2006年2月

2006年2月22日(水)  「Ray」 米映画(2004.日本では2005.1公開)   誕生日にもらったDVDで、自宅で視聴。
 2004年6月10日に74歳で亡くなったレイ・チャールズの伝記映画。R&B歌手ともジャズシンガー/ピアニストとも言って良いだろう。6才で失明し、ゴスペルとジャズを融合させて今日のソウルミュージックの源流を作った。翌2005年2月に出たアルバムはグラミー賞を受賞した。自伝映画「Ray」は2004年アメリカで公開され、主演のレイミーフォックスはこの映画で2005年アカデミー賞の主演男優賞をとった。
 さて、映画「Ray」について。幼い頃の弟の事故死がトラウマになり、ヘロイン中毒となった盲目のシンガー(ピアニスト)の伝記である。本人も製作に深く関わったのことであるが公開を待たずに亡くなった。ほぼ全編が音楽であるが、あまりにも有名なジョージアオンマイマインドを初め私は殆どの曲を知っているし、昔からジャズピアノが好きだった。良い音楽と美しい映像で綴られた人生の物語である。ウィアーザワールドのほほえましい好々爺ぶりが思い出される。佳作。
オールシネマ Ray

2006年2月19日(日)  H18ダム予算分析
 平成18年度のダム予算案では、水道事業に関わる新規事業は以下の3点である。(『 』内は日本水道新聞1月24日付け記事より)

□ 『平成15年に亜鉛が環境基準化された。河川における亜鉛の挙動や河川生態系への影響について実態調査おこなう。』

 河川行政に生物、化学系の調査、分析が必須となった。結果は公開して、その中身について各界の評価を待ちたい。

□ 『近年の小雨化傾向による、渇水調整ルールの見直し。直轄堰堤(えんてい)で利水容量を割り込んで放流することを認め、渇水時に利水容量が回復しない場合は、公共費で利水者の実損額を保証する。予算内訳は直轄堰堤維持事業拡充として、5.5/10の補助。北海道では7/10、沖縄では9.5/10。』

 専門誌の記事のため解説する。直轄堰堤とは国管理のダムのこと。豪雨が続けばダムは満水になり洪水抗止のための貯水ができずに流入水と同量の放流を続けることになる。一方下流の河川では都市化により局地的な降雨によっても河川への流入水量が一挙に増大するため、河川水位の調整ができず氾濫する。ダムの運用実態は、利水容量は月別に定められており、夏期は利水容量を減らしてもダムの水位を下げて治水容量を増やしている場合が多いがいずれにせよ現在、ダム毎に治水容量と利水容量とが厳密に定められている。ダムの運用上は原則として利水容量を確保してきたが、治水容量(洪水に備えたダムの貯水余裕量)を拡大するため、利水容量を割り込んで放流して、その後の渇水で利水容量が回復しない場合には保証ができるように補助金を予算化したものである。

□ 『木曽川水系連絡導水路事業。渇水時に愛知県等における渇水被害を軽減するため、徳山ダムの貯留水を揖斐川から木曽川および長良川に最大20m3/s導水する。また、愛知県および名古屋市において水道用水等を確保するため、徳山ダムで開発した水道用水等を4m3/s木曽川に導水する。愛知県、岐阜県、三重県、および名古屋市からの強い要望があり、近年20カ年中第2位の渇水年においても都市用水を安定的に供給することとし、導水路延長44km、総事業費900億円。便益1,223億円費用943億円、従って事業効果は1223/943=1.3としている。』

 揖斐川の西平ダム下から木曽川の犬山付近への導水路を建設するというもので、河川が接近して導水路の距離がかなり短くなる下流案では建設費750億円であるが、自然流下できないためポンプの運転経費が1.5億円/年とし、上流に建設することになったようだ。中部地方整備局のウェブサイト
 20万トンはどうやら渇水時に木曽川の河川水を確保するという理由である。農業用水を確保するためではないとすると、水道水の4.0m3/sを干上がった木曽川に持って行っても直ちに地中に浸透することと、管で送ると大土木工事にならないからではないか。徳山ダムを作った時からこの導水路は前提とされた工事とのことである。愛知、名古屋の水道水源確保というのが二番目の理由とされており、日量30万トンに相当する水道用水を確保し20年に2度程度の規模の渇水に備える、ということらしい。 水道用水4.0m3/sの内訳は、愛知県が2.3m3/s(199,000m3/日)、名古屋市が1.7m3/s(146,000m3/日)としている。

