しげぼうの言いたい放題


・やはりクズだった体育会系の人間(2008年02月21日)

大相撲の時津風部屋の序ノ口力士だった斉藤俊(たかし)さん(当時17歳)=しこ名・時太山(ときたいざん) =が急死した事件で、愛知県警捜査1課と犬山署は7日、制裁目的で2日間にわたって暴行を繰り返して斉藤さん を死亡させたとして、元時津風親方の山本順一容疑者(57)(元小結双津竜)と兄弟子3人を傷害致死容疑で逮捕 した。また、県警は同署に特別捜査本部を設置した。大相撲にかかわる事件で当時の親方が逮捕されたのは初めて。  逮捕された兄弟子3人は、伊塚雄一郎(25)(しこ名・怒濤(どとう))、藤居正憲(まさのり)(22) (時王丸(ときおうまる))、木村正和(24)(明義豊(あきゆたか))の3容疑者。県警は、暴行に加わったほかの 4人の兄弟子も同容疑で書類送検する方針だ。  調べによると、山本容疑者と兄弟子3人は、ほかの兄弟子4人と共謀し、昨年6月25日午後0時40分ごろから 死亡当日の26日午前11時半ごろにかけて、愛知県犬山市の宿舎裏やけいこ場で、制裁しようと企て金属バットや 木の棒で斉藤さんを殴打するなど、複数回にわたって暴行を繰り返し、外傷性ショックで死亡させた疑い。  山本容疑者は25日夕、食事の席で斉藤さんの額をビール瓶で殴打したうえ、兄弟子らに「お前らも教えてやれ」 「鉄砲柱に縛りつけとけ」などと指示。26日午前も、通常5分程度が限界とされる「ぶつかりげいこ」を約30分 続け、兄弟子たちはこの中でも殴るけるの暴行を加えたほか、山本容疑者が木の棒で殴った。  調べに対し、山本容疑者はビール瓶で殴ったことは認めたが、「脱走したから殴ったわけではない」と供述。 伊塚容疑者らに自らが指示したことなども否認している。兄弟子3人のうち、伊塚、藤居両容疑者は容疑をほぼ認め、 木村容疑者は「しつけと教育のつもりだった」と犯意を否認している。  当初、斉藤さんの死因は病死とされたが、出身地にある新潟大の組織検査で外傷性ショック死と判明。さらに名古屋大 での再検査結果や兄弟子らのこれまでの証言などから、県警は2日間にわたる暴行と死亡の因果関係が立証できると判断 した。 (2008年2月7日23時38分 読売新聞)

許し難い。しつけと教育などときれいごとを言いながらのこのような暴力は、万死に値する悪行だ。 特に、山本容疑者は自らがビール瓶で被害者を殴り、弟子に暴力を指示した。傷害致死というより殺人事件と 言ってよい。しかも、逮捕された兄弟子3人には厳重な口止め工作も行っており、証拠隠滅のため遺族に無断で遺体 を火葬しようとしたことも発覚しているのだ。私個人的な考えを申せばこの山本という奴は死刑にすべきだ と思う。

私は暴力や凶悪犯罪は決して許せないタイプだが、このような体育会系的な人間の犯罪に対しては、特に強く拒絶反応を 示すことが多い。私自身の生い立ちもあるのだろうと思われる。 中学のころ、クラスの大半が野球やバスケなど運動部に入る中で、私は将棋部に入ったというだけで同級生の 目の敵にされ、馬鹿にされ、いじめられたことが影響しているのだろう。 何故スポーツなのか?スポーツをやる人間はそんなに立派な人間ばかりなのか?そういう疑問が常につきまとっていた。 そのようなもやもやした感情を世間に訴えようとして書いたのが、当サイト 2000年9月14日「スポーツ性善説にはもううんざりだ」 であり、その最後にこう書いている。 「スポーツをやること自体は心身の鍛練という意味では勿論悪いことではない。だが、 同時に人を思いやるとか、道徳的なことをおろそかにすれば、ただの野獣を作り上 げるだけになることを忘れてはならない。」 自分で言うのも何だが、7年以上経った今読んでも全く色褪せていない文章だ。それだけ、この国のスポーツに 対する考え方に進歩が見られないことの裏返しであろう。 ボクシングでは、亀田親子が反則技連発で日本中から顰蹙を買った。野球やサッカーでも乱闘騒ぎは珍しくない。 大相撲は、その点礼儀正しいし、まだマシな方だった。少なくとも力士が行司を殴ったなどという話など聞いた ことがない。これこそ日本の文化として世界に誇れるものだと思っていた。だが、今度の事件で、大いにイメージ が揺らいだ。その他横綱朝青龍の土俵内外の態度も、問題になった。八百長もあるらしい。 朝青龍のように俺は強い、強いから何をしても許される、山本のように俺は偉い、偉いから弟子は 何もかも従えというような思い上がった人間が増えている。まさにスポーツ界は野獣だらけといって過言では ない。

北の湖理事長は、相撲界に起こったあらゆるウミを表に出して悪いことは悪いとファンにきっちり謝罪すべき である。そして理事長職にこれ以上留まるべきではない。

一般のサラリーマン社会でも、体育会的な発想を捨て去るべきだ。あの人は学生時代どんなスポーツをやっていたから などといったことだけで企業の採用基準にしていまうことは今は流石に減ってきているが、まだ一部には残っている。 今以上に人間を見ていくことが必要になっていくだろう。


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