おまけ 本社作業員の独り言


                                   2018年5月

漫画は読書か?

  世界中に漫画は広がっており、各言語に翻訳されて拡散しています。”MANGA"は英語となりました。年寄りは、漫画を読む機会もないためか、頭から否定しますが、本当に読書ではないのでしょうか?
  読書とは、一体何なのでしょう。何のために読書するのでしょう。ドストエフスキーの”罪と罰”を読むことが読書で、”クレヨンしんちゃん”の漫画を見ることはなぜ違うのでしょうか。外国文学は、訳が下手だったため、言っている意味がわからない上に、主人公の長たらしい名前が常に表記され、更に訳の判らない状態に読者をさせます。ロシア文学の訳本は特にひどかった。こんなわけの判らない本を読み続けて、何が得られるのでしょう。”内容などさっぱり判らないが、とにかく最後まで読んだ”満足感だけが残ります。これが読書でしょうか。読書する価値は、書かれている内容を疑似体験して、主人公の気持ちを模索し、感情を考察し、判断力を高めるためではないでしょうか。だとすれば、”クレヨンしんちゃん”の漫画でも、疑似体験でき、気持ちを模索し、感情を考察し、判断力を高めることは出来ます。絵がついているので、より具体的に理解できます。
  ”漫画は文字が少なく、語彙力が育たない”、と語る自称教育家がいますが、義務教育年限の若い世代に、文字しかない厚い文学全集の一冊を与えて、集中して読み続けてくれるでしょうか。本を見た途端、席を離れる人が続出するのではないでしょうか。
  今の漫画を読めば、(中には誤字脱字の多い漫画家・編集者も多いですが)、語彙力云々は言われなくてすむのではないでしょうか。低学年には低学年向けの漫画があり、高学年にはそれなりの漫画がある。なによりを、苦にせず読み続ける。一定の集中力を一定の時間保ち続ける。”罪と罰”ではありえないことです。
  ただ、漫画は受身であり、自主的に何かを考えることは、ありません。漫画の最大の欠点です。教育図書を取り込んだ漫画もありますが、さすがに、理系の数学や物理・化学などの勉強には向きません。なぜなら、これらは、一定の時間、目を閉じて頭の中でのみ議論を展開させる必要があります。この思考する力の創出のためには、漫画は悪影響を与えます。この悪影響は、”漫画を読み続けることは楽で、思考することは苦痛だ”、と感じさせた時点で発生します。これは明らかに、親や、指導者、学校の先生、の態度や教え方に強く依存します。これらの方々は、自分に責任を転嫁されることが怖いため、方指導方法を有しないため、”漫画は悪だ”、と切り捨てようとします。

  私は漫画が大好きです。よく読みます。くだらない漫画も多いですが。でも試行錯誤を繰り返し、数学的に物理的に考察し研究することは大好きです。
親や学校の先生には感謝しています。


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