上海のなべさん(2日目)


 3月28日(金)、今日は蘇州への日帰りツアーの日である。今回の上海旅行のパッケージは基本的には、朝 食だけ付いていて、昼間は全くのフリーであるのだが、さすがに隣町とはいえ1 00キロ近く離れた蘇州へは勝手には行けず、オプショナルツアーとした。

 昨日の夜、風呂に入ったときに気が付いたのだが、ちょっとだけ悲しい出来 事があった。それは風呂から上がって、歯でも磨こうかなと思って、洗面道具を 取り出したときのことであった。なんかベタベタしているのだ、歯ブラシが、そ の他、洗面具入れの中が...そう歯磨き粉がはみ出ていたのだ。でも、キャップはしっかり締まっていたのにである。どこかで押された のか、お尻の部分からはみ出していたのである..とっても悲しかった。朝、6 :30にモーニングコールが鳴って、起きた。いつものように、しばしボーとし てから、顔を洗った。

 外を見ると、そこは雨だった....普段の行いが悪かったかなと思いなが ら眼下(ここは12階、なんとこのホテル12階は日本人専用のフロアーであっ た。ちょっと以上に悲しかったのは、なべさんばかりかな)の町並み?を見て見 るとそこには、今の上海(混沌とした)があった。巨大な一流ホテルのすぐ隣に 、炊事場も共同トイレも共同の町並みがあり、そこにはもちろん生活している人たちの姿があった。たぶん 、何年かするとこの景色も変わるだろうなと思いながら見つめていた。

 とりあえず、朝食、ホテルでの朝食はお約束通りバイキングである。昨夜、 ラーメンと餃子をたらふく食べたので、さすがにお腹は空いていなかった。お粥 があったので、これとフルーツぐらいにしようと思っていたのだが、根っからの貧乏性のせいで、ついつい美味しそうだった焼きそばとチャーハンも少し食べてしま った。食べ終わってから、ついぼそっと「食べ過ぎた...」と言ってしまった、当然である。でも、みんなもよく食べていたと思う。食 べ終わって、時計を見ると7時40分であった。8時半に「ゆうさん」が迎えに くるはずである。そそくさとみんな部屋に戻って準備を始めた。

 部屋に戻り、歯を磨き、髭を剃ろうとした時であった。どこを見ても探して も、ひげ剃りがなかった、そう日本に忘れてきたのだ。それでも、日本のホテルなら、ひげ剃りくらい 置いてあるのだが、一流とはいえやっぱりここは中国だった、なかったのだ、ド ライヤーとかシャンプーとかはあったのだが....そのときは、後でコンビニ で買おうと決心(それほどのことでもないが)をして今日は無精ひげで行くこと にした。ちょっと早めに行って、ホテルの売店を見るつもりだったのだが、うだ うだしているうちに8時20分になってしまい、あわててロビーに行くと、ゆう さんがいた。「団長さん、おはようございます」と声をかけられ、妙な気分だった(そんなに偉くないのに、単なる雑用係な のにと思いながら)。8時半になり、みんな集まったので出発となった。車は昨 日のマイクロバスである。

 ホテルを出て、すぐに高速道路にのった。高速道路から見る上海の街並みは 、古い物が取り壊され新しい巨大なビル(高層住宅、ホテル、ビジネスビル等) がどんどん建てられていた。現在の上海の人口は約1300万人だとゆうさんは言っていた。でも毎日、多くの人が上海を目指して来ていると のこと、高層集合住宅もどんどん建てられており、人口もこれからもっともっと 増えるであろうとのことである。確かにそう思える。現在の問題点は電力不足で あり、水であるらしい、もっともである。上海は自動車も多いし、人も自転車も 多い。人は自動車の隙間をぬって横断する(もちろん信号はあるが、信号を信用 してはいけない、油断すると右折左折の車がすぐそこにいる)ので、路上はクラ クションの嵐である。これにも、みんな驚いていた、ただ帰る頃になると結構な れてきていたのだが(なべさんは、やっぱりここは日本ではないからと思ってい たけど)。そう言えば、昨日ホテルへ向かうマイクロバスへ乗るために空港の駐 車場への道路を横切ったのだが、とまどっていたメンバーもいて、ゆうさんは道 路をわたるには勇気が必要と言っていた。話は戻って、高速度路からいったん下におり、郊外へと 向かった。降りたときに、やっぱり事故があった。結構、中国の人の運転は乱暴 である(日本人のマナーが良すぎるのか)、事故がありそうだなと思っていたら やっぱりである。。大した事故ではなかったが、バンパーは外れていた。またク ラクションの嵐である。その後、再び高速道路に乗り一路蘇州へと向かった。

