第32号c(2003年10月1日)

防災の日特集
関東大震災から80年
市民の命どう守る パネルディスカッション

 平成15(2003)年9月2日、横浜市開港記念会館において関東大震災から80年・パネルディスカッション「市民の命どう守る」が当会主催により実施されました。
 当日は中田横浜市長により基調講演をいただいた後、神奈川大学の三村教授をコーディネーターに迎え、大間知倫(当会事務局長)、小林照夫(関東学院大学文学部教授)、川西崇行(早稲田大学客員研究員)、吉村恭二(神奈川防災ボランティアネットワーク代表)各氏と市民の皆さんによる熱い討議が展開されました。


中田市長基調講演(要約)

防災訓練の課題

 今日は防災という観点からお目にかかることとなりました。実は昨日が9月1日防災の日でした。横浜に限らず全国でやっていたと思いますが、その次の日、毎日の防災訓練をより一層振り返り、その上で私たちの防災に対する方向性を考えておくのは、大変大切なことだと思います。昨日も防災訓練で新聞記者の方から、「防災訓練の今後の課題は何ですか?」と聞かれました。「出てこない市民にどう参加してもらうか。意識のない人にどう防災について、一人でも多く日ごろの心がけをしてもらうかが課題でしょうね。」と答えました。すべからくそうですが、どうしても出てくる顔ぶれが決まっているという案件が多いのです。個人の趣味でやっているとか、好き嫌いでやっているというのであれば、出てくる顔ぶれが同じでもいいのですが、こと防災になればその人本人のためでなく、地域全体で取り組むことを目指した活動になっていないと、いざというときに地域としての防災力が上がってきません。ですから、今日ここに来ていない人にどう伝えるかを思いながら話すことになると思います。

阪神大震災での教訓

 私は横浜市長という立場で、横浜の防災を考えなくてはいけません。以前は、衆議院議員を9年間していました。その途中の平成7年(1995)に阪神大震災が起きました。阪神大震災が起きて3日後、私は電車に飛び乗って現地に向かいました。関西にいる多数の知人と一緒になって、廃墟を片付けて軽トラックに積みこんでは、廃材置き場に運び出す作業をしていました。虚しかったのは、NHKのラジオを入れっぱなしにしながら作業をしていたとき、ラジオから国会審議が流れてきたことです。
 「初動態勢がなっていない!」と野党側が、当時の村山内閣を追及していました。村山さんは「いや、わたしだって初めてのことじゃからのう・・・」といいながら、ちゃんとやっているという答弁を繰り返していました。
 実に無味乾燥というか、そんなことやっている場合か!とだれもがあの瞬間思っていたのではないでしょうか。そんな中、瓦礫を片付けたり、全国から送られてきた物資が無秩序に山と積まれていましたし、どの避難所にどれだけの人がいて、そこに何がどれだけ必要かと正確にカウントできた資材の配分状況ではありませんでした。余っているところ、ないところ、同じ物ばかりきているところもありました。この状態は仕方ないことだったかもしれません。私たちが教訓を得て、それぞれの地域での取組み方を考えていくのが、せめてもの阪神大震災の活かし方だと思うのです。

横浜市の取組み「自助」「互助」「公助」

 横浜での取組みは、
 第一に「自助」「互助」「公助」です。
 「自助」は自らできることは自分でやって自分を守ること。
 「互助」はお互いに助け合うこと。
 「公助」は警察や消防、自衛隊などの行政が中心に活動することです。
 この三つを行なって全体としてレベルを高めていくことなのです。

 第二はいつ起こるかわからない状態に備えた「気持ち」を日頃から準備しておくことです。私は「準備は悲観的に、しかし対策は楽観的に」と思います。

 第三は発生したときの自分のとるべき行動を日頃からシミュレーションしておくことです。そして事態に対応して、リーダーシップをとれるようにすることです。

 第二の「用意」「行動」、第三の「リーダーシップ」は私に課せられた任務です。これは同じく地域で運動されている皆さんにとってもお役に立つものとして含まれていればと思います。
 横浜の取組みを具体的に御紹介します。市の防災関係のハードは全国から見ても非常に整ってきています。前任の高秀市長以来、阪神大震災の教訓を活かしてハード面の整備を進めてきました。必要とする避難所の設置は市民に身近な小・中学校にあります。震災時の避難場所に指定した小・中学校を皆さんにご確認してほしいと思います。マップも用意してありますがもっと広報活動に努めなくてはと思っています。そして、この小・中学校に食料や生活用品、救援物資を一通りそろえて一時的な避難生活ができるという観点から地域防災拠点にもなるように、市の体制として整備されています。指定された学校に駆けこめば生活用品があります。

