イルクーツク2000 その1

イルクーツク、バイカル湖、ハバロフスクの旅----2000.8.11-8.18

はじめに
 今年もイルクーツク、バイカル湖へ行くことを決めて家族を誘ってみた
が、子どもたちには断られ、妻が一緒に行くことになった。名古屋大学に
留学しているスヴェータのお母さんの70歳の誕生日パーティが8月13
日にあるので、是非そのときに来てほしいというので、8月11日から8
日間行くことにする。ロシアでは丁度70とか60というキリの良い年は
いつも以上に盛大に誕生日を祝うそうだ。

 旅行に出かけるときはいつもそうだが、持っていくおみやげをそろえる
のが結構大変である。知り合いの家がイルクーツクに3軒、バイカル湖畔
のリストビャンカに2軒あるので、それぞれの家に何を持っていこうかと
考えるのが楽しみでもあり、苦労でもある。今年はスヴェータの助言もあ
り、ストッキング(ロシア人は色が白いので白い色が良いのかと思ってい
たら、黒や色の濃いものの方を好むということだ)、インスタントコーヒ
ー(ロシアにもネッスルのインスタントコーヒーが売っているが日本のも
のの方がおいしい)、デジタル体温計、茶こしのようなかごのついた急須
を買う。他にも、リクエストのあった赤い靴や2歳の子どものためにおも
ちゃのトラック、服、フィルム、単4の乾電池などを買い、子どもたちの
ために腕時計やピアス、ハンカチ(7月に黒部ダムに行ったときに)を買
い、準備はOK。

 日本らしいちょっとしたおみやげをスヴェータのおかあさんの誕生日パ
ーティに来た人たちにあげようと、団扇と、静電気でほこりを取るお掃除
クロスを用意した。たばこを吸う人のためには、新潟空港の免税店でマル
ボロを3カートン買う。

 どうして毎年のようにイルクーツク、バイカル湖に行くようになったの
か。それは1990年ツアーでシベリアに行ったとき、バイカル湖畔のリ
ストビャンカの港で遊んでいた子ども(ナターシャ)の写真を撮ってやり、
それからナターシャや彼女の同じクラスの子ども達と文通するようになっ
た事から始まった。文通だけでは顔を忘れてしまいそうだという手紙をも
らって、93年家族4人で再びバイカル湖へ。その時、丁度名古屋大学に
スヴェータが留学していて、電子レンジを彼女の母親に持っていってほし
いと頼まれ、イルクーツクにも新しい知り合いができることになった。こ
の時、バイカル湖まで車で送ってくれたり、イルクーツク市内観光に付き
合ってくれたのがスヴェータの同級生のイーラとその夫セルゲイであった。
そして97年12月にナターシャがイルクーツクに住んでいたとき、彼女
のいとこのレーナのところに招待され、それ以後イルクーツクに行ったと
きには彼女の家にも行くようになった。というこで5軒の家を8日間(最
初と最後の日は移動日なので実質6日間、今回は帰りにハバロフスクに寄
ったので5日間)で回るのは結構大変である。かといってせっかくイルク
ーツクまでいって、寄らないで帰ることもできず、強行スケジュールとな
る。

 今回の旅行は、イルクーツクの友人のイーラが旅行会社を去年から始め
たので招待状を出してくれるということだったが、今年、私たちのパスポ
ートが切れて更新しなければならなかったのでパスポート番号がわかるの
が遅くなったことや、彼女の会社では外国人に招待状を出せないというこ
とで、個人で招待状を申請したが、間に合わず、結局観光ビザをとって行
くこととなった。6月中旬に飛行機の切符の手配だけは旅行社に頼んだが、
新潟〜イルクーツクの直行便がとれないという状況で、8月10日出発で
ウラジオストク、ハバロフスク経由で12日イルクーツク着、帰りは8月
17日イルクーツク出発、ハバロフスクに1泊して18日日に新潟に帰る
という日程しか航空券がとれないということだった。キャンセル待ちをか
けて、やっと7月下旬になって行きの新潟〜イルクーツク便の航空券がと
れた。帰りの便は結局とれず、ハバロフスク経由で帰ってくることとなっ
た。ハバロフスクは10年前にツアーでシベリアに行った時以来なので、
どんな風に変わったかも見てみたかったので、それなりに期待はしていた
のだが‥‥。

8月11日(金)
 前日に、翌朝6時半に迎えに来てくれるようタクシーを頼んで寝る。朝
5時過ぎには目が覚め、5時半には起きて準備をする。と言っても朝御飯
を食べるわけではないので、顔を洗って着替えをするだけである。6時半
少し前にタクシーが来て名古屋空港へ。7時に全日空の搭乗カウンターの
前で待ち合わせていたスヴェータ(今回一緒に帰ることになった)と会い、
2階のレストランで朝食を取る。しばらく和食は食べられないので和定食
を食べる。コーヒーも日本のように美味しいコーヒーはロシアではなかな
か飲めないので、飲んでおく。

 8時15分、名古屋から全日空で新潟へ。1時間足らずで新潟空港に着
く。新潟からイルクーツクへの飛行機は17時00分発。チェックインが
始まるのは15時頃である。名古屋〜新潟の飛行機は1日2便しかなく、
17時の飛行機に乗るためには午前9時過ぎに新潟に着くこの便しかない。
去年からこの時間を利用して新潟市内で映画を見ることにしている。前も
ってインターネットで新潟市内の映画館でどんな映画をやっているか、上
映時間も含めて調べておいた。前日に新潟に住む友人にも電話をしたが、
ウィークデーなので仕事で会えないということだったが、映画館の場所や
お昼を食べるのに良い場所を聞いておいた。映画は新潟シネマで10時5
0分からやっている「パーフェクトストーム」を見る。新潟空港から9時
30分発のリムジンバスに乗り新潟駅まで行き(約25分、350円)、
駅前のバス乗り場から信濃町・西部営業所行きのバスに乗る(160円)。
新潟の一番の繁華街古町でバスを降り、映画を見ていそうな若い女性に映
画館の場所を聞く。映画館は知らなかったが、映画館の入っているカミー
ノ古町というビルを知っていたので良かった。去年は映画館探しで結構手
間取ったので。新潟シネマはカミーノ古町の7階にあり、自動販売機で切
符を買って入ると(金曜日は女性1000円の日で二人は安かったが、私
はしっかり1800円とられた)、中で3つの映画館に別れている。私た
ちの入った真ん中の映画館は247人しか入れない小さな映画館でお客の
入りも悪く、2〜3割しか入っていなかった。アメリカ映画にもかかわら
ず、実話ということで、ハッピーエンドではなく漁船の乗組員は全員台風
の大波にのまれて死んでしまった。この映画を見たことが、イルクーツク
での悪天候につながったのではないかと妻に責められることとなった。1
3時過ぎに映画が終わり。すぐ近くにあるNEXT21という新潟一の高
層ビルの18階でお昼ご飯を食べる。新潟の町が一望できる窓際の席でお
昼を食べ、ミニビール(200円でお値打ちだった)で日本のビールに名
残を惜しんだ。食事の後、空港へ戻ると丁度イルクーツク便のチェックイ
ンが始まっていた。石川県根上町とイルクーツクの近くのシェレホフ市の
姉妹都市交流の団体客ですごい行列だったのでしばらく待ってから手続き
を済ませた。免税店でたばこを3カートン買い、出発待合室でしばらく待
つ。

 満席の飛行機(アエロフロートのTU−154)は予定通り17時に出
発した。座席と座席の間はロシア国内線に比べると広くてゆったりしてい
る。私たちの席は幸運なことに一番前(つまり出入り口に一番近い)だっ
た。どうして幸運なのか?それはロシアの入国審査、税関の審査が時間が
かかることから、いかに早く飛行機から降り、早く入国審査の列に並ぶか
で、空港からでられる時間が最初の人と、最後の人では2〜3時間違って
しまうからである。飛行機が水平飛行に移ると飲み物がでてきた。ミネラ
ルウォーター、ビール、ジュース(オレンジ、リンゴ、トマト)、ワイン、
コーラ、スプライト等でお代わり自由である。飲み物を配り終えると、夕
食がでてくる。メインディッシュはシーフードと肉の2種類あり、選択で
きる。日本人がシーフードを選ぶと思っていたのに肉ばかりだと機内食を
配っていたクルーが話していた。食事も終え、一眠りするともうすぐイル
クーツクだという案内放送が入る。気温は22度という。

  
    機内食(肉メニュー)            機内食(シーフードメニュー)

 21時40分イルクーツク空港に着陸。リュックに入れてきた薄手のジ
ャンパーを出して着るが、そんなに寒くない。以前来たときに、飛行機か
らでて震え上がった経験があるのでジャンパーはいつもリュックに入れて
ある。一番前の席に座っていたおかげで入国審査も税関審査も早く終わり、
空港ビルから歩いて出て、50メートルほど離れたところにある木造の高
い塀の一角にある出口からでる。出たところに迎えの人たちが待っている。
スヴェータのお兄さんのワレーラと友達のイーラが迎えに来てくれていた。
ワレーラの車でルーシホテルまで送ってもらった。市内までは車で30分。
ルーシホテルは町の中心にあり、こぢんまりとした5階建てのホテルであ
る。フロントにパスポートとビザを預け、ホテルのバウチャーを出す。入
って正面にあるレストランでは結婚式のお祝いパーティをやっていた。若
い人たちが踊ったりふざけあっていた。私たちの部屋は3階の302。こ
のホテルにはエレベーターがないのでスーツケースを持って階段を上るの
は大変だ。部屋に入ってびっくり。広い!いままでロシアのホテルにいろ
いろ泊まったが、こんなに広いホテルは見たことがない。先ず入ったとこ
ろに応接セットがあり、食器戸棚やテーブル、水差し(中には飲み水が入
っている)、テレビ、冷蔵庫、テーブル、電話がある。ここでスーツケー
スを拡げてもじゃまにならないくらいの広さである。その奥が寝室になっ
ていて、ベッドが二つおいてある。その横にトイレとバスの部屋がある。
風呂はバスタブがあったがお湯が出ない。水はとても冷たくてとてもシャ
ワーを浴びる気にはならない。洗面台に栓がなく、妻はコンタクトレンズ
を外すときに栓の代わりにハンカチを詰めていた。そして水道のコックが
閉まりにくく、何回か止まらなくなってあせったが、落ち着いて押しなが
ら閉めるときちんと止まる。しかし、私は心配なので以後、バスタブの方
の水道を使っていた。部屋から直接日本へ電話がかけられるので、家に電
話をしてみる。すぐにつながるし、音声も良く聞こえる。


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