第25号(2002年1月1日)

インタビュー:松尾知純さんに聞く
(阪神淡路大震災でボランティアとして活動)

大間知事務局長

     松尾知純さんには昨年4月に研究会に入会して頂き、若い世代の代表として研究会にもあたらしい息吹を吹き込んでいただいています。
     ご本人は一ツ橋大学4年生、セフティリーダー学生ネットワークの初代世話役を務め、最近は全国規模でも活躍されています。
     8月には研究会第1回大会に日頃の研鑽結果を発表され、9月の公開シンポジウム「21世紀の地域防災と市民」を企画・運営など、目覚ましい活躍ぶりです。本日はあの日から7年が経過し、防災意識の風化が進行する中、震災時現地でのボランティア活動等を振り返ってもらいたいと思います。

松尾知純

     私は、「阪神・淡路大震災」が発生した当時は高校2年生でした。祖父母が伊東に住んでいたので群発地震でたびたび東京に避難してきて、私自身も伊東の家の建物にひびが入っているのを見ていたので、地震には関心がありました。また高校1年の時からライフガードとして働いていたので、人の命を守ることの重要さを痛感していました。

事務局長

     「阪神・淡路大震災」発生により、現地へ行こうとしたきっかけは今までの説明でおおよそ予測がつきますが、具体的にはいつどんな形でどこへ行ったのですか。

松尾知純

     震災発生から2週間後の2月1日に西宮に入り、市内の救援団体の事務所で、避難所を紹介していただきました。現地へ入るにあたり、米や飲料水、レトルト食品、寝袋等を準備して行きました。

事務局長

     現地には一人で行ったのですが。また何日ぐらい活動しましたか。

松尾知純

     現地へは友人と二人で行きました。この時は3日間の滞在でした。
     避難所は小学校はまだ断水していて、トイレも汚れており、トイレ使用のルールも未完成でした。
     体育館では200名前後の避難者が避難生活をしていて、ベッドを持ち込んだ人たちは校舎内の別の部屋で生活していました。到着して最初の仕事は、通路すらないほどに雑然とした体育館内に、断熱マットを敷きながら通路を確保する作業でしたが、干渉を嫌ったり無気力状態だったりして働くことを拒む方も多く、苦労しました。

事務局長

     滞在中に肺炎や内臓出血の人などはいませんでしたか。

松尾知純

     私たちが行く前に、現地では風邪が大流行したということで、肺炎になるなどして別室に移されたり救急車で運ばれたりした人も多かったそうです。
     3日間の作業としては物資の搬入や管理・避難所の運営事務・炊き出しの手伝いなどを、合間には子供たちの遊び相手としてサッカーやバスケットボールなどをしました。

事務局長

     避難所に風呂はありましたか。また、ボランティアは何名くらいでしたか。

松尾知純

     その避難所には風呂はなく、他の避難所での巡回風呂の日程や温泉地からの招待の案内をしていまし。地域外からの常駐ボランティアは3〜5名程度にすぎず、近隣に住んでいるボランティアの方、特に中・高・大学生が多かったのが印象的でした。

事務局長

     ボランティア活動から感じたことはどんなことですか。

松尾知純

     災害時に多くの命を救うには、外から来たのでは間に合わない自分が助けられる側にならないよう主体的に備えることや地域内の助け合いが重要であり、防災や災害救援の分野でボランティアの力を重視することは本質的には誤りだと感じています

事務局長

     その後も現地入りして活動大変でしたね。今後も頑張って下さい。




『安全・安心、ふれあいの21世紀をめざして』

防災・防犯と福祉のまちづくりフォーラム
主催:神奈川県遊技場供応組合、神奈川福祉事業協会
共催:都市防災研究会

■概要

 『安全神話』が崩壊したといわれる日本。地震や犯罪に弱く、高齢者など要援護者にやさしい安全・安心・ふれあいを目指す21世紀のまちづくりを提案する『防災・防犯と福祉のまちづくりフォーラム』が12月4日、横浜市神奈川区のかながわ県民活動サポートセンターで開かれた。
 神奈川県遊技場供応組合と神奈川福祉事業協会の主催、都市防災研究会が共催して開かれたこのフォーラムでは、伊藤滋早稲田大学教授による基調講演と、防災アドバイザーの山村武彦氏をコーディネーターに、都市防災研究会の大間知倫事務局長など6人のパネリストによるシンポジウムが行われ、防災・防犯・福祉などの行政がそれぞれの立場でまちづくりを指導しているが、実際それらに横軸を入れて地域づくりをするのは市民自身の役割であるとまちづくりに意欲を燃やす県民や、防災・防犯・福祉関係の行政職員、火山災害に見舞われている三宅島社協職員など、県内外から約200人が参加、会議からも活発な意見が飛び出すなど、熱い論議が展開された。

