2008年2月


2008年2月26日 イージス艦と漁船の衝突事故
 
 2月19日午前4時7分、海上自衛隊護衛艦「あたご」と、マグロ延縄漁船清徳丸が、千葉房総半島沖50kmで衝突した。海上衝突予防法では衝突のおそれがある船が真向かいの場合は互いに右に舵を切る。相手の進路を横切る場合、相手を右に見る側に回避義務がある。今回の事故では、清徳丸を右に見た「あたご」側が進路を変更するか、減速して漁船を回避する義務があった。自分の船の進行方向に対して、相手の船の見える角度が一定であれば、衝突の危険があることは容易にわかる。「あたご」のレーダーは目標物を指定すれば自動的に追跡する装置があり、接近を警告することができたとのことだ。

 夜間赤色灯(または左舷側なら緑色灯)が確認できるのは事故当日のような視界の良い場合は4km(当日天候曇視界20km、波の高さ0.5m)。また、レーダーではこのクラスの漁船は十分にとらえることができ、「あたご」側が多数の漁船の存在を十分以前に把握していたのは間違いない。
 イージス艦は全長165m、基準排水量7,750トン。清徳丸は12m、7トン。事故の場所は千葉県房総沖南50kmで、東京湾への航路にあたる比較的混雑した海域であった。また、黒潮の通り道であり、漁場であったとのこと。

 それで、何が言いたいかというと、自衛艦「あたご」が漁船清徳丸を視覚でもレーダーでも認識しており、回避しようと思えばできたことは間違いないということである。つまり、「あたご」は、漁船を回避する意志が無かったのだ。「あたご」は相手が数トンの船の船団であることを十分把握していたから、回避行動をとらなかった。報道で不思議なことは、だれも「自衛艦が意図的に避けなかった」と言わないことである。海上自衛隊は、小型船舶のほうが回避するのが暗黙のルールであり、容易に航路変更できる小型船の側が回避すると考えていた、と白状するしかない。
 たぶん数トンの漁船側が回避するのが実態なのだろうが、夜間だったから清徳丸が「あたご」のサイズに気づかなかったか、または存在そのものに気づいていなかった可能性が大きい。船団の無線連絡にも加わっていなかったことからも、居眠りでもしていたのではないか。

 もう一つの問題は、報告の遅れである。事故発生は19日4時7分。海上幕僚本部のオペレーション本部へは同48分。5時頃防衛省内部部局運用支援課。運用支援課が次官や局長への連絡を優先した結果、石波防衛相へは90分後、福田総理へは2時間後に連絡されたとのことだ。内規では大臣への報告は発生後60分以内とされていた。衝突した責任は法的にはあきらかに自衛艦のほうに落ち度があり、事実をそのまま報告したくないかまたはもっともらしい理屈を考案していたのか、とにかく言い訳か証拠隠滅かねつ造などのために時間を要し、大臣への報告が遅れたのである。しかし、大臣はニュースとほぼ同時に知った、ということであるから、大臣より先に報道には広報されていたのである。これが軍事的に重大な情報であれば、直ちに大臣に報告されていたと考えられ、いずれにせよシビリアンコントロールの危機というようなことではなく、組織防衛に汲々とする官僚体質そのもので、「自らを防衛する隊」とは体をあらわす適切なネーミングであろう。

アサヒコム「イージス艦衝突」


2008年2月11日 「食品の安全」に関わる状況

 中国製冷凍餃子から農薬が検出され、現在までの調査の結果、ほぼ中国の製造過程で意図的に入れられたものではないかとの観測が強まっている。
 日本の外食産業や、スーパーは過剰ともいえる反応を示し、ただちに中国製の加工食品を回収した。発表からほぼ2週間たって、300種ぐらいの農薬検査をして安全が確認されたとして売り場に再登場するものがあるとのことで、今後次第に復旧してゆくようだ。中国の工場の衛生管理や原料検査は十分に行き届いているようで、何者かが意図的に毒物を混入したのだ。背景は中国の加工会社の労務管理上の問題が指摘されている。国家間の輸出入全体への影響という結果の甚大さにおいて、いわば食品テロである。中国の食品品質管理当局は「破壊行為」という表現をしており、「中国国内での破壊行為の可能性はほとんど無い」とも言っている。今後製造、出荷、輸送のそれぞれの過程でのセキュリティ管理を強化しても、完全に再発を防止することはできないだろう。

 農薬は現在2000種ほどが使用されており、このうち検査可能なものは600種ほど。1種あたりだいたい3万円の費用とと4日の日数を要するとのことだ。つまり輸出入時にサンプリング検査をいくらていねいにしたところで、この種の問題に対する安全性がさほど向上するわけではないのだ。

