冬のカムチャッカ(その1)
  1999.12.23--12.30
 

 カムチャッカに行こうと決めたのは、10月23日にペトロパーブロフス
ク・カムチャツキーに住むロシア人の友人から手紙を受け取った時である。ど
うしてペトロパーブロフスク・カムチャツキーなんかに友人がいるのか。話は
ずっと昔に遡り、1990年、今から10年前、ペトロパーブロフスク・カムチャツ
キーから船で日本各地を回るツアーが名古屋にも立ち寄り、その時日ソ協会で
その観光船(船の名前もペトロパーブロフスク・カムチャツキー号といった)
を訪問した時、知り合ったスヴェトラーナ・プロコフィエヴァと夫のアンドレ
イ・プロコフィエフと文通を続け、2度程ペトロパーブロフスク・カムチャツ
キーへ行こうとしたが、実現せず、文通も3年前くらいから途絶えていた。そ
こへ3年ぶりにスヴェトラーナから手紙が来たというわけである。

 さて、カムチャッカへ行くことを決めたのは良いが、どうやっていくか。も
ちろん日本からの直行便は飛んでいない。ウラジオストクかハバロフスク経由
で行くしかない。飛行機も毎日飛んでいるわけではなく、週に3便しか飛んで
いない。しかも日本からの飛行機の便も考えると12月23日出発で30日に
帰ってくる、ウラジオストク経由の方法しかないことがわかった。
 
ロシアに行く時にいつも利用しているユーラシア東海に相談し、飛行機とホテ
ルを予約してもらう。カムチャッカについての本を1冊借りたが、これが多分
一番詳しい本だということだった。自宅でもインターネットを使ってカムチャ
ッカについて調べてみたが、あまり役に立ちそうなものはなかった。

 カムチャッカのスヴェトラーナと手紙でやり取りしていては、時間がかかり
過ぎるので(早くて2週間、運が悪いと1ヶ月以上もかかる)、夫のアンドレイ
の会社にFAXを送ってくれるようにとのことだったので出発までに双方から2回
ずつやり取りをした。おかげで雪が30cmくらい積もっていることや気温が
マイナス4〜9℃くらいであることがわかった。シベリアのまん中にあるイル
クーツクよりは暖かいようだ。

 さて、旅行の日程が決まると、次はおみやげの準備である。彼等には15歳
になるアーニャという女の子とサーシャという12歳の男の子の二人の子ども
がいる。アーニャにはピアス、ぬいぐるみ、サーシャにはエアーガンを、そし
てアンドレイには新潟空港の免税店でマルボロを1カートン、スヴェトラーナ
にはパンティストッキングを、そして他にも日本のカレンダーやお菓子、コー
ヒーなどを揃えた。スーツケースの重さは17キログラム。あとは出発まで体
調を整え、風邪をひかないように気をつけることだけだった。

12月23日(木)
 昼食後、12時半にタクシーを呼び、12時40分に出発。良い天気で今回
の旅行の順調さを保証するかのような青空と日ざしだった。名古屋空港まで3
0分足らずで到着。搭乗手続きを済ませ2Fへ。2階の売店で名古屋の絵葉書
を3組買う。一つはおみやげ用、残り二つはどこかで親切にしてもらった時の
お礼代わりに使おうと思って買う。ダウンのハーフコートは暖房の効いた空港
ロビーでは暑い。毛皮の帽子はリュックの中である。

 14時15分、全日空新潟行きは予定通り名古屋を離陸。予定より早く15
時には新潟に着いた。上から見ると新潟は辺り一面雪である。気温は3℃と言
っていたが、空港ビルにいる限りは全然寒さは感じない。新潟空港に着陸し
て、空港ターミナルビルまで飛行機が移動している間、窓からロシアの飛行機
が来ているかどうか覗いて探したが見当たらない。不吉な予感が胸をよぎっ
た。しかし、良く考えてみると予定では15時15分にウラジオストクからの
飛行機は到着の予定なのだ。まだ来ていなくても良いわけだ。以前新潟からイ
ルクーツクに行く時に24時間遅れというのが1回あったので心配だ。スーツ
ケースを受け取り、国際線の搭乗手続きの窓口に行くと一応手続きをやってい
たのでホッとした。最初に税関のレントゲン装置にスーツケースを通し、封印
された。サーシャのために買ったエアーガンが写ってスーツケースを開けさせ
られるかと思っていたが、幸いにも何も言われずにパスした。搭乗手続きを済
ませ、2階の待合室で待っていると、ウラジオストクからの飛行機が着いたと
のアナウンスがあり一安心。予定通りに事が進むことの方が珍しいロシア旅行
で最初の一歩が順調に滑り出したことはラッキーだ。

 16時20分、飛行機の中に入れるようになり、早く並んで乗り込んだ。飛
行機はツポレフ154。機体はアエロフロート色からウラジオストク航空の色に塗
り替えられていたが中は全く変わっていない。狭い機内に左右3列ずつのシー
トがあり、シートとシートの間は極端に狭い。ロシアの飛行機は荷物を入れる
棚が小さく、蓋がない。だから早い者勝ちで後からのんびり来ようものなら足
下に荷物を置いていっそう窮屈な思いをしなければならない。私もコートとリ
ュックを入れようと思っていたが、コートを入れる分しか空いておらず、リュ
ックは足下に置くはめになった。席はほぼ満席で、新年をロシアで迎えようと
いうロシア人の帰省ラッシュだった。日本で買ったお土産をたくさん抱えたロ
シア人が続々と乗り込んで来た。

