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エルベ
−裔−

























 

藤下真潮 著
 



 
 
 
 
 
 
 
 
 

斯く神アダムとイブを逐出しエデンの東にケルビムと
自ら旋転する焔の剣を置きて生命の樹への途を護りたまふ
「創世記」三・二四

 


ジョーカー:"A" is for Angel. "D" is for Daemon.
2047年5月24日
南米チリ サンマルティン空港 第4トランジット・ロビー
 男は不安そうな面持ちでトランジット・ロビーの古ぼけたプラスチックのイスに腰掛けていた。

 エア・アンデス25便、サンパウロ経由ルクセンブルク行きは、折からの悪天候のため出航が遅れていた。

 男は両足の間に置いたスーツケースに目を落とした。そのスーツケースの中には、直径3cm、長さ10cmほどのステンレス製の容器が入っていた。二重の断熱シールが施されたその容器には、”D”と書かれたラベルが貼ってあった。そしてもうひとつ。男のスーツの内ポケットにも”A”と書かれたラベルの容器が在った。重要な搬送物が複数在る場合は、絶対同一のカバンに入れない。それが、少なくても表面上は大使館員である男の長年のルールだった。

 ふたつの容器の存在が、男の神経を落ち付かなくさせていた。

 危険な物体ではあり得ない。ウィルスなどでもない。ただの芽細胞《ブラスト》に過ぎない。たとえ容器のふたが開いたところで冷凍された細胞が死滅するだけであって、男に何ら危険はなかった。

 しかし、その容器を受け取った際に見せられた画像が男を不安にさせていた。

 男はロビーの窓越しに見える叩き付けるような雨脚に視線を移した。その時、男の背後に座っていた空色のワンピースを着た女が、立ちあがりざまに男の首筋に手を遣るような仕草をした。男のからだが一瞬硬直するように震えた。そしてすぐに眠りこけたように首を垂れた。

 女は何気ない素振りで男の前に廻り込むとスーツケースを拾い上げ化粧室へと足を向けた。

 ロビーは閑散としていた。女のさりげない動きを注意するものは居なかった。

 男の死亡が発見されたのは、それから4時間後であった。死体は空港警察立会いのもとで調査された。当初、心臓麻痺の診断が下されたが、その後の司法解剖で血液中から致死性の毒物が検出された。結局、殺人事件の手配が行われたのは、死体発見から8時間経過した後であった。

 男の身元がドイツ派遣国連駐在職員であったため、事件は外事警察に委ねられた。

 男の背広の内ポケットから出てきた容器には、ドイツ国政府の警告付きの封印が成されていた。この容器をめぐってチリ外務省へは、国際保険機構《WHO》とドイツ政府の双方から引き渡し要求がなされた。

 両国の要求と国際公務員法の解釈に板ばさみになったチリ外務省は、当初容器の返還に苦慮したが、それも5日後に起きたフレイヤ・フォールによるWGAIO南極研究所の消失によりあっさりと解消した。WHO自体が瑣末な事件など放り投げたのだ。

 ”A”のラベルを貼られた容器は、2週間後遺体と共にドイツへと送り返された。

 しかし、”D”のラベルを貼られた容器の行方は、杳として知れなかった。

 


赤のA:『遺言』
2102年11月1日
ドイツ バイエルン州ミュンヘン郊外
 親愛なるフロイライン・瑠璃へ

 おそらくこの手紙があなたへの最後の手紙になることでしょう。この手紙があなたに届く頃は、私はすでにこの世に居ないことと思います。ですからこの手紙とともに全ての資料を送ります。それによって私の債務が果たせたわけでは在りませんし、あなたへの義務が果たせたわけでも在りません。ですが残念ながら私には、もはや残された時間がありません。

 こんな資料を送るよりも、私のすべき事は、まだ幼かった頃のあなたが無心に知りたがった人の魂の行き場所を答えるべきなのかも知れません。しかし、あなたより遥かに長く生き続けた私ですら、自分の魂が残されて行くものか、それともこの老いさらばえた躯とともに朽ちて行くものか、それを知ることができないのです。そしてまた、私が半生を掛けて取り組みあなたに託したものの是非を知ることができないのです。私があなたに負わせてしまったものが、あなたにとってつらい重荷でしかあり得ないようであれば、この資料は廃棄してください。

 私はかつて自分の娘に対して行った間違いを繰り返しあなたに対して行ってしまったのかもしれません。しかし、その行為が例え私の自己満足、自己欺瞞に終わるとしても、それは私が行う事ができた唯一のそして人類に対する善意から発したということだけは信じてください。

 あなたを”私の娘”と呼ぶ事は許されない事でしょう。しかしそれでも私はあなたの血が未来に渡って引き継がれ、やがて新しい地の礎、新しい人のしるべとなることを願って止みません。

