2007年11月


 2007年11月2日   最新スポーツカー事情

 NISSAN、GTーRが発表された。エンジン出力が480ps、トルクが60kgmという超怒級パワーである。これにぶつけてトヨタはレクサスISーFという423ps、51.5kgmの車を発売する。ランサエボ]、インプレッサWRXも相次いで発売され、久々の新作スポーツカーラッシュだ。それで、久々に現在の車の技術や性能やデザインについて知りたいと思った。車好きというより運転好きの私の車が13年目となり、そろそろ買い換えを迫られているという事情もある。NISSAN、GTーRを中心に、世界のスポーツカーのスペックを比べてみた。

 NISSANは新しいGTーRをスーパーカーと称しており、ニュルブルクリンクで7分38秒で走れることをその理由に挙げているが、早いだけではスーパーカーとは言えない。スーパーカーという言葉も古びた印象だが、たとえば一般人はほとんど手がでない価格、乗る人と乗る場所を選ぶ車、個性的なデザイン、早く走るための最高の技術を取り入れた車、熟練した職人がクラフトマンシップを発揮して作られた車、と定義すると、スーパーカーとはもはや速く走ることは目的というより結果のひとつに過ぎず、むしろ運転者の感性を満足させる芸術品であり、自分だけが所有できるという希少性を有する車であるといえる。フェラーリ、マセラッティ、ランボルギーニ、アストンマーチン、メルセデスマクラーレンポルシェGTシリーズ。高価な絵画のように、これらの車は、関心の無い人にとってはなんの役にも立たず、それどころか環境保護の時代にそぐわない無駄な存在、金持ちの道楽と見なされている。運転とは個人の欲求を満たすものに過ぎず、公道で速く走ることは他人に危険を及ぼし、騒音を出しガソリンを大量に消費するからである。だから知性と感性のはざまで、私自身も悩ましい気分がいつもつきまとう。車談義では、相手の車への関心度をはかりつつ、切り上げ時を判断するわけだ。道具としての車、手段としての車なら、1リッターカーやワンボックスカーである。プリウスに乗る人は環境に本当に良いかどうかということよりも、自己主張という目的のための車であり、スーパーカー党の反主流派だとも言える。(冗談)

 結論から先に言うと、NISSAN、GTーRはスカイラインク−ペとプラットフォームを共有し、スピ−ドを出しても安全に走るためのメカニズムを満載している。4人乗りとして十分な室内スペ−スと快適装備からみてお安い900万円弱という価格設定のために、性能もインテリアも人の感性を十文意満足させるための、本当の贅沢をしていないようだ。こういう車は、スーパースポーツすなわち、速く走るための技術をかなり取り入れた(が他はたいしたことない)車だと言える。

 NISSAN、GTーRのエクステリアについて。ボディデザインは、魅力的とは言い難い。有機的な線が乏しいからだ。アルミ製のエンジンリッド(ボンネット)はでかいエンジンに合わせて膨らんだが、この部分のデザインの破綻(!)が唯一のアクセントだ。ボディはアストンマーチンのように人手で叩き出すと、直線すら魅力的になるのだが、スカイラインから受け継いだテールランプの真円がいっそう安っぽく見える。テ−ルデザインはCADデザインの単純な線で作られたアメ車のようであり、膨らんで丸みを帯びたリアフェンダ−とマッチしない切り落としたような形状とした。フロントデザインは、アウディやワーゲンのデザインに似せた、大きなエアインテ−クもどきの形状で、威圧感のあるデザインとなっている。このデザインはエボ]も採用しているが、大きく口を開けてかみつく犬みたいだ。高速で前車を怖がらすだけで、実に品がない。

 レクサスIS−Fは、マ−クXプラットフォ−ムのISに5Lエンジンを搭載した。バカパワ−は高速の料金所バトルに勝つことぐらいにしか役に立たない。出来が良さそうなパドルシフトが唯一の売りだ。こちらもフロントのエンジンリッドが5LV8エンジンを搭載するためにもっこり膨らんで、ベ−ス車は没個性的だがそれなりにまとまったデザインなのに、それすらも破綻させている。

 昔モ−タ−ファンという雑誌があって、車のメカについて凝った図解による解説が売りだった。辛口批評は車への愛情がこもったものであったが、カ−オブザイヤ−を公然と批判したりして、もう十年ほども以前につぶれてしまった。日本では車の雑誌はメ−カ−ににらまれたらやっていけるわけがないのだ。かくて、カタログのようなメ−カ−提供の写真とよいしょ記事がならぶ雑誌ばかりが氾濫している。売れる車が善という、作る側の論理ばかりがまかり通るようになってしまった。本題に戻る。

