較してしまい、不安になったり悲しくなったり嬉しくなったりもします。

はたして、この「思い」とは・・・。この「思い」があるから、苦しみも生み  悲しみも生んでいるのではないでしょうか?

でも、「思い」があるからこそ人は・・。

【どういう思いで生きて行くのか?】

私は、人の価値とは、この「思い」そのものであると思います。

政治家でも いろんな「思い」をしている人がいます。「社会のために尽くし たい。」「悪いことをしてでも出世し金持ちになってやる。」と思う人もいま す。

思いは、さまざま・・・。どんな偉そうなことを言っても心の中までは分かり ません。

最近 警察官も悪い印象持たれていますが、いい思いしている人が、ほとんど で、悪い「思い」しているのは、ほんの一部でしょう。

有名芸能人でも、「人気があって当たり前、チヤホヤされて当たり前」と思い 天狗になっている人もいれば、「皆さんのお陰です。本当に有り難う御座いま す。」と口には出さないけど心から感謝する人もいるでしょう。

上記では、「価値とは」と考えてみましたが、でも、やはり、この世には、価 値のない人は一切存在せず、皆が尊い存在であります。だからこそ、皆が苦し みながら悲しみながら問題を抱えながらも今まさに生きています。今ここに存 在しています。何かを見つけるために。皆が同じ「人」という存在です。優劣 も決して存在しません。

あの有名なマザ−・テレサも「人間は誰しも尊い存在なのですが、自分は価値 のない人間と思ってしまうのが、何よりも本当に不幸である」と言っています。

そういう私も自己嫌悪に陥り、自分に自信が持てず、苦しみ悲しみ、価値のな い存在と思ってきました。

今も そのマイナス思考「思い」で苦しむ事もありますが、でも、違います。

ある町で みより もなく貧しく病気で倒れていた人にマザ−・テレサは声を かけ、でも、その人は「私なんか、どうなってもいいのです。どうなっても。 私なんか生きるに値しない存在なのです。ほっといてくれ。」と言い、マザ− ・テレサは、「いえいえ、大丈夫ですよ。あなたは、十分価値のある人間です よ。私がついていますから、お願いですから、生きて下さい。」と その人に 言いましたが、その人は、すぐに息を引き取ったそうです。しかし、その人の 目には、涙がこぼれた後があり、幸せそうな顔をしていたそうです。マザ−・ テレサのただ、一つの言葉で「幸せな思い」で息を引き取ったそうです。

私は、キリスト教でもないし特に宗教をしてるわけではないのですが、マザ−・テ レサは、大事なことを教えてくれているのかもしれません。

マザーテレサの言葉ですが、    豊かそうに見えるこの日本で、心の飢えはないでしょうか。物質的な貧しさに 比べ、心の貧しさは深刻です。心の貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりも、 もっともっと貧しいことだと思います。日本のみなさん、豊かさの中で貧しさ を忘れないでください。

といいました。

マザ−・テレサにしても ナイチンゲ−ルにしても自分を犠牲にしてでも「愛 」と「奉仕」に生きた人であると思います。

マザ−・テレサ、ナイチンゲ−ルは、今 頭に浮かんだので書いたのですが、 こういう「思い」で生きた人は多くいます。

過去の偉人、成功者を見ると、やはり、謙虚であり、歳とともに「愛」と「奉 仕」に生きてきたのが特徴ではないでしょうか。

これからは、今迄以上に「相手の心」「自分の心」を大事にできる そんな生 き方をしていかないといけないのかもしれませんね。


    踊れよ ガチャピン・・・・・・。

皆が何かを持っているものです。誰もが。その何かを出し合って 与え与えられつつ支え支えられつつ持ちつ持たれつ進んで行く。

誰しも欠点もあるが長所もある。若いうちは、その欠点のみに視 点が向きがち。

皆が長所を出し合いつつ、欠点をカバ−し合う その生き方・・。

支え支えられつつ、今は支えられてばかりだけど、いずれは支え る側となる。

そうしながら、皆が良い方向へと進んで行く その生き方・。

今は気付かない、その 大いなる力。まだ、気付いていない偉大 なる力。

当たり前である。今は、まだ、出てきていない未知なる力。誰に も存在する その力は、すぐには発揮されない。

色付きのコップに水を入れてみた。

蛇口をひねってみた。今の私は、これぐらいの開度かな?と思い つつ、少しだけ開けてみた。

でも、中は分からない。本当に水は入っているの?入ってないん じゃないの?

1/4、1/2、でも、中の水は見えない・・・。

しかし、ある時期を越えた時、水は はっきりと目に見えるよう 次から次からコップから溢れ出した。

もう、水は、溢れる一方であった。そうなんだなあ、皆に与えら れた 何かしらの能力。今は、気付かない本来の自分。

若いうちは、特に、大いに悩んだり苦しんだりして 無力感も感 じたりしながらも 一生懸命(時には、力を抜いたりして)コッ プに水を入れているのだろうなあ。

皆が 一番 最も いい時期に、溢れるんだろうなあ。ある人は 25歳であったり ある人は35歳であったり、もしかしたら  40歳かもしれないし。

ただ、今まさに生きてる皆が 本来は一緒なんだろうなあ。

その能力はコップから、溢れ出るのを、ただただ、待っているん だろうなあ。  (*^_^*) 


      ココロン森の熊さん

きらり「こんばんわ、ココロン森の熊さん、いつも トップペ−ジでお世話になっております。  このHPでは いつも癒されております。」

熊さん「こういう風に話すのは 始めてじゃな。ど うしたんだ。きらり や」

きらり「私は、最近 心に微妙に何か 変化を感じております。  私は、小さな頃から 神経質だったため、小さな事でも気になり、心配し、取り越し苦労をしてきました。 思考は悲観的であり悩み悲しみ 苦しんできました。 行き詰まり、絶望感も感じてしまったことは、1回や2回じゃありません。楽観的になりたい、苦しいのも悲しいのももう嫌だと いつも感じておりました。」

熊さん「だがな、違うんだよ。きらりや。苦しみはいつか幸せを感じなければならない為にそこにただ存在してるんだよ。悲しみは いつか、必ず、大きな歓びを感じなければな らないために、ただそこに存在してるんだ よ。」

きらり「でも、熊さん、そんな風には、どうしても 感じられません。苦しみは嫌、悲しみは嫌 できる事ならしたくないし逃げたいのです 。」

熊さん「当たり前じゃないか。きらりや。誰でもそうだよ。皆が同じだよ。誰が好き好んで苦 しみ、悲しみを望むものがあろうか。いいんだよ、今は、ネガティブで いいふ うに物事を考えられなくとも。希望を持て とか 自信を持て とか私は決して言わない。  それは、持て と言って 持てるものじゃ ないので。それが持てるのは 自分の意志ではなくて・・・・・・・。  でも、それは、時期がくれば 必ず 持てるようになる。 生きて いれさえすれば  それで良い。 40歳で 「心の開放」 が訪れるかもし れない。50歳で訪れるかもしれない。い や、もしかしたら1週間後なのかもしれな 「。それは、私にも分からない。でもな、きらりや、正しく生きていきたい という その意識だけ持ち続け生き抜いて いきなさい。 そして自分の心を大事にしなさい。相手の心を大事にしてあげなさい。それだけで十 分なのですよ。 それでは、また、いつでも おいで、きらりや。」

きらり「そうですね、いろいろとありがとうございました。ココロン森の熊さん  何か気付かされたものがあります。熊さんも トップペ−ジで これからも 無理をせず頑張 って下さいネ。     それでは、失礼します。(ペコッ)」

熊さん「気をつけてお帰り。」


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