イルクーツク旅行記  2001.8.17---8.27  その3

8月19日(日)
 4時に目が覚め、トイレへ。その後うとうとしただけで7時前に起きたが、窓から見える空は曇っていた。でもだんだん明るくなるにつれて青空が広がってきた。8時前に1階のレストランに行って朝食を取った。内容はチーズ2枚とハム1枚、肉入りブリヌイが2個とパン、紅茶。天気が良くなったのは嬉しい。船でペシャンカへ行けるかもしれない。8時半にリストビャンカのリーナから電話があり、今日の朝ではなく夕方8時に迎えに行くという連絡だった。バイカル湖の天気があまり良くないので今日の夕方、彼女の内縁の夫ビクトルが迎えに行き、明日ペシャンカへ行こうということだった。今日は1日フリーになってしまったので、自分でイルクーツクの町を歩いてみることにした。最初に市電でイルクーツク駅まで行く。電車もバスと同じで1乗車4ルーブル=16円。乗るとすぐに運賃徴収係の人が寄ってきて、切符を売りに来る。イルクーツクの駅は新しくなっていた。

   

イルクーツク駅                       青い列車はバイカルエクスプレスと書かれている

シベリア鉄道の通っている大きな駅なのだが、駅舎自体は大きくない。日本のような改札口はないので、誰でもホームまで行くことができる。地下道を通ってホームへ行ってみたが、もうすぐやってくる電車に乗る人たちで一杯だった。駅前には多くのキオスクがあるが、日本のように繁華街はない。駅の近くにある丘の上からイルクーツクの駅と町をつなぐアンガラ川に架かる橋の写真を撮ろうと上っていったが、丁度逆光で撮れなかったので、午後にもう一度来ることにして再び市電に乗って市場まで行った。まだ始まったばかりで準備をしているところだったが、かなりの店が開いていた。大きな建物の中に小さな商店が入っていて食料品を中心にいろんなものが売られている。建物の外にも自分の家や別荘で採れた野菜やベリー類を売っている人たちがたくさんいる。リュックを肩に掛けて歩くのは危ないので、人混みの中ではリュックを手に持って歩くようにしている。野菜や果物はとれたてで新鮮さ抜群で美味しそうだったが、買っても使い道がないのであきらめた。外で売っていたものは木イチゴ、リンゴ、スイカ、黄色くて大きなメロン、洋なし、イチゴ、人参、ジャガイモ、人参、赤や黄色、グリーンのピーマン、松の実、ナス等である。市場の建物の中にはパン屋や飲み物(アルコール類やジュース、ミネラルウォーター)を売っている店、肉屋、魚屋、お菓子屋、八百屋などが何百軒も入っていて、微妙に値段が違うので安い店を探して買うという楽しみもある。2階は建物の3辺に少しだけあり、衣料品や、飲食店が入っていた。一通り市場を見て回って、久しぶりにデカブリスト博物館に行くことにした。電車の路線図を見て、1番の電車で良いと思って乗り、切符を買った後、切符売りのおばさんにこの電車で良いかと聞くと「この電車は曲がっていくので、3番の電車でないといけない」と言われ、お金を返してくれた。1番の電車を降りて、同じところで3番の電車を待っていたが、3番の電車の乗り場は違っていて、気がついたときにはもう3番の電車は出発してしまった。デカブリスト博物館までは1区間なので、歩いていくことにした。緑色の屋根をした教会の横にデカブリスト博物館はあった。

 

デカブリスト博物館                    デカブリスト博物館の隣の教会

35ルーブル(140円)の入場料を払って2階から(順路が2階からになっている)見ていると、日本人のツアー客がやってきて、博物館の館員の説明を日本語ができるロシア人ガイドがしていたので、一緒について聞いていたら、博物館のおばさんが寄ってきて、説明を聞くのだったら、下でお金を払ってきてくれと言うので、聞きたくないと言ってツアー客と離れてゆっくりと見て回った。2階から下に降りるとき、さっきのおばさんが「さようなら」とほほえんでロシア語で声をかけてくれた。デカブリスト博物館を出て、隣にある教会をのぞいてみた。信者の人たちが供え物をしていた。ちょっとのぞいただけで、信者でもないのですぐに出てきた。市場まで歩き、屋外でビデオを売っているところで「チェブラーシュカ」のビデオがないか聞いたところ、あったので買う(45ルーブル、180円)。そろそろお昼だし、お腹も空いてきたので市場の2階でお昼を食べることにして「ПОЗНАЯ」という店に入る。テーブルが4つあり、カウンターで欲しい料理を注文して自分でテーブルに持っていって食べるというファストフードの店と同じである。サラダ「ゴールナヤ」(18ルーブル)とスープ入りのペリメニ(20ルーブル)を食べた。150円くらいの昼食であるが、量は日本人にとっては丁度良い。外に出ると隣のデパートの前のステージで何かが始まるところだった。見ていると、もうすぐ新しい学年が始まるので「新入学用品フェスティバル」のようなものが始まった。可愛い小学生の女の子や男の子の踊りや、お客さんの中から小学生低学年の子供をステージに上げて、学校で必要なものは何かという質問をしたり、動物の鳴き声を聞いたりしていた。その後、先生のファッションショーがあり、まず女の先生、次に男の先生だったが、デパートで売っている商品を着て出ているので(男の先生だけだったが)、いろんな札がついたままだったのは面白かった。

