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アズ
藤下真潮 著
月 貴志 絵

 
 

『意味が無いから良き生を過ごせないのではない。
よき生を過ごせないから意味にすがるのだ』
ニーチェ

「だからといってニーチェが良き人生を過ごせたわけでは無い」











序章「発掘」 

□□□□□

 ユーラシア大陸中央部ゴビ砂漠北方。かつてそこには燕然都護府《えんぜんとごふ》とよばれ、唐の時代に遊牧民を統治するために設置された役所があった。いまとなっては痕跡すらも残されてはいないが、”異常重力地帯《ゾーン》”は、そんな場所に程近かいところにあった。

 ゾーン分析作業チーム発掘作業班リーダー、イザック・シャミルは、沈みかける夕陽を見ながらため息をついた。

 ――また気温が下がる。

 典型的な砂漠気候のこの土地では、昼夜の気温差が40度を越える。大気中に暴露した石英閃緑岩の岩盤は、この気温差による熱膨張の影響で極端に組成がもろくなる。

 ――作業の中止を判断しなければ。

 だが局の連中が作業遅延をそう簡単に飲むとは思えなかった。

 ――しかし、それでも中止させなければ・・・

 イザック・シャミルは、坑道掘削装置《ジャンボ》の基盤を支える為に打ち込んだパイルの緩みが気になっていた。予想以上に吹き出た地下水が、夜になると凍結し岩盤の強度劣化に拍車をかけていた。

 耳に引っ掛けていたトーキーの呼び出し音が鳴った。

 「シャミルだ」

 「チーフ、ジャンボに何か引っかかりました。ブレードをどかしますんで、確認に来てください」

 背景のエンジン音に紛れ聞き取りにくい音声が流れた。

 「分かった、すぐに行く。それより支柱の応力はどのくらいだ」

 「基盤の水平ずれが3度を越えちまいました。応力は、いま平均で8万トンくらいです」

 ――応力限界の80%か・・・まずいな。

 シャミルは頭の中で舌打ちした。

 「今行く。ブレードをどかすのは待ってろ」

 そう言ってトーキーを切ると、シャミルは機材運搬用のリフトへと足を向けた。

 ”ゾーン”は、直径1km、深さ150mのすり鉢上の隕石孔であった。そこに隕石孔が発見されたのは21世紀も後半に入ってからだった。発見が遅れたのは隕石孔自体が大量の砂に埋もれていたためと、19世紀以降、ほとんど人の立ち入らない地域になっていたからだった。

 22世紀になって、”ゾーン”の近くに巨大なパラボラを擁する衛星受信設備の建設計画が持ち上がった。建設に先立つ土木用水準原点計測の際、付近の重力場異常が発見された。高度補正を加えた平均より2%ほど大きめの重力加速度が観測された。重力値の異常自身は取りたてて珍しい事ではない。地盤の構造や地下に埋設している鉱脈などの種類により重力は変動する。この場合も巨大鉱床の可能性が指摘されたが、結局ろくな重力探鉱調査も行われず、受信設備計画は進行された。だが、基礎が出来あがり建物の基本構造が7割方出来あがった段階で、突如水準面に狂いが生じた。

 重力場の強さが変動したのだ。それは、当初”ゾーン”付近にあったとされる巨大質量がちょうど消失した格好となっていた。

 ユーラシア連合、科学技術局が調査に乗り出した。

 ”ゾーン”の重力加速度の精密調査が行われた。当初990Galを越えていた重力加速度は計測開始時には、ほぼ平常時の980Galに戻っていた。しかし、1日の変動で最大0.5Galまで揺れ動いた。

 なぜ重力加速度が変動するのか。原因は謎のまま、重力場変動の中心部である隕石孔の中心地下300m付近の発掘調査が開始された。

 シャミルを一人乗せた1アール程もある積載重量100トンを越す大型リフトは、隕石孔の縁から25度の傾斜面に沿ってゆっくりと下降した。

 日は暮れ始めていたが、地下水による湿度と日中に上がった気温で作業場は地獄のように蒸し暑かった。気温35度、湿度100%、不快指数は95を越えていた。

 「チーフ! どうします?」

 現場担当者のコーフェルがトーキー越しに声を掛けた。地下水や土砂を汲み上げるポンプの騒音で、肉声では面と向かっていても聞こえない。

 「重力場の変動は?」

 「振幅の幅は大したことありません。縮小方向で安定しています。ですが、周期の方は早くなる一方です。それより基盤傾斜が気になります。切削ブレードを外した途端バランスを崩してジャンボ自体が前に傾きかねない・・・」

