おまけ 本社作業員の独り言


                                   2018年3月

春の名残を如何に問やせん

  忠臣蔵と言うと12月14日の討ち入りの日を思い出す人が多いと思います。しかし、その原因を作った、江戸城松の廊下での刃傷事件から切腹までの事件があったのは、3月です。(日にちは忘れた)。その際に事件を起こした播州赤穂の大名、浅野氏が切腹する際の、最後の歌の下の句が、タイトルです。ここで、気になるのは”名残”です。素直に考えると、相手を殺せなかった残念な思い、となるのでしょう。
  しかし、こんな考え方は出来ないでしょうか。浅野氏が通常の意識の持ち主ならば、江戸城で刀を抜くことは極めて大きなルール違反、このルールを破れば、お家断絶・主従関係消滅・家来霧散・関係者死刑は当然と理解していたでしょう。そんな状況を作り出すことを明確に知りながら、一時の感情で、行動に移すでしょうか。よほど気が違っていない限り、やめるでしょう。時間がたって、冷静になって、(切腹を言い渡されたのだから、冷静になっていなかった?)思い起こすと、通常は”なんて馬鹿なことをしてしまったのだ”、と思うはずです。(オウム真理教事件で、死刑囚となった幾人かは、この気持ちになったと報道されています)。その時、”打ちもらしたのが悔しい”、と歌に残すでしょうか。浅野氏は、短歌の名人クラスとの評価もあるから、感情が収まっていないならば、もっと強烈な言葉を使って表現できていたはずです。そして自説です。浅野氏は、一旦は激情に駆られて馬鹿なことをしたが、その結果として切腹することになったその時、自分の行った行動が如何に愚かなことかを理解したのではないでしょうか。時間を戻すことは出来ないのだから、責任を取るのは当然、だが、”なんて馬鹿なことをしたのだろう”、の気持ちは強くあったのではないか。”あんなことしなければ良かった”、後悔の念が湧き出てきたのではないでしょうか。そこで。”春の名残”=”自分の行った馬鹿な行動”、と考察するのはどうでしょうか。すると、”如何に問やせん”=”どの様に理解・説明すればよいのだろう”、と考えることが出来ます。

短歌全文   風さそう 花よりもなお 我はまた 春の名残を 如何に問やせん

こんな考察いかがでしょうか。


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