しげぼうの言いたい放題

 


・スポーツ性善説にはもううんざりだ(2000年9月14日)

まもなく、シドニーオリンピックが開幕する。

ところで、オリンピックと言うと毎回、「4年に一度の世界の平和の祭典」などと

スポーツと平和というものを何故か強引に結び付けようとするキャッチフレーズが

目に付くが、はっきり言って胡散臭さを感じてしまう。私はオリンピックに関心が

無い訳ではない。特に日本人選手に期待はしていないが、メダルを取ってくれれば

それなりに嬉しい。しかし、それだけである。たかがオリンピックよって、世界に

平和が訪れるなら、とっくにそれが実現していただろう。

そもそも、人類は(特に日本人は)スポーツというものを絶対的な善だと信じ過ぎ

ていないだろうか?私も小さいときは、「巨人の星」とか「あしたのジョー」など

を見て育ったが、特にスポーツというものに過度の理想を描いている世代かも知れ

ない。小さいときは感動したこれらの番組も今思い返してみると、単なる偽善的な

根性論ばかりを展開しているように思われる。更に始末が悪いことに学校のクラブ

活動などでもこうした根性主義的しごきが当たり前のように行われてしまっている

ところが恐ろしい。

ともあれ一般的に、スポーツをやる人間は、心身ともに健康で人間的にも優れてお

り、やらない人間はネクラで、何を考えているかわからない要注意人物のように、

思われる。就職などでもスポーツをやっている人間はやっていない人間より圧倒的

に有利である。

10年以上も前、宮崎勤が幼女連続殺人を起こしたとき、マスコミはそれ見たことか

とばかりに宮崎勤の私生活を暴き、家に閉じこもってビデオばかり見ている人間は

危ないと言い出した。オタク族なる流行語を生み出し、外見であまり明るさがない

大人しい人間をいびる風潮を生み出した。(勿論彼のやったことは絶対に許されな

いし私は彼を極刑に処すべきと思っている)

ではスポーツを行なっている人間は本当に全て健全なのかといえば、とんでもない。

ボクシングのチャンピオンが強姦事件を起こしたり、プロ野球の選手で幼女にいた

ずらをする人間が出たことは記憶に古くはない。大体プロ野球の選手などは、審判

に暴行を加えたり、相手選手を殴るなどということは日常茶飯事ではないか。

にも関わらず、オタク族のように、スポーツ族は危ないなどと騒がれることはなか

った。私に言わせればこんなおかしなことはない。

そもそも、スポーツなんて所詮は、弱肉強食の世界。いくら奇麗事を言ったところ

で相手を叩いて自分が勝ってなんぼの世界。スポーツ以外の場でも自分の体力にも

のを言わせてやりたい放題やる人間が出ても少しも不思議ではない。ましてやスポ

ーツで平和が築けるなんて理屈はちゃんちゃらおかしい。

大体オタク族なんて騒いで弱い者いじめをしているうちは、この国に本当の治安や

平和なんかは訪れるハズもない。

相手を思いやり、平和を築くということは、一人一人の心の持ち方の問題であって

スポーツをやったとか、ビデオを見たとか行動の問題ではない。要するに悪いこと

をやる奴は自分がどんな環境に置かれようと悪いことをやるのだ。

スポーツをやること自体は心身の鍛練という意味では勿論悪いことではない。だが、

同時に人を思いやるとか、道徳的なことをおろそかにすれば、ただの野獣を作り上

げるだけになることを忘れてはならない。


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