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金谷幸三
ギターコンサート


共演者:東郷亜由美(ソプラノ)
杉山佳代子(フルート)
山中由美子(ギター)
渡辺悠也(ギター)


北野工房のまちより

ロッコーマン
 
2004.6.6(日曜日)14:00 開演  





プログラム
  

ピパ
   
西村 朗

ヘルダーリンによる3つの断章、テントス
1.テントT
2.優しき青に・・・
3.望むべくは彗星のように
4.テントU
5.鏡に映し出されしとき

ハンス・ウェルナー・ヘンツェ

地殻変動

トリスタンミュライユ

休憩

コードウェルのための挨拶

ヘルムート・ラッフェンマン

海へ
1.夜
2.白鯨
3.鱈岬

武満 徹




震災以来初めて訪れた神戸・・・以前来た時は仕事だったのでまだ神戸の街を観光したことはない。今回初めてロッコーマンに行った・・あの窓にリアルな人形の置いてあるお洒落なロッコーマンのビルをどうしても見たかった。少し早めについて中華料理店で昼食・・・といってもたいしたものではない・・ただの海鮮ラーメンでも店内に飛び交っているのは中国語だけ・・しばし異国情緒を味わった。
ロッコーマンは予想以上にJRの駅から近かった・・なのに随分遠回りして・・北野の方まで歩いてしまった。でもお陰で少し観光気分が味わえた。とにかく綺麗な街である。山に向かって歩いていくとお洒落な家が転々と・・ここがあの大震災で壊滅的な打撃を受けた街だとは想像も出来ない。ロッコーマンの近くは細い道が多く、路地裏といった方が似合っている。でもあちらこちらにお洒落なお店が点在していて、コーヒーでもと喫茶店を探したが中年のオジサンが一人で入れるような店はどこにもなかった・・(ーー;) 結局JR駅前のファーストフード店でアイスコーヒーと白玉ぜんざいをテイク。
ロッコーマンについたのは開演1時間前。リハーサル中で、ショップはお休みだったが現代ギターと楽譜を何点か購入することが出来た。そのうちの一つが今録音しているクレジャンスの荒城の月OP114。
ロッコーマンに入ろうとしたらどこかで見たような女の子が・・ありゃ、さっきー嬢がなんでこんなところに・・はるばる横浜から神戸まで手弁当でしかも裏方とは、恐るべし金谷ファン、PampleStaffsの結束力!
今日の演奏は、コメントするのが難しい。良かったといっても何が良かったんだと言われて上手く説明出来ないのだ。知っている曲は最後の武満作品だけ。でも今回自分には現代音楽が思っているより体にあっているんだということを再認識した。曲を知らないことが良かったのかもしれない。何も考えず、ただ発せられる音を受け入れる心地良さ、ギターや人間の声、フルート、どれもが自然に体の中に入っていった。
オープニングのピパは作曲者には申し訳ないがこの日のプログラムで唯一面白いとは思わなかった作品。
ただそれ以降のプログラムは全て素晴らしかった。ヘンツェの作品は東郷嬢の落ち着いたソプラノに金谷さんのギターが絶妙に絡み合って背筋がぞくぞくするような興奮を覚えた。一音一音、細かいニュアンスまで十分研究されていたように感じたが金谷さんはああいうフレーズをどうやって弾いているのだろう。自分がもしあの曲を弾くとしたら多分楽譜を余り読まずに感性だけで弾いてしまうに違わない。以前GGサロンで聞いた時よりも金谷さんのギターははるかに良い音をしていた・・上手い言葉が見つからないが、長い年月を経て熟成されたウィスキーのようなまろやかさ、抑制の効いたソプラノと情熱を内に秘めたギターがグラスの中のウイスキーと氷のように溶け合っていく・・そんなイメージ。
続くミュライユは、演奏前に爪が飛ぶかもしれないという金谷さんの曲紹介で思わず目を閉じてしまった。激しいラスゲアードの連続を予想した割りに前半部分のアルペジオ風な和音のテンションの高い響きに魅了された。
10分間の休憩を挟んでいよいよ待ちに待ったラッヘンマンの「コードウェルのための挨拶」が始まる。ギターの表面版に定規のような紙を張り、山中嬢を伴って金谷氏が登場。二人ともギターを膝に寝かせピックで軽快なリズムを刻む。ドイツ人の作曲家というのがうなづける幾何学的な音作り。曲後半の二人の長い休符の一種異様な緊張感が印象的だった。
海へを聞いてほっとするコンサートというのは確かに珍しいのかもしれない。でも僕には、決して武満作品がこの日のプログラムの中で一番解り易い作品とは思えなかった。むしろオープニングの西村作品のピパの方が音楽自体が平易過ぎて、ある意味通俗的、解り易さがかえって音楽そのものをつまらなくしてしまっていたような気がする。

アンコールの無い、というよりアンコールの必要の無い演奏会というのは今時珍しいのかもしれない。演奏者の疲労感も大きかったと思うが、聴き手もこのプログラムの後に中途半端な作品を聴かせられるくらいならフィナーレの武満の余韻だけに浸っていたいと願うだろう。その意味でアンコール無しは正解。またこうした企画があれば是非聴いて見たい。何も考えなくて良いコンサートというのは僕にとってはとても新鮮な快感だった。出来ればまた一度も聴いたことの無い現代作品だけでコンサートをやってもらえればうれしいのだが・・