山口 歓一先生の作品



「進む」 120p×120p
『進む』字を書く
『進む』一字を書く。言葉は特別の思いで書いたものではなく、書く時にふと思いついての撰文です。
強いていえば(前進)または(精進)からくる前向きの言葉だから。でも、書く時に前進または精進などの意味内容を頭にいれていた訳ではなく、エイヤーと筆端に命をこめて書いたに過ぎない。
命をこめてなんて格好よく言ったが、私は(進)字に何を込めたいと願ったのだろうか?実際書く時の行動として何も考えてはいない。それでも冒頭所感に述べたように感激感動の生涯を込められたのだろうか。
書は己を語ると云いますが、結果論的に自分が出ているだけではないか。線が、形が裸の自分を語る。いやそんなきれい事ではなく、恥ずかしい自分が出ているだけではないでしょうか。
自分がさらけ出されたに過ぎないのではないでしょうか。自分が今まで蓄積して来た諸々のものが出る。例えば書に関する実践知識、筆紙の選定、もう少し格好よく言えば書論、芸術論、うーん格好良すぎる議論になってしまいました。オワリ。


『老後無事」 河上 肇詩  70p×135p


135p×70p
『道』について補足
『少年よ、大志を抱け』
 その昔、アメリカのクラーク博士が札幌農学校(北大の前身)へ招聘されて、若者に何事かを伝えた。僅か8ヶ月間の教育だったという。去る時の言葉だ。私たちは、この言葉を(立身出世をしろ)(名声を上げよ)(金持ちになれ)という低い言葉で受け取ってしまったが、決して(野望)(野心)をいっていた訳ではないという。私たちの志はこんな事とは違うんだ。
 またそういう意欲に満ちた『志』でありたい。
 江戸の儒学者(佐藤一斎)の言志四録をここに記して、私の志としたい。
 小にして学べば壯にして為すことあり。
 壯にして学べば 老いて衰えず。
 老いて学べば すなわち死して朽ちず。
いつの間にか老人になった身には、この最終行には何時も励まされるし、またこうありたいと思う。しかし、私には、もはや志を述べるに足る時間が…ない…?いやいやそうではない。歓一よ、ガンバレ!
『雨ニモマケル』生活随想
雨ニモマケズ風ニモマケズ…。宮沢賢治の有名なこの詩は、読むたびに元気づけられますが、実際の生活では逆に(雨ミモマケル 風ニモマケル)ではないでしょうか?
歯を食いしばって頑張るのに疲れてしまった…
そんなこと考えている時、ある宗教家の(負けて負けて負けつくすのだ。そこから新しい生活が始まる)という主旨の話を聞いた。娘にこの話をメールで送ったら、娘からの返事が『雨ニモマケル風ニモマケル。それでもやっぱし生きている』であった。実生活者として苦労している娘には感ずることががあったに違いない。
『負けて負けて負け尽くす』
『自分を捨てる!捨ててすてて捨て尽くす』
そういう人生を生きる。
うーん,生きるってヤッパリ難しい。
頑張って生きるに足る人生を全うしたいと願っています。


135p×70p