23号2001年6月15日
インタビュー 森島牧人さんに聞く
関東学院大学 文学部教授 学生ボラネット組織産みの親

大間知事務局長 本日は関東学院大学に「阪神・淡路大震災」を契機に誕生した学生ボランティア組織「ボラネット」にまつわる経緯、経過、その後の動向、今後への課題等についてお伺いいたします。


森島牧人幹事 「阪神・淡路大震災」が発生した直後に関東学院大学では学生が中心になり被災地へ直行しました。災害の現場のあまりにもひどいありさまに呆然と立ち尽くす以外何もなすすべはありませんでした。
 学生の、何かしなければという使命感が現地へと駆り立てたのですが、学生自身もそこでどう行動すべきかわからず、また被災地の区役所にはボランティアを受け入れるシステムもまだできていませんでした。ですからはじめの2回程は、学生は何もできずに戻ってきました。

事務局長 その後先生方の採られた施策により、学生ボランティアの現地での活躍がスムーズにいくようになったと以前お聞きしたことがありますが。

森島幹事 キリスト教系の関西学院大学宗教センターの先生に連絡し、同校の学生が中心になり活動をしていることが判明し、そのルートを使って本校の学生も現地でのボランティア活動をスムーズに行えるようになりました。このときネットワークの重要性について学んだわけです。

事務局長 この時、学生の活動は3月いっぱいまで活発に継続されたようですが、「ボラネット」が立ち上がるまで1年以上がかかったようですが。

森島幹事 実は'95年4月から私の海外研修留学があり、具体的な動きは翌年私が帰国してからになりました。
 「阪神淡路・大震災」はそれまで学内にあったボランティアサークルにも大きな影響を与えたわけですが、災害に対応するためには既存のサークルを急集めのチームとするだけでは不十分な事がわかり、日頃から学生ボランティアのネットワーク化の必要性を学びました。
 そこで、当時、現地で活動した学生を中心に学内サークルから代表者が加わり、討議を重ね、'96年秋に「関東学院大学ボラネット」が誕生しました。この時の運営委員は10名、他にサークルから100名位が参加しました。

事務局長 その後災害への現地での支援活動はありましたか。

森島幹事 その後の現地派遣はありませんが、同じ思いを持つ学生たちにより、神奈川大学や東海大学などとの大学間ネットワークが形成されていきました。
 その後、慶応大学、日本大学、横浜国立大学等との連携が県のサポートセンターを軸として展開され、組織の拡大充実が進んでいきました。

事務局長 行動のマニュアルのようなものはつくられましたか。

森島幹事 マニュアルやシミュレーションについても話し合いがもたれ、インターネットの急速な普及もあり、連絡網の整備やバイクボランティア等との連携も深まっています。
 また、関東学院大学では昨年からボランティアの綜合講座も開始され、単に奉仕の精神だけでなく学術的にも活動の裏付けがされるようになりました。

事務局長 「ボラネット」の課題についてお願いします。

森島幹事 「ボラネット」の中心が文学部であったため、当初組織のIT化に問題があったのですが、その弱点を今は電子工学科の学生がカバーし、その面ではずいぶん改善されたと思います。
 災害が県内で発生した場合の問題はこれからと考えています。
 学生には障碍を持つ学生も増えており、災害時のシミュレーション訓練も緊急な課題と考えています。

事務局長 本日はありがとうございました。一層の発展を期待します。




横浜市鶴見川関連水害対策訓練に参加
石塚智子 事務局
     横浜市緑区鴨居鶴見川右岸において、掲題訓練が5月25日に実施されました。JR鴨居駅付近には立て看板もなく、土手の途中に会場入り口の看板がポツンと立てられていた。
     会場近くで、やっと訓練という実感がわく程度だったが、壮大なイベント会場に化した広大な敷地に排水ポンプ車や国土交通省の降雨体験車が用意されていた。
     雨合羽と長靴に身を包み、いざ降雨体験車の中に入ると、背の高い中学生グループと一緒になり、強風が遮られた。雨足が早く、大きなスクリーンを見ていると、伊勢湾台風で自宅に見る見る浸水して、気がつくと、2回の屋根と並んで浮かんでいるボートに乗っていた、幼い頃の記憶が蘇ってきた。
     少しナーバスになったが・・・・・・
     小学生が小さな手で握ってくれた炊き出しのおにぎりと、用意されていた冷たいお茶で、しばしの休養をする。
     横浜市の自主防災の制服姿が目立っていた。地元の中学生や主婦などに、日本赤十字の救急法が実施される姿も見られた。
     阪神大震災から7年目に入り、薄らぎつつありますが、気を引き締めて!!



