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第二回レッスンは、夕方からアンダンテで坪川真理子さんのコンサートがあるため、鎌田先生に無理を言って
11時半からレッスンをしていただきました。1時からのレッスンの方が急にこれなくなったお陰で2時間以上じっくりレッスンとお話しが出来、今回も極めて有意義な時間を過ごすことが出来ました。

今回もまたバッハの作品を選曲しました。
同じ作曲者の作品を続けて練習するのは大変勉強になります。

プレリュード・フーガ・アレグロ〜J.S.バッハ作曲 (使用楽譜〜阿部保夫編 バッハ名曲選集)

まず一回通して弾いた後、鎌田先生から以下のアドバイスを頂きました。

プレリュード
出だしの低音〜オスティナートベースを(アポヤンドで)明瞭な音ではっきり鳴らす。
フレーズの終了の位置に注意。2小節目の一拍目のベース音Dまで。同じ音形の時は、フレーズの切れ目を統一する。(30小節の2拍目からが次のフレーズの始まりで、ここだけ1拍目から次のフレーズと勘違いして弾いていた)
前回同様椅音〜アポジャトゥーラの処理とカデンツア〜和音の解決X→T時の処理のデクレッシェンド(極端にならない)に気をつける。プレリュードだけでも沢山有る。
自分の演奏は、アポジャトゥーラの処理が、逆になっていた(クレッシェンドしていた)個所が何箇所があった。
旋律が徐々に高音に上っていく音形でに山のピーク時がフォルテとは限らない。(アポジャトゥーラの処理の為)
椅音は、いわば料理の胡椒のようなもの、かけ過ぎない。自然な処理が音楽に品を与え、音楽が流れるようになる。
39小節の一拍目に低音GEを加える。(原譜に存在)
低音の処理〜臨時記号(ナチュラル等)や調性の変化する際の低音は、しっかり意識し弾く。
エンディングの和音の解決時のファの音量が強くなりすぎないよう注意する。
組曲におけるプレリュードの意味について説明してもらう。フランス組曲はもともとアルマンド、クーランテ、サラバンド、ジーグの4曲からなっている。プレリュードの起源は組曲の前の指慣らしのようなものだったらしい。

フーガ
グスタフレオンハルトのチェンバロによる演奏を引き合いにバッハの原譜と異なる個所を正しい和音で演奏する方法を教えていただく。(18小節目の最後の8分音符のミの♯をナチュラルに演奏する)
これまた前編アプジャトゥーラの連続で特に、低音を強調した方が良い個所として2箇所を取り上げ練習した。
(39小節から40小節目、47小節から48小節目、どちらもフレーズの終わりはアポジャトゥーラを忘れない)
その際バス音を鎌田先生に弾いてもらいながら自分が弾いた時の浮揚感が忘れられない。二重奏とも合奏とも違う音楽が自然に流れていた瞬間を体験出来た。独りであんな演奏が出来たら良いのだが。
上声部は、淡々と低音をアポジャトゥーラを意識して演奏する。バルエコみたいに(なったつもりで)演奏出来れば理想的。
71小節の3拍目と4拍目、72小節の1拍目と2拍目、同じく72小節の3拍目と4拍目、73小節の1拍目と2拍目)の和音の切り替えをスパッと切り替え演奏する。
フーガの最終和音を弾かずに一気にアレグロに入る演奏を(ジョンウイリアムスがやってたみたいに)行ったが鎌田先生曰くここはきちんと譜面通り終了し、アレグロに入った方が良いとのアドバイスを頂く。今までフーガで左手がフラフラになった状態で、そのままアレグロに突入していたが、確かにここで休んだ方が技術面でも余裕が生まれよい結果を生みそうだ。ジョンの演奏の呪縛にとらわれすぎていたようだ。

アレグロ
この曲では演奏方法について二つアイディアを頂く。すなわち前半終了時のトリル〜出来れば3回と後半90小節目の2拍目のソに装飾音ミファを付ける。
後半の繰り返しの際、自分の趣味でレCドDレCシDという音を追加し演奏したが鎌田さんからは良いアイディアと言われた。全体の練習に言えることだが蒲田さんのレッスンでは殆どネガティブな発言というものを聞くことが無い。バッハの作品のように原曲が元々ギターの為に書かれた作品ではないせいもあるかとは思うが、演奏方法の自由度が極めて広く今まで独りで色々悩んでいたのが馬鹿みたいに感じた程。

今回は曲はこれだけ、後は雑談。
鎌田先生の使用楽器とフランス留学時代の思い出についてお話を伺った。
使用楽器の内、ブーシェは、それまで弾いておられたフレタとフレドリッシュにさらにお金を+αして手に入れられたというルイゼワルカーが使用していた楽器。また良く演奏会で使用されている星野さんの楽器は、高音の響きが特に素晴らしいとの事。低音が弱いという指摘も一部で聞かれるが、高音が良すぎるから相対的に低音が物足りなく聞こえるのではないかとのことであった。
私も大学時代、自分の河野30号を買ったばかりの時、先輩が持っていた星野の15号の方が良い楽器に思えて仕方が無かった事を思い出した。
鎌田先生がフランスに留学されたのは、27から30歳まで、ロベルトアウセル氏にレッスンを受けることが最大の目的であった由。ギターの勉強の為、海外留学する等、私にとっては夢のまた夢、大変羨ましい話だが、鎌田先生にとっては必ずしも楽しい思い出ばかりではなかったようだ。渡仏した最初の一年間はギターのレッスンどころでは無く大変な苦労もされたようで、給料貰って海外駐在するサラリーマンの方が羨ましいと言われてしまった。確かにお金の不自由なく海外生活が出来るというのは有る意味で贅沢なことなのかもしれない。
19世紀ギターについてまたまた雑談。西垣さんの話題から高価な楽器の購入について色々話をした。
今度の弦楽器フェアで鎌田先生が演奏されることになっているが、弦楽器フェアでの演奏について、段段年を取ると弦高が高い楽器で演奏するのはシンドくなってきたと少々弱気の発言。確かに普段使っていない自分の楽器以外の、しかもそれが弦高が高いギターとなるといくらプロといえども演奏に集中出来ないだろうと思う。主催者の工夫・改善を期待したいところ。