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ご覧いただきありがとうございます。 毎日「南無阿弥陀仏」を唱えましょう。 |
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浄土宗極楽寺 | 島根県出雲市平田町287 | |||
Tel&Fax 0853-62-3052 |
法話 『彼岸』 |
『無量寿経』のことば |
『観無量寿経』のことば |
『阿弥陀経』のことば |
善導大師(613〜681)のことば |
法然上人(1133〜1212)のことば |
「彼岸」とは悟りの境地に至ること 「彼岸」は「到彼岸」を略したもので、悟りの境地に至るという意味のサンスクリット語パーラミター(波羅蜜多)を訳したものです。煩悩に満ちたこちら側の岸「 六 その彼岸(悟り)に至るためには、六つの波羅蜜を実践するという考え方があります。六つの波羅蜜とは、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧です。「般若心経」の正式な呼び方は「摩訶般若波羅蜜多心経」で、「大いなる智慧の完成の真髄のお経」という意味でが、まさに六番目の「智慧の波羅蜜」を讃えたお経です。それはさておき、一番目に出てくる「布施」についてお話します。 無財の七施(思いやりの心も布施) 布施というとお坊さんに渡す「お布施」だけを連想される方が多いと思いますが、それは布施の中でも「財施」と言われるものです。布施にはその他に「法施」もあります。法話も「法施」の一つです。法事の後、法話をしないお坊さんもいるようです。好意的に考えれば読経によって「法施」をしていると言えますが、「財施」に対しては法話をしてこそ「法施」と言えるのではないでしょうか。 財施、法施以外にも無財の七施というものがあります。それは次のようなものです 1 2 3 4 5 6 7 すべて、「他人を思いやる心」を表情や、ことばや行いで実行することです。 簡単そうで難しい和願施 しかしながら、私たちはともすると笑顔で接するとしても、「相手(の出方)次第」と考えてはいないでしょうか。「きのうけんかをしたので、向こうが謝ったら笑顔で挨拶しよう」とか、「難しそうな顔をしている人だから、とりあえず挨拶だけしておこう」とか「笑顔で接したのに、その甲斐がなかったらどうしようか」などと考えないでしょうか。私は、恥ずかしながらそう考えてしまうことがあります。「施して報いを求めず」ということは「笑顔」一つとっても簡単なようで難しいことです。 三歳の子供でも分かるが、八十歳の人間でもできない ― 簡単なようで難しいこと 「 諸々の悪をなすことなく、衆々の善を奉行し、自らのこころを浄める、これ諸仏の教えなり 悪いことをせず、良いことを行ない、自分の心を清らかにしていく。これが諸仏の教えておられる仏教の真髄です。とはいえ、このことばも当たり前すぎて、深遠な教えを期待する者には意外な感がします。白楽天という有名な唐の詩人が、「仏法の大意とはどういうものでしょうか」と道林禅師という人に聞いたところ、「諸悪莫作 衆善奉行」と答えでした。そこで白楽天が「そんなことなら、三歳の童子でもそう言うでしょう」と言うと、道林禅師は「三歳の童子でも言えるが、八十歳の老翁も実践することはむつかしい」と答えたというものです。 「笑顔で人に接する」ことがいいことは誰でもわかりますが、そのとおりに実践することは極めて難しいものです。 「彼岸」は西方極楽浄土 浄土宗では念仏が「彼岸」=極楽浄土に到る一番大切な行いです。彼岸の期間は皆さんの墓参りをなさると思いますが、いつも以上に「笑顔」を心がけ、念仏を唱えましょう。特に彼岸の中日は太陽が真東から昇り真西に沈みますので、沈む太陽を拝み、その先にある極楽浄土に思いをはせ、自己の往生と先祖をしのぶ一日にしたいものです。 |
○法蔵菩薩(後の阿弥陀如来)は、 「(世自在王) 「 (たとえ私は苦難の中に身をおくことがあっても、悟りを得て人々を救う願いの実現のために精進をつづけ、耐え忍んで悔いることはないでしょう。) ○法蔵菩薩が、世自在王如来に仏となって人々を救いたいという願いを述べる。(四十八願) 「 (もし私が仏になったときに、人々がこころから信じ願って、私の国に生まれたいと思い、十声ないし一声念仏を称えても浄土に生まれることができないなら、悟りを得て仏になることはしません。) ○法蔵菩薩が、四十八願の心を詩の形で述べる。(『四誓偈』、真宗では『三誓偈』または『重誓偈』) 「 (私は未来永遠に人々に施しをする者となって、貧しく苦しむ人々を救わなければ、仏にはなりません。) ○釈迦如来が、阿難に浄土の様子を説明する。 「 (阿弥陀如来の光に会う者は、苦しみが消え、身も心も癒される。喜びの中に善心が生まれてくる。) 「 ○釈迦如来が、阿難に浄土への往生の方法を説く。 ○すべての仏が、阿弥陀如来の浄土をほめたたえる。(『讃重偈』、浄土真宗では『東方偈』) ○釈迦如来が、五悪の世の中を説く。 ○釈迦如来が、阿弥陀如来とこの教えに出会うことで世界が良くなることを述べる。 「 |
○韋提希は、すべての浄土を見せてほしいとお釈迦さまにお願いする。 「 ○すべての浄土を見た韋提希は、多くの仏の浄土の中から阿弥陀如来の極楽浄土を選ぶ。 ○韋提希は、釈迦如来入滅後の人々のために、極楽浄土を見る方法をたずねる。 ○釈迦如来は、阿難と韋提希に阿弥陀如来を心に描き往生する方法を教える。(第九観「真身観文」) |
○釈迦如来が、舎利弗に極楽浄土を説明する。(なぜ「極楽」と呼ぶのか、「阿弥陀」というのか) ○釈迦如来が、極楽往生を勧め、極楽往生のために念仏することを説く。 ○念仏によって往生できることを六方の諸仏が証明する。(六方段) (お前たち、阿弥陀仏の不思議な功徳を称讃し、一切の仏によって護念されているこの経の教えを信じなさい。) ○阿弥陀仏の名、阿弥陀経の名を聞く者は悟りを得ることができる。 ○釈迦如来が、人々の往生のためにこの阿弥陀経を説いたことを述べる。 |
善導大師(六一三〜六八一)のことば ○ ○ ○ ○ ○「(火と水の) ○ ○ ○ ○ ○ ○ |
法然上人(1133〜1212)のことば (信心では一遍の念仏で往生できると固く信じ、行では生涯を通じて念仏を称えるように励まなければいけません。) |
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