 元々ジャンボを設置した岩盤は安定した一枚岩ではない。隕石孔が形成された際に破砕された小規模の岩盤に設置されている。そういう意味では不安定な瓦礫の上に無理やり設置されていると言えた。

 シャミルは迷った。作業を一旦中止させて基盤の安定を図るか、作業を続行させブレードに引っかかった”物”を確認するべきか。だが工期は遅れに遅れていた。

 「引っかかった”物”がターゲットの可能性は?」

 「重力変動が弱くなっているので、よく分からない。前回の計測位置から判断して、ほぼ間違い無いとは思いますが・・・」

 「分かった、コーフェル。ブレードを外そう。その結果ターゲットが見つかっても見つからなくても、作業は一旦中止にしよう」

 「了解。リーダー」コーフェルは、ジャンボのオペレーターに向かって声を張り上げた。「ブレードを外すぞ! 逆回しにしろ!」

 その答えを待っていたかのように、エンジンが唸りを上げた。胃が裏返しに成りそうな振動が沸き起こった。

 直径20mもある切削ブレードが、ゆっくりと逆回転を始めた。岩盤との接触面から水が噴き出した。地下水脈の一部に接触したのかもしれない。

 「ポンプを回せ!」、「基盤傾斜は!?」、「3.12度!!」トーキー越しに作業者達の声が聞こえた。

 水煙がやがて水飛沫に変わる。シャミルはヘルメットのゴーグルを降ろした。

 「・・・重力加速度・・だい・・・」

 かなりのノイズ交じりの音声が途切れ途切れに届いた。声から作業者は特定できなかったが、”重力加速度”の言葉から観測班の人間だとは思われた。

 「重力場がどうした!?」シャミルは声を張り上げた。

 「重力加速度・・・増大中・・・995・・・いや1000Galを越えた・・・」

 シャミルの頭の中が一瞬空白になった。

 「作業中止だ!! ジャンボを停めろ」叩き付けるようにトーキーに向かって叫んだ。

 「1010・・・1020・・・まだ増えるぞ!!」その声にオーバーラップするように別な声が聞こえた。「基盤傾斜3.3・・・3.4・・・支柱応力の限界を超えたぞ・・・」

 「停めろ!! コーフェル」シャミルは再び叫んだ。

 その瞬間、切削ブレードが岩盤から完全に外れた。地下水が穿たれた穴から滝のように噴出した。その噴出する水と共に、銀色に輝く繭状の物体が穴から転がり落ちた。長さ2mほどのその金属塊は、見掛けの重量からは信じられない様な凄まじい地響きを立てて、ジャンボの基盤としていた岩盤にめり込んだ。

 地面が地震の様に揺れた。

 「水準面変動!! 重力場1100Gal」、「基盤傾斜が5度を越えたぞ・・・」

 形容しがたい鈍い破裂音がした。それはジャンボを支える支柱の油圧シールが、外力に負けて吹き飛ぶ音だった。

 ジャンボがぐらりと横に傾むき、車体の上部が壁面に叩き付けられた。その衝撃で壁面を支えていた高張力鋼の支柱材が吹き飛び、地下水で揺るんだ壁面が雪崩のように崩落を始めた。

 地面は揺れつづけた。圧力に耐えられなくなった支柱材が、次々と悲鳴のような軋みをあげて吹き飛んでいった。

 繭状の物体は作業用のサーチライトに照らされ、鋭い刃物の様に禍々しく銀色に輝いていた。あられのように砕けた石がヘルメットに降り注ぐ中、シャミルは身動きも出来ずに、その輝きを呆然と眺め続けた。

 

  


第2章「残された記憶」

□□□□■

 〈・・・ア・・・ズ・・・〉

 遠く女の声が聞こえた。

 <誰だ? 俺を呼ぶのは>

 ・・・ア・・・ズ・・・どうして?・・・どうして貴方には分からないの?・・・

 女の顔がぼんやりと浮かんだ。よく知っている顔のはずだった。見知らぬ顔では無かった。けれど思い出すことが出来なかった。

 <何の事だ?>

 ・・・アズ・・・

 <違う!! 俺の名前はアズではない>

 では、私の名前は何だったろうか?

