コラムの目次
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May/2002

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May/1(Wed)
坂上みきの仕事
TOKYO-FMの午後に坂上(さかじょう)みきが戻ってきた、と聞いて安堵した人がいっぱいいただろうと思います。「FMソフィア」を辞めて4年。テレビ番組の司会やらナレーターの彼女も見ましたけれども、どこか居心地が悪かったようにみえました。よそよそしくて「これって坂上さんじゃない」感じがしました。本当の彼女は、姉御肌で、自分のペースでぐいぐいリスナーを引っ張っていき出身地の大阪弁が出る出る、という感じです。たぶん、現在の「ビューティフル」ではそんな感じが戻っているのだろうと(蛇足になりますが、同じ時間帯にTFM出身の松本ともこがTBSラジオで番組を持っています)。
きょうの朝日(地域によっては昨日の夕刊)に出ていた彼女のコメントがツボなのでしょう。
「でも週1(の番組担当)ではその日限りの話になってしまう。毎日同じ時間帯に話してこそ、昨日の話が明日につながってリスナーと一体になれる」。
「情報は発信すればまた集まってくるもの。足を使って、何でも見てやろう、体験しようと」。
そういえばかつて、「新譜を紹介するときに、彼女の番組を最初にしてほしい」というアーチストが結構いたと聞いてます。それは20代〜30代女性の雰囲気をつかみとり、彼女たちを代弁する姿が評価されてたのでしょう。
バブル真っ盛りのころのDJと、デフレな気分に覆われている現在、彼女のしゃべりがどう変わったか定かではありません。でも、心安らぐ時間を共有できているんだろうなという想像ができます。簡単に聞きに行けないのが残念ですが。
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May/2(Thu)
なおなおドメスティックなサイト。
サイトの更新を再開して1か月。どういう読者が見ているかという見当はつきました。次なる問題。とりあえず更新するのはよいとして、読者がこのサイトに何を望んでいるかがもう一つ見えてこないのです。雑多な内容をそれでよしとしているのか、写真だけ見て帰っていくのか、別のサイトとアクセスカウンタを見比べて「ふむふむ」といっているのか、どうもわからないのです。
それは、書きたい時に書きたいことを書くというのがサイト作りの鉄則ですから。
カープが3連敗したぁ。
とか
☆井原(レッズ)、よくやった。でも2点は取られすぎ。
ということをつらつらと書いていればそれでよいのかもしれません。
けれども、ここ10日ばかりの動向を見ていると、盛岡近辺のできごとを見にくる読者が多そうなのです。
脇田先生(けさの朝日・岩手版に記事が出てました)のように、盛岡で仕事ができればよろしい。でも、日中は盛岡を留守にして仕事をしていて、寝に帰ってくる現状では「期待」に添えるサイトにはなれないと思うのです。そんなサイトでもよろしいのですか?
Up
May/3(TGIF=朝日・阪神支局事件時効の日)
「べんじぇもの探求地図」を手に入れる。
2001年11月15日発行となっている「城下盛岡旧町名・べんじぇもの探求地図」。たまたま寄った盛岡劇場窓口で手にすることができました。A3版を4つ折にして両面印刷。片面には「盛岡 城下町の歴史」と「べんじぇもの」。「弁財船が運んできたもの=米の粉で作られた餅菓子類」について記されてます。その「ゆべし」なり「しょうゆ団子(=みたらしとは微妙にニュアンスが違います)」「きりせんしょ」「おちゃ餅(=うちわ状の形から、という説あり)」について記された労作です。発行元のQOLネットワークによれば、盛岡市内の公民館、東北銀行などに設置してあるそう。この手のものなら盛岡市役所に置かれてあってもよさそうなのですが、その辺の微妙な経緯については追って記します。
「探求地図」で昔の盛岡の地図を追うと町の名前から歴史の由来を読み取ることができます。呉服町・鍛冶町・馬町(うままち)・呉服町・・・。それらは現在中ノ橋通一丁目・紺屋町・南大通二丁目・中ノ橋通一丁目というように置き換えられてます。肴町(さかなちょう)・鉈屋町(なたやちょう)というように残った地名もありますけれども、市が取った姿勢は「地名の保存はどうぞみなさんでご勝手に」、という読み方が一つ。
もう一つ。べんじぇもの(これ、一関に行けば「餅菓子」なり「餅文化」ということで括れるのですが、盛岡ではそうは言いません)を扱っている店が、濃いものばかりです。花月堂・山善という大き目のお菓子屋ではなく、「取材拒否、頑固一徹、だんご一筋、盛岡べんじぇもの屋の見本のような店。」が次々に出てくるので、油断なりません。商品の性格上、遠方に持ち帰ることや翌日食べるということができない。おやつといえば本来そういうものなのですが、そのことに光を当てた地図ということもできます。
「観光協会」というフィルターを通すと、売れるためのもの・売れるためのPRが伴ってきますから、よそ行きの部分しか見えてきません。しかし、この地図が置かれている場所に行くこと自体、ネイティブになりつつあることですし、普段着の姿が見えてくるのだろうと思います。
「城下盛岡旧町名・べんじぇもの探求地図」。盛岡歴史の記憶探求館The ゆべしでも情報を手に入れることができます。