 いい訳ばかりになってしまいました。老人の繰り言と思って聞き流してください。遺産相続に関しては全て弁護士に委任してあります。彼とよく相談してください。

 あなたとあなたに連なるすべてのものに神の加護がありますように。
 

2102年11月1日

晩秋のキール湖畔にて

Karl Midmyr


 
 
 


黒のA:『C2WB2』
2060年3月4日
テキサス州 セント・エドワーズ空軍基地
 地下5階のブリーフィング・ルームは、程よく冷房が効いていた。冷気の吹き出し口のフィルターの押え金具がチリチリと耳障りな共振音を立てていた。

 しかし、国連陸軍特殊任務部隊(UNASSF)第1小隊長アルフレッド・マイスナー少尉は、言いようの無い居心地の悪さを感じていた。

 何故、国連軍所属の自分がアメリカ空軍のブリーフィング・ルームに居るのか。何故、場違いな白衣を着た科学者連中がここに居るのか。

 それが、うんざりするような政治的駆け引きの結果であることは理解できた。それでもマイスナーには、いま目の前に在るガラス容器の中の物体に感じる違和感を拭い去る事ができなかった。

 円筒形のガラスケースに横たわる物体は、まるで遠い昔のガキの頃に観た出来の悪いSF映画のようだ。灰褐色の甲羅のような体表。小型のサルに近い体躯・・・

 「・・・一見これは甲殻類に近い外骨格構造を形成しているように見えますが、実態は内骨格を持ち、外骨格《exoskeleton》と言うよりは皮膚骨格《dermal skeleton》であるといえます。組成的には25%という高度にシスチンを含有し重合ペプチド結合したα螺旋構造ケラチンが表面のヒドロキシアパタイト結晶と繊維結合しています。これは非常に高い強度と柔軟性を併せ持ち、クラス3のボディ・アーマーの性能に匹敵します・・・」

 リアリティが無い。延々と続く科学者の説明を黙って聞きながらマイスナーが考えていたのは、その事だけだった。

 何かの悪い冗談のようだった。目の前の生物は、ガニメデ辺りで発見された宇宙人だと言われれば、なるほどそうかと肯くしかないような代物だった。

 「・・・皮膚厚さの平均は9mm程度。胸部及び腹部は12mmを越え。下顎部と頚部の皮膚が比較的薄く5mm程度。しいてウィーク・ポイントと言えばこの部位になるかと思われます・・・」

 C2WB2(crustal creature weapon by biological)。それがこの生き物につけられた名前だ。生物学的甲殻生体兵器。バイオテクノロジーを駆使した生体兵器。やはり冗談にしか聞こえない。

 「こいつに知能は在るのか・・・?」そう思わず口にした後で、マイスナーは余計な事を聞いてしまったとを後悔した。

 質問を受けた科学者は嬉々として横道にそれた話を始めた。「明示的な知能に関しては、現状では測定できていません。しかし、各個体の記憶力と言う点ではかなりの能力を有している事が確認できています。さらに特異的な点としては、群単位の共有意識もしくは記憶に相当するものが確認されています。内部的に意見の統一は見られていませんが、個人的にはこの共有記憶と言える仕組みは触発《リリーサー》フェロモンが各個体間で相補的に機能しあうことによってなされると考えています・・・」

 それともこいつは深海で発見された生物で・・・。

 マイスナーは頭の中で今日の日付を考えた。エイプリル・フールには、まだ早かった。

 クラス3のボディ・アーマーを撃ちぬくには、44口径で秒速600mのエネルギーが必要だった。もちろん弾頭質量、形状、表面処理で貫通力は異なる。しかし貫通能力が高いライフル弾であっても7.62mm口径で秒速800mは必要だった。

 「群棲

 


 



 
赤の2:麦秋の頃
2041年5月27日
ドイツ バイエルン州ミュンヘン郊外
 一年ぶりに帰って着た自宅の玄関に立った時、ミッドマイヤーを迎えるものは誰も居なかった。それでも自分で玄関の鍵を開け、家に入ると懐かしい部屋の匂いが彼を迎えた。