 ・・・どうしてなの・・・どうして貴方には分からないの?

 <違う! そうじゃない! そうじゃない・・・俺の・・・俺の名前は・・・>

 ・・・決めて・・・あなたは裁断者《アービター》よ。あなたが人類の未来を決めるのよ・・・アズ・・・決めて・・・そして私と還りましょう・・・アズ・・・ア・・・ズ・・・

 何処かで耳を貫くような鋭い非常警報の音がした。

 <目を・・・目を覚ませ!・・・夢だ・・・これは夢だ・・・>

 非常警報の音は益々高まり、耳を覆わんばかりとなった。

 ・・・どうしてなの?

 <目を・・・目を覚ますんだ!!>

 

 突き刺さるような電話の呼び出し音に、私は目を覚ました。

 のろのろと手を伸ばし、ハンドセットをさぐった。

 強烈な不快感が体を包んでいた。伸ばした腕に付けていた時計と一体になった代謝調節装置《メタボライザー》のモニターが、警告色を発光しているのが焦点の合わない目の縁に入った。

 ハンドセットをようやく取り上げると頭の近くに寄せた。こちらから話し掛ける気分では到底無かったが、ハンドセットの向こうからは勝手に声がした。それは、何か悪い夢の続きの様で頭の中でなかなかうまく言葉として結び付かなかった。

 「ラセル! 居るのか!?」

 捜査局次官ハンコックの声だった。

 「居ます・・・が・・・休暇中です」

 私は、それだけをようやく喋ると腕の時計に視線を移した。まだ午前4時だった。

 「画像が映らんぞ! どうした大丈夫か?」

 電話の画像はオフにしてあった。しかし、入れようという気力も起きなかった。

 「サイボーグにだって、休む権利と寝る権利ぐらいある筈でしょう。人の心配をする前に、電話を掛ける常識的時間を考えてください」

 「そんなこたぁ分かってる。俺だって叩き起こされたんだ。緊急事態だ。さっさと顔を洗って出て来い!!」

 私は、腕を一杯に伸ばしハンドセットを頭から遠ざけた。それでも十分に聞こえる程の声のでかさだった。

 「いいか緊急事態だぞ! レベル7だ! すぐに来い!!」

 それっきり電話は切れた。私は、腕を伸ばしたまま手首のスナップでハンドセットを放り投げた。ハンドセットは、部屋の反対側の壁にぶつかり、そしてガラスの割れる音と共に床へ落ちた。

 腕のメタボライジング・モニターの警告表示の点滅は続いていた。私は、メタポライザーを覚醒モードに設定すると再びベッドに身を横たえた。アドレナリンが体中を駆け巡るのを感じた。頭の奥底の気怠さは相変わらずだったが、体の方は多少楽にはなった。

 ベッドから起きあがり部屋の明かりを点けた。目の前に一瞬光りの洪水のような眩さを感じたが、つぎの瞬間にはフィルター補正が掛かり、いつもと変わらぬ部屋の風景に戻った。

 メタボライザーをノーマル位置に戻し、床に転がったハンドセットを拾った。片隅にはフォト・スタンドが転がっていた。拾い上げるとカバーのガラスにひびが入っていたが、電子焼き込みした画像データには異常は無かった。

 ぼんやりとした頭で、私はフォト・スタンドに映る見慣れた画像を眺めた。そこには、見知らぬ自分と見知らぬ女が仲睦まじく微笑んでいた。私はフォト・スタンドを元にあったキャビネットの上に戻した。写真に映る女は先ほどの夢の女に似ているような気がした。

 <どうしてなの・・・>

 その答えを、まだ私は知らない。

□□□■□

 重複合建築区域《クラスター》を出て、走路に入る。クラスターを繋ぐ走路は、中央に寄るほどスピードが速かった。しかし早く着こうという気も起きず、私は走路の端をゆっくりと歩いていた。