 高速道路から見た景色は、上海郊外へ出ると水田というか畑がはてしなく続 いた。ポツポツと家々があった。作りかけの家や、廃屋化している家もあったが 、それらすべてに共通している点はレンガ作りであることだ。そして、たまに生活している人々を見かける。そのとき、誰と もなく「ここに住む人たちは、どうやって買い出しに行くのだろう、自動車の姿 は全く見かけないのに」と言う声があった。様々な考えを巡らしながら、マイク ロバスは進んでいった。そして、ホテル出発から約2時間後(雨なので普段より 時間がかかった)、蘇州に着いた。

 蘇州に着くと現地のガイドさん(男の人のせいか名前は忘れた)が乗り込ん できた。蘇州は水の都(東洋のベニス)と言われるぐらい水路(運河)の多い町である。曇っていた せいもあるが、バスから見る運河の風景は思っていたほど綺麗ではなかったとい うのが本音である。これも、もっと暖かい時期に来て船で町を巡ると、また違っ た印象を受けるのではないかと思った。蘇州にも見所はたくさんあり、本来は3 日間くらいかけなければ観きれないらしい。今回は1日しかないので、3カ所に 絞って見学することとした。最初は、虎丘(こきゅう、フーチウ)である。 

 虎丘は、ガイドブックによると「蘇州を都とした呉王の父、闔閭(こうりょ)を埋葬した場所、埋葬3日後に白い猛虎が現われ墓を守ったとの 伝説からこの名がついた」とのことである。奥にそびえる塔は雲巌寺塔で右に傾いている。ガイドさんの話では約6度と言っており、ガイドブックに は約15度と書いてあった、どっちが本当だろうか?中国のピサの斜塔とも呼ば れているらしい。

 雲巌寺塔を近くで見たときに、ひとつ気が付いたことがあった。地面が塔と は、逆方向に傾いていることだ。これによって視覚的効果が上がり、よりいっそう右に傾いているかの 様に見えるのだ(やるな、中華人民共和国と思ってしまった)。
 我が学年団である。一番上から倉さん、真ん中の段は左から令子さん、純子 さん、マッキーで、下の段は左からたーちゃん、なべさん、栗ちゃん、かとちゃ んである。もちろん、ここに学年代表であった勝さんはいない。

 この日、ちょうどイベント(花の展示会?)があったようで、ゆうさんも「 こんなに綺麗な虎丘は初めてだ」と言っていた。もちろん、普段よりお客さんの 数も多かったらしい。確かに、綺麗で花が多かった。

 実は、この虎丘に到着し、見学する前にひとつ事件があった。バスに乗って 2時間たち、トイレに行った時のことである。まず、有料(1人2角(10角で 1元、1元は約150円))は、予期していたとおり。中に入って、用を足そう とした時である、何かおかしいのである。周りを見渡すと、みんな気にせず用を足している。何か変だなと思 いながら用を済ませ、トイレから出るときにあることに気が付いた。そこには、 日本でも古い公衆トイレで見かけるような(もう最近見ないけど)、仕切のない 小便をする場所があったのだ。その瞬間、あることが確信に変わった。そうこうしているうちに、女性2人がトイレから大騒ぎを しながら出てきた。「まいった〜、トイレに仕切だけでドアがないんだもの。話には聞いていたけど本当なのね」と言っていた。さらに「いい経 験をしたけど、これから水分は控えないとね」と言っていた。かなり強烈だった らしく、日本に帰るまで言っていた。そう、なべさんの確信とは、みんなが用を 足していたところは、大をするところであったのだ。その事を話しても、今ひと つ栗ちゃんは、ふに落ちないようであった。なべさんは以前中国に来たときに、 もっと強烈なトイレ(そこは有料ではなかった)に入ったことがあったので、気 が付いてもさほど気にならなかったが。

 虎丘を見学終わって時間を見ると、もう12時近くなっていた。ガイドさん がお昼にするか、次に行くかと聞いてきたのでお昼にした(結構、みんな疲れて きた)。さすがに、お昼はツアー料金に含まれており、再びマイクロバスで、シ ルク博物館なるところに連れて行かれ、すぐ隣の食堂(レストラン)に入った( といっても奥の部屋に通されたのだが)。メニューは当然決まっており蘇州料理であった(今回の旅行、初めての本格的中華料理であった)。蘇州料理は、野 菜が中心で味も脂っこさを感じず、どちらかというとさっぱりめで、日本人の口には比較的合うのではないかと思った。見るからに高級料理で はないが、みんなからも好評で、一番気にしていた、たーちゃんの味覚にもあっ たようで良かった。それから、テーブルにのりきれないほどの料理が出て、お皿 とお皿の間の上に重ねていたことを令子さん(家庭科の先生)はすごいすごいと 感動していた。食後、警戒しながら(?)トイレに行ったり、しばしシルク博物 館を見学したりして、次の寒山寺(かんざんじ、ハンシャンスー)へ向かった。