 「食品の安全性の保証についての信頼度については、農家、生産者団体(農協など)、消費者団体(生協など)は、「(ほぼ)信頼できる」、としたものが70%〜80%。販売者やメーカーは60%弱、政府40%、外食産業30%、輸入業者20%弱。「(ほぼ)信頼できない」とするものはほぼこれの逆の結果が出ている。(11日朝日新聞−中央調査社)
 つまり、食品の安全に対する信頼度は付加価値になるから、たとえば10円高くても国産品は売れるが100円高いと売れないというような、マーケティング上のそれも今回のような情報によって変動する要因である。
 食品の安全性に関わる最近の情報としては、遺伝子組み換え商品、牛肉BSEのような大物から、血液さらさら、というようなプラス側の情報もある。実際のリスク(または効果)の大きさと風評による購買行動の変化とは大きく異なる場合もある。BSEはリスクがほぼゼロであるという(以前本欄で紹介した)。環境ホルモンはリスクはないそうだ。(環境省)
 
 輸入食品について。日本の穀物自給率は28%、内主食用穀物自給率は61%、カロリーでは40%(H17農水省データ)。生協だろうがJAだろうが輸入食品を売らないわけにはいかない。食品の安全管理はグローバルな体制を構築する必要があるのだ。

 加工食品について。スーパーの売り場面積というのは、バロメーターたり得ると思うが、素材と加工食品(冷凍食品を含む)がおおむね半々ではないか。家庭で調理しなくなった。単身者や共稼ぎの多い都会やコンビニならわかるが、ベッドタウンのスーパーでこれぐらいだ。加工食品はそもそも材料に上質のものを使用していないから、調味したり糊料のようなよけいな添加物を使用している。仕出しに近いような一部の超高級品を除けば、一般には加工食品は味覚の乏しい食べ物であり、調理の手間や費用をかけられない場合の食品だ。

 レストラン(居酒屋)チェーンのみならず、外食産業はかなり加工食品に依存している。解凍したり盛りつければ客にそのまま出せてコックいらず、原料買い付けいらず、というわけだ。大手レストランチェーンでは自前の工場と流通システムを持つ。食べ物屋の材料原価は20%代とされており、一皿800円のランチの材料は300円以下だから、まともな肉や魚は使えないのだ。これからもコストを重視した「もどき」食品が増えるだろう。

 自営就農者は、60歳以上が52%、50代23%、40代11%、その他14%。(農水省19年12月発表)。兼業農家の勤労者が定年後就労するケースが多く、新規就労者は60代が多い。比較的小規模の米作り農家は、おそらくほとんど働かなくて良いのだ。このことは、田んぼでほぼ人を見ることがないことでわかる。JAの指示する肥料と農薬を使えば日曜だけ働けば米は作れる。日本の農家は後継者不足のために10年もたないと考えていたが、家庭菜園のお気楽さで日曜農業で米を作り、会社勤めの定年後は専業農家を名乗って定年のない仕事につくという構図。今の保護政策が続く限り、農家が無くなり米の生産がおぼつかなくなるという話はなさそうだ。だが、食の生産はとても脆弱なシステムだ。

自営就農者数農林水産統計データ
日本の食品自給率食料自給率の部屋


2008年2月10日 年末年始に読んだ本について(その2)

□ 「南蛮の道2」司馬遼太郎 朝日文庫
 「南蛮の道」というのは、司馬のスペイン、ポルトガル紀行文である。「南蛮の道1」というのはたぶん昔読んだと思うのだがすっかり忘れてしまった。「南蛮の道2」というのは初めて読んだ。ブックオフの100円のコーナーで司馬を見ることは少ないが、未読書を見つけると必ず買ってしまう。
 「南蛮の道1」というのはどうやらスペイン北部のバスク地方の話だったらしい。この地方を司馬は大変気に入っていたようで、「南蛮の道2」にもその話題が出てくる。司馬はフランス国境に近いスペイン北部から、中部は素っ気なく通り過ぎて地図では斜め下のポルトガルへ、タホ川だかテージョ川だかをたどって移動する。

 本書によれば、ウマイヤ朝ペルシャを追い出したスペインは、欧米でいちはやく組織化された軍備を有し、かつイスラムの進んだ航海術を学んで、大航海時代を開いた。だが、それで得た富を自国の生産のためでなく、産業革命を迎えた英仏の工業製品に使うのみで、工業化の波に乗り遅れて没落した。