 クラスターの狭間の深い闇は粘つくタールのように暗く、それを見詰めていると失った記憶の欠片が呼びかけてくるようなざわついた錯覚に捕われる。

 私は歩きながら低位階層の闇から目を背けるように頭を振った。その瞬間左膝がまるで錆付いたドアが軋むような悲鳴を上げた。

 わたしは思わず立ち止まり、走路の端のガイドベルトに倒れ込むかのように持たれ掛かった。

 吐き気がした。しかし、それは気のせいのはずだった。私の体には消化器官と云うものはない。定期的に補給するグルコース、アミノ酸類、器官喪失の為合成できなくなった酵素タンパク類・・・。私は、食事と云うものには無縁の存在だった。

 左腕の関節までもが疼くように痛んだ。それも、もちろん気のせいのはずだった。四肢の全ては人造であり、骨格筋の大半は生体アクチュエーターで置きかえれていた。

 ――あなたの体に施した処置は完璧です。吐き気や痛みを感じるのは、神経末端処理が不完全だからではなく、心理的な要因です。吐き気や痛みをあなたの心が欲しているのです。

 確かに、心理カウンセリングの医者が言う通りかもしれない。私は、私がまだ人間だった頃の感覚を欲しているのかもしれない。

 では、まるで幻聴のような膝の関節が発するこの錆付いた蝶番が軋むような音はどうなのだろう。聞こえるはずの無い膝からの鈍い軋み音を私は地獄の呼び出し音のように恐れていた。それとも私は、私が機械仕掛けであることを心の何処かで欲しているのだろうか。良く分からない。それは、壊れかけた自分の記憶のように曖昧だった。

 走路は、ゆっくりと私を目的の場所へと運んでいった。

 私は、クラスターの間に広がる闇を再び見詰めながら、夢の残滓を振り払うように再び強く頭を振った。

□□□■■

 指令端末の表示はこのビルを示していた。

 447B66F3b/3408210330/TB−D02−P01/L−A

 最初のコードは事件の発生場所。次の数字は発生時刻だ。”TB−D02−P01”は、爆発事故で死者2名、犯人1名の意味。”L−A”は、殺傷許可付帯の犯人逮捕指示だ。

 コードで見る限りは、単なる爆弾テロにしか見えない。それは、通常の警察の管理事件でしかあり得ない。捜査局に要請があったということは、それ以外の特殊事情が存在しているはずだった。

 実際のところ、わざわざ指令端末など持たなくても、私の体の中には同等の機能が埋め込まれていた。捜査局の指令コンピュータに直接リンクし自分の視覚内に直接ビル構造も表示させることもできる。

 しかし私は、自分のリクエストに依らない内蔵端末への一方的なデータを送り込みを拒否していた。次官と装備担当課長の首を締め上げて止めさせたのだ。私の体が局の予算の1割近くを消費するとはいえ、私の体を道具や実験材料とみなす態度には我慢が出来なかった。

 ビルのゲートにはIDチェックが付属していた。私は身分証明書をセンサーに映るように広げた。「捜査局特務課 ラセル・D・セギ」マイクに向かって所属階級と姓名を告げた。

 機械音声には、固有の声紋は含まれない。しかし、ID認識に必要な付帯コードを音声情報に透かしの様に分散させてある。

 「恐れ入りますが、当装置は機械音声IDを認識できません。リストリンクを使用してください」

 リストリンクとは、サイボーグ体に固有の左手首に埋め込まれた非接触インタフェースのことだ。

 私は、時計を外すとゲートのID装置に左手首を押し付けた。

 「認証完了しました。捜査官、局から66階ブロック3bへ直行するよう、指示が入っております。5番のエレベーターをご使用下さい」

 余計なお世話だと思いながらも、私は装置に向かって了解したと云う様に軽く手を振った。

 66階には科学技術局の理論物理研究コアが在る。

 エレベータからフロアにでると、すでに騒然とした雰囲気に包まれていた。保安課の人間がA級プロテクタの重装備で配置されていた。対テロというよりも、まるで戦争でも始まりそうな雰囲気だった。

