おまけ 本社作業員の独り言

                                   2015年6月

おまけの欄が出来ました

何を書いてもかまわないとのお達しがあったが、何でも書けるわけではないね。
随筆というと、思い出すのが、”徒然草”、冒頭が好きだ。
  ”つれづれに・・・・”
吉田兼好も良いが、鴨長明もいい。”行く川の流れは絶えずして・・・”

最近、仏教に関する本を読んで、自分の無知を知った本がある。
   NHKテレビテキスト 2015年4月  ブッダ 最後の言葉
である。これを読んで、次のことがわかった。
①天台宗、真言宗、曹洞宗など、日本の各寺院で宗派が異なるが、全部が全部、ブッダの教えとは無関係の教えだということ。
②これら大乗仏教は、”絶対的な救いの釈迦・阿弥陀がいる”、ことを前提にしている。ブッダの教えではこの前提がない。
③小乗仏教と呼ばれるが、この表現は大乗仏教側が、ブッダの教えの側を呼んだ蔑称であること。
④ブッダの教えには、肉食・女色を否定していない。さらに、自分の体を痛めるような修行は無意味としている。
⑤ブッダが最終目標としたのは、輪廻からの逃れ、である。輪廻とは、人間として死んだら、動物や虫の形で生まれ、花の形で生まれ、地獄へ行き、永遠に”生”と”死”を繰り返す果てることのないコンベアに乗っていることを指す。この輪廻から逃れた場合にのみ、”涅槃”として、永遠の苦しみから逃れられるとしている。
⑥この涅槃を得るためには、自分自身で自分の心を洗え、とする。絶対神にすがって得られるものでもないし、滝に打たれて斎戒沐浴しても得られない。自分自身を拠り所とせよ、としている。

一言で言えば、”唖然”、そして、”目からウロコ”、である。
法然、最澄、空海、親鸞、名だたる僧侶が教えた”仏教”は、ブッダの教えとは無関係。それは、法然の教えであり、空海の教え、等々にすぎない。聖徳太子は、何を広めたかったのだろう。
私には、ブッダの教えのほうが、心に迫る。
他力本願で救ってもらう発想は、簡便で良いが、”悪人だろうが最後に真言を唱えれば、救われる”、この考え方は、”長年の修行・努力とは何だろう”、の気持ちにさせる。長年、修行しているお坊さんたちは、矛盾を感じていないのだろうか?


是非に一読あれ。

何を書いても良いとのことなので、気ままに。
ご意見・反論は、弊社メールアドレスで、黒川まで。(戯言にむきにならないでください)

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