風のささやき

違和感

違和感を感じていた。久しぶりに訪ねた父の実家の近くを歩きながら。
その原因は直ぐに解った。家の脇を流れている小さな川がコンクリートで固められていたのだ。
何故に山からのこんな小さな川の流れにコンクリートを使わなければいけなかったのか。
川の流れが生気を失っていた。人工的な灰色の継ぎ接ぎは醜悪だった。
コンクリートの溝はまたコンクリートの大きな溝につながり、淀んだ川の水を運んで行く血管のようだった。

それから僕は雨の中、しめった草木の匂いのする家の前の庭を歩いた。
昔は牛やウサギを飼っていた小屋も、雉を見たことのある桑畑も、既に取り払われていた。
僕は子供の時分の記憶を確かめながら歩いていたのだが、次の一歩を踏み下ろそうとして、それを止めた。
ちょうど足を踏み出そうとするところに、三毛猫の死骸が横たわっていたのだ。そうして、その腹の所に
は黄緑の蛍光色をした苔が生え、一際鮮やかに光っていた。僕は思わず心の中で「うわっ」と叫び息を呑んだ。
僕の想像を超えて、そこに当然のように横たわっていた死。
そうして、猫の死骸には貪欲な苔の生が浸食をして光っている。

僕が感じていた違和感の根っこ。死の上にある生を覆い隠そうとする試み。
コンクリートで固められた川にはもう、死の香りはしない。
それは死の上に浮かび上がる、生の色合いを奪い去ってしまう。

都会で暮らす時にふと感じる違和感も同じところにあるのかも知れない。
人の生がいつまでも続くかのようなコンクリートの舞台装置の上で、死の香りを忘れている暮らし。
生の永続を謳歌するための騒々しさ、生の実感を高めるための強い刺激、死を押し流す目まぐるしさ。
それでいて人はポロポロと逃れることのできない死の淵に引きずり込まれ、予期せぬことに慌ててしまうのだが。

僕は心を落ち着けて、足の踏み下ろす場所を探して、三毛猫の死骸を横目に見ながら、朽ち葉の匂いのする空気をゆっくりと嗅いでみた。生と死の混沌の匂い。その空気の漂う故郷。その故郷にも都会の暮らしが浸食している。生から死が置いてきぼりになる暮らしが迫ってきているのだ。