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May/4(Sat=Holiday)
護憲か論憲か。
毎日新聞の社説が「護憲」から「論憲」に変わったとNTV「ズームイン!!SUPER」で辛坊治郎(読売テレビ放送解説委員)が言ったのを受け、サイトで社説を読みます。乱暴に要約すると
>憲法と現実の間にはかなりの乖離(かいり)が出てきた
>解釈改憲は法治主義の退廃を招く。
>守るべきは守り、改めるは改めるという原点に立って、憲法論議を深めることを呼びかけたい
ということです。どちらかというと小沢一郎(自由党)が言っていることに近く、現状に即した社説なのでしょう。なし崩しになっている現憲法の理念を元に戻すという意味ではそれでもよいのかもしれません。
さて、朝日新聞の朝刊(3日。一部地域では2日の夕刊)に「いきなりではなくずるずるの正体は」という記事があります。これも無理にまとめると
>戦争体験のある自民党保守派の長老政治家が、民主党も含む有事法制に積極的な
>若手政治家の「暴走」に辛うじてブレーキをかけているような奇妙な構図。
とあります。この2つをつなげてわかるのは、
「戦時の反省に立って作られた憲法の姿が見えなくなっている」
ということです。本来、終戦直後は
「教え子を再び戦場に送るな」
というスローガンが切実なものとなっていたはずなのに、
「何それ?」
という響きになってしまっている現実があるのです。
「有事を起こさない努力をすべきだ」
という社民党の主張より、
「有事に備えた方がよい」
という首相のコメントが受ける。
では
「有事って何なの?」
という議論が起きないまま、憲法と同じように何とでも解釈できる法が成立する。
毎日の社説は至極ごもっともなんですが、それに一票入れるには首をひねる自分がいます。その前に、憲法本来が持っている意味を見つめることが必要だと思いますし、それなら現憲法で十分対処できるように思います。
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May/5(Sun=Holiday)
BBB、なのかなぁ。
ASAHIネットにせよNIFTYにせよ、フォーラム(会議室)に参加する時にアウトルックエクスプレス(OE)のようなニューズリーダーソフトでなく、ブラウザインターネットエクスプローラのような)利用の方が多くなっているようです。昨日会ったパソコン通信時代からの知り合い2人も、どうもブラウザから覗いている組で、こちらの実感とそぐわないのです。
パソコン通信時代。2400bpsで各駅停車よろしく会議室を回っていたころ(まいと〜くの時代でした)、発言一覧を次々にチェックでき、あちこちにコメントをつけていたのが私の通信原風景です。パソコンの買い替えで秀termに乗り換えても同様で、ルーチンで回って電話代を倹約し、コメントを書き終わった後に再びルーチンで回るという使い方をしていたのです。ですから、今使っているDatulaはルーチンで読めるパソコン通信的な使い方ができるソフトとして私は評価しているのです。
もっとも普及しているニューズリーダーソフトOEの使い勝手は悪くないと思ってます。けれどもウィルスに弱いというセキュリティの難点が指摘されているせいか、OEをニューズリーダーソフトとして使っている人の話を聞かないのです。まして標準でないDatulaを使っている人とはなかなかお目にかかれません。加えて、出先からもアクセスできるBBBを考えると、主流はそっちなのかなぁ。けれども、BBBを使うと認証なりセキュリティ面で構えてしまうところがあるので、使い勝手はよくないです。
Beckyなり鶴亀メールでニューズグループが読めたら、無条件でそちらに乗り換えるのですが、その見通しはなさそうです。とほほ。
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May/6(Mon=Holiday)
盛岡寿司事情。
3年前まで宮古に住んでいたもので、ネタのよさを比べるとどう見ても盛岡の方が落ちます。内陸出身者に言わせれば「厳しい」ってことになりますが、例えばホヤ。鮮度が落ちているのを【酢でごまかそう】なんていうのはもっての他です。ウニもまた同様で、カッパと一緒に軍艦巻きにされたのが、ちょっとしたカルチャーショックでした。(ウニはまるまる出すんだよ)と突っ込みを入れたかったのですが、そうなると1皿500円弱が1,000円弱に跳ね上がるようです。もう一つ、鮮度の落ちをカバーするのに、【わさびを強く入れる】店があります。それが盛岡の玄関口にあるのですから、寿司を食べるには修行に似たりと悟ることになります。
寿司事情と記しましたが、具体的に回転寿司3店を取り上げます。
1)本命・清次郎。ネタは文句なしです。明るい店内。待っている間もモニターテレビ(数人に1台)を見ることができ、退屈しません。酒飲みのために「刺身だけ」という難題にも応えてくれます。最大の問題は休日夜の1時間待ちはざらだということです。
2)対抗・銀次郎。献血ルームと同じビル(大通り)。予約対応で、刺身が新鮮。味噌汁が50円でおかわりOK(よそは150円前後取ります)。しかも美味。1人でふらっと入っても大丈夫です。ただし、発泡酒をビールとして出し、シャーベットをアイスクリームとして出すのは問題ありです。