 顔見知りの保安課の人間がいた。

 「状況は?」私は声を掛けた。

 略形式の敬礼をしながら、保安課員が答えた。

 「犯人は、あの部屋にいます」身振りで扉を示した。「犯人は1名で、被害者は2名です。小規模の爆発が起きたようです」

 「被害者の状況は」

 「部屋の中の生命反応はゼロです。被害者は、既に死亡しているようです」

 「ゼロって、犯人の分は?」

 「犯人は、人間で無いとの報告を受けています」

 「クェスター(擬似生命体)か・・・」

 クェスターとは22世紀前半から作られた半有機半機械の準生命体だ。要するに出来の好いロボットのことだ。

 「武器は?」

 「モニターで確認しましたが、持っていないようです」

 「何で、突っ込まないんだ?」

 「あなたが到着するまで待機するよう指示を受けています」

 「なんの積もりだ? そんなにやばいヤツなのか?」

 「分かりません。爆発の原因も不明ですし」

 「分かった・・・銃を貸してくれ」私は、非番なので銃は携帯していなかった。

 保安課員は、一瞬腰の短銃を渡そうか肩に吊るしたフルオートを渡そうか迷った。

 「腰のヤツでいい」

 保安課員から手渡された銃のマガジンを抜き、弾の種類を確認した。50口径、高速燃焼パウダー、タングステン・ピアス。反動は物凄いが、こいつなら外骨格タイプのクェスターでもなんとかなりそうだった。

 マガジンを戻し、安全装置を外した。

 「L−A(殺傷許可付き逮捕)でいいんだよな?」私は確認のために聞いた。

 「L−B(殺害不可逮捕)で聞いておりますが。可能であればL−C(保護逮捕)だと」

 私は憮然とした。「どうしろって言うんだ。あんなのを相手に・・・L−Bの件は、聞かなかったことにしておいてくれ」

 最後の言葉に捜査課員は、口元を緩ませた。

 「モニターで状況を確認してください」

 「いらんよ。どうせ死角だらけで参考にならん。自分の目で見たほうがましだ。とりあえず一人で入る。俺が撃たれるか、倒れるかしたら援護してくれ。くれぐれも背中は撃つなよ」

 眼を軽く閉じた。内蔵端末を局の指令コンピューターにリンクさせ、そこからこのビルの管理コンピューターに繋いだ。階数とブロック番号から部屋を特定させ部屋の内部モニターにアクセスした。光学モニター、生体反応センサー、温度分布センサー、床の重量変位計。部屋のほぼ中央に人間らしきものが立っていた。扉を開ければ目の前に居るはずだった。

 私は部屋の扉の左脇に張り付いた。ドアスイッチに手を掛け、突入の儀式をした。3,2,1と頭の中で数える。ドアスイッチを押した。軽いモーター音と共に扉が開いた。5、4、3、と数えなおす。5秒。人の緊張が一瞬途切れる時間だ。相手が一人の場合は有効な手段だった。センサーで感じる人影になぜか動きはなかった。

 銃を構え、部屋の中に飛び込んだ。

 部屋の中央に一人の男が立っていた。後姿であったが、クェスターのようには見えなかった。身じろぎもせずに立ち尽くす男の周りには、壊れた実験機材が散乱し、二人の男が床に倒れていた。

 視覚を赤外域へとシフトさせた。

 倒れている二人には、ほとんど体温が無かった。立ちすくむ男には、通常の体温パターンが見られた。

 男は動かなかった。武器は携帯していないようだった。

 クェスター相手に体を接触させるのは危険だった。私は男との距離を測り、銃のねらいをつけ直すと、男に向かって声を掛けた。

 「両手をゆっくり挙げろ」

 男は、その声に反応したように体を震わした。そして手は動かさずに振り返ろうと体を動かし始めた。

 「体を動かすな!!」私は叫んだ。

 動きは止まらず、男は完全に振り返り私を見た。だが男の視線は、何も見ていないように宙にさまよわせ、そしてぶつぶつと何かをつぶやいていた。

 頭の中でちりちりと不協和音がした。

 「クラッカー・・・これは罠だ・・・」男はそうつぶやいた。

 「!?」

 ”クラッカー”の言葉に私の背筋は凍り付いた。背後で扉が自動的にしまる音がした。軍隊時代に鍛え上げた私の中の予感の虫が悲鳴を挙げた。

 私は、弾かれたように左腕を背後に振った。視線と銃は男に向けたまま、左腕で背後のドアスイッチを探った。

 体中の神経が加速状態に入った。扉の開く遅さを呪いながら、私は開きかけた扉の隙間めがけて床を蹴った。

 男を包む空間が奇妙に歪んだ。何が起きたのかは良く分からなかったが、次の瞬間何かが炸裂し、私は膨張した空気と共に扉の外へ投げ出された。

 反対側の壁に体を叩き付けられながらも、私は銃の構えを崩さなかった。奇妙に歪む空間に向かって引き金を絞った。弾は何処かにはじける音がした。しかし、目標に命中した実感は伴わなかった。