 本来は別荘地であるこの郊外に住居を構えたのは、病弱な妻のためだった。その妻も3年前に既に他界していた。今は、娘のヒルダとメイド・ロボットがいるだけだった。

 居間の片隅には、メイド・ロボットがうずくまる様に置かれていた。マスター・スイッチが切られている様子だった。

 ミッドマイヤーは、ロボットの傍らに寄ると首筋にあるマスター・スイッチの電源を入れた。

 何種類かの起動経過音の後、ロボットは姿勢を維持したまま機動開始した。 ロボットは感情の無い眼球を動かして彼の姿を認めた。

 「お久しぶりです、旦那様」いまとなっては古いタイプに属する中性的な合成音声も久しぶりに聞くものだった。

 「久しぶりだね、セバスチャン。ところでヒルダはどこだい」

 「お嬢様は、まだ学校からお戻りになっておりません。あと15分くらいで帰宅される予定です」

 「なぜ、お前のマスター・スイッチが切れているんだ」

 「今朝方、お嬢様が私の電源を切られました。旦那様のお迎えと今晩のご夕食のお世話を自分でなさりたいとのことでした。しばらく私に休んでいるようにとの指示です」

 「では、私は少々早く着きすぎたようだね」

 「そのようです。お嬢様をがっかりさせない為にも私のスイッチはお切り下さい」

 「わかったよ。留守中の出来事はあとで聞かせてくれ」

 「かしこまりました。旦那さま」

 ミッドマイヤーは、ロボットのマスター・スイッチを切ると娘の部屋のある2階へと上がった。

 2年前に妻を亡くし、仕事の関係で南極に行かねばならなくなった際には、この自宅を処分するつもりでいた。娘をミュンヘン市街にすむ親戚に預け、自分は単身で南極に赴くつもりでいた。しかし、この家の処分を頑強に反対したのは娘だった。まだ8歳にしかならない娘が、この家で父親の帰りを待つ事を主張したのだ。

 娘の部屋は、子供らしい飾り付けがされていた。南向きの窓から昼下がりの柔らかな陽射しが射し込み、部屋の中に満ちていた。

 窓辺には、5月の若枝《マイエン》と呼ばれる白樺の若枝に金糸銀糸の布を巻き付けた飾りが取り付けられていた。

 ミッドマイヤーは、それを見て先月の娘との電話での会話を思い出した。

 5月1日《マイターク》には帰ってきてね。五月祭に、わたしメルツェン《3月の花》をやるのよ。

 娘は電話越しに誇らしげに喋った。

 レースのカーテンを開き、テラスへと出た。目の前に大麦の畑が広がっている。黄金色に色づいた麦の穂が風に波打つように揺れていた。

 この地方では、収穫前の麦畑をわたる風を麦狼《コルンウォルフ》という風に呼んでいる。

 2階のテラスから俯瞰するように眺めれば黄金の海原を走る細波は、確かに風の狼が走り回っている様にも見える。

 さわさわとそよぐ麦の海原に風の動きとは違う一筋のゆっくりとした動きが走った。ミッドマイヤーは、テラスの手すりに持たれかかり目を凝らした。

 動きの先端に黄金色の穂に紛れ、金色の髪と白い服が見え隠れした。娘のヒルダだった。家路を急ぐ娘が近道をしようと麦畑を横切っているのだ。

 やれやれとミッドマイヤーは思った。妻がまだ生きていた頃の事だ。3つか4つのまだ幼い娘は麦畑の中で遊ぶのが好きだった。収穫前の麦畑で遊ぶ娘に対して妻は、麦狼に喰べられてしまうよと何度も叱っていたのを思い出した。あの小言もあまり効果はなかったようだった。

 娘の姿がはっきりと見て取れるほどに近付いた。

 「おとうさま〜」

 娘が手を振りながら叫ぶ声が風に運ばれかすかに聞こえた。娘は麦狼の波に逆らい麦の穂立ちをすり抜けるように、家を目指してまっすぐに駈け寄ってきた。

 どうしてあの密集した穂立ちの中を、しなやかに走り抜けることが出来るのだろう。

 ミッドマイヤーは、手を振り返しながら麦の天使《コルンエンゲル》という麦畑を走る風を表すもうひとつの言葉を思い出した。

 狼か天使かは判らないが、とりあえず娘は元気そうだった。
 


 
『終末の始まり』
 

 それは、およそ350万年前・新生代第三期鮮新世に地下2800kmのD層と呼ばれる場所で生まれた。それはマントル層基底部で核の熱にあぶられ、どろどろとなった珪酸ペロプスカイトのホット・プルームと呼ばれる直径20kmほどの”塊”だった。高温により周囲より低比重となった”塊”は、約2800kmの距離を350万年という気の遠くなるような時間をかけゆっくりとマントル層を貫き、南インド洋上レユニオン島の真下の地殻に達した。地表面に近づくにつれ、急激に周囲の圧力から開放された”塊”は、地殻の下で巨大規模の爆発を起こしレユニオン島もろとも地殻を吹き飛ばした。

 吹き飛んだ岩盤の一部は成層圏にまで達し、この衝撃で発生した波高200mの津波は地球を二周し、沿岸部の都市を飲み込んだ。

 西暦2242年。その日、人類の8割が死に絶えた。

 成層圏まで吹き上げた火山性微粉塵は、二億トンにも達し、太陽光の3割を遮断した。

 その年の年間平均気温は、通年を10度下回った。

 慢性的な食糧不足が続いた。作況指数は0.1を下回りつづけた。文明的なエネルギー生産手段を失った人類は、飢餓と寒波、そして食料を奪い合う争いにより、潮が引くように衰退していった。

 それから5年後の2250年。人類の人口は、ついに一億人を割り込んだ。