2008年4月


2008年4月12日  「ケータイを持ったサル」正高信男著 中公新書
 新刊時には新聞の書評を読んだだけだったが、ようやく古本を手に入れて読んだ。

 最近、アメリカ暮らしの長い女性に話したことなのだが、日本人のメールについて。「現在はPCメールは殆どが仕事の利用で、私的な会話では携帯メールが使われている。携帯電話はみんなが持つようになったが、むしろ若い人は会話によるコミュニケーションが難しくなって来ている。」

 本書では、「ウチとソトを区別できない、つまり他人の存在を意識しない世代」、が指摘されているが、他者を意識できない人というのは、つまり自我が確立していないいわば子供であるということは心理学の常識だ。そして「携帯メールでやりとりされるメッセージは空虚化し、猿が仲間の存在を確認しあうだけの(クー)という発声と同様で、単に仲間がいるよ」という確認なのだ」、という。このことが「サル化」である、という。以下本書から。

 個々人は公的世界へでて他者との交渉の中で初めて自己実現を遂げるのである以上、空間上の近接性と時間上の持続性を欠いたコミュニケーションというものには自ずから限界が生じてくるのである。社会の情報化によって人間が始原的な自然状態へ引き戻されるという皮肉な帰結がもたらされようとしている。

 日本の若者の行動の特徴を簡単に要約するならば、「家のなか主義」すなわち、公的状況へでることの拒絶である。」だが、過去の日本の家族のあり方を振り返ってみると、その前兆は少なくとも半世紀前に既に存在していた。すなわち専業主婦の誕生そのものがその萌芽と言えなくも無い。それまでは男も女も外へ出て労働に従事するのが普通であったのが、女には「奥さん」になる可能性が開けた。「奥さん」とは有閑階級であり、「家の中」でもっぱら暮らすことの始まりであった。しかもその「奥さん」が子育てをもっぱら単独で担当するようになり、かつ子供が奥さんの自己実現の対象と化するにいたり、後継の世代の「家のなか」化は飛躍的に程度を高めた。そして今やそういう新世代が親たる成人層の過半数を占めようとしているのである。新世紀のこれからの特徴を一言で言うなら、「親になることの拒否」であろうと思う。(中略)若いカップルにとっては「誰かについて全面的に責任を引き受けることへの恐怖」あるいは、「自分たちが依存される存在となることへの嫌悪」と言い換えても良い。経済的にも心理的にも親子の絆を頼りに生きてきたものにとって、誰かに対する責任を全面的に引き受けるというのは、とてつもない心の重荷になるのだ。(中略)子を持とうとする決断は社会的な色彩の濃い選択である。ところが現代人は既にサルに近い行動を行うようになっており、そんな者にとって、このような意志決定はたいへん気の進まない作業と化している。

  2004年2月22日 ケータイを持ったサル


2008年4月27日 「役人につけるクスリ」住田正二 / 「乗客の書いた交通論」上岡直見

 「役人につけるクスリ」 住田正二 朝日文庫  1999年4月文庫版発行
 住田正二はJR東の初代社長である。旧運輸省の事務次官から、第二次臨時行政調査会委員などを経てJR東の社長になった。役人時代に複数の企業の再建に関わったため、企業経営がわかったという。政治家がいかに私利をはかり、役人が権益にしがみつくかという実名入りの暴露本だ。発売当時かなり話題になった。

 規制緩和について。企業は規制を通じて経営の自主性を失い役所に頼ってしまった。役所は自分の責任範囲を超えて経営に介入した。官民の関係をあるべき姿に戻すには、自己責任の再確認しかない。規制がこれを妨げ、規制がある限り経営の自主性は望めない。今の規制は性悪説に立っている。行政は企業を信頼し自己責任の原則に基づく行動を尊重することだ。

 総括原価方式について。経費の積み上げで役所が運賃を決めると鉄道会社は営業努力をしなくなる。総括原価方式では経費は毎年上昇する。鉄道のような独占的なサービスでは、料金が高くなっても利用者は逃げないから、身を削るような経営努力はしない。したがって運賃はどんどん高くなる。(中略)運賃決定を自由化すべきであり、その場合に不当な利益の判断基準として、配当率と配当性向から判断するものとして、配当率10%と配当性向40%までとしたい。配当性向が20%台にまで下がったら、料金を下げさせる。/以上本書より。

 この本は暴露本であるがゆえに発売当時ベストセラーとなり、そこは作者のねらい通りであっただろう。読んでもらえなければ意味がない。前半は実名入りの暴露本で、ちょっとエッヘンが入る。この人の言いたいことは、運賃値上げの自由を認め、鉄道事業の規制を緩和せよ、ということだ。正しい理解のためには、なぜそうなったかという軌跡を知ることだ。そう言う意味でJRの経営感覚がわかる本。


 「乗客の書いた交通論」 上岡直見 北斗社 1994年4月発行
 ブックオフで手に入れた税込み2781円のこの本は、当時いったいどれだけ売れたのだろうか。本書の結論は、「車の社会的費用は1台あたり毎年640万円である。道路等への投資を鉄道へ回すべき。」というものである。車の社会的費用については、かのレスターブラウンによると、「自動車ドライバーは自分が走る道路の費用を払っていない。そのほかに無料の駐車場のみで年間850億ドルの価値がある。警察や汲々サービス、交通管理、街路メンテナンスなどは年間680億ドルであり、大気汚染や交通混雑、道路事故のようなコストも加えると、合衆国におけるドライバーへの補助の合計は年間3000億ドルになる」とのことだ。

 読んでからかなり時間がたったので、細かく引用する元気がないが、自動車よりも鉄道のほうが効率がよいことは自明である。民営化以降どんどんローカル線が廃止されているが、道路の建設、維持が税金でまかなわれているならば、線路の維持にも税金を投入すべきである。道路財源の一般税化が目前だが、こういう議論こそ必要だ。



END