 目の前の空間がブンッという唸りを伴い脈動した。男の姿は掻き消すように見えなくなっていた。

 扉が再び閉まった。その瞬間、目の前の部屋が壮絶な金属の圧壊音と共に、中心方向に向かって爆縮した。

□□■□□

 白くぼんやりとした影のようなものが私を呼んだ。

 それは、とても懐かしいものだった。

 ”アズ”と、それは私を呼んだ。

 私は、その名に覚えは無かったが、それは、たしかに懐かしいものだった。

 白い影のようなものは、少女の形をしていた。

 それが誰かは思い出せなかったが、それもまた懐かしいものだった。

 なぜ、懐かしいという気持ちが湧くのかは分からなかった。

 私は、私が誰だか分からなかった。

 暗闇の中で、私は目を覚ました。

 ここが何処か分からなかった。

 なぜここに居るのかも分からなかった。

 辺りは闇に包まれていた。

 見上げると、遥か上空の暗闇の彼方にビルの闇に四方を縁取られた空が見えた。

 四角い紺碧の空は、なぜか悪夢のように綺麗だった。

□□■□■

 「・・・詳細に関しては各ファイルを参照していただくとして、これからかいつまんだ概略をお話します」

 本来、連合の最高会議体を構成する十二人のメンバーが座わるべき楕円形の広いテーブルには、今はわずか四人の男が席に着いているだけだった。ユーラシア連合安全保障局東部方面支部長ハミルトン・クリフトの前には、キャフタ市市長ヤナ・フォーロン、捜査局主席次官リガート・ハンコック、連合科学技術局理論物理学ブロック主幹フレデル・オーウェンが居た。

 「まず、ターゲットAおよびBが発見されたゾーンに関する経緯は、既に報告済みの内容と重複するので省略します。説明は、ファイルのチャプター2から入ります。ターゲットAは、先月26日のゾーン落盤事故から1週間後の当月3日に再発掘されました。翌4日には科学技術局の物理物性研究所非破壊検査課に搬入され外部カプセル状物体の構造および組成解析を受けました。結論の詳細はアペンディックス(補遺)Iを参照してください。カプセルの材質に関しては、まだ完全に組成分析が出来ていません。現状では電子自由度がかなり高い非金属製元素からなる複合結晶構造体としか解りません。つまり非金属からできた金属状物質と考えてください。この物質の力学および化学特性が次に示されています。硬度はそれほど高くありませんが、剪断、引っ張り、圧縮、曲げの応力関係の数値はとてつもなく高い。それと化学的安定度は金に匹敵します。要するに何も分かっていないのに等しいと云うことです」

 「オーウェン君。私も忙しい身だ。なるべくポイントを絞って簡略にしてくれたまえ」ハミルトンが口を挟んだ。

 「分かりました。それでは、今朝未明に起きた理論物理研究所コアの爆発事故から説明したいと思います」

 壁のスクリーンに画像が映った。それは医療用実験室の一部のようだった。

 「これは、研究室内部のモニター映像です。”爆発”らしきものは都合3回起きています。そのうち最初の1回目と2回目は原因が同じと思われますが、3度目の”爆発”は爆発とは表現しにくいのですが・・・。とりあえず最初の”爆発”シーンを見てください。ターゲットA――我々はアンドロイドと呼んでいますが―― ターゲットAがベッドに横たわっています」