3)大穴・釜石ごん太。あまり期待しないで矢巾店に行ったら、そこそこのネタでした。ネットで検索すると「期待していったらダメだった」という書き込みが出てきます。清次郎で待つストレスを感じるよりも、すぐ食べられるこちらを推す人もいます。
それにしても、普通のお寿司屋さんに足を運ばなくなりました。敷居が高くなったってことなんでしょうか。その他、全般的な情報はアキュートにあります。
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May/7(Tue)
そぞろ歩きのペース。
振り替え休日の昨日、盛岡市内中心部を歩いて動きます。いつもならあっという間に過ぎてしまう道も、時速4キロで動くとゆったりとした時の経過を感じます。たまに盛岡に来ていたころの感覚、ゆるやかさを思い出します。連休最終日ですから、街中の交通量も少なめ。子どもたちは郊外に行ったのでしょうから、人そのものも少なめです。河南地区から与の字橋を渡り、内丸→大通りというところも、朝10時であればひっそりとした感じさえします。車ではバスでは何度も通っていた道とはいえ、いつもの感覚とは違うことに気づきます。
帰り、大通りから中央通→内丸教会→医大前→県民会館前と歩きます。何か所かマンション工事予定の土地があり、何人かお見舞いの姿があったりという姿を見て「盛岡を感じるには歩いて行動することではないか」と気づき始めます。
翌日から、また時速数十キロのペースで動かなければいけないことを思いながら、でもヒトの行動ペースは本来こんなものでした。なまじ早くなりすぎたばかりに、普通のペースを残しておく必要が出てきたのも皮肉な話です。
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May/8(Wed)
遠くの日本代表より…
豊田充穂(とよたみつほ)『浦和レッズ2001戦記再生への序章(小学館)』なり、浦議(浦和レッズについて議論するページ)なり見ていると、サッカー日本代表のあれこれが遠いものに思えてくるのです。いや、それは中村俊輔の技を見れば「おーっ」と思いますし、ヒデ(中田英寿)のキラーパスやら小野伸二の柔らかいパスにも魅かれます。けれども、ワールドカップのチケットが手に入らなかったり、にわかサポーターが大騒ぎしたりという情景を「何か違う」というように感じてしまうのです。テレビサッカー中継の頻度が上がってきて、野球が目立たなくなってきても、「たぶんそれは一時的なもの」というように思えるのです。
それは、わが浦和レッズ(official)から代表が出てないからかもしれません(ちなみに昔、小野がレッズに在籍してました)。けれども、日本代表は青一色なんだろうかという疑問が出てくるのです。それはジュビロのサックスブルーだったり、レイソルの黄色だったりヴィッセルのストライプだったりしてよいはずなのですが、どうもそういう雰囲気でもない。
いや、サッカーの試合を見て、その後のJリーグが盛況になればよいのです。あのゴール裏一体の雰囲気を感じ取ることは、試合に行かないとわかりません。うちの娘ですら、はまりました。妻もぞくぞくしたといいます。手に入れられないニッポン戦よりも、まず近くのナビスコ杯からチェックしてみましょう(それにしても、ナビスコの扱いの小さいこと)。
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May/9(Thu)
こんな芝居がしたい
公演まであと1週間ちょっと。
私がぼんやりと思っていたもやもやを、2,3の高校演劇部顧問が文章化してます(注・リンクを張りますが、1か月経ったらリンク先が読めないかもしれません。悪しからず)。
じゃんの部屋掲示板の部屋(別館):「行間を読む」。
「お願いだから考えて何かやって」という演出の要求を頭ではわかっているのだけれども、表現できない。「恐さを出して」と言われても今までそんなことをやったことがないので、引きつるはずの筋肉がこわばって笑顔になってしまう。「助けてぇ」という悲鳴がつぶやきになってしまう。それは脚本の行間を(あるいは脚本そのものを)読まないで、演出の言うとおりにしか動けない。そのまま舞台に載せると平板なものになってしまうので、水準を超えるには怒号を続けることになるわけです。
【東北】高校演劇掲示板:#406の下から5行目。「役者の力量でみせきる芝居がしたい」。
脚本や装置に凝っていた人からこういう発言が出ることは意外に思えるのですが、私の中では、「役者が一定の水準に達していなければ、評価を受けることは難しいだろう」という思いがありました。音響・照明・装置に力を置いた作品が評価されるわけでなく、少人数が淡々と芝居を続けるものが評価されるのは、役者が何を伝えようとしているかはっきりしているからです。
去年6月にサンシャイン劇場で市村正親らが出た『アート』はまさにそれでした。白のモノトーンで統一されたすっきりとしたセットに、平田満・益岡徹という芸達者が絡んだもの。特に、平田満が5分近く一人でまくし立てたシーンは圧巻でした。
役者が水準を満たしていると、安心してみていられるのです。そうじゃないと、例え装置に目を見張るものがあったとしても
「ふーん。がんばってるじゃん。だから?」
と思うだけです。さて、自分とこの状況ですか。うーん。許せるところと、許せないところと…。
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May/10(TGIF)
