木版画の魅力
翻訳:石崎貞子
今、皆さんは、ここから遠くはなれた端末機のガラスの画面を見ていますよね。電子の働きによって繋がれたそちらのスクリーンを通して、木版画がどんなに美しいものなのか、はてはて、伝えることができるでしょうか。ま、とにかくやってみましょう。まず、摺物のどこがそんなに魅力的なのか。もし皆さんが、ここ私の仕事場で私の隣に座っているのなら、実物を手渡してお見せできるのですが、遠くにいるのですから、一体どうすればいいのでしょうか。
とにかく、ちょっと特殊な照明やスキャナーの助けを借りてやってみましょう。そもそも版画とは何なのか、本の挿絵やコンピューターのスクリーンに映し出されたものはどうして本物とまるで違うのか、そして版画独特の美しさや立体感はなぜ本物でしか示せないのか、こんな事を説明してみたいのです。
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これは、私が持っている岳亭という江戸時代の人の絵で、明治 29 年(1896)頃に復刻された版画です。日本の版画について書かれた本に載っていた写真から、実物のほぼ4分の1の大きさにしてスキャンしてみました。 作家の画は、はっきりと再生されていて、色もほぼそのままで、一見なんの遜色もないように見えますよね。ところが、ここにはただ、岳亭の描いた物だけしか映し出されていないのです。「作家が描いた物以外に何があるのか。」と思うでしょう? それがあるんです。
次に、ここにあるのも 同じ版画ですが、照明が正しく扱われています。強い光線が真上から直射しているのでなく、柔らかな明りが横から当てられています。大きな違いだと思いませんか。こうすると絵だけでなく、和紙も見えてくるのです。紙の感触がわからない様な写し方をしてしまうのは、本を作るときに良くある手落ちで、そうすると線で描かれた形以外の要素を削ぎ落としてしまい、紙の存在も消えてしまうのです。日本の版画は、シルクスクリーンのように、不透明な絵の具の層を紙の表面に乗せているのとは大きく異なります。顔料が紙の中に摺り込まれていて、紙の色と組織までもが作品の一部となっているのです。ですから、紙の存在を削りとってしまうということは、美しさの大半を削ぎ落とすことになるわけです。
これは一部を大写しにしたもので、紙を作っている楮(コウゾ)の繊維が、実物を手にとって見る時のようにはっきり見えます。色の付いた部分を見ると、顔料が紙に染み込んで、繊維が染められているのがわかりますね。ですから、今目に入ってくる色は、透明な顔料の分子とそれを透して歴然と存在する紙自体の色、との組み合わせなのです。
私はずっと以前から、容器のなかで混ぜて作った色が、紙の上に摺ると違ってしまうことに気付いていました。混ぜてできた色は、紙と一体となって影を作り出すし、加えて、和紙は白くないので、かなり複雑な過程となるわけです。ですから、楮が沢山入った桶を扱っている和紙職人の存在は、絵を描く作家と並んで大きいものなのです。彼が貢献していることは、最初の写真から読み取ることはできないでしょうが、実物を見ればわかります。この先も、木版画についてのお話しはまだまだ続きますよ。
この版画の習字部分の大写しを見てみましょう。今ここでは、書いてあることはどうでも良いのです。しっかり見てほしいのは、厚くてしかも柔らい和紙に、文字が深く浮き彫りにされている様子です。作品の前方から平行に差す明りで、摺られた山と谷の部分、そして摺られていない所、がはっきり見て取れます。そう、凹凸のある印刷になっているのです。私たちは日常、平板印刷された物を見慣れているので、こういった印刷による独特の感触を忘れてしまっているのです。そう、二次元でなく、三次元になっていますから。
近代のオフセット印刷 は、確かにはっきりとして滑らかな画像を作り出しますから、必要な印刷物を昔の手法で賄うことなど考えられませんけれども、こうして浮き彫りにされた印刷物の味わいには、掛け替えのない魅力があります。鋼板印画で作られた郵便切手、活版印刷で作られた本、鉛板印刷された新聞などもそうです。
この版画は、平らな板の上にインク塗って、そこだけの薄い膜で形を作っていくオフセット印刷とは工程が違います。研ぎ澄ました彫刻刀で一本一本の線を固い版木に彫り込んで作られた物なのです。それも線の両側を彫っています。そのあと、摺り師がバレンでもって、紙を、線の上にしっかりと押し付けるのです。すると、触って、見て、そして楽しめる、浮き模様のある画ができるのです。
こうして木版画を鑑賞してくると、名前の書かれている人だけが作者ではないということがわかってきます。ですから、これは、岳亭だけの作品ではなく、選りすぐりの腕を持った職人達とのチームワークの結果なのです。和紙職人、彫師、バレンを作る人、摺師、刃物師、版木職人、挙げればきりがありません。
ここまでお話してきて、私が指摘してきたことに共通の事に気付きましたか。そう、もちろん明りです。ほとんどの人達が、正しく木版画を見る機会に恵まれないということは、ほんとう残念でたまりません。額にはまったガラス越しではなく、手に持って、頭上からのまぶしい照明でなく、紙と平行に差し込む柔らかな明りで見る物なのです。
私の場合、版画を一枚を仕上げる最後に、自分の名前を空摺りするのですが、平行に照らす柔らかな明りの元でするこの作業はとても楽しいものです。(画の作家名と紙の製作者名も摺ります。) 何て、美しいのでしょう。昔は、オフセット印刷がなく、頭上を照らす明りもガラス入りの額もありませんでしたから、摺られた物はどれもきっと楽しめる物ばかりだったのでしょうに。
私のぎごちない説明とあまり精度の良くないコンピューターの画像でしたが、木版画の美しさについて何か少しでもお伝えすることができたでしょうか。ダウンロードした手間に見合った内容だったでしょうか。