 名古屋市は木曽川に1,728,000m3/日の水利権を有し給水能力は1,424,000m3/日であるが、H15年度でもっとも多い日の給水量は1,039,190m3であり平均給水量は817,187m3/日だった。年間給水量は平成4年をピークに減少傾向にある。一人一日あたりの実績給水量は最大454Lであり平均給水量は357Lである。ところが、施設計画の根拠となる一人一日あたりの計画給水量は615Lという過大な数値にされているのが疑問である。また最大稼働率は73%、負荷率は78.6%、つまり最大でも能力の3/4を使用し、平均すると6割しか稼働しておらず、冬場は1/2程度の稼働と考えられる。そこで現在の取水権の8.4%に当たる146,000m3の取水権を増やしたところで、渇水期以外は必要のない水源なのだ。
 また、愛知県は用水供給だけで計画給水量が2,279100m3/日。実績は412,477千m3/年だから平均水量1,130,073m3/日であり、こちらは名古屋よりさらに稼働率が低く平均50%であり、平常時では水は余っている。こちらも8.7%の取水権を確保したことになるから、どうやら名古屋と案分したような感じだ。

 つまり、徳山ダムを作ってしまったし新たな大土木工事もやりたいから、20年に2度程度の渇水の時にも8%強の水量を確保するために、建設費900億円強を使いますということである。年度ごとの維持費も十億円単位になるのではないか。50年償却として維持管理費を含めて年間50億円程度の支出となり、10年に一度の渇水時に一割に満たない水量を確保するためだけに費やされる。

名古屋と愛知県の水道データはH15年度水道統計による。用語は一般的なものに修正した。
木曽川上流河川事務所「木曽川水系連絡導水路」検討会関係資料 読めない文書が多い。
名古屋市上下水道局中期経営経営計画(水プラン22案)H18〜H22 数値目標が何一つ明示されておらず、計画とは言えない計画。
独立行政法人水資源機構 つぶせと言われ続けた水資源公団である。しぶとい。
(独)水資源機構中部支社   木曽川用水総合管理所
 2006年2月12日(日)  ビジネスマンの父より息子への20通の手紙
 日本での翻訳は1987年刊行されたとのことだから、カナダで出版されたのは20年も以前だろう。当時話題になり手に取った記憶もあるが、公私ともに多忙な私はこんな本を読む余裕もなかったし、関心も薄かった。ビジネスマンとは、米英では経営者という意味で、私には実感の乏しい世界だからだ。会計士の資格を持ち、複数の会社を所有する父が、同じ道を歩む息子に経営のことだけではなく、友人つきあいや結婚のことなど、人生の勝者となるための様々なことを、自らの失敗を交えて丁寧に伝えようとしたものだ。すべてが息子に向けられた言葉であるゆえに、利己的に聞こえずほほえましい。
 ようやく最近文庫版で読んで、普通の父親が息子に伝えたいようなことが、普通の父親の愛情を持って語られていることを実感し、息子にも読ませたいと思った。できるなら、このようなことを自分の言葉なり文章で伝えたいものだ。 ps.妻(母)の話が出てこないのが、気に掛かるところ。
2006年2月12日(日)  インファナルアフェア 無間道U、V
 2005.9.21にインファナルアフェアTについて書いたがようやく続編であるUとVとを見た。続編は本編以前または本編の周辺のストーリーであり、本編の緊張感や凝縮された展開を超えるものではない。本編を見た観客がその余韻を楽しめる映画といえる。
2006年2月11日(土)  IT社会の弊害−正高信男(京都大学霊長類研究所)
 IT社会を象徴するものはケータイだが、ケータイは日本では今やコミュニケーションツールではなく“自我の一部”になっている。欧米では四六時中メールのやりとりはしない。西洋の“個人”というものが日本にはない。日本における“個人”とは“周囲の人間関係”も包含したものであるが、欧米では個人同士の間にある垣根がしっかりしている。日本では個人の垣根が低く、“ツール”であるべきものが“自我の一部”になってしまい今のような現象が起こる。つまり元々低かった個人の垣根を越えるためのコミュニケーションツールとしてあまりにも日本人の国民性にぴったり合っていた。
 日本人には元々“個人”というものが無く、他人と違うことを行えば“村八分”といってはじき出されるなど、日本の文化的、社会的背景として他と異なることをいやがる風土が根付いており、横並び主義、一線主義で匿名性を重んじる国民だった。そのため他人が世間の注目を浴びるということに対する羨望やあこがれが強く、社会的な注目や賞賛といったことに高い価値を置く。世間から突出すれば“出る杭は打たれる”通りのことが起きたり足をひっぱられ、人から後れを取れば切り捨てられる社会なのだ。
 IT社会の到来によって、ある意味で江戸時代にもどったのではないか。横並び主義はむしろ今の方が強化され、“世間”が江戸時代のような局地レベルではなく全国レベルでできあがってしまった。今、メル友というのは“メールを介して知り合った友達”という意味であるが、欧米人にはとうてい理解できないだろう。メールでしかコミュニケーションをしていない人間が自分の友達であろうハズがないからだ。それを『友達』と呼べるのは日本人がいかに個人の垣根が低いかを端的に表している。
 IT社会の中でそういった日本人の国民性が悪い面で働くと、お互いの足の引っ張り合いや誹謗中傷となって現れる。それは日本人のIT社会が基本的に“匿名性”だからだ。[以上日系BP2006.2.9配信記事を要約]