戦い方が見えてきた。
その昔、サンフレッチェヴェルディJリーグナンバーワンを争っていた頃、試合当日のオンラインチャットでジャンルカ・トトさんにこんな質問をぶつけたことがありました。
「日本代表とクラブチームなら、もしかしてクラブチームの方が強いんじゃないか?」
という質問でした。彼の答えは
「Yes」。
それは戦術的なものだったり、意識の問題だったりするのですが、続けての質問。
「じゃ、なぜ日本代表をクラブチーム1つにあてないか?」
という質問にはもごもごとされ、そのまま試合の実況チャットと化したのでした。たぶん外国人選手枠やらクラブ同士の駆け引きとかあるのでしょう。
日本代表はさておき浦和レッズがナビスコ杯D組できっちりと1位通過しました。今までのレッズなら好不調の波がはっきりしていて、ベガルタにいい試合をしたあとヴェルディに取りこぼすというようなことが日常茶飯事でした。「なにやってんだよ」というフラストレーションがふつふつとわいては消えていたのです。ところがオフト(監督)効果が出てきます。彼は
「この強行日程(3〜4日に一度の試合)では、選手の疲労がたまって困る」
とナビスコ杯に文句を言いながらも、負けない試合を見せてくれてます(勝ち点13〜4勝1分)。他チームが日本代表に選手を取られているという条件はあります。アントラーズはまさにそれなのですが、しかし今まではお約束で取りこぼしがあったのです。それがなくなりつつあることで、希望が見えます。
オフトがもう一つ言っているのは
「誰が試合に出ても、戦い方は同じだ」
ということでした。その点もクリアしつつあります。エメルソン出場停止でも、鈴木や坪井がいなくなっても、戦術が浸透してきたのでムラがなくなります。監督就任5ヶ月でこうなのですから、上に立つ人で変わるものなのか、と。
注)とか何とか書きましたが、12日の対グランパスで1-5なぁんてゲームをしてます。まだまだ。
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May/11(Sat)
淋しい銀行。
ちょっと前まで「優秀」だと言われていた某銀行に団体名義の普通預金口座を作りに行きます。免許証の提示はさておき、住所の欄に職場のそれを書こうとしたところ
「居住地にしてくれ」
と言われます。70キロ先に住んでいて、預金の出し入れが職場近辺に限られていても?
「その通りです」
と愛想なく言われます。かつて、この銀行に限ってはそんなことはありませんでした。
ところで現実的に職場の住所が近いのですが。
「それは、こちらに書く欄がありますので」
と示された欄は仔猫の額ぐらいの大きさでした。
小銭も預けられるスーパーATMのある他行にしようかとも思ったのですが、その銀行は
「用事があれば来ておくれ」
という態度を取り続けているので、同僚ともども足が遠ざかっているところです。
待っている数分間。がらんとしたロビーに「金利情報」が出ます。もっともらしく0.001%という数字がディスプレイに出て、普通預金だけでなく貯蓄預金までもそんな数字だったりすると、誰が銀行に足を運ぶんだろうかという気がしてきます。銀行の情報誌が何となく並べられているのですが、持ち帰ってよいのかどうなのかわからず、手にすることもありませんでした。
ほどなく窓口に呼ばれ、通帳を受け取ります。景品何もなし。ちょっと前まで、景品で銀行を選ぶという時代がありましたが、そんな雰囲気はかけらも残ってませんでした。
「俺は他行に結構な金額の定期預金がある」
という知人の話は
「数十万預け入れに行っても、ティシュ1つくれなかった」
と続きます。そこまで世の中は「不良債権な気分」が進んでいるのでしょう。要するに
「お金を期限までに返さなければいけない企業が、それができなくなっている」
「倒産」
「一見、その企業と関係なさそうな他業種への波及」
というつながりになっているわけです。
100人に1人は倒産の憂き目にあっている、というデータを週刊ダイヤモンド(4月6日号)で読みました。その状況に直面しているのは他ならぬ銀行なのでしょうが、
「口座を作ってもらっても、管理費がかかるだけ」
という思想がみえみえの窓口。どう付き合ったらよいのでしょう。
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May/13(Mon)
デジカメ、換えました。
昨日の写真からカメラを換えました。5年半ぶりにです。前のカシオQV-10Aから今度はQV-2100になります。25万画素(てっきり35万と思ってました)から200万画素に。5万弱だったのが2万前後で買えるようになったのは、日本製から中国製に変わったからということと、デジカメの普及度が上がったからでしょう。
売れ筋はカシオ以外のメーカーだというのはわかっているのですが、200万画素で2万円前後(オープン価格)という戦略的値段をつけていたのは現在1社だけ。最終的には「2万円で買えるデジカメ」という選択肢でここしか残らなかったのです(3倍ズームで200万画素だともう1社選択肢が増えるのですが、3万円近くになります)。
同じ社のデジカメだと、前の操作性が残っているので、同じように使う分には抵抗感がありません。ズームが付いたのと、画面を記憶する枚数が変わったのが慣れないところですが、モニター画面を見ながら単3・4本で写すというのは前と一緒です。最大の利点は、ACアダプタ(別売り)が前のものと同じでよいこと。5,000円近くするあれは、結構な負担になります。
