イルクーツク旅行記  2001.8.17---8.27  その7

8月23日(木)
 朝、窓から外を見ると曇っている。天気が悪いと気温が低く、20度以下になる。8時半にスヴェータと待ち合わせていたが、8時20分にスヴェータが部屋までやってきた。もう用意はできていたので出かけた。スヴェータは土、日と横浜の合唱団がイルクーツクに来ていて、その通訳の仕事をしていたそうだ。スヴェータの家までマルシュルートカに乗っていき、彼女の家で15分ほど休憩して出発した。スヴェータは後からケーキを買ってくるということで、スヴェータのお母さん、彼女の妹のアーラと私の3人で出かけた。出かける前にみんなでイスに一度座ってから出かけた。これは何かのおまじないかと後でスヴェータに聞いたが、ちょっと買い物とか、仕事に行くときはしないけど、ちょっと遠くへ行くときなどはいつもやっているということで、彼女もその意味は知らなかった。多分道中の無事を祈るおまじないのようなものだろう。家から電車の駅までは歩いて5分くらいで、アカデーミヤという駅から9時40分の電車に乗った。電車は空いていて、みんな座れた。座席は向かい合わせの6人掛けのボックスが左右にある。レールの幅が広い広軌なので列車の幅も広くなっている。以前、サンクト・ペテルブルグトからプーシュキンまで乗った電車よりはずっときれいで、内装も木製ではなかった。途中シェレホフ、トゥルバーザなどという駅を過ぎ、レートニャヤの次のダーチナヤという駅で降りた。約40分の電車の旅だった。駅からは舗装されていない大きな轍のある道を登り、20分ぐらい歩いたところでワレーラ(スヴェータのお兄さん)が犬を連れて迎えに来ていた。ワレーラのダーチャは2階建ての立派なもので、1階には台所、居間があり、ベッドが2つとソファー、テレビが置いてあった。2階には机が2つと、ベッドが3つあり、バルコニーもついている。畑には温室もあり、トマトを作っていたが日照不足で赤くならないと言っていた。キュウリ、ピーマン、ナスもビニールハウスで作っており、他にも人参、赤かぶ、ニンニク、ウクロープ(ロシアの料理には必ずついてくる細い葉っぱ)、ジャガイモ、キャベツ、カリフラワー、カバチョークを作っていた。木の実もたくさんあり、チェルニーク、マリーナ(木イチゴ)の他に、黄色い実のものもあった。アーラが「これも食べられるわよ」と言っていろんな木の実や葉っぱをちぎって食べさせてくれた。美味しいものが多かったが、中には酸っぱい葉っぱや、ちょっと苦いものもあった。

    

ワレーラのダーチャ(入り口から) 畑の方から見たダーチャ    トマトを作っていた温室

  

私の好物のカバチョーク(日本にはない)  グラジオラスの花も作っていた

 ワレーラはシャシリークのために薪を燃やして炭を作っていた。昨夜から漬け込んでおいた脂身の少ない豚肉の角切りを串に刺し、炭になった弱火で焼き始めるといい匂いが漂ってきた。

  

シャシリーク作りを手伝う        焼いているといい匂いが・・・

 シャシリークが焼き上がった頃に他の料理も東屋に運ばれ、スヴェータを待たずに食べ始めた。最初は2杯ウォッカを飲んだが、なみなみと注いでくれるので、ウォッカはやめて赤ワインにした。赤ワインはマリーナだけが飲んでいたので、結局二人で1本空けてしまった。シャシリークは丁度良い加減に焼けていて美味しかった。ダーチャの畑で取れたばかりのキュウリやキャベツで作ったサラダ、ハム、サラミetc. あとでナスといろんな野菜を煮たのとカリフラワーと野菜を炒めたものが出た。久しぶりに食べたナスの料理に日本の味を感じ、懐かしく思った。

  

東屋でシャシリークパーティ        テーブルに一杯の料理と飲み物

 満腹になったところで散歩に出かけた。建ち並ぶダーチャの間を通って山の方へ登った。どのダーチャも大体木造2階建てで、庭には花を作ったり、野菜を作ったりしていた。なかには、もうずっと来なくて荒れ放題になっているダーチャもあった。ワレーラのダーチャは600平方メートルの広さだそうだ。最初は400平方メートルだったが隣の人が売りに出したので、両隣の人が200平方メートルずつ買ったそうだ。

    