 栗ちゃん(国語の先生)が是非とも行きたいと言っていた寒山寺。なべさん の得意分野ではないが、ガイドブックによると唐の詩人張継の「楓橋夜泊」に詠まれた寺ということらしい。漢文の世界では結構有名らしい。

 寒山寺の入り口にある「寒山寺」という字、なんでも昔の有名な人が書いた 物で、観光客(もちろん中国の人ばかり)が切れ目なしに記念写真を撮っていた (ほんのわずかな間隙を縫って人のいない写真を撮ることができた)。

 大晦日に、ここの鐘をつくと10歳若返ると言い伝えがあるらしい。12月 31日には多くの日本人観光客でうまるらしい。もちろん、中国の人は旧正月のほうを大事にしているので、そのときに多くの人が集まると、ガイドさんは 言っていた。大晦日ではないけど、やっぱりここまで来たら、鐘をつかねばとみ んな一回づつ記念に鐘をついてきた。

 そうそう、天気だが雨が降ったり止んだりの繰り返し、この頃はもうあまり 降っていなかったかな?でも、寒かった、純子さんは寒さでちょっと体調を崩し かけていたが....どこかのおみやげ屋さん(当然、ツアーにするといろいろ と連れて行かれる)で、しばらくヒーターの前にいて、温かいお茶を飲んだら復 活していた(良かった、良かった)。

 再び、マイクロバスに乗り、最後の見学地拙政園(せっせいえん、チュオチ ョンユアン)に行くのかと思いきや、刺繍工場(蘇州の名産品)に連れて行かれ た。仕事場には女性の作業員の方が細かい仕事をしていた。なんでも、刺繍の仕 事について初めの数年間は練習期間みたいなもので、さらに40才を越えるとや はり、目とかが厳しくなって細かい仕事がきつくなるようである。従って、熟練 工でいられるのは15年間ぐらいだそうである(大変な仕事だなと思った)。完 成した作品は、すごいの一言につきる(値段もすごい)。欲しいとか欲しくないとか以前に、家に飾 るところがないし、猫に小判、豚に真珠状態になってしまうのでゆっくりと鑑賞して楽しむことにした。もちろん、金額的には手の届く範囲の物もあったが、あのすごい のを見た後では....ということで一休み後、拙政園に向かった。

 拙政園は蘇州4大名園のひとつで東園・中園・西園の3つからできており、 水をテーマにしているだけあって、庭園全体の5分の3が池である。見る角度に よって、こんなにも違った庭になるのかと思うほど見事である(計算されている のか?)。ガイドさんがいろいろと説明してくれたのだが、あまりの見事さと美 しさにすべて忘れてしまった(ちょっぴり残念)。また、違った季節(天気のい い時期)に、もう一度来てみたいと思った。もっと時間をかけてみたかった。

 なべさんと純子さんのツーショット、ここに載せようかどうしようか迷った けど、2人とも異動だし(理由になっていない)、まあいいかということで載せ てしまいました。前の学年から倉さん、純子さん、なべさん、の3人はずっと8 年間一緒でした(分掌も)。倉さんとツーショットを撮ってもつまらないので、仲良しの純子さんと撮りました(今年1年間お隣同士の席でした)。

 見学も滞りなく終わり、帰りのバスへ、そして蘇州を離れる前にガイドさん も降り(突然止まって道路の真ん中で降りていった、しばしみんな唖然)、上海 へと向かった。さすがに疲れたのかバスの中では、ヒーターを入れてもらって、みんな熟睡...そして、6時過ぎホテルに着いた。ゆうさんとしばしの別れ(たいした ことではない、単に翌日は一日フリーなのでゆうさんはこないだけ)。今日はみ んな疲れていたので、夕食はホテルでとることにした。一休み後、みんなでホテ ルの中華レストランへと向かった。

 レストランは最上階26階にあった。案内され、席に着くとそこには一本の ワインのボトルがのっていた。一応名前だけでも団長(本当は単なる雑用係り) なので、メニューをもらい見た。当然、ここでも中国語、面倒なのでコースにし た(とっても安易)。コースといっても思ったほど高くはなかった(日本人の感 覚としてはだが)一人3000円程度である。飲み物はビール、紹興酒、ワイン とそれぞれ好きな物を頼んだ。ここで一悶着、ワインを注文するときであったが 、店員さんはしきりに輸入物を勧めている(特にテーブルの上にのっていたワイ ンを)のだが、こちらとしてはせっかく中国に来たのだから中国産のワインが飲 みたかった。結局、中国産のワインの中のお勧め品(取りあえず一番高いワイン )にした。でも、テーブルの上にのっていたワインの価格の数分の1であったが ...その後、そのワインを持ってきてくれて、試飲をする事になった、何を隠 そう初めての経験だったのだ。いつもは他の人がやっていたので自分でするのは 初めてであった。ついこの間、ソムリエの番組をテレビで見ていて良かった。な べさん・令子さん・純子さんがワイン、かとちゃん・栗ちゃん・マッキーがビー ル、倉さんが紹興酒、たーちゃんがお茶であった。なべさんはひとりでボトル半 分は開けてしまって結構酔ってしまった(あまりお酒は強くないので)、と思い きや倉さんはほとんど一人で紹興酒を空けていた。料理はもちろん、おいしかったと思う(酔っていたの で)。今日は、みんなで夜、散歩をしてラーメンを食べようということになった (結果的にはたーちゃんは行かなかったけど)。今、食べたばかりだし出発は1 0時ということで話はまとまり、一時自由時間となった。