 生物学や動物行動学をやってきた学者の方が社会現象に関して注目される発言が多い。たとえば心理学者が書く「青年心理学」の本は、学説が紹介されているだけで現実の問題を考える直接的な手がかりになりにくいが、専門外だと仮説だろうが感覚だろうが大胆な発言ができるようだ。批判ではなくケータイの一文のような社会への警鐘がこのましいと思うのだ。だがベストセラーの著書と異なり、ビジネス向けメールマガジンに掲載されたこの一文はほとんど世間の目に触れることはなかろう。
 昔のように人生の先輩から「良い本」というものを紹介されるようなことが無くなって、今のように多くの情報があふれる中では、情報の中の大部分を占める「毒気」に特に若者達は耐えられないのではないか。
 しかし、ケータイについて。子供達はもともと自我は確立していないのだから、友人はもともと自我の一部なのである。日本人は成長が遅いにしろ、日本人の大人は四六時中ケータイメールで垣根の低いコミュニケーションを行っているとは思わぬ。日本人の社会は基本的に“匿名性”なのであって、IT社会だろうが関係ない。四六時中メールをする世代にとっては、相手がそばにいるのを確かめる「クーコール」という、筆者の以前の指摘は興味深いものだったが。

 記事を記載しているサイト→ 2004年2月22日「ケータイを持ったサル」   
 関連記事サイト→ 「メル友は友達以上になれるのか(社会学の理論で切るネットの不思議)
2006年2月10日(金) GM倒産とUAW
 ガソリン高による大型SUV不振などにより、GM(ゼネラルモータース)の05年1〜9月の赤字は38億ドル(4000億円)となり、昨年秋以降さらに販売力が低下して、12月には倒産の可能性に言及されている。GMの米国自動車労働組合(UAW)との労働協約では、協約期間中(03年10月から07年9月)GMはすべての工場、資産、組織を閉鎖、売却、スピンオフ、統合をしてはならない。また工場労働者はレイオフされても給与、手当が全額支払われる。たとえば労働協約で認められた工場閉鎖で950人を解雇したが、退職者に現在も給与と手当を払っている。UAW労働者の時間給は他の米国製造業の3割増しだが、日系自動車メーカーと同レベル。だが複利厚生費では、医療保険は会社負担、医療サービスの労働者の自己負担率は7%(米国平均は32%)である。これを現役労働者17万人と退職者23万人に負う。この結果現役労働者一人あたりの労働コストは、工場が新しく退職者が少ない日系メーカーに比べて2倍、1時間あたりにして72ドルである。(以上週刊東洋経済1.14より)
 
 パラサイト(寄生虫)が宿主を食い尽くさないように共存共栄を計らねばならないと同様、組合は企業の業績に責任があり、業績以上の支出をさせることは企業の破綻を招く。GMが存続するためにUAWは何ができるのかというところがおおいに関心事である。
2006年2月10日(金)  ムハンマド(マホメッド)の風刺画
 “BEHEAD THOSE WHO INSULT ISLAM”(=イスラムを侮辱するものたちの首を切れ)というプラカードを掲げたイスラム過激派が、風刺画を掲載した新聞が刊行されたデンマークやノルウェーの中東の大使館を襲撃した。現在は中東各国からヨーロッパ各地やアジアの一部にも暴動が広まっている。
 実は、会社の英会話教室でデーリー読売の記事を見るまでは、暴動のことを知らなかった。日本国内の新聞は風刺画そのものを掲載したものは無いはずだ。こうなれば怖くて掲載できないし、掲載できなければ読者は興味半減だし、そもそも日本人には風刺画を掲載されたぐらいで暴動を起こすなどというイスラムの感覚はほとんど理解を超えるから、国内の新聞では小さな記事としてしか扱われなかったのだ。

 宗教はおおかたの日本人にとって、葬式や結婚式の時だけに祭司の様式として関わるにすぎない。あるホテルの結婚式では神父すら偽物である(私の知る英国人はアルバイトで神父をしている)。宗教はかなり以前から日本人の精神的な生活になんの影響力も無く、宗教法人はほとんどイベント業者と区別がつかない。また、池田大作のようなスキャンダルの多い宗教者というのは良く知られていても、尊敬され影響力ある宗教者というものは知らない。日本では宗教はそもそも風刺の対象になるほどの皆の関心事ではないのである。

 一方、自分に信仰心があってもなくても、宗教を貶(おとし)めたり笑いものにするようなことが失礼なことであるという感覚は誰にもある。自分の祖父母などが敬虔な思いで接してきたものを大切にしたいと思う。祭司の場でこれからも神妙な気持ちを持ち続けるためかもしれぬ。いずれにせよ、おおかたの日本人は宗教に対し一定の敬虔さを持つから、他人の宗教に対する敬虔さを理解している。宗教が社会的にも政治的にも無力であり、他の宗教が自分の生活に何ら影響を与えることがないから、嫌う必要も排除する必要もなく他人の敬虔な気持ちを尊重することができる。してみると、宗教の社会的、政治的な影響力をできるだけ減らすことがわずかでも互いの宗教の尊重につながることは間違いなかろう。しかしたとえばイスラム教は、わたしの浅薄な知識では、ストイック(禁欲的)で男尊女卑の教義が、政治的には民主化、社会的には情報化という世界の大きな流れになじめるとはとうてい思えない。イスラムは進化を余儀なくされていると言える。

 さて、今回の事件である。ムハンマドを風刺画に掲載するのは非礼ではあるが、表現の自由に属し違法ではなく罰することはできない。だが偶像を廃すイスラムのムハンマドが風刺画にされたことにイスラム教徒はむろん厳重に抗議してよく、掲載した方は非礼を丁重に詫びればよいのである。暴徒は違法行為を厳重に処罰されるべきで、処罰しない国家は人権を尊重していない国と知れる。

風刺画を掲載するウェブサイト      
民族、宗教、言語の違いと紛争について書かれた本→  「民族世界地図」 浅井信雄 新潮文庫

END