肝心の画像。もうちょっと粗さがなくなるかと思ったのですが、よそのサイトに比べて見劣りする状況には変わらないみたいです(他は何万画素よ?)。写す人の心がけが変わったら、ちょっとは良くなるかもってことで勘弁してください。
Up
May/14(Tue)
時間どろぼう
「ケーブルカーを導入することに周りの人々は反対でした。しかし、楽に見えたはずのその仕事でAさんはどんどんお金をもうけていきました。それは、あまった時間で別の仕事に取り組むことができたからです」。
機械化が進んで、別の仕事ができることは生活向上にふさわしいことだ。そう、30年近く前の小学校・道徳の教科書で習いました。そのように仕事をしてきたはずなのに、先回りして仕事をしているのに、どうして仕事が目に見えて減らないのでしょう。
本来、自分の身の回りというのは歩いていける範囲のものでした。それが車の導入により行動範囲が広がります。通勤・通学に使っている時間というのは、周りから邪魔されないものだったはずなのに、携帯電話で外部から用件が入ってきます。そのような時間の経過を当たり前だと思っていたのですが…。
先回りして仕事をするのは、次にくる仕事量を減らすためのものです。しかし、減るどころかむしろ増えてしまう。いったい何なんだろうと思いながら車を運転し、ふと「時間どろぼう」という『モモ』の一節が思い出されるのです。モモを取り出す暇もなく、あたふたとし続けるのでしょうけれども、こちらもまた時間に翻弄されつつ1週間を過ごすのでしょう。
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May/15(Wed)
エッセンスについて
とあるプログラム作成中。彼女は一人で作ると言ってがんばり、なかなか現物を持ってきません。そろそろ原稿がほしくなってきたのでフロッピィの中身を見せてもらいます。ところが、凝っている割には、無駄なところに労力が注がれているのです。例えば表紙にペイントソフトを使ったり、レイアウトが縦と横と逆だったり。
「いよいよの時は徹夜しますよ」
とは言うんですけど、がんばっている割には使えないのです。もっといけないのは、周りの状況を見ないでずんずん進んでいること。
そのプログラムには、全部のエッセンスを載せる必要はないのです。顔写真といっても、現物を見ればすぐわかることで、その親切が想像すること・集中することをかえって奪ってしまいます。私のコメント?ほら、あなたが立てたプログラム案では、もともと必要がなかったでしょう。それの埋め草で使うなんて、何考えてるのよ君。
ということで「保留」にしておきましたが、どんなのが出てくるんでしょうね。何となく、裏で手を回している「無駄なしバージョン」を使うことになりそうなんですけど。
注)結局、彼女の努力が実を結び、それをプログラムとして使うこととなりました。時間切れ寸前でしたが。
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May/16(Thu)
コラムが読めない。
「朝読書」の変形として「朝コラム」というのを生徒に読ませてます。ローテーションを組んでA4版1枚をショートホームルームに読ませます。この手のものは感想を求めると負荷が増して生徒が取り組まなくなるので読ませっぱなし。後の進学やら就職時に「役立った(卒業生)」ということでさせてます。
さて400〜600字程度のコラムを読ませるのは良いとして、こちらが読ませたいコラムに限って生徒たちの食いつきが悪かったりします。5月3日の埼玉新聞・さきたま抄を読ませようとしたら、読もうとしないで断念する生徒が多数出ます。それは憲法記念日にちなんだまっとうな文章なのですが、読めない。憲法記念日・マスコミ三法案…という文言が続いたせいなのかだめ。
例えば、それは『現代社会』を未履修の生徒が多いせいなのかもしれません。また新聞そのものを取ってなかったりする家や、読んでもテレビ・スポーツ・社会面というところだけで、他は読んでない現状があるからかもしれません。
業を煮やしたある同僚はマンガでコラム欄を構成しましたが、それには抵抗があります。ともあれ、きょうもコラムで1日が始まります。
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May/17(TGIF)
誰が「高校演劇」とくくるのか。
これ、「大学演劇」でも「大衆演劇」でも同じことです。
知人はこう言い切ります。
「芝居には『面白いもの』と『面白くないもの』しかない。見たそれがたまたま『高校演劇』だったりしたかどうかだ」
と。ところが当の高校生がこんな風に言います。
「高校演劇は高校生がやっているからしょうがないわね、って見逃してもらえるところがあるから嫌なんですよ。(中略)絶対に高校演劇ではやらないようなグロテスクで少し過激なシーンも(中略)反応がよかったですね」(i-mode vivify#03の7ページ。4月20日付/株式会社ジー・アイ・ピー発行)
何言ってるの。それはあなたたちが勝手に「高校演劇」とくくっているだけです。顧問が来ないとか、脚本が見つからないとか、部員がいないということをものともせず、芝居を追求している高校生が東北には、全国にはざらにいるのです。