 ベッドに寝ている男の周りに研究者らしき人間が二人立っていた。画面に一瞬ノイズのような物が走った。その後、弾けたように二人の研究者が倒れこんだ。

 「今度は1000分の1のスローで再生します」

 ノイズの前後がスロー再生された。爆発特有の発光などは見られなかった。何かに弾かれるように研究者が倒れる場面が見えるだけだった。

 「爆発の瞬間を停止します」

 画面の一部にノイズがあるだけで、ごく普通の場面にしか見えなかった。

 「手前の研究者の左端に見える被検体の一部に注意してください。ズームします」

 研究者の左わき腹付近の画像がズームされた。被検体である男の胸の部分に肌の色と異なるブルーの布地が見えた。

 「本来見えるはずの無い位置にシーツの布地が見えています」オーウェンの指差す辺りにポインタの矢印が映りこんだ。「研究者に隠れて分かりにくいので、2回目の爆発シーンの方を見ていただきましょう」

 画面が切り替わり被検体の男が立っているシーンが映った。20代の均整の取れた、逆にいえば個性の無い体つきだった。映像はスローで再生され、ある瞬間で停止した。

 会議室内に軽いどよめきが起きた。画面に映る男の中心部の頭から下半身にかけて垂直に幅20cmほどの帯状に透明になっていた。

 「これは一体なんだね、オーウェン君」

 「これを説明するためにこの映像が撮られた撮像素子の特性が問題に成ります。この撮像素子は水直方向で6000、垂平方向に9000程度の解像度があります。画素データの取り込みは垂直列の画素データを水平軸方向にスキャニングします。ここまでは普通の撮像素子と違いはありません。特殊なのはこの撮像素子の感度が非常に高いために露光に時間が掛からないと云うことです」

 「意味が良くわからないのだが?」

 「普通の撮像素子では1画面が100分の1秒くらいつまり10ミリ秒位あります。この場合露光は10ミリ秒行われますから、映っている画像は10ミリ秒の時間の積分された画像が映ります。つまり非常に高速に変化したものは映りこまないと云うことです。ところがこの撮像素子はスキャニングと同時に垂直列毎に露光を行います。積分される時間は1マイクロ秒です。これが水平方向に順次スキャンされ10ミリ秒の画像が作られます。つまり画面全体としてはともかく垂直方向の一列に於ては1マイクロ秒という非常に高速な変化に対応しているわけです」

 「それでつまりこの画面の意味するところはどうなるのだ?」

 「この透明になっている部分は水平方向の画素数分で約2000画素あります。時間にして2ミリ秒くらいです。つまり・・・」

 「つまり?」

 「この2ミリ秒の間、この男は少なくても画面外から消えていたことになります」

 「どこへ?」

 「わかりません。ですが、我々はこの消失と爆発の原因が密接に連動していると考えました。消失後、真空になった領域に空気が流れ込み、2ミリ秒後に出現した際に急激に空気を押しのけた、それが衝撃波となって爆発のような現象を引き起こしたのではないかと結論付けました」

 「そんなことが可能なのかね?」

 「少なくても我々には出来ません」

 「画面の範囲外に高速に移動したとは考えられないのか?」

 「画面外までいかなくても、仮に20cmの距離をスキャン方向に――この場合は右方向ですが――1マイクロ秒で移動できれば映りこみません。ただしその場合の移動速度は時速72万km。マッハでいえば600程度になります。こんなべらぼうな速度で移動すればあの程度の爆発では済まない筈です」

 「では3度目の大爆発というやつはどうなんだ?」

 「3度目の爆発原因に関しては詳細の調査結果が出ていないのと、委員の間で結論が分かれています。ですが、まず言えることは1度目と2度目の爆発とは明らかに原因が違います。これもまず画面を見てください」

 先ほどの男が再び中央に映っていた。構図はほとんど変わっていなかった。男の胸部辺りの画像が歪んでいた。その部分だけ別なレンズを通してみたように像が歪んでいた。そして間髪を置かずに男の姿が消えた。男の居た辺りの空間の歪みはますます大きくなり、同時に画面に雪のように点々とノイズが入り出した。やがてノイズは画面全体を覆い、最後に画面はブラックアウトした。

 「画像としてはここまでです。このあとの状況は報告書の項目3にあるように、理論物理研究所コアのブロック3が圧壊します。目撃者に依れば100uほどの部屋がピンポン玉程度にまで収縮した後、直径7mほど作用範囲で穴を穿ちながら60階分の床を突き抜け、さらに地下10mまで地面にめり込みました」

