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(阪神淡路大震災でボランティアとして活動)
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大間知事務局長 松尾知純さんには昨年4月に研究会に入会して頂き、若い世代の代表として研究会にもあたらしい息吹を吹き込んでいただいています。 松尾知純 私は、「阪神・淡路大震災」が発生した当時は高校2年生でした。祖父母が伊東に住んでいたので群発地震でたびたび東京に避難してきて、私自身も伊東の家の建物にひびが入っているのを見ていたので、地震には関心がありました。また高校1年の時からライフガードとして働いていたので、人の命を守ることの重要さを痛感していました。 事務局長 「阪神・淡路大震災」発生により、現地へ行こうとしたきっかけは今までの説明でおおよそ予測がつきますが、具体的にはいつどんな形でどこへ行ったのですか。 松尾知純 震災発生から2週間後の2月1日に西宮に入り、市内の救援団体の事務所で、避難所を紹介していただきました。現地へ入るにあたり、米や飲料水、レトルト食品、寝袋等を準備して行きました。 事務局長 現地には一人で行ったのですが。また何日ぐらい活動しましたか。 松尾知純 現地へは友人と二人で行きました。この時は3日間の滞在でした。 事務局長 滞在中に肺炎や内臓出血の人などはいませんでしたか。 松尾知純 私たちが行く前に、現地では風邪が大流行したということで、肺炎になるなどして別室に移されたり救急車で運ばれたりした人も多かったそうです。 事務局長 避難所に風呂はありましたか。また、ボランティアは何名くらいでしたか。 松尾知純 その避難所には風呂はなく、他の避難所での巡回風呂の日程や温泉地からの招待の案内をしていまし。地域外からの常駐ボランティアは3〜5名程度にすぎず、近隣に住んでいるボランティアの方、特に中・高・大学生が多かったのが印象的でした。 事務局長 ボランティア活動から感じたことはどんなことですか。 松尾知純 災害時に多くの命を救うには、外から来たのでは間に合わない。自分が助けられる側にならないよう主体的に備えることや地域内の助け合いが重要であり、防災や災害救援の分野でボランティアの力を重視することは本質的には誤りだと感じています。 事務局長 その後も現地入りして活動大変でしたね。今後も頑張って下さい。 |
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防災・防犯と福祉のまちづくりフォーラム ■概要
■基調講演 早稲田大学理工学部 伊藤滋教授
■パネルディスカッション パネラー発言要旨
■まとめ
(詳細は神奈川新聞2001年12月17日13面をご覧下さい) ■大間知事務局長の発言
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