例えば盛岡の高校生は、脚本を読み倒して(100冊は読破したもよう)、1本書き上げ、終演後のホールにどよめきを起こしました(今年3月)し、福島の高校生は数人しかいない部員で3年前の全国大会を制覇しました。「見逃してもらえるところがある」ところに逃げているのは、発言した君自身だと思います。
内輪で満足していたら、いつまで経ってもその状態からは抜け出せません。
「ダメ出しないですか?」
の相手を、高校生から一般に求めるようになって、「高校演劇」の枠を一歩抜けられることになります。なかなか難しいことなんですが、チャレンジする価値はあると思います。
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May/21(Tue)
今後の見通し。
4月初旬からサイトの更新を再開したのですが、演劇がトップスピードに入ってきた途端にきつくなってきました。というより、ここが読まれていることはわかるのですけれども、半分以上は小部屋から流れてきた方らしいのです(でもまだ、ここを知らない人もいるようです。ふふっ)。ここに書くときは、演劇濃度を薄めようと心がけているつもりですが、反応がよろしくない。となると、トップに入るほど「小部屋の裏部屋」ということになってしまいます。
朝6時の更新を目指してつらつらと書き、5時50分過ぎには時間との戦いになります。本当は推敲に推敲を重ねて出したくても、時間切れでそのまま載せてしまうことが多々ありました。
ある劇団関係者がいみじくも言っていた
「結局、舞台に台詞をのせるのは『会話』ができてないとだめ」
「発声・動きという裏づけとしての『演劇以外』の勉強がもっとほしい」。
そのような部分をここで書ければよいのですが、はまればはまるほどコアな部分の記述に終始してしまいそうなのですよ。それでもよい、という読者が存在しているのでまぁ何とかします。けど、これからもっとつらくなるぞぉ。
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May/22(Wed)
男子は感想が書けない。
それにしても男の子っていうのは感想が書けません。この間取り上げた舞台でのやりとり。
「第1問。この小学校1年生の女の子はどんなことに会いましたか?」
−−火事。
「第2問。この子が焼け出されたときの心境はどうでしたか?」
−−熱かった。
「このように、論理的思考を問う問題で、単語でしか答えられないのですよ」。
・・・というやり取りがありましたが、あれと同じです。
この間の反省を書きなさいと課したら、ある男子が全部一言でまとめてきました。ふざけているのか冗談なのかと思ってみると、他の複数の男子も1行しか書いてきません。いや、たぶん書けない。女子は概ねあれこれ書いてきましたが、何なんでしょう。
のめりこみ方が違う、と言われればそれまでかもしれません。激情的な彼女たちに対して、彼らはどこかクールでした。実は部長の代替わりが近づいていて、そうなると取り組み方が変わって、主体的な感想になるのかもしれません。
「おたくの息子さんは、物事を考える問題になると、その、アルファ波が止まるんですよ」。
いや、身近にもいました。もっと言えば、私もそうか。
(引用の戯曲・五ノ井幹也作『地震・雷・火事・おやじ』)
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May/23(Thu)
生活速度を遅くする。
昨日と一昨日、1時間早く帰宅しました。いつもなら伝書鳩よろしく職場−駅−電車−駅−バス−自宅という最短距離で帰るのですが、野暮用があるのでバスを1区間早く降ります。裏通りの専門店を目指し、2日続けて閉店間際に行きます。ただ品物を注文して受け取るだけのやり取り。たまたまいた知人と会話したり、店の商品についてあれこれ会話しただけでしたが、何か新鮮でした。
寄り道したこと。いつも通らない道を、いつもなら帰ってない時間に歩いたこと。コンビニじゃない店で、物の注文をやり取りしたこと。1時間早く帰宅し、家族と会話したこと。
そういえば、先頭を切って走っていたはずの子が
「あたし、お父さんの顔ずっと見てないんですよ。部活で朝早く出て、こっちが帰ったずっと後に向こうが帰ってきて。そろそろ見ておかないとやばいと思うんですよ」
と言ってました。
で、みんな1時間早い帰宅を喜んでいるのですよ。例の男の子たちは黙ってますけど、帰宅する姿に
「うれしい」
と書いてますもん。私も同じように見られているんだろうな。
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May/24(TGIF)
過則勿憚改
「あやまちてはすなはち、あらたむるにはばかることなかれ」。間違いを認めることは「土下座ナントカ」と違うことだと思うのですけれども、そこらが混同されている昨今の状況です。ミスドの件で頭に来るのは、間違いそのものをお金で解決しようとした件です。
>あくまで肉まんに使用されたことのあった油脂に関することであり、
>一般のミスタードーナツ商品には一切使用されておりません。
と弁明があっても
「何なの(--;)」
っていうのが正直なところです。それはみずほなり雪印にも共通する「ことなかれ」と根は同じだと思います。
10数年前バブル真っ盛りだったころ、日本企業が外国で資源なり土地を買いあさる。そのころオーストラリアに短パン姿で向かう新婚旅行の面々にされた機内アナウンス
"Ladies and gentlemen,BOYS and GIRLS!!"
