7月26日(金)
今日はスヴェータが仕事なので、午前中アンドレイが買い物に連れて行ってくれるとのこと。その後、スヴェータも一緒にアゼルキー(Озрки)に行くという予定。ホテル1階の両替所がやっていたので200ドル両替した。ウラジオストクよりも高く、200ドルで6220ルーブルだった。10時過ぎにアンドレイの車で出発。買う予定のおみやげリストを彼に渡し、まずマトリョーシカやペリケン(チュクチ人の持っていると幸せや喜びやお金や成功がやってくるという木彫りのひょうきんな顔をした人形)、琥珀のブローチを買いに行く。お土産屋さんに売り物の熊の剥製がいくつか置いてあり、そこで30ルーブル払って写真を撮った。店の人が熊を動かし。面白い格好で撮ってくれた。
熊に囲まれて
その後、ニコーリスカヤ・ソープカに登り、1852-1856年のクリミア戦争の時、英、仏軍の軍艦がペトロパーブロフスク・カムチャツキーを奪おうとやってきたが、アバチャ湾に入るといたる所大砲が海に向けられており、人数が圧倒的に少なかったロシア軍であったにもかかわらず、英仏軍は奪取を諦めて戻っていったというその大砲を見た。そこから海を見るとなんと若い兵隊が数人、冷たい水にもかかわらず海に入って泳いでいた。帽子の色が緑色だったので、あれは外国の軍人だとアンドレイは言っていた。
冷たい水をものともせず泳ぐ兵士 フランス軍を追い払った大砲
ニコーリスカヤ・ソープカを降りて博物館に行ったが、修理中ということで入れなかった。仕方なく買い物の続きをした。コンピュータのマウスパットでロシアの風景かロシア語が描かれたものを探したが、なかった。コンピュータの音楽CD(MP4)を1枚買い、スヴェータにКИНОのCDをお土産に買った。そして最後にスーパーに行って紙ナプキン、クッキー、チョコレート、紅茶を買った。かご一杯買ったので財布の中身が心配だったが全部で500ルーブル(2000円)だった。安かった。アンドレイは冷凍エビを4袋買った。彼も500ルーブル近かった。もう2時近かったので、アンドレイにお昼を食べにどこかへ行こうかと言ったら、アゼルキーに行かなければならないから、家で少し食べて出かけようということになり、家に戻った。
丁度スヴェータが帰ってきたところだった。スヴェータも車を持っていて、90年式の車を100ドルで買ったそうだ。アンドレイの車は94年式で少し新しいと言っていた。どちらの車も日本車だ。ペトロパヴロフスク・カムチャツキーではほとんどの家が車を持っているということだった。日本の中古車が安く売られているそうだ。ペトロパヴロフスク・カムチャツキーの車はほとんどが日本車でロシア製の車は珍しい。バスも韓国製のバスが多く走っている。スヴェータのところで軽い食事をして、途中スヴェータの車を近くの有料月極駐車場に置きに行って、アゼルキーへ出発した。ペトロパヴロフスク・カムチャツキーでは車を路上駐車しておくと盗まれたり、壊されたりするのでガレージに入れるか、24時間監視付きの有料駐車場に置くそうだ。丘の中腹に鉄板を張り合わせて作ったコンテナのようなガレージがいくつも並んでいた。これらのガレージも自分で造るのだそうだ。アゼルキーに行く途中、アンドレイの友人のユーリヤの勤めている魚工場に寄っていった。イクラの缶詰を10個欲しいとアンドレイに言っていたが、今は丁度旬なので缶詰はまだ売っていない。プラスチックの器に入ったのしか売っていないので、友達のユーリヤに相談してみるということで寄ったのだ。缶がミンタイ(スケトウダラ)のしかないが良いかというので、良いと言っておいた。明日取りに来るということにした。彼の魚工場は以前は大きな国営養鶏場があったところで、資金不足でそこが閉鎖され、敷地の一部に個人経営の肉のソーセージ工場と魚工場ができたそうだ。4階建ての大きな建物が骨だけになって取り壊されていた。ここの養鶏場が閉鎖されて、鶏肉はアメリカやロシアの他の地方から来るようになり、値段も上がり、肉の中では鶏肉が一番高いと言っていた。
アゼルキーはパラトゥンカを過ぎた更に奥にあり、3年前に来たときと同じ温泉に行った。温泉だけはやっていたが、建物は改修中ということで使えず、着替えは湖へ降りていく通路で済ませた。大きなプールと5つの木製の風呂桶のようなものが並んでいて、二つは温かめ、3つはぬるめのお湯だった。プールはぬるくてダメだったが、子ども達は遊んでいた。ここも人は少なく、10数人しかいなかった。温かい方の湯船で温まり、湖に行って冷たい水に入り、また温かい温泉にはいると体がチクチク痛くて気持ちいい。湖は藻が浮かんでいてあまりきれいではなかったが、スヴェータは自然の汚れだから汚くないと言っていた。2回湖に入りに行ったが冬に来たときほどの感動はなかった。冬に来たときは凍った湖に入り、温泉も湯気がモウモウとしていた。妻は背中が痛いというのでぬるい方の温泉に入っていた。温泉に疲れると、反対側の壁に沿って置かれている寝板の上に横になり、日光浴をした。ロシア人はみんな日が当たるところに寝ているのに、私たちは日陰になるところを選んで寝ていた。青く澄んだ空を眺めながら気持ちの良い風に当たっていると天国だ。日本のこせこせとした生活からはとても考えられない贅沢だ。
風呂桶のような温泉 温泉の後は冷たい湖に
大きなプールの方も人はまばら
日光浴(日陰浴?)の後、近くの森でバーベキューをやった。組み立て式のバーベキューセットを取り出し、いつもの敷物を広げる。鉄でできたバーベキューセットに炭を入れ油をかけて火をつける。火が弱火になるまでカレイの干物でビールを飲んだ。カレイの干物は脂がのっていて、塩味がよくついていてビールのつまみにはもってこいだ。そのあと、豚のもも肉のかたまりをアンドレイがナイフで厚さ1センチくらいにに切り、私が塩を、妻がコショーを擦り込んで炭火で焼いた。こんがりときつね色に焼けた豚肉を食べながらウォッカを飲む。たくさんあった豚肉を4人で全部平らげてしまった。帰りはアンドレイの飲酒運転の車で帰った。
カレイの干物 美味しそうに焼けた豚肉
帰り道に正面に見えたカリャークスキー火山