川端康成と九重


川端康成は旧友である画家高田力蔵の誘いで、昭和27年 (1952) 10月に飯田高原を来訪し、さらに「波千鳥」連載中の翌28年 (1953) 6月にも再訪している。このときの足跡を追ってみよう。

1952.10
  • 20日:別府市の招きで別府着、観海寺温泉杉の井泊
  • 21日:中津から深耶馬渓を探勝
  • 23日:玖珠町森に出て、オート三輪、トラックで 九酔渓経由、筋湯温泉両筑屋泊
  • 24日:筌ノ口温泉小野屋旅館で昼食、長者原を 経て硫黄山火口見学、徒歩で岩場登り、 諏峨守越えをして 法華院に一泊
  • 25日:坊がつる一帯を散策
  • 26日:久住町に向かう
1953.06
  • 10日:長崎来訪中の川端氏から赤峰武氏へ 「アメガフラネバユクカワバタ」との電報あり
  • 12日:大分経由豊後中村駅着、タクシーで小野屋旅館へ移動、 法華院にいた高田画伯が下山して同宿
  • 13〜15日:飯田高原の夏の自然美を楽しむ

 

『九重風物誌』、九重の自然を守る会制作、梓書院(1988.9.1発行)

川端康成文学碑へ戻る