 

デパートの前で行われていた新入学フェスティバル

 2時頃にホテルに戻ってベッドに横になって休憩しているとリーナから電話がかかってきた。6時に迎えに来るということだったが、早口で明日の予定をまくし立てるので、火曜日にナターシャの家に行くと手紙に書いたのでということを言い、とにかくリストビャンカに着いてから決めようということにした。3時40分頃にもう一度ホテルを出て、駅の手前のアンガラ川にかかる橋の写真を撮りに行き、歩いて橋をわたり、川岸の並木道を歩いていった。

 

イルクーツク駅と市街地を結ぶアンガラ川にかかる橋

 天気はすっかり良くなり、陽がさんさんと照り、半袖で歩いて人も多い。家族連れやアベック、若い人が多いが、年寄りも日曜の午後を楽しんでいるという感じだ。名古屋にこんなところはあるだろうか。何となくゆったりと時が流れているのを感じる。日本だったらやたらと店が出て、人混みがすごくて休息に行くというより疲れに行くような感じだが、そのへんが違うようだ。シベリア鉄道開通記念のオベリスク付近では飲み物を売っている店も多く、みんなビール片手に散歩をしている、大きなスピーカーが設置されていて、若者向けの音楽が大きな音でなっている。そこに白い馬がいてお客さんを乗せていくらか貰うという商売をしているのだが、その馬が音楽に合わせてぴょんぴょんと飛び跳ねて歩いてるのを見せてくれた。

 

音楽に合わせてステップを踏む白い馬            アンガラ川岸で休息する人たち

 更に先に行くと、生のバンドが演奏をしているので行ってみると、制服を着た吹奏楽団がちょっと古い曲を演奏し、老夫婦たちが踊っていた。私もビールを飲みながら散歩をし、5時半にホテルに戻った。1階のフロントに行き、パスポートを返してもらい、今日、明日と友達の家に泊まってくるので帰ってくるのは火曜日の夕方だと言っておいた。

 丁度6時にビクトルが車で迎えに来てくれた。去年と車が違う。聞いてみると日本の中古車(カローラEX)をまた買ったそうだ。天気はすっかり回復し、雲一つなく晴れ上がっている。ビクトルは3日間ぐらいは良い天気が続くだろうと船長が言っていたと言う。道路も来るたびにきれいになっているというと、去年大統領が来たのでそのときにきれいになったそうで、一部4車線になっていた。途中道端で売っているスイカを買う。日本では1個いくらという値段が付いているが、ロシアでは1キロいくらという値段が付いていて、重さによって値段が決まる。値段は聞かなかったが、ロシアでもスイカは高い果物のようだ。アップダウンの道路を80-90キロのスピードで走り、約1時間でリストビャンカに着いた。リストビャンカの船着き場まで行ってみた。去年来たときに作り始めていたお城のような家は大分できていたが、まだ完成していなかった。何とも悠長な仕事ぶりである。イーラの家に着き、一段ときれいになったイーラ(20歳)と大きくなったジーマ(15歳)に会った。早速夕食で、ジーマが釣ったというオームリ(バイカル湖にだけ住む体調25〜30cmの魚)の塩漬けを食べた。野菜サラダ、ハム、それにチェルニーカを昨日買ったのでと言って、砂糖をかけて食べさせてくれた。ブルーベリーによく似ていて、ちょっと酸っぱくておいしかった。イチゴのジャムも出してくれたが、ちょっと甘すぎる。イルクーツクに住んでいるイーラのおばあさんがキャベツ入りのピロシキと魚と米の入ったピローグを作ってくれたと言って出してくれた。でももうそんなに入らないのでピロシキだけを食べた。お茶は日本のお茶があるといって玄米茶のティーバッグを出して入れてくれた。久しぶりに飲んで美味しかったが、イーラたちは紅茶の方が美味しいと言っていた。イーラたちのアパートでは6,7,8月はお湯が出ないので、自分の家に電気温水器をつけたのでシャワーを浴びることができるといって案内された。2日ぶりに温かいお湯でシャワーを浴びることができて気持ちよかった。台所ではイーラがチェルニーカと砂糖をミキサーにかけて、瓶に詰めていた。10時半にベッドに入る。

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