風のささやき

壁の中の戦争

 ある晴れた暖かい日のことです。まゆみは、小学校からの帰り道、赤いランドセルを背中に、友達と一緒に歩いていました。そうして、友達の犬のことなどを話しながら、背の低い草の生えた空き地にさしかかったときです。何かが草の中でキラキラと光っているのが見えました。
「ねえ、ちょっと待っててね。」
 そう言うとまゆみは、空き地のそばに行って光っていたものを手にとりました。
「ねえ、何それ。」
 友達がまゆみの手をのぞきこんでいます。それは、兵隊の人形でした。人形の胸には金色の小さな勲章がついていて、それが太陽の光りを受けて、まゆみの目の中でキラキラと光っていたのです。布でできた兵隊の人形は、赤い三角の帽子と黒い衣装を身につけて、手には長い銃を持っていました。大きな目をした鼻の高い人形は、どこか外国の人形なのでしょう。端正な顔立ちをしています。けれど、かわいそうなことにその顔の左側が少しこげているのです。それにこの空き地で雨に打たれていたのでしょう。その布の体は少し濡れています。
「ねえ、その人形どうするの。きっと誰かがいらないから捨てたんだよ。そのままにしておいたら。」
 友達はそう言いました。けれど、まゆみはその人形を家に持って帰ることにしたのです。このまま放っておいたら、きっとこの人形は真っ黒になってしまいます。そうしたらほんとうに誰も気づいてくれません。あるいは、猫がくわえていったりしてもかわいそうです。まゆみは両手で人形をかかえて、家までのあと少しの道を歩きました。その間に、人形の足からは水滴が二滴、三滴と落ちて、地面の上で弾けました。

「りあちゃん、バイバイ。また明日ね。」
 そう言って友達と別れたまゆみは、家に入ると洗面所に走って行って、よごれた人形の体を石鹸で洗ってあげました。たくさん石鹸をつけた人形の体からは、後から後から、ぶくぶくと泡がでてきます。
「何て真っ黒な泡。」
 そうして、何回も何回も手がヒリヒリするくらい洗い、ようやくその泡もでなくなったころには、人形はすっかりときれいになりました。まゆみはそれから、お母さんが髪を乾かすときにつかうドライヤーの風で人形を乾かしてあげました。
「さあ、これでできた。」
 顔の焦げた跡は少し気になりますが、人形はすっかりと新品のように綺麗になりました。
「やっぱり持ってきてよかった。」
 まゆみはすっかりとうれしくなって、その人形を部屋に持って行くと、自分のベットの側の小さな机の上に立たせたのです。

「どうして算数ってこんなに難しいんだろう。」
 ようやく嫌いな算数の宿題を終わらせたまゆみは、ベッドに入りました。気がつくといつもよりも遅い時間になっていたので、すっかりと眠くなっていたのです。
 まゆみは部屋の大きな電気を消して、小さな電球を一つけました。そうしてベッドの横の机に立っている兵隊の人形の顔をのぞきこみました。人形の顔のやけどの後は、暗い中で見ると昼間よりもかわいそうに思えました。それで、まゆみは人形の頭を優しくなでて、「おやすみ」と小さく声をかけてあげたのです。


 まゆみが眠ってからだいぶたったころです。部屋の片隅から何か音が聞こえてきました。それでまゆみは目をさましたのです。何だろうと思いまゆみは、その音が聞こえてくる壁の方へ近づきました。すると突然まゆみを怒る声が聞こえたのです。
「あぶないじゃないか、そんなところでボーッとしてたら。」
 それと同時に壁から手が伸びてきて、まゆみは壁の中へ引き込まれてしまったのです。まゆみのことを怒っていたのは、今日まゆみが拾ってきたあの兵隊の人形でした。その証拠に人形の顔には、あの火傷の跡があります。人形は、まゆみよりも大きな体になって、まゆみのことを見下ろしています。
 まだ半分眠っているまゆみには、一体何が起こっているのかがさっぱりとわかりませんでした。きっとこれは夢なんだとまゆみは思ったぐらいです。
「ほら、早く頭を下げて。鉄砲の弾に当たっちゃうだろ。」
 そう言いながら、人形はまゆみの頭をグイグイ押します。
「痛い、ねえ痛いよ。」
 まゆみが言ったその時です。近くで大きな爆弾の音がして、モクモクと砂ぼこりがたちました。まゆみは、その音の大きさに驚いて、ペッタリと地面にしゃがみこんでしまいました。
「すごい威力だ。あれはきっと新型の爆弾だな。」
 兵隊の人形は小さな声でつぶやきます。
「いいか、ここで待っているんだぞ。」
 どうやらこれは、夢ではないようです。まゆみは急にこわくなって、急いで積み木でできた壁の後ろに頭を引っ込めました。

 まゆみは、しばらくの間こわくて目をつむっていました。そうして、十分もたったころ、ようやく目を開けてあたりをキョロキョロと見回しました。すると驚いたことに、あの人形と同じ様なかっこうをしたたくさんの兵隊の人形たちが、大きな声を出しながら戦っているのです。
 まゆみの人形はどうやらその兵隊たちの大将のようです。他の兵隊たちに大きな声で指示を出しています。
「ほら、モタモタとするな。どんどん進め」とか、
「きちんと敵を狙って撃つんだ」とか、怖い声で叫ぶのです。
 その間にも爆弾が破裂したりして、あちらこちらでけがをした兵隊たちが、痛そうに泣いています。