 司馬はポルトガルと日本との関わりを丁寧に見つめ、現地では現在のポルトガル人にも好意を抱いた。私の若い知人のAさんも曰く、「ちょっとルーズな日本人」、とのことだ。司馬は、鎖国時代のポルトガルと日本の関わりについて、丁寧に伝えてくれている。

 スペインとポルトガルは大航海時代以降世界を分割支配し、特に中南米ではインカ、マヤという固有の文明を滅ぼした。金ぴかの宮殿は中南米から略奪した金を鋳溶かして建設した、いわば恥ずべき搾取の証拠品だ。大量虐殺にとどまらず文明を抹殺するというのは取り返しのつかない出来事だ。私は、少年時代にこのことをを知り、子供心にも憤ったことがあって、長らく両国にあまり好感が持てなかった。だが、現在ヨーロッパに残る大航海時代以後のおよそ金をかけた建造物や財宝で、アジアやアフリカ、中南米とのほとんど略奪にひとしい交易の結果でないものはほぼ無いのだ。そしてそれよりはるかに以前から人類は民族のみならず、限りない数の文明を抹殺してきた。そんなことはわかっているのだが、本書を読んで、スペインやポルトガルへの長年の感情が、慰撫されたような気がした。


 2008年2月3日 年末年始に読んだ本について。

 □ 「ミュンヘン往き来」、「シュタイナー教育を考える」 「私とシュタイナー教育」 いずれも子安美知子、朝日文庫
  ドイツで始まったシュタイナー教育というのは、昨年9月にも本欄に書いた。それで、もう少し知りたいと思っていたので、この3冊を読んだ。

 「ミュンヘン往き来」は、私が以前5日ほど滞在してとても好きになったドイツのミュンヘンと子安との関わりが紹介されている。作者が初めてミュンヘンに住んで「若さの街」「予測のつかない混沌の場」と呼んだ、シュヴァービング、カンディンスキーの風景画を見にレーンバッハ美術館へ行ってみたいものだ。本書は作者とミュンヘンとの関わり、娘とやりとりした手紙のこと、ドイツ人の風習のことなど、シュタイナー教育というよりは作者が書きためたものをまとめた感じだ。「ミュンヘンの中学生」(第一作の「ミュンヘンの小学生」は読んでいない)は、シュタイナー教育について、自分の娘の体験を通じてひたすら作者が眺めた事柄であったが、これは作者自身の周辺のことがらを書いたものだ。

 「シュタイナー教育を考える」というのは、朝日カルチャーの同名講座の記録ということだ。シュタイナー教育というのは、子供の理想的な成長のためにふさわしい思想かもしれぬと私も思う。子育てを終える以前に知っていれば、親として少しはできたこともあっただろうと思う。

 「私とシュタイナー教育」は作者の講演集。聴衆ごとに様々な言葉でシュタイナー教育のことが語られている。子安はシュタイナー教育とはどういう思想で、教育についてはどのような手法を用いるのかということをひたすらに伝えている。日本の教育を批判したり、教育問題について具体的な解決方法を示唆したりはしていない。そしてミヒャエルデンデとの関わりが述べられている。「果てしない物語」も、「モモ」も、息子の書棚にあるのにこれまで自分は読みもしなかったが、読んでみたいと思った。
  GAB 9月26日 「ミュンヘンの中学生」

 □ 「世界の教科書は日本をどう教えているか」 別枝篤彦 朝日文庫1999発行
 ニュージーランドの高校生用教科書「日本の近代化」より、以下。

 「今や日本は空前の反映と大量消費の社会を作り上げるのに成功した。明治維新以来西洋諸国に遅れまいと国民が一心に働いてきた目標の達成は殆どなしえたかに見える。しかしそれとともに西洋諸国と同じように「次は何か」という問題に直面しているのが現代の日本である。(略)日本はもう今までのような高い経済成長を続けるのは難しいだろう。(略)ここでもっとバランスのとれた成長に戻るべきである。しかし毎年高い割合で収入を増やしてきた日本人はここで成長の低下に満足できるだろうか。発展に伴った民族的プライドはどうしたら傷つけないですむか。ここにひとつの提案がある。日本人はこれから世界平和、核兵器廃絶などの理想主義をとったらどうか。日本人はとかく臆病で用心深く、内的思考の民俗だと言われてきた。大事なことをキレイごとだけですませていてはなにもしないのと同じである。日本がこれらの問題で世界のリーダーとして活躍することは無鉄砲な経済成長策に代わるものとして世界の評価を得よう。」

 筆者も「大胆な提言だ」と言っている。日本の教科書は常に正確で評価の定まった事実した表現が許されないから、このような著者の「提言」はあり得ない。日本が経済大国となってもアメリカへの追従外交のみで、いっこうに世界のなかでリーダーシップを発揮できない、というのが1980年〜90年代のバブル期の日本に対する、欧米の知識人の大方の感覚であっただろう。