   ガラス瓶で作った温室           花が一杯のダーチャ        こういう2階建てのダーチャが多い

 ダーチャがなくなり、山に着くと白樺林で、ところどころに松が生えていて、とても美しい風景だった。ここで写真を撮ってワレーラのダーチャに戻った。

   

                                 白樺の林を歩くワレーラ夫妻                                     ワレーラと妻のマリーナ

           美しい白樺林

 スヴェータが3時過ぎにやってきて、また東屋でシャシリークやいろんな料理をウォッカを飲みながら食べたが、私はもう満腹で食べられなかった。スヴェータのお母さんとアーラが飲んでいたマスカットの白ワインを1杯飲んだが、とても甘くて1杯だけにした。スヴェータが買ってきたケーキが出され、お皿に取ってくれたが、もう食べられなかった。一口だけ食べた。その後おみやげを渡した。ワレーラには鞄とカセットテープ、ボールペン、マリーナにはストッキングとインスタントコーヒー、手鏡、スヴェータのお母さんには目薬とカップヌードル(シーフードヌードルが好物だと言うことで4個も買っていった)、アーラにはインスタントコーヒーと手鏡、箸をあげた。スヴェータにも手鏡を渡した。日本のインスタントコーヒーは香りがよいのでロシアでは評判だそうだ。ワレーラからはイルクーツク340年記念の大きな箱に入ったチョコレートを、マリーナからはチェルニークの自家製ジャムを、スヴェータのお母さんからはばら売りのモスクワのチョコレート(いろんな種類のものがたくさん入っていた)、スヴェータからは板チョコをもらった。
 また東屋に戻り、話をしていたがアーラとスヴェータのお母さんが一足先に帰ると言って帰っていった。私とスヴェータはまだ後でということでもう少し残ってワレーラと話をしていた。しばらくして私たちも帰ることになり、その頃には青空が広がり、温かい日差しが戻ってきた。駅に着くとスヴェータのお母さんとアーラがホームのベンチに座っているのを見つけ、1本前の電車で帰ったのではなく、同じ電車に乗るのだけど歩くのが遅いから先に出たのだとわかった。1日に20本くらいしか電車はなく、日本のように時間どおりには来ないということだった。私たちの乗る19時20分の電車は15分くらい遅れてきた。待っている間にウラジオストク−モスクワを走っている「ロシア号」が通過していった。スヴェータの話によるとウラジオストク−モスクワ間は飛行機の方が安いということだ。日本から毎週シベリア鉄道でモスクワまで行くというツアーがあり、10人くらいが参加しているそうだ。1週間乗り続けるのは大変なので、イルクーツクで2泊し、更にまたモスクワへ向けて出発するそうだ。でもそんなに長い列車の旅は景色もそう変わらないし、退屈だと言っていた。私たちの乗る普通電車は青い車体で車内は混んでいたが、何とか4人まとまって座れる場所を見つけた。途中の駅からアイスクリーム売りが乗り込んできて車内で売っていた。段ボール箱に入れて売っているので、売れ残ったアイスクリームはとけてしまうのではないだろうかと余計な心配をした。お母さんとアーラは朝、乗ったアカデーミヤ駅で降り、私たちは終点のイルクーツクまで行く予定だった。電車がアカデーミヤ駅に着く前に女性車掌の検札がやってきて、スヴェータが切符を買ってくれたが、横のボックスにおおきな荷物(リュックサック)を持った2人連れの男がいたが、彼らはお金を持っていないということで、女性の車掌と激しく言い争っていたが、アカデーミヤ駅で降ろされた。アカデーミヤ駅で停まってなかなか動き出さないので、降りてマルシュルートカで行くことにして、線路を渡るために待っていたスヴェータのお母さんとアーラと話していたら、ドアが閉まり電車が動き出した。ダーチナヤまでに跨線橋があったのは一つだけで、その駅に着いたときスヴェータのお母さんがわざわざ教えてくれた。バス停まで300メートルくらい歩き、マルシュルートカでホテルまで送ってもらった。ホテルに戻ったのは8時半だったが、まだ外は明るく、9時頃から暗くなり始める。
 翌日に持っていくおみやげを用意していて、ボーヴァに渡すタバコがないのに気がついた。リストビャンカのナターシャには渡さないつもりだったのに、間違えて渡してしまったのだ。急遽近くのキオスクに行ってマルボロを1カートン買った。250ルーブル(1000円)で、日本の免税店で買うよりも安い。ちなみにマイルドセブンは1箱30ルーブル(120円)、最も高いのはダンヒルの35ルーブルだった。
 
 

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