 まゆみはそんな兵隊たちを見ていられませんでした。それでほんとうは怖かったのですが、勇気を出して兵隊の人形に近づいたのです。そうしての腕につかまって言いました。
「ねえ、やめて、何であなたは、戦っているの。ねえ。」
 兵隊の人形は怒って言います。
「ほら、危ないじゃないか。あっちにいってろ。」
 けれどまゆみは負けません。痛そうに泣いているたくさんの兵隊たちが可哀想に思えたからです。まゆみはもう一度兵隊の人形に言います。
「ねえ、お願いだから、もう戦わないで。」
 兵隊たちに指示することで一生懸命の兵隊は、また怒った声で言いました。
「何故戦っているのかなんて、ほんとうは僕にもわからないんだ。だけど、敵が攻めてくるし、仲間もたくさんやられたから、戦わなければいけないんだ。」
 けれど、その声はどこか寂しそうです。
 とその時です。兵隊の人形とまゆみをめがけて、敵の投げた爆弾が飛んで来ました。
「あぶない。」
 そう言いながら兵隊の人形は、飛んでくる爆弾からまゆみの体をかばってくれました。
 ドーンと言うものすごい音がして、まゆみの耳はしばらくジンジンとして、何も聞こえませんでした。

 モクモクとした土煙が消えてあたりを見回すと、まゆみをかばってくれた兵隊の人形は、爆弾に飛ばされてしまったのでしょう。まゆみから少し離れたところで横たわっていました。そのそばには心配そうな仲間の兵隊たちが集まっています。
 まゆみは急いでそばに駆け寄ると、兵隊の人形に話しかけました。
「ごめんなさい。ねえ、だいじょうぶ。」
 苦しそうにしている人形をよく見るとその右足が半分ちぎれそうになっているではありませんか。まゆみは悲しくなって何度も兵隊の人形にあやまります。
 すると兵隊の人形がまゆみに話しかけました。
「大丈夫、大丈夫だよ。僕は前にもこうして右足が取れかけたことがあったんだ。ようやく思い出してきたよ。」
 兵隊の人形は、悲しそうに話しを続けます。


  「僕はこの家に来る前に、小さな男の子の家にいたんだ。けれどその子はほんとうにやんちゃな子で、僕を毎日ほかのおもちゃにぶつけて戦わせたんだ。でも僕はその男の子に好きになってもらいたくって、勇気をふりしぼって敵にむかって行ったんだ。いつかは、僕の体の何十倍も大きい人形とも戦ったこともあって、あの時はほんとうに怖かったよ。それで足がとれたことがあったんだ。
 けれどその子は新しいおもちゃを買ってからは僕にすっかりと飽きてしまって、ある日、僕の顔にマッチで火をつけて、あの空き地に投げ捨てたんだ。
 僕はあまりにも悲しくてしょうがなかったよ。胸を針でチクチクと刺されるようだったよ。だから僕は空き地の上を飛ぶカラスに何回も頼んだんだ。僕をどこか空の遠くに連れていってよと。けれど、誰も僕のことを相手にしてくれないんだ。そうして、やがて雨に打たれているうちに心まで冷たくなって、僕は昔のことを忘れてしまったんだ。」
 まゆみは、兵隊の人形があまりにもかわいそうに思えて涙が流れました。兵隊の人形は、男の子のなすがままに戦わされていたのです。それで記憶をなくしてからも、戦い続けなければいけないと思って、こんな人知れないところで、ほんとうはいない敵と戦っていたのです。この壁の中は、
兵隊の人形の気持ちが作り出した世界なのです。

 倒れている兵隊の人形に気がついたのでしょう。敵がどんどんとこちらにやって来ます。そうして一斉にまゆみたちを狙って銃をかまえました。
「もうやめて、もう戦わなくていいの。」
 まゆみは大きな声でさけびました。

 そうして気がつくとまゆみはベッドの中で泣いていたのです。あれは夢だったのでしょうか。まゆみはベッドの側の兵隊の人形を眺めました。すると兵隊の人形はいつの間にか床に落ちていて、足が半分とれそうになっています。
 まゆみは急いでベットから起きあがると、兵隊の人形を拾い上げてやりました。そうしてまだグズグズとした涙声で、言葉をかけてあげたのです。
「明日にはお母さんに言って、足をなおしてあげるからね。」

 次の日、まゆみはお母さんにお願いして、人形の足を直してもらいました。お母さんはその人形を見ると
「この顔の火傷もきれいにしてあげられるわ」と言いました。

 すっかりと足もなおった人形は、まゆみの枕元に飾られています。そうして、火傷の痕がなくなったその顔は少し笑っているように優しく見えます。

 あれ以来まゆみが、壁の中の戦争に引き込まれることはありません。けれどまゆみは、少しでも人形をなぐさめてあげようと、学校の帰り道に摘んできた野の花を飾ってあげたり
、寝る前に本を読んであげたりします。
 今度まゆみが壁の中に引き込まれるときには、壁の中一杯に広がる花畑を、兵隊の人形が手を引いて案内してくれるんだと、まゆみは寝る前に時々思うのです。