 ここでロシアの飛行機に乗る時の鉄則を紹介しよう。
 1、窓際の席はとるな
   すきま風が入って来て寒いし、機内食のサービスを受け取る時も不便。
  トイレに行く時も隣のひと二人に立ってもらわなければならない。頭上の
  荷物棚の出っ張りがあり、圧迫感がある。閉所恐怖症の人は絶対に座らな
  い方が良い。
 2、飛行機には早く乗れ
   先程書いたとおり、荷物を入れる場所がなくなってしまう。しかし、女
  性や子ども連れ、老人をかき分けて乗るようなみっともないことはやめよ
  う。
 3、降りる時はできるだけ早く降りろ
   入国審査、税関検査に時間がかかる。どんなに乗客が多かろうと入国審
  査の窓口は一つしか開かないということがあり、そうなると最後の人は最
  初の人よりも2時間以上遅くなってしまうことがある。

 重い荷物と乗客を満載したツポレフ154は定刻16時40分少し過ぎた頃動き
だし、16時50分離陸。雲の上に出ると夕焼けがきれいだ。太陽を追って西
へ飛ぶので夕焼けが長く見られる。上にあがり、水平飛行になると、飲み物が
配られ、機内食が出てくる。ウラジオストクまで1時間半のフライトなのでス
チュアーデスは大変だ。飲み物はウラジオストクで作っているアルコール度数
16%のビール(500ml)、ワイン(白、赤)、トマトジュース(なぜかロシ
ア人はトマトジュースが好きである)、コーラ、スプライト、水。おつまみは
アルコールをもらった人だけにピスタチオの小袋を渡していた。食事は黒パン
半切れ、丸パン1個、チーズ、ミニケーキ、チョコレート、バター、肝の練っ
たものニュージーランドでとれたというシールのついたリンゴ、紅茶またはコ
ーヒー。食事の終わり頃に、もうすぐウラジオストクに着くという案内放送が
あり、気温は0℃ということだった。そんなに寒くない。

 19時15分(日本時間18時15分)、予定通りウラジオストク空港に着
いた。日本とウラジオストクの時差は+1時間。日本より西に飛んだのに時間
が進むというのは変な感じである。ロシアでは日本のように飛行機が着くとす
ぐにタラップが待機していて来るわけではない。早くて5分はまたされる。飛
行機からはバスでターミナルビルまで運ばれる。幸いなことに入国審査は3つ
の窓口がひらいていて、そんなに時間はかからなかった。しかし、飛行機の中
で飲んだビールのせいでトイレに行きたくなり、入国審査の順番を待つ間もト
イレをがまんするはめになった。入国審査を出るとトイレがありホッとした。
荷物ももう出て来ていて、私のスーツケースもすぐに出て来た。税関は簡単に
通過できた。おもちゃのエアーガンもひっかからなかった。ロビーに出ると若
くてきれいな女性が英語で私の名前を書いた紙を持って立っていた。空港から
ホテルまでの迎えの人だ。日本語のうまいアナスターシアという名前の女性だ
った。あと二人の日本人が出てくるのを待って出発するという。二人を待って
いる間、帰りの飛行機の予約確認(72時間前までに予約の再確認をしないと
予約が取り消されてしまう)が今ここでできるか聞いてみたが、もう職員が帰
ってしまっているのでダメだということだった。待っていた二人の日本人が出
て来て、ワゴン車に乗ってホテルへ。後からの二人が両替えしたいというの
で、アナスターシアが私設両替商を連れて来て、ひとり100ドルずつ両替え
した。私は夏にイルクーツクに行った時のルーブルがかなり残っていたが、つ
いでに私も100ドル両替えをした。100ドルで2550ルーブルだった。
まあまあの相場だ。町までの1時間、二人連れの日本人やアナスターシアと話
していた。ウラジオストクは電車とトロリーバスは無料だということだ。電力
危機はもう解決して、今は道路にイルミネーションもあり、数年前に石炭が来
なくて大変だったのが嘘のようだ。バスだけは有料で2ルーブル(10円)か3
ルーブル(15円)で、乗るとすぐに料金係の人が料金を取りに来るそうで、事
前に切符を買っておく必要はないそうだ。今日は気温0℃で暖かいと言ってい
た。雪も来る途中少し残っていたが、町中には全くなかった。

 21時15分ウラジオストクホテルに到着。アナスターシアがチェックイン
の手続きを済ませ、部屋まで案内してくれた。帰りの飛行機の予約確認もやっ
ておいてくれるということで助かった。

 一緒に空港からホテルまで来た二人連れは、三重県の人たちで、明日ウラジ
オストクからモスクワまでシベリア鉄道で行くそうだ。12月30日にモスク
ワに着き、赤の広場で新年を迎え、1月3日に飛行機でウラジオストクに戻
り、富山便で日本へ帰るそうだ。彼等と11階にあるバーでビールを2本ずつ
(バルチークというペテルブルグのビールと名前は忘れたが15%もアルコー
ル度数のあるクラスノヤルスクのビール)を飲み、更に部屋にビール4本と、
ミネラルウォータ3本を買って、全部で340ルーブル余り(約1700円)
を払った。部屋に戻ると11時近かった。明日の朝、8時20分にタクシーを
予約してあるので遅れないように起きなくては!

 11時過ぎに寝たが、しばらくして鼻とのどがからからで目がさめて、買っ
ておいたミネラルウォータを飲んだ。濡らしたハンカチを鼻の下にのせて寝る
程ではなく、またすぐに寝ることができた。

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