ポケットベル

 この数年、携帯電話を持っています。しかし市長になってからすでに用済みになった感のあるポケットベルを常時身につけています。自然災害が起きたときに自動的に鳴り、その情報が流れる仕組みになっています。地震が発生すると各区の震度がポケットベルに表示されます。台風や大雨のときは警戒や警報の情報が表示されます。このための拠点が市に設置されています。日本全国どこでも持ち歩き、枕もとにおいて寝ています。本人が地震に気がつかなくてもポケットベルが鳴ります。職員や幹部もこのポケットベルを持っていて、震度5以上の場合はすぐに役所に向かうことになっています。

テロ対策も

 市長に就任して従来あった災害対策室を危機管理対策室に改め、自然災害のみならずテロなどの都市災害も想定しています。
 例えば数ヶ月前、磯子区の工場で大火災が起きました。こういう場合にも演習をしたり地域避難をしたりします。広く防災を考えて役所の仕組みを構築するようにしています。
 また、昨日の防災訓練を例にとると、建設業界は建設作業隊が移動できなくなった車をクレーンで吊り上げて移動させる、防水関係では河川の堤防を応急的に造って氾濫を防ぐなどの協定を市の建設業者と結ぶとか、あるいは医師と組んでトリアージの訓練を盛り込みました。トリアージというのは救急車で運んできたときや手当てをするときの緊急度を5種類に分けることをいいます。このトリアージの協定を結んだりとか、亡くなった人の応急的な棺おけが必要となることから、葬儀屋さんと協定を結ぶとかなど、118件の防災協定を民間業者と構築するようにしています。

無料で耐震診断

 また阪神大震災で痛感したことですが、家の倒壊は大変なマイナス要因です。持ち主の悲鳴はさることながら、道路が塞がれたり車が通行できなくなることは大問題です。
 火事が発生しても消防車が入れなくなるなど、二次災害をひき起す原因になります。昭和56年以前の民間の木造住宅については、無料で耐震の診断をしています。受診してリフォームの必要性があった場合、所得に応じて最大9割まで助成するなどの融資や補助をします。以上、備蓄の拠点となる学校等のハード面と、防災協定や各機関とのつながり、個人住宅対象の助成、診断等ソフト面での市の取組みを話しました。

市長の責務

 助成、耐震構造の診断は日頃の活動の中で活用していただくものです。ハードや協定がいざというときに運用できるかということが最大のポイントです。これこそが私の責務です。例えば地域の拠点に物資を供給するには、皆さんに協力をお願いしなければなりません。避難生活をするとき、地域の代表者で作る地域防災拠点運営委員会を今、設置をしておき、顔ぶれを確認しておかなければいけません。
 昨日は金沢区の防災訓練でしたが、このように顔合わせしていた委員さんが訓練に出てきて、物資の配給などしていました。また、市外から来たボランティアの方ができるものと、求めているものとのマッチングをボードを使って行ないました。
 これらのことのメンテナンスを日頃やっておくことが非常に重要です。町内会長さんを知らない人がいますが、地域の中に入り、地域と行政がいっしょになって仕組みの構築と運用のために努力をいただいていることはうれしいことです。
しかし、一方ではそれだけで満足してはいけません。市外から来るボランティアの方たちをはじめとする他地域とのネットワークの構築や有為な人のリストアップもなければ防災力の向上や関心を高めることにはならないと思います。
 とりわけ、これらは「互助」の部分です。「互助」を補っていただくよう、皆さんに心からお願いをしたいと思っています。

民の力

「民の力が存分に発揮される都市・横浜」を就任以来基本理念として申し上げてきました。
 防災に関しても市民の皆様のお力を貸していただくことをぜひお願いいたします。
いざというとき自分だったらどうするかを普段からシミュレーションしてそのときにその行動がとれるように、私なりにも努力をしていきたいと思っております。
本日のこの会が有意義であり、いざというときに行動ができるようにさまざまな研究がされますよう祈りまして、私の話を終わります。ご静聴ありがとうございました。


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