というのは、今日の状況を予期していたものかもしれません。
「どこの誰とも、仲良く平和に暮らす」
と言うのを金科玉条としていたわれわれ。例えば、瀋陽総領事館事件に象徴される外務省(もしくは役人)の対応は
「まぁまぁまぁまぁ。ここは一つ」
という典型的な例だと言えるでしょう。たまたま予定調和という結論をたどりそうですが、毅然とした姿勢には見えません。
これ、学問として「論語」を習ったことは事実だとしても、それを自分のものとして生かしているかはまた別問題です。まして授業の絶対時間が減って、習っているかどうか怪しくなった世代においてはなおのこと。
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May/25(Sat)
響いてくることば。
組合の定期大会初日、その後のデモ行進。委員長のあいさつ・来賓のあいさつ・代議員の質問・執行部の答弁・シュプレヒコール…。いろいろな人のことばを聞いていると、心に響いてくるものと空虚なものとはっきりと分かれて聞こえてくるのです。同じ「小泉批判」を語っても、子どもたちの前で語ってきている教師経験者と、ただの運動家では説得力が違います。支持基盤のしっかりしている老闘士と脆弱な党代表では具体性が違ってきます。
肝心の質疑においては、専従の期間が短い執行部の心もとない答弁(←彼は「勉強不足で悔しい」と漏らします)よりも、実務に長けている委員長が答える時間がはるかに長くなってます。説得力に雲泥の差があるのです。
何度か
「自分の言葉で語る人」
というのをテーマに書いてきました。戯曲にしてもコントにしても政治・社会にしてもそうで、テレビ・映画・劇画のパロディにとどまっているものは説得力を持たないのです。「劇画政治」「ワイドショー政治」が行き詰まりつつあるのは、やり取りが目に見えてくるうち、わかってくるうちに、中身が空洞だと見えてきたからでしょう。総理の言葉にしても
「自分の言葉で語っていたけれども、劇画チックな擬音を多用して、本質的なものにたどりつかない」
ことがわかってきました。それを見抜けなかった私は不徳のいたすところであります。
同時刻に行われていた会議で、とある大会の総括に私が推挙された模様です。
「とってもできません」
と言ってられなくなったので、自分の言葉で申し開きできるようにしないと。そう思ってます。
Up
May/27(Mon)
『煙が目にしみる』を見る。
盛岡劇場通いを始めてから1年。何となく買ってしまった加藤健一事務所『煙が目にしみる』を見ます。昨日が公演の千秋楽でした。
田舎町の斎場が舞台。たまたま出会った2人の幽霊が、ボケの入ったばあちゃん(加藤健一)を媒介に2組の遺族にあれこれ語りかけ、最後は大団円を迎える筋です。田舎と都会・親から心が離れる子・やたら権利を主張する都会人と結構厚かましい地方人・年のころほぼ同じの一人娘と愛人・BBSへの弔辞・・・というように、古くて新しいエッセンスが織り交ぜてあります。ただの喜劇ではなく、考えさせられる要素もあるのですが、そこを深刻に見せないのがばあちゃん=加藤の力量なのだろうと思います。
本当は大事なことがさらっと描かれてあって、舞台に幽霊を登場させること自体胡散臭いのですが、「力を入れない」芝居というのもまたよいでしょう。1時間30分。終わり方、カーテンコールが一ひねりしてあって、そこが大人の劇団なんだろうな、と。
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May/28(Tue)
ひとりでやらずに、
1人でがんばってうまく行っているとき、つい「そのまま行けるだろう」と錯覚することがあるのです。ただ任せられているだけなのに、そのことで頭に血が上り、突っ走ってしまった後に「取り返しがつかない」と気づく。これで何度痛い目にあっているかわからないのに、独断に走ってしまう。
知人からの指摘。
☆ひとりでやらずに、たくさんの人たちからアドバイスをもらうこと
というのは、そんな私の性格を見抜いてのものだろうと思います。
バブル期のころ、定期預金は年8%以上という高水準でした。普通預金が2%ぐらいで、
「定期預金を担保に普通預金相当のお金を運用した方が、利息は高くなる」
と思った私は、自分のお金をそのように運用したのです。当初はうまく行きました。ほどなくにわか景気が後退し、借金はかさんだまま。その定期をやっとこさ解約したのはつい最近のことです。同じような運用を自分が預かっているお金でやってみようと考えたのですが、怖くてできませんでした。それは至極当然のことだったのですが、けさの新聞記事を見て考え込んでしまいます。
盛岡にある福祉法人・カナンの園の前理事長は、私も何度か会ったことがあります(挨拶を交わした程度ですが)。
「2億4千万円を株式投資に回し、穴を開けた」。
監査の時は常に不在。残高証明書を託すだけで、現物を見る雰囲気じゃなかった。県も監査をしていたが見抜けない。独断の怖さです。
「同じ考えの人ばかりでなく、違う考えの人間も入れろ」
というのが人事の鉄則なそうですが、そのせいなのかどうか。先週末の組合・定期大会において委員長が
「うちの会計はガラス張りで、内部監査・外部監査・組合員の閲覧、どれも可能である。ここまで開かれた組織は、県内でも珍しい」
