思い出の車
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18歳で免許を取ってから、車がほしくてたまらなかったが高くて買えなかった。
友人がトヨタ1600GTやパブリカ800を乗り回しているのを見てうらやましく思った。
いつになれば車を持てるだろうと思っていた。
それが仕事のせいで乗り出してから車を次々に乗った。
このページでその一端を見てもらうことにする。

■スバル360ヤングSS
@スバル360ヤングSS
自分がスバルに乗っていたのは もう50年ほど前になるだろうか。勤務地が40km以上離れたところで、ホンダCB72と電車とかで通っていたが、雨の日などは風の強い紀南のこと苦労していた。
ある日スバルのディーラーにいくと、スバル360ヤングSSが中古で出ていた。8万qほど走った車で、10万円であった。当時の私の給料は5万円ほどだったから2ヶ月分でありいろいろ考えたが、えいままよ、と買ってしまった。

ヤングSSはソレックスSUタイプのツイン・キャブレター、アルミシリンダー等でホンダN360並の36馬力までチューンされ外装もノーマルとは味付けが違う、スポーティーカーとなった。
スバル360デビュー時のパワーウェイトレシオ24kg/psがヤングSSでは11.8kg/psであった。
初期のスバル360とは全然別のクルマと言える。
おもしろいのはシフトパターンで3速フロアを4速フロアに改造したため、左上がリバース、その下が1速、2速右上、3速右下、そしてオーバートップが一番右上であった。
それでも最高速=120km/h 0→400m=22.8秒(カタログ値)をたたき出していた。
加速感は、ソレックスツインの吹き上がりはすばらしく、軽い車体と相まって当時としてはかなりのものであった。燃費も4速がオーバードライブで、リッターあたり20kmを簡単にクリアした。
きわめて経済的であった。デザイン的には、ヤングSSの特徴はヘッドライトの他に、ルーフが波打ちラインが入っていた。これは当時ラリーカーがよくやっていた。ボンネットにも斜めのラインが入って、ノーマルスバルと差別化していた。タイヤは私の当時の給料では、ラジアルを4本買うお金がなく、前をノーマル後をラジアルにして走っていた。これで雪道もダートも走った。
今思えば無謀なことであるが、ヤングSSは文句も言わず元気に走ってくれた。
私がこの車でもうひとつ気に入っていたところは、車高が簡単に変えられたことで、走る場所に応じて上げ下げできて、なかなか良かった。なぜ車高を頻繁に上げ下げしなければいけないかというと、当時は国道すら舗装されていないところが多く、ダートが普通だったのでそんな道を行くときは車高を上げて走ったのである。
当時車高を自由に変えられる車は、シトロエンDSやトヨタセンチュリー、パブリカ、スバル1000などしかなかった。
困ったのがシートでリクライニングが3段しかなく、微調整をダイヤルでしたため操作がやりづらかった。
そこでスクラップ工場に行き、たしか三菱ミニカの最上級グレードのシートをスクラップの中から探し、自分で外し買ってきて取り替えた。同時にシートベルトを取り付けた。当時はシートベルトのボルト穴はあったが法制化されていなかったのでベルトは付いていなかった。
ヤングSSは16万q走った。購入してから8万q走ったことになるが360ccで楽に10万qをクリアした。
スバルのエンジンの優秀さを感じた。もっと乗りたかったのだが会社の帰りの直線道路で急に右折した車と衝突し、やむなく廃車にした。先方が悪かったので修理費として、買ったときと同じ金額を出してもらったが車は再生不可能で、そのお金を元手に次のホンダライフGSに乗り換えたのである。

(ノーマルタイアでこの雪道を走った)

(とにかくアッチコッチ走りまくった)
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