■基調講演    早稲田大学理工学部  伊藤滋教授

  • 21世紀の安全、安心のまちづくりは官民を挙げて
  • 安全安心な都市再生と地域の活性化を目指すこと
  • テロリズムなど増加する都市犯罪に対して地域やセキュリティの性能向上、強化をはかること
  • 地域安全の担い手にシルバーパワーを起用すること

■パネルディスカッション パネラー発言要旨

  • 自分たちの命は自分たちで守ろう(山村武彦 防災システム研究所長)
  • 日々の福祉活動に防災を織り込もう(大間知倫 都市防災研究会事務局長)
  • 防災対策、まず安全な住まいづくりを(山本久雄 福祉と防災推進サポートネット事務局長)
  • まちぐるみの連携で犯罪防止を(斎藤忠生 神奈川県防犯連合会専務理事)
  • 「助けて」と素直に言える社会に(丹直秀 さわやか福祉財団地域共同プロジェクトリーダー)
  • 住まい、まちづくりは防災、福祉、環境の視点で(縄絋次 かながわ住まい・まちづくり協会専務理事)
  • 現代型向こう三軒両隣ネットを全地域に(樽井彰子 鎌倉市NPO運営会議事務局長)

■まとめ

 会場からは、災害弱者とりわけ障害者対策原発の安全性宅地開発時点からの、地盤の防災対策など多数の質問が投げかけられ、その意識の高さが伺われた。パネリストが示した様々な視点をわがまちにどう取り入れるか、様々なまちづくりの種をどう育てるかは、地域それぞれの特性を踏まえた住民自身の役割だ。
 大地震は近く、しかも必ずやってくる。あれこれと迷っている暇はない。最悪の事態を想定して今日できるところからその備えをしていこう、防災対策は、防犯・福祉にも垣根なしで役に立つものである。
 このフォーラムを数年は続けたい。来年も防災・防犯・福祉の3要件を見事に取り入れているモデル的なコミュニティーのリーダー囲んでのフォーラムを展開していく予定。参加者が、新世紀のまちづくりのリーダーとして、地域でのますますの活躍を期待する。

(詳細は神奈川新聞2001年12月17日13面をご覧下さい)

■大間知事務局長の発言

 少子・高齢化社会を迎えて最初に都市部を直撃したのが「阪神・淡路大震災」だといわれていますが、人的被害は死者の半数が高齢者を中心とする要介護者であり、その中でも男性の倍ぐらいの女性高齢者が亡くなられました。今後首都圏でも大地震の発生が懸念されますが、私たちは、行政の要援護者対策や高齢者自身がどれだけ防災に取り組んでいるかという調査と、横浜市地区社会福祉協議会の要援護者に対する防災への取り組み調査をしました。

 その結果、いずれもさらなる工夫と努力が必要と感じました。各種のデータからも明らかなように高齢者世帯が増えるのと同時に、地震の発生確率も年を追って上がっているので、現状では極めて高い危機意識を感じています。

 「阪神・淡路大震災」では、芦屋市・神戸市・西宮市などの市街地に死者が多く、倒壊率が高かったにも関わらずコミュニティーがよく機能した地域、たとえば北淡町などは死者が少なくすべてを灰にしてしまう火災延焼も最小限。三宅島の噴火でも50人ほどの要介護高齢者がおられたが、地元の社会福祉協議会の人々の活躍で素早く避難できた。
 これらのことから息の長い、先取りした各地域での防災福祉マップ超高齢社会福祉型助け合いネットワークが極めて重要です。
 そのためには体系的防災教育、防災情報の共有化、日常の介護サービス中に防災の話題を出しての小さな備えを積み重ねて行くことなども不可欠です。




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