 ボディサイズについて。日本国内の道は、新しい道路や主要道路以外は狭く、車道といえども長年普通車の規格であった1700mm車幅に合わせて1車線または2車線とされたものが多い。現在の車のように車幅が1800mmもあると、山道を快適にとばせない。また、山間部や漁村などでは全長やホイ−ルベ−スが長いと曲がりきれない箇所も多い。また、車の四隅の見切りが悪いと狭路や未舗装道路、積雪で狭くなった雪道などでの取り回しに苦労する。田舎道や林道、山岳道路を好む私としては、必要以上に大きな車は楽しめない。全長はなるべく4,500mm以下、ホイルベ−スは2600mm以下が理想だが、後席の快適性を犠牲にしない場合は難しいようだ。GTーRは全長4,655mmで、これより大きいのはレクサス、M5、AMGであり、彼の地では田舎道でも困るサイズではない。ホイルベ−スはAMGだけだ。ドイツにはワインディングロ−ドはないのだ。美しい田舎道はとばす道ではない。GTーRの見切りは乗ってみないとわからないが、尻が盛り上がった車やボンネットが盛り上がった車は悪そうだ。サイズや見切りはポルシェ、アウディTT、TVR、RX8、S2000がよほど良さそうだ。

 エンジン特性について。アウディTTは低速トルクが大きくて使いやすそうだがスポ−ツエンジンとは言い難い。S2000は高回転でトルクのピ−クがあり、常に高回転で使うエンジンだ。車重からみてもS2000のパワ−は十分だ。ロ−タリ−はともかく、S2000、エボ]、WRXが小排気量で、軽量エンジンを搭載している。

 M5、AMG、GT−R、IS−Fはパワ−は十分だが、図体も相応に大きくて高速道路専用だ。まあス−パ−スポ−ツと言って良いが、国産車は180km/hでスピ−ドリミッタが動作する。これら以外の車はそれぞれ運転そのものを楽しめそうだが、アウディTTはファミリ−カ−。TVRは乗ってみないとわからないがスペック的にはロ−テクでクラシックな印象。ランエボ、WRXは早い。ウデを要求するのはS2000といったところか。ポルシェはスペック的には中庸だが、所有する喜びは大きいのではないか。スポ−ツカ−としてのデザインも最も秀逸。

 さて、結論である。GT−Rはサイズが肥大しすぎて高級なメカニズムを生かす機会がほとんど無い。高速道路専用のGT−Rを、同類のM5、AMG、IS−Fと比較すると、ドッカンパワ−だけなら高級なメカニズムにカネをかけるよりもラグジュアリ−方面に金をかければ良いという結論になる。ラグジュアリ−カ−にハイパワ−エンジンを積めば良いのだ。GT−RもトヨタIS−Fもベ−ス車が洗練されたラグジュアリ−カ−とはいいがたいから中途半端になった。GT−Rの車体を一回り小さくして、エンジンは2.5Lぐらいの車を作ってもらいたかった。このクラスにはエボ]とWRXがいるのだが、日産は専用シャシ−を与え、デザインにも凝った美しい車を作れば良かったのだ。

 S2000は1999年4月に発売されたが、本年9月アメリカでS2000CSが発表された。サ−キット走行用にソフトトップを廃止したモデルだ。本来車は道を選ぶのである。どこでも走れる車は、どこでも程々にしか走れない。かといって競技車は著しく快適性を損ない、長時間の使用に耐えない。小型スポ−ツのあり方は二つあって、ひとつはエボ]やWRXのような、四輪の駆動制御をアクティブに行うタイプ。もう一つはFRとしてABSのみとし、TVRやロ−ドスタ−、S2000のようなタイプ。そしてそれぞれがサ−キットやオフロ−ド用などの性格をある程度明確にしてゆけば、それが車の個性となる。このような運転そのものが楽しめる車が多く出現し、その個性を代々受け継いでゆけばステ−タスが形成され、文化とまで言わずとも、我が国なりのモ−タリゼ−ションが出現するのだ。

 世界の自動車マ−ケットがグロ−バル化して世界規模で再編が進行し、生き残れるのは全世界で5社とも3社ともいわれており、国内ではトヨタのみだ。中小業者が生き残るためには、個性的な車いわば、少数のファンに選ばれる車を作り続けることしかない。厳しい排ガス規制や燃料消費量規制のなかで、大企業の技術を受け入れてゆく必要があるだろうが。最近久々に中古車屋と話したが、品質はトヨタが一番という。30年前もそう言われていた。だが、車に関しては弱点も個性なのである。それ以上の魅力のある車の出現を望む。


 2007年11月10日   国立新美術館と日展

 日展は昨年までは、上野の東京都美術館で開催されていたが、今年は新築された六本木の国立新美術館で開催されている。新しい美術館へ行って来たので、建築と日展について雑感。