ときっぱり言ってました。それは民主的な組織であることの裏返しなわけですが、それが一個人に任されたときの怖さを考えると、
★ひとりでやらずに…
という言葉の重みを感じるのです。
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May/29(Wed)
任用手続き。
6月採用が決まった知人が手続きをすることになり、急遽休みを取ります。手続きに立ち会うことはしなかったのですが、いくらかは彼の不安を取り除くことができたと勝手に想像します。
呼び出しの指定が11時。駅から職場まで送ります。この日のうちに書類を一気に作成し、昼食を出され、宿舎を案内され、口座まで作らされます。ここまで4時間。聞けばそんなもんだろうと納得できるのですが、なにせ彼は大学を出たばかり。しかも他に知己なし。
待っている間何度か律儀に連絡をくれたのですが、何を言おうとしているのか理解できなかったり、面談終了後一気にしゃべりだしたりと、さすがに緊張は隠せなかったようです。まして勤務時間が不規則だったり、職場と宿舎の間が車で30分以上かかったりということであれば、慣れるまでに時間がかかるだろうと思います。
どちらも盛岡の端と端。「たぶん任期が3年」というのであれば、街に出てきて遊ぶこともできないまま、次の任地へ行くかもしれないことも想像できます。彼が選んだ仕事といえばそれまでですが、そんな盛岡は彼にどう映るのか。そして、そのような仕事が現在進行形の面々にどう映っているのか知ってみたい感じがします。
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May/30(Thu)
でも英会話に加わりたい。
私、オセアニアとアメリカに立て続けに短期留学して、最近行ったアメリカの家庭ではそこそこ会話も成り立ったの。「これは成果が出たな」って自信持って帰ってきて、その勢いでなんとかなるかって、アメリカ人3人とランチしたの。でもねぇ、途中から会話に入っていけなくなってめげちゃったのよねぇ。
TOEICのリスニングは385点行くのよ。グラマーは勉強しても時間がかかるからさぁ、リスニングから行こうっかなぁって。あれって、英会話スクールに通っててン十万取られているときよりも、さぼっている時のほうがスコアがあがっているのよねぇ。変よね。それで、同期採用で語学をやっている人がいるんだけど、彼は英会話をラジオ講座だけでものにして、今中国語を始めた。電車の中で片道40分ぶつぶつ言っているだけなんだけどね、
「英語はマスターしたよ。1か月350円だけ。それに比べて英会話学校に行くなんてお金の無駄だぜ。この2年間、いったい何をやってたんだよ。」
って言われるの。
別の知り合いは今度英検2級受けるって言ってるけど、日本人2人とアメリカ人1人で5時間会話して楽しかったって。周りがこんなに充実した生活なのに、私だけ落ち込むってどういうこと!?えっ。なぜ英会話なのかって。コミュニケーションを取りたいからよ。外国人とカッコよく会話ができるなんておしゃれでしょ。3人の会話を聞いているだけじゃなく、私も入っていきたいのよ。どうすれば会話に加わることができるかなぁ。でも3か月で英会話学校に20万も払うのはばからしいし、通信教育でものにできるくらいならもう始めてるし、どうしよう。私、こんなに落ち込むのって始めて。やっぱコツコツやるしかないのかなぁ。ねぇ、どう思う?
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May/31(TGIF)
誰のためのワールドカップか。
ワールドカップモードに突入。なるほど駅ビルでもデパートでも専用グッズのコーナーを設け、他国ユニフォームのレプリカまで置いてます。オフィシャルニューズペーパーの朝日以外の各紙も特集を組み、Jリーグの中継を深夜に追いやったはずの某局でさえ連日取り上げてます。それはいい。いいんだけど、身の回りでチケットが手に入ったという話をつゆぞ聞かず、
「ニッポンサポーターの98パーセントがチケットを入手できない」
という話がまことしやかに語られる。サッカークリックの大住良之がコラムに書いているように、
「ワールドカップ本番にニッポンサポーターがいない」
という事態を、ピッチに立っているであろう選手はどう見るかってことです。
ワールドカップはおめでたい。でも、のめりこめそうにないジレンマの原因がどこにあるのか。浦和レッズについて議論するページ(浦議)で豊田充穂が書いているのは、レッズサポだから言えることなのでしょうか?
「開催国なのに、ゴール裏にサポーターの編隊を組めない」
ほど、いろいろな人が興味本位で見るであろうワールドカップ。
日本代表が快進撃を続ければ、これらの心配は杞憂に終わるでしょう。しかし、彼らがあっさりとピッチから去って行った場合、本当の意味でのサッカー文化がこの国に残るかどうか疑問に思えてなりません。
この1か月、私が実感するのは豊田が書いている一言。
「日本でサッカーの感動を現実に巻き起こせる街は一つしかない」
ということだろうと思います。1か月後に具体的に検証します。
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