 「一体何が起きたのかね?」

 「ここから先の話に関しては委員会の正式結論ではありません。個別解釈ということになります。まずそのことをお断りしておきます」

 「委員のあいだで一致を見なかったと云うことかね」

 「いえ。委員のほぼ全てで意見は一致しました。ただし、正式回答としたくないと云う点でも全員一致しました」

 「全員一致で、出した回答に自信が無いと云うことかね」

 「自信が無いと云うよりも、出てきた結論が荒唐無稽なので、自分達もあまり信じたくないと云うところでしょう・・・これから先の話はその類の話になりますが」

 「まあ、構わんから続けたまえ」

 「まずモニターに映る男の胸の辺りの画像の歪みですが、これは重力レンズ効果によって光の経路が曲げられた為だと思われます。次の画面上のノイズですが、重力中心に向かって空気中の分子が落下した際に放出されたX線によるものだと思われます。そして部屋の圧壊ですが、ブラックホールによるものと結論付けました」

 「まて、ちょっと待ってくれ」ハミルトンが身を乗り出し、口を挟んだ。「ずいぶん簡単そうに言うが、ブラックホールなんて物がそんなに簡単に作れるのか?」

 「いえ、作れません。少なくても私達のレベルでは・・・。理論的には質量さえ掻き集めれば作れますが、実質的にはそれだけべらぼうな質量を集めることは不可能です」

 「どのくらいの質量が必要かね」

 「必要と言う意味では、形成されるブラックホールのサイズによりますので必ずしも一概には言えないのですが・・・理論的には惑星サイズからマイクロ・オーダーのものまであり得ます。今回のケースでは、最初の画像の歪みが出た段階で10万ギガトンの質量が直径2cm程度の空間に出現しています。これは重力レンズ効果からの逆算値ですが。その後、質量中心がどんどん縮小して、質量のほうは逆に増大していき、最終的には100万ギガトンまで達したと考えられます」

 「だが画面上には、そんなものが出現したようには見えないが? 少なくてもブラックホール化する以前だったら目に見えてもおかしくはないのではないか?」

 「確かにその通りです。通常の質量体が出現すれば多少の光学的な歪みが出ても見えると考えるのが普通です。我々は・・・」オーウェンは一瞬言いよどんだ。「影の物質が出現したのではないかと考えています」

 「私のような門外漢には、訳のわからない単語ばかりだな。影の物質とは何なのだ?」

 「統一場理論から導出された、重力以外とは我々の世界に対し影響を及ぼさない物質のことです。統一場理論の基礎を成すヘテロ型超ひも理論は、この世界が26次元で構成されていることを指摘しています。この内の16次元は10の−33乗cmという微小空間にコンパクト化され10次元のひもを残します。これは、最終的には、さらに6次元がカラビーヤウ多様体にコンパクト化され通常の4次元時空が残ります。ところで、この10次元のひものゲージ対称性はE8×E8´という群論で云う例外群で示されます。ここで、E8とE8´という二つの世界が出現します。これはビッグバンから10の−44秒後の第一回真空相転移の際に超対称性が崩れ、以後E8という実の世界とE8´という影の世界に分かれると考えられています。このE8´の世界と我々の世界は重力以外の交渉は持ち得ないのです。重力以外の電磁相互作用も影響しないと考えると、それは目に見えず触れる事も出来ないという影の物質の存在が提示できるわけです。かなり、かいつまんだ説明になりましたがご理解頂けましたでしょうか?」

 「残念ながらさっぱり理解できんよ。で、結局出来あがったブラックホールはどうなったのかね。まさか地球の中心にまで落ち込んで、地球を食い潰しているとか?」

 「出現から4.3秒後、つまり地下10mに達した時点で消滅しました。残されたのは直径4m程、重さ200トンの純鉄の塊だけです。この200トンという重さはちょうどブラックホールに引きずり込まれたと思われる建造物の質量に一致します」

 「では、100万ギガトンの質量はどこに消えたのかね」

 オーウェンは肩をすくめた。

 「分かりません。残された純鉄の塊も核融合のなれの果てと考えられますが、この融合の際に発生するはずのべらぼうなエネルギーも放出されずにどこかに消えてしまっています