避難所運営マニュアル作成セミナー開催

     5月20日(日)、市民防災センターにて、3回シリーズのセミナーが開催されました。
     今回は横浜市総務局災害対策室の支援を得て、市内452の地域防災拠点に応募を呼びかけたところ定員50名を超える応募があり、20名以上の方をやむを得ずお断り致しました。当日には事前申し込みのない方数名の直接参加もあり、関係者も含め定員48名の部屋に69名が詰め込まれるという事態となり、一時は立ち見も出るという盛況でした。
    当日は、三浦代表、横浜市災害対策室日下部課長の挨拶に続き、横浜市災害対策室小野沢係長より、地域防災拠点の意義についての説明、旭日防災(法人新会員)の黒沢取締役から拠点の備蓄庫に格納資材取扱について、ビデオや現物を見ながら発電機、トイレ、濾水機、炊飯器等の解説がされ、参加者にはヘルピー(救助笛)が」配布されました。
     また、参加者からは地域防災拠点について、市民へのPR不足、案内板の必要性、毎年役員の交代など切実な意見が発表されました。

アンケートについて

     当日はアンケートを実施、参加者50名から回答が寄せられましたので、以下に概要を報告します。
     マニュアルがあると答えた方は21名、準備中は13名70%近くが必要性を考えておられるようです。作成済みの方のうち、半数の10名は要援護者の項目があると答えられていますが、帰宅困難者について配慮は皆無でした。
     拠点でホームページやニュースを作成していると答えた方は7名で、市民住民へのPRや防災意識の普及はまだまだと感じられました。
     拠点会議の年間開催は訓練のための開催と思われる4回以下が35名で、5回以上が7名で地域防災力の向上を目指している拠点はまだ20%にも達していないようです。
     トイレ設置場所を決定しているのは18めい40%弱で、災害時の混乱を避けるためにも予め決定しておく事の重要性はまだ認識されていないようです。
     要援護者の把握は80%以上が13名で、地区社会福祉協議会と拠点との連携が課題と思われます。
     ボランティアが活動する拠点を決定している拠点は17名で、ボランティアの需要性認知にも差があるようです。
     車椅子を独自で準備していると答えた方は8名で、まだまだ準備不足が伺えました。

参加者の年代、属性等

     70代が21名、60代が17名、50代6名、40代5名、30代1名で、80%が60代以上でした。また、参加者の立場ですが、委員長19名、副委員長5名、拠点役員8名、自治会役員9名でほとんどの方が拠点などの運営に携わる立場の方でした。




避難所運営マニュアル作成セミナー開催の意義について
大間知 倫

被害規模によって避難所は大きく増える

     5月より3回シリーズで、横浜市市民防災セミナーで毎月1回セミナーを開催しています。「阪神・淡路大震災」の教訓としては、市町村が指定していた避難所だけでは被害が大きく自然発生的に、小中学校以外に公共施設、幼稚園・保育所、自治会館・町内会館等様々な施設が避難所になり様々なトラブルが発生しました。
     「阪神・淡路大震災」以後横浜市は449の小中学校(現在452校)を地域防災拠点として位置づけ、避難所の機能も兼ね備えました。兵庫県内市町村では避難所の指定はされていたものの、避難所の運営マニュアルもなく運営を誰がするかも決まっていませんでした。施設管理者である学校側が避難所管理運営を行ったところが多かったようです。また自治会館・町内会館等では当然自治会関係者が避難所運営を当事者として参加したり、まだ10代の青年が卒業生であるという理由で管理者になった避難所もありました。そこで様々な混乱が発生しました。
     横浜市では452の避難所がありますが、もし「兵庫南部地震」と同規模の地震が発生すれば1200箇所の避難所が必要となります。神戸市では指定避難所300に対し開設された避難所は600にもなりました。当然、行政との連絡、避難者への弁当支給や、トイレの準備等もどこが避難所になっているかも不明ですから、情報把握に努めましたが、職員の出動状況も低調で実情把握は遅れ、食料・飲料水・生活用品の支給にも時間的な差が避難所間で大きくつきました。

避難所に必要な要援護者対策

     また極めて重要なことですが、真冬の寒い時期に地震は発生し、足腰の弱い高齢者を中心とする要援護者の方は、遅れてきたために避難所の冷たい寒い場所しかなく、肺炎や内臓出血等の二次被害を受ける方が続出しました。
     避難所マニュアルがなく日頃図上訓練等もなく、要援護者の方へのケアは保健所等が巡回するようになってから行われました。私たちはこれらのことを避けるために、避難所運営マニュアル作成セミナーを企画しました。そして避難所が指定されている以上に開設されれば、運営に携わる人も現在決定している人だけでは間に合いません。これらのことを横浜市の場合でいえば、地域防災拠点の役員は2〜3カ所の避難所を運営するつもりで態勢をつくっておいていただくことが必要です。その他、避難所運営マニュアルは作成されていても事前に運営する組織が決定していない市町村では、発災時に遅れが出ることは避けられません。したがって、横浜市のように予め地域防災拠点運営委員会を組織し、日頃から合同で訓練を実施したりして、顔見知りになっておくことが望まれます。
     また避難所運営マニュアルは作成されていても、発災時数時間の対応をまとめたところが大部分で、要援護者や帰宅困難者に言及しているマニュアルは、ごく一部分です。避難所生活が数ヶ月に及ぶことを想定すれば、それなりのマニュアルが必要です。

避難所マニュアルは毎年見直しを

     マニュアルはいかに立派なものを作成しても、運営する人が変われば機能しません。毎年新たに作成する心算で見直しが必要です。




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