 各国で日本がどのように教えられているか、ということについては、予想通りの戦前の日本のイメージのままの教科書が数多く紹介されていて、笑える。だが、笑ってばかりもいられなくて、中国や韓国が日本の教科書に示す関心の何分の一かでも、諸外国で日本がどう教えられているか、ということに感心を持つ必要がある。我が外務省は一体、なすべき仕事をしているのかしらん。

□ 「はるかな記憶(上下)」 カールせーガン  朝日文庫
 有名な宇宙科学者が、種の起源と人間へいたる進化について易しく解説した本。同著者には有名な「コスモス」があり、これから読むために既に私の手元にある。上巻の前半ではダーウィンがキリスト教の世界感が支配する中で「種の起源」を発表することと、この時代の論争を紹介している。後半はDNAについてのべられている。この利己的遺伝子というのは、10年以上以前に日本でもブームになったが、さまざまな動物の行動の進化上の意味について興味深い事例が述べられている。
 下巻では特に人間に近い類人猿の性行動について延々と述べられているところはちょっと辟易する。人間とは何か、ということを読者に執拗に問うているわけだが、私が小学生ぐらいの時に習った(様な気がする)、「人間とは直立で歩行し、道具を使う動物である」という古典的な定義は少なくとも全く当てはまらないことを知った。米国で類人猿の研究のブームが去り予算も削減されて研究施設がただの畜舎と化したあと、人間同然に育てられたチンパンジー達は檻の中でただエサを与えられていた。久々にかっての研究者が施設を訪問した際、彼らに「なにかほしいものがないか」と聞いたところ、「檻の鍵がほしい」と教えられた手話で伝える話には、動物とはなにか、人間とは何かということを深く考えさせられてしまう。
 
 生物学の本では、「象の時間、ネズミの時間」というのもあったが、壮大な進化の歴史を感じさせるものでは、日本人の書いた下記1点を挙げたい。
 関連GAB 「熱帯雨林」

□ 「美人論」 井上章一 朝日文庫 1995年発行
 おおむね明治以降に美人が社会的にどのように扱われてきたかという比較的まじめな研究をくだけた文体で紹介したもの。明治以降、それまで女性の美醜はさして重要な事柄でなく結婚は家柄で決まっていたが、明治以降特に美貌に執着する風潮が強まったとのこと。戦前は女学生の「卒業面(そつぎょうづら)」という言葉があって、美人は卒業するまでに結婚してしまうので、卒業するのは不美人という話。親でもない有力者が授業参観に来て、学校もそれを許容していた。生徒も参観の意味がわかっていたらしい。近年フェミニズム批判を背景に容姿の美醜を活字で表現しにくくなったとは作者の言。 

□ 「日本史探訪22幕末維新の英傑たち」角川文庫 昭和60年発行
 この本は「日本人の原像」に始まる「日本史探訪」シリーズ全22巻の最終巻にあたる。司馬遼太郎や城山三郎といった歴史小説家や江藤淳、大岡昇平などの評論家達による幕末の主要人物についての対談を集めた、いわば安直な構成である。だが、読み応えのある対談集で、それぞれに丁寧に幕末の人々の実像が描き出されている。司馬の描き出す歴史上の人間は、司馬のあたたかで人間くさい視点を当てられて、いつも生き生きと読者の前に現れる。登場人物は、高杉晋作、桂小五郎、大村益次郎、岩倉具視、江藤晋平、山岡鉄舟、勝海舟、榎本武揚、大久保利通。西郷と大久保というテーマもある。NHKの大河ドラマ「篤姫」で西郷と大久保が薩摩藩の下級武士として登場するが、大久保のイメージはかなり異なる。「司馬遼太郎対談集」(文春文庫)というほぼ同時期に読んだ文庫本の「日本宰相論」という山崎正和との対談のなかでも大久保が登場する。幕末の開国前夜の話題ではこちらのほうが詳しい。

□ 「サルの正義」双葉文庫 呉智英 1996年発行
  作者は全共闘出身の評論家。漫画と中島みゆきを愛するいわゆる団塊の世代だ。週刊文春などに既に掲載された評論の一部を、私は以前読んだことがある。作者の熱血硬派ぶりは、ペーソスさえ漂わせており、漢体を多用する文章にそれゆえの恥じらいを感じる。今こそ団塊応援歌となるだろう。(ロシア崩壊以後も)真の平等は共産主義にある、と(力なく)言い続けることが、(「ラディカルな正論」にもかかわらず)親しみを覚えさえする。



END