イルクーツク旅行記  2001.8.17---8.27  その1

8月17日(金)
 5時40分過ぎに起きる。妻も6時前に起きて朝食の準備をしてくれている。今日は北側から涼しい風が吹いてくる。6時半頃、いつもはやっているラジオ体操を聞きながら朝食をとる。6時55分、昨日頼んでおいたタクシーが来る。スーツケースとリュックを持って出発。平日の早朝ということで道路はすいており、30分足らずで名古屋空港に着く。去年来た時と全日空の受付カウンターが変わっていた。まず機械で搭乗手続きをして、荷物を預けに行くというシステムに変わっていた。知らなかったので、荷物を預けるのと搭乗手続きが一緒に行われると思い荷物を持っていくと、横の機械で先に搭乗手続きを済ませて下さいと言われた。航空業界も合理化の波に抗しきれず、人がどんどん減っているようだ。
 2階の出発ロビーで土産物店を見ていて、1個600円の手鏡を5個、予定していない人へのおみやげや、チップ代わりに良いかと思って買った。新潟行きの飛行機は空港の端っこに停まっていて、バスで飛行機まで連れて行かれる。ちょっとロシアっぽいかな。
 8時20分に出発し、新潟に着いたのは9時15分。スーツケースをコインロッカーに入れ、以前名古屋で一緒にロシア語を勉強していたAさんを待つ。新潟に住んでいるので、新潟からロシアへ行くときにはいつも電話をしておいて会っている。去年、一昨年は新潟の町まで出て映画を見ていたが、今年は2時の臨時便なのでそんなに時間もないので、空港でAさんと会った。10時40分頃Aさんはやってきて、2階の喫茶店でロシア語の話や、以前同じクラスでロシア語を勉強していた人たちのことを話した。名古屋でロシアの人形劇アニメ「チェブラーシュカ」が上映されていて、見に行ったことや、イルクーツクでチェブラーシュカの本やビデオを買ってくる予定だと言うことも話した。3階でラーメンを一緒に食べ、Aさんは12時半に仕事に帰っていった。ロッカーからスーツケースを取り出し、税関検査と搭乗手続きを済ませた。1時から出国審査が始まるとのことだった。1時過ぎに出国審査が始まり、セキュリティーチェックを無事通過し、出国審査の窓口に行くと、パスポートカバーを外してくださいとの注意書きが貼られていた。出入国カードの記入が不要になった代わりにOCRでパスポートを読みとるようになったため、カバーを外さなければならなくなったようだ。免税店でマルボロを3カートン買い、ナターシャにも香水を買おうかと思ったが、3500円以上もするのでやめた。待合室から外を見ると、私たちが乗る予定のイリューシン62と貨物のアントーノフが停まっている。7月にイルクーツクで落ちたツポレフ157ではなくて何となく安心だった。

 イリューシン62(主に国際線で活躍中)

 お客はほとんどが日本人で、ロシア人は少ししかいなかった。イリューシン62の機内は3つの部屋に別れており、前方からファーストクラスの部屋、次にエコノミーの小さな部屋、そして最後にエコノミーの大きな部屋があった。私は最後の大きな部屋だったが、20人くらいしかお客はいなかった。座席は通路を挟んで3人ずつに別れており、私は窓際の席だったが横には誰もおらずゆったりとしていた。中には前の座席を倒して靴を脱いで足を延ばしている人もいた。座席のシートはかなり痛んでいて、私の席はお尻に何かシートベルトのバックルのようなものが当たる。
 14時09分離陸。3時頃から飲み物(ワイン、コーラ、ジュース等)、弁当(日本の幕の内弁当)が配られ、食後にコーヒー、紅茶が配られた。16時丁度にハバロフスク空港に着陸した。ここで時計を2時間進め、ハバロフスク時間に合わせる。入国審査は相変わらずゆっくりと行われ、折から中国からのツアー客も着いたところでかなり時間がかかった。その後、税関を通り、外へ出られたのは7時過ぎだった。最初、名前を書いた紙を持った迎えの人がいなかったので、サッポロホテルの人はいませんかと聞いていたら、日本語を話す日本人のようなおじさんが名前を書いた紙を持って現れた。6人の名前の一番下に私の名前があった。まだ他の人が来ていないから車で待っていてくれとワゴン車に案内される。しばらくすると別の人が来て、私一人を迎えに来たと言って私の名前を書いた紙を持っていた。おかしいなと2人は言いながら、私は後から来た人のワゴン車に乗り換えホテルへ。1年ぶりのハバロフスクだ。ホテルまでは20分くらい。ホテルに着いて荷物を部屋に入れ、1階のロビーで両替をして(100ドル=2890ルーブル、1ルーブル=4円)、町へ出る。ホテルの前からバスに乗りディナモ公園まで行く。バスはどこまで乗っても一律5ルーブル。昔は近くのキオスクで切符を買ってから乗らなければならなかったが、今は切符売りの人がバスに乗っていて、新しく乗ってきた人のところに切符を売りに来る。この方が不正乗車が少なくなり確実に運賃が取れるからだろう。ディナモ公園は真ん中に大きな噴水があり、周りに小さな噴水がある。そしてその間には花が咲いていてなかなかきれいな公園である。たくさんの人たちが散歩したり、ベンチに腰を下ろしたり、子供達が遊んでいたり、8時過ぎとはいってもまだ明るく日本の5時くらいの感じである。

 噴水がきれいなディナモ公園

 ディナモ公園からホテルのあるコムソモール広場まで店をのぞきながら歩いていく。途中で米入りのピロシキとカリツォという丸いピーナツののったクッキーを買った(2つ合わせて6ルーブル60カペイカ)。道端でおばあさんが小さな青いリンゴを売っていたので買った。ビールのカップに1杯で10個くらい入っていて、10ルーブルだった。日本円に換算すると安いが、ロシア人にとってはそんなに安くはない。広い歩道の端っこでビールなどの飲み物やつまみを売っていて、店の前にはパラソルの下にイスとテーブルが並べられてあり、ビールを飲みながら夫婦やカップル、若者たちが週末を楽しんでいる。わたしも生ビールを買って(12ルーブル)、歩きながら飲む。ホテルまで戻ってきたが、更にその先のロシア革命の記念碑の方へ行き、遊園地の中に入っていき下へ降りていく。

 夕暮れに映える革命記念のオベリスク

 バンドの音楽が聞こえたのでそちらの方へ行くと、店がありその前で演奏していた。あちこちに店があり飲み物やつまみを売っている。どんどん下まで降りていくとアムール川に出た。川岸の通りを歩いていくと川べりの砂浜で日光浴をしている人たちがいるし、バレーボールをやっている人もいる。

 夕暮れのアムール川河畔を散歩する人たち

 川岸の通りにも飲み物を売っている店があちこちにあり、シャシリーク(羊の肉を串に刺して焼いたもの)を焼いている店もあり、いい匂いが漂ってくる。シビールスカヤ・カローナ(シベリアの王冠)という生ビール(10ルーブル)とシャシリーク(45ルーブル)を買って食べた。ようやく薄暗くなりかけたアムール川には何双もの船が出たり入ったりしている。私も乗ってみようという気になり、一双の船に50ルーブル払って乗り込み、2階のデッキのベンチに座っていたがちっとも動き出す気配はなく、10時過ぎにようやく動き出した。

  

 先程買ったリンゴやクッキーを食べ、ミネラルウォーターを飲む。中国人の若い男の子が隣に座り、ジュースをくれる。彼はしばらくして中国人の女の子とどこかへ行ってしまった。次にロシア人のおじさんが寄ってきた。よく分からない話をしていたが、チェルノブイリで働いていた人だということで、まだ51才だがもう年金生活者だという。今日は息子(17才)と来ていると行って紹介してくれた。タバコもビールも飲む17才だった。写真を撮り、住所を聞いて手紙を書く約束をした。船はなかなか引き返そうとせずに、川をどんどん下っていく。この船は元の場所に戻るのだろうかと不安になって聞くと、戻るということで安心した。だがなかなか着かない。時間を聞くと11時30分に着くという。1階の船室では大きな音で音楽がかかっていて、みんな踊っていた。トイレに何回か行ったが、いつも長い行列ができているので後で来ようと思い、戻ったが、何回行ってみても行列で、結局我慢の限界で並んで待つことにした。5,6分でようやく自分の番が回ってきた。こんなことなら初めから並んでおけば良かったと思った。ようやく元の場所に戻り、船の中で知り合った親子はトロリーバスで帰ると言っていた。上のバス停まで一緒に行った。実は帰り道が暗くてよく分からなかったので助かった。ホテルに戻り2時間遅い日本に電話した。シャワーを浴び、ベッドに入ったのは12時半だった。毛布1枚で寝ていたら寒くなってのどがカラカラになって目が覚めた。水を飲み、ベッドカバーを掛けて再び寝た。

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