 時間は、まだ2時間近くあった。ホテルの売店を見ていても30分もたつと 飽きてしまって、さあどうしよう!?ちょっとだけ散歩に行くことにした。ホテ ルを出て、右か左か考えて後でみんなと行かない方にしようと右に行くことにし た。さすがに知らない国を、夜ひとりで歩くので路地には入るのはやめて、大通 り沿いだけにすることにした(昼間ならひとりでどこにでも行くのだけど、短い 時間だし当然かな!)。大通りをわたると、踏切があった。日本ではあまり見ら れないが、道路と線路が斜めに交差していた(日本ではほぼ直角が多いと思う) 。さらに、遮断機がなく、線路の両脇にレールがあり、うまく表現できないけど 遮断する物が出てくる感じであった。たぶん遮断機のような構造では距離があり 過ぎるのと、簡単に壊されてしまうのではないかと思った(日本でもよく壊され ているが)。勉強になった!さらにしばらく行くと果物屋さんがあって、パイナ ップルをトラックから降ろしている最中であった。さらに、先を見ると真っ暗で 、お店もなさそうなのでいったん戻ることにした。まだ、時間があったのでもう 少し散歩を続けることにした。まず、明日のる予定の地下鉄の駅を見学に行った 、新しいだけあって結構綺麗であった。違う入り口から出ると、道路の反対側で あった。ここは中国流に道路を横切ることにした。この道路を横切るにはちょっ としたこつがある事に気が付いた(中国の人の横断の仕方を見て研究した)。ま ず、周りをよく見ることはもちろんだけど、渡る際には斜めにわたることと走ら ないで歩いてわたることであった。とくに歩くということは、どんな広い通りで もみんな歩いていて、そのスピードにあわせて自動車やバイク、自転車の人が考 えているらしいとのことである(へたに走るとタイミング狂うらしく、よけい危 なくなる、この事は翌日、令子さんが身をもって経験していた、つまり危ない場 面が結構あったのだ)。昨日のラーメン屋さんよりもうしばらく行ってから時間 になりホテルに戻った。一休みをして、みんなと再び出かけた。

 7人で、出かけた。コンビニ、ラーメン屋を通り越してさらに歩いていった 。しばらく行くと、路地の先の方に日本語の看板(何だったか忘れてしまったが 飲み屋のようであったと思う)が見えたのでそっちの方へ行った。結局そこには 入らずに見ただけであった。戻ろうと、戻りがてら屋台が何台か出ていたので見 てみると果物屋さんであった。バナナや洋なし、そして西瓜などいろいろあった 。やっぱり中国は広いなあと感じた(南の方で採れた果物であろうから)。結局 昨日のラーメン屋に入り、それぞれ注文した。なべさんは昨日倉さんとかとちゃ んが食べていた辛そうなラーメンをマッキーは昨日食べ損ねた字の長いラーメンをかとちゃんも今日は大丈夫。あと、みんな適当に食べていた(そこまで覚え ていない)。なんと、ここの支払いはかとちゃん(一応最年長、勝さんを除いて )のおごりということになった、かとちゃんありがとう。ラーメン屋を出てコンビニへ、昨日とまったく同じ行動パターンである。な べさんは昨日も見ていたので、さっさとアイスとジュースを買って出てきてしま った。これがいけなかった。外でアイスを食べていると、どこからともなくお兄 さんが出てきて「いい娘いるよ」と声をかけてきた。まさか、ついて行くわけにも行かず、しつこくここでは 書けないようなことを言ってきた。そうこうしているうちに栗ちゃんが出てきた ので、みんなに悪いと思いながら先にホテルに戻ることにした。後で、その後に 出てきたかとちゃんも声をかけられたらしい。

 部屋に戻って、しばらくするとマッキーも戻ってきたので、先に風呂にはい ることにした。出てくると、マッキーは椅子に座ったまま寝そうになっており、 また倉さんがマッキーのベットに寝そべり、お酒を飲みながらガイドブックを見 ていた。しばらくその体制が続き、その後倉さんがマッキーに気が付き「マッキ ー、悪い悪い」と言いながらお開きとなった。今日はここまで...


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