 国立新美術館は敷地面積30,000m2、建築面積12,500m2、延べ床面積48,000m2で、国内最大級となる14,000m2の展示スペ−ス(1,000m2展示室×10,2,000m2企画展示室×2)を有し、鹿島・大成・松村JV、清水・大林・三井JVの施工により、 総工費350億円で平成18年5月完成した。設計は先日亡くなったばかりの黒川紀章で、「10を越える美術展を同時開催できるように作品搬出入はあらゆる面で機能性を有している。日射熱・紫外線をカットする省エネ設計でありながら、周囲の森と共生する建築である。」 とのこと。雨水再利用施設、地下自然換気による省エネ対策が考慮されているとのことだ。ポ−ルボキュ−ズ(レストラン)は22:00まで営業するが、ランチは常に満席とのことだ。独立法人国立美術館が運営し、コレクションを持たず公募展や企画展を主体に開催する。アクセスは、地下鉄乃木坂駅と直結し、六本木駅からも近い。
 建築意匠は外観の、縦に大きく波打つような曲面とエントランスの円錐が特徴。敷地が狭く全体を眺められる場所が限られるが、建物の前面はガラスと金属の複雑な構造が大きな曲面を作っていて遠目には美しい。ところが、近づくと安っぽく感じる。建物側面は平面ガラスのテ−ビングがさらに安っぽい。ガラスは紫外線吸収タイプとおもうが、外壁が断熱の用をなしていない。空調負荷は大きいと思う。建物の前面内部はすべて吹き抜けになっているため、内部各フロアから屋外の緑が感じられる点は良い。だが建物前面のたくさんのガラス板を支える金属の構造の施工がかなり粗雑に見える。
 展示室壁は無味乾燥の白いクロス張り。床はフロ−リングで、この床の出来の悪さが一番気になった。所々に段差がある。床下換気のため細孔の開けられた蓋の部分があり、この上を歩くとガタつくし大きな音がする。天井も白で、吸音はしていないようだ。子供の泣き声が良く響く。室内照明は大変良い出来で、変な反射や陰が無い。だが、壁も天井も白で煌々と部屋全体がただ明るくて病院のようだ。彫刻の展示室では、以前の東京都美術館が地下の吹き抜けや通路が変化のある落ち着いた雰囲気だったのに比べて、倉庫に詰め込まれたような印象だった。建物背面側は休憩スペ−スなのだが、タイヤ跡のついた搬入路しか見えない。上野の東京都美術館は狭かったが大きく育った木々がどの窓からも見え、赤い煉瓦に緑の大木が映え、落ち着いたたたずまいが好ましかった。新美術館は建物を見せたいためか木本は少なく、十年経っても樹木が良い景観を作ることはないだろう。
 ル−ブルはピラミッド状のガラスのエントランスを作ったときに、市民から非難がわき起こったが、古い建物と不思議な調和があり、現在は高く評価されている。地下に新築されたモダンな空間から展示室の1階へあがる階段は、古い建築の荘厳なたたずまいのままで、正面のサマトラケのニケが訪問者を迎えてくれる。ここで訪れる人は一挙に古代へ誘われるのだ。美術館や博物館、コンサ−トホ−ルなどは、訪問者の心を日常から切り離すために、いわば寺社仏閣の参道のような仕組みが必要だ。レストランだけを目当てにやってくる客を引き寄せる、世俗のポ−ルボキュ−ズは、もってくるべきではなかった。(食べにはいきたいが)

 日展は広い会場になって、今年の入選数2,377点は昨年2,255点より増えた。彫刻、工芸は応募の半数強が入選するが、日本画は1/3、洋画は1/4、書の入選数は応募数の1割に満たない。全体の応募数は15,000点近いが、このうち約1万点は書の応募である。今年から広い美術館へ移って、今後はさらに入選作品が増えるのかもしれぬ。それでも洋画や書は高い位置にも展示され、壁面はぎっしりだ。人が多いのは圧倒的に日本画と洋画だ。書は展示スペ−スの広さの割に閑散としている。展示室は順路が定まらず行き止まりがあって、行きつ戻りつしないとすべてみることができない。
 日本画と洋画は、特にここ数年、レベルが落ちているのではないか。昔みた絵は現在でも覚えているものがあるが、最近は足を止める絵が少ない。今年楽しめたのは工芸だ。工芸には、陶、磁、漆、染、人形、鍛、革、紙、織など様々な素材と作法がある。父母と各地の窯元を訪ねた経験から、これまでは陶磁器を熱心にみてきたが、今年は陶磁よりもその他の工芸のほうが心にとまるものが多い。
 自宅へ戻って日展のウェブをみてみると、入場料1,200円が800円になる割引券があった。今年の日展は、ちょっと腹立たしいことが多かった。

 日展のホ−ムペ−ジ  国立新美術館のホ−ムペ−ジ  独立行政法人国立美術館


2007年11月11日    「娘は父と同じ臭いの男性と結婚する」、TV東京「日曜ビッグ」より
 アメリカの調査結果だそうだ。それで、同番組で実際に若い男2名と父親が2日着たシャツの臭いを自分の娘にかがせて、好きな臭いを選ばせたところ、父親の臭いが一番好きだと答えた人が約半数だった。
 以前別の番組で、「女性は男性フェロモンを感じる能力がある」、という海外での調査結果を実証するとして、同様の実験をやった。10名ぐらいの若い男性の着たTシャツの臭いを若い女性にかがせて一番好きな臭いを選ばせるのだが、選ばれた男性と選んだ女性の遺伝子情報を比べて、女性は最も遺伝的に遠い男性の臭いを好む、という結果だった。その時は娘が父親を嫌う理由がわかったような気がした。
 相反する話だが、後者の話のほうが生物学的に理解しやすい。だが、体臭は家族に共通する食生活の結果であるならば、父娘は同傾向の体臭となり、むしろ体臭そのものを互いに感じにくいから、父が選ばれたということかもしれない。人間の行動は、様々な社会的な条件に左右されるだろうが、ヒトの五感の中で最も退化した嗅覚に、生物としての特性が現れるという話は、今のところあまり信用できないようだ。


 2007年11月17日  シネマコンプレックス

 シネマコンプレックスというのは、近年増えた複数の上映室を持つ映画館のこと。正しい定義は同一運営組織、同一所在地、5スクリーン以上で、名称を統一している映画館、ということだそうだ。映画会社毎の縦割りの配給制度に縛られずに作品を上映できる、中規模スクリーンを中心に伸縮自在の上映期間を設定できる、など効率的運用が可能。作品はヒットすれば優遇されるが、不入りなら早々にうち切られる。
 このシネマコンプレックスは、ハリウッドのワーナーブラザースが流通大手マイカルと組んで1993年に海老名市で出店したのが国内第一号。国内のスクリーン数は93年末1734と、過去最低を記録しピーク時の2割強となったが、シネコンを牽引役に、翌年から拡大に転換、06年には3062と62%増えた。一方で興行収入は1637億円から2025億円と23%しか増えていない。結果1スクリーンあたり興行収入は98年の9704万円から6613万円と3割減少した。採算ラインは7000万円前後と言われ、相当数が赤字と見られる。にもかかわらず各社は出店を続け、スクリーン数は最終的に3,500に達する模様。

 以上は週間東洋経済記事からの抜粋だ。シネコンは私の行動圏内では川崎チネチッタが草分けだ。川崎には駅北の東芝小向工場跡に3館目ができて業績が心配されたが、市外からの集客が増えて落ち込みは少ないとのことだ。スクリ−ン数が増えたといっても上映室は小さくなったから、採算ラインがスクリ−ンあたりあたり一律7,000万というのも理解しがたい。シネコンは1スクリ−ンあたり座席数で数分の一だから、採算ラインも座席数にほぼ比例して低いのではないか。そして、観客数に応じて上映する映画をこまめに切り替えられるから、座席が埋まる割合も大きいと思う。

 シネコンは、見たい映画が特になくても、映画館へ着いてから映画を選ぶということができる。以前はあらかじめ上映中の映画を調べ、時間を調べてから映画館を選ぶ必要があった。シネコンのこういう仕組みはまだあまり知られておらず、特に中高年のファンはこれからもっと増えるのではないか。

 家庭のディスプレイが大きくなったといっても、新作を早く見るためには映画館へゆく必要がある。大画面と音量による圧倒的な臨場感と、大勢の人々と同じ体験をしていることから得られる共有感のようなものが映画館の価値だ。

関連GAB 2004.5.2 (日)  映画館の復権


 2007年11月18日  祖母のこと

 神戸の祖母が、私が小学校だか中学校の頃に久しぶりに大阪高槻の自宅に来た。祖母は私に1枚の落ち葉を渡した。それは本当にきれいに色づいた桜の葉だった。そして祖母は、なにもあげられるものが無くてごめんね、と言った。そのことをふと思い出したのは、祖母も亡くなり私が中年になってからである。それからだいぶ経ってもうひとつのことを思い出した。それもいつのことだったか忘れたが、実家の本の間から1枚の朽ちた葉がこぼれ落ちて、その時はなぜそこに落ち葉が挟んであったのかわからなかったのだ。桜の葉が色づく頃、祖母のことを思い出す。


END