<<< HISTORY OF ORCHESTRE NUMBER ONE DE DAKAR : PART I >>>


1970年代のセネガルのポップス

西アフリカの音楽は、広いアフリカの中でもコンゴの音楽と並んで別格の存在と言えるだろう。ナイジェリア、ガーナ、セネガル、マリ、ギニアといった諸国を代表として、民俗音楽・ポピュラー音楽とも、素晴らしいミュージシャンを数多く輩出し、様々なスタイルの数多の音楽を生み出してきた。そしてこうした音楽の魅力に惹きつけられた人々による研究も進んでいる。例えば、ナイジェリアのジュジュ、フジ、フェラ・クティのアフロビート、ガーナのハイライフ、マリやギニアのマンデの民俗音楽とポップス、等々については立派な研究書も刊行されているくらいだ。シエラ・レオネのパームワイン・ミュージックに関する研究書などというものもある。しかし、何故かセネガルに関してはこうした類の書籍は見当たらないし、研究している人物がいるといった話も聞かない。西アフリカ音楽全般を扱った書籍にしても、やはりセネガル音楽の占める分量は意外と少ない。そのため、いざセネガルの音楽についてあれこれ調べようとすると、資料がさっぱり見つからず分からないことばかりで、困惑されらることになる。

セネガルの音楽は、ナイジェリアやマリの音楽と比較すると、見劣りするからこうした状況が生じているのだろうか。ここ数年、セネガル音楽を相当量聴いているのだが、決してそのようなことはないと感じている。特に、キューバ音楽の模倣に終始していた感のある60年代までの時期を脱して、ウォロフの民俗音楽と外来のポピュラー音楽が見事に融合した独自性の強いポップスが誕生した70年代は非常に魅力あるバンドが林立した時代として、アフリカ音楽史上でも見過ごせないものだ。この時期、セネガル音楽を主導していたと言えるのが、バオバブ、スター・バンド、それにナンバー・ワンだろう。彼らが構築したサウンドが基礎となって、その後さらにユッスー・ンドゥールとシューペル・エトワール・ドゥ・ダカールやオマール・ペンやバーバ・マールの登場へと繋がっていったのだ。

こうした背景を詳しく知りたくても、不明なことばかりである。先に記した通り、手に入る資料が乏しい上に、関連するCDのライナーなども怪しいものばかりで、バオバブやスター・バンドの歴史的経緯すら詳しいことが分からない。そしてさらに分からないこと尽くめなのが、最近復刻盤CDがリリースされたナンバー・ワンというバンドについてのことがらである。

グループ名の変遷

単にナンバー・ワンと略称されることの多い、彼らの正式なグループ名は果たして何であるのだろう。分かる範囲で整理を試みたい。まず、このグループの呼称を当たってみた結果、以下のものが見つかった。

(1)スター・ナンバー・ワン(STAR NUNBER ONE)
(2)オルケスタ・ナンバー・ワン・デ・ダカール(ORCHESTA NUMBER ONE DE DAKAR)
(3)ナンバー・ワン・ドゥ・セネガル(NUMBER ONE DU SENEGAL)
(4)ナンバー・ワン(NUMBER ONE)
(5)ナンバー・ワン・デ・ダカール(NUMBER ONE DE DAKAR)
(6)スターバンド・ナンバー・ワン(STARBAND NUMBER ONE)
(7)オルケストル・ナンバー・ワン(ORCHESTRE NUMBER ONE)

まずオリジナルLPでのグループ名の記載を調べると、(1)〜(4)の使用例が確認された。(1)の「スター・ナンバー・ワン」は、1枚目と2枚目のアルバムで(1976年頃?)、(2)の「オルケスタ・ナンバー・ワン・デ・ダカール」は3枚目と4枚目のアルバム・ジャケットで(78年?)、(3)の「ナンバー・ワン・ドゥ・セネガル」は5〜7枚目のアルバム(80年?)で、それぞれ使用されている。そして(4)の「ナンバー・ワン」は、3枚目と4枚目のディスクのラベル上に書かれている名だ。また『PANORAMA DU SENEGAL VOL.1』(82年)という編集盤では(5)の「ナンバー・ワン・デ・ダカール」が使われている。
一方、2種ある復刻盤CDのライナーには(6)と(7)の名前が登場する。

こうして並べただけで、彼らの正式な名前は何なのか分からなくなってくる。残念ながら、当時の新聞や雑誌と言った資料は入手するすべもないので、こうしたアルバムの記述から推測するより他ないだろう。個人的見解としては、(1)〜(3)はオリジナル・アルバムのジャケットに使われたことから、これら3つが彼らの正式名称で、これらは同時に使われた訳ではなく、順次改名していった結果なのだろう。またCDのライナーによると(6)は結成時の名前ということなので、こう名乗っていた時期もあったのかも知れない。そして、これらは呼称としては若干長すぎる上に、改名が繰り返されたことから、自然と(4)の「ナンバー・ワン」が略称として認知されていったのではないだろうか。

一方で、(5)はフランス制作の編集盤LP、(7)はオランダ制作の編集盤CDで見られる名前なのだが、他にはこうした使用例を確認できなかったので、彼らの正式な名前として考えられるか確証がない。実際このように自称あるいは呼称されていた可能性もあるが、現時点ではその判断を保留したい。その意味では、3、4枚目のLPはフランス制作盤なので、(2)の呼称も完全に正しいものかと問われると、正式名称だったと断言する自信はない。しかし、(5)の「ナンバー・ワン・デ・ダカール」にしても、(7)の「オルケストル・ナンバー・ワン」にしても、そしてこれを英語に置き換えた「オーケストラ・ナンバー・ワン」にしても彼らの呼称として問題ないと思う。

結局、彼らの場合、厳密にはどれもが正式なグループ名であるとも、ないとも言い切れないのではないだろうか。彼ら自身も時と場合で様々な名前を適当に使い分けていたような気がする。何と言っても、英語とフランス語とスペイン語が混在するという、実にいい加減な名前であるのだから。彼ら自身も「ナンバー・ワン」という言葉にはこだわりを持っていたらしいが、それ以外の点については意外と無頓着であったのではないだろうかとも想像する。

グループの経歴とそのサウンド

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ところで、上では彼らのアルバムが7枚あるかのように書いたが、果たして本当だろうか。また結成年についても、1972年説と1976年説がある(しかもこれらは同一人物が書いた文章によるのだから、ややこしい)。次回はこうした様々な謎を整理しながら、彼らのサウンドの魅力についても綴って行きたい。(続く)

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◆なお、彼らの経歴と作品については、ディスコグラフィーを参照。

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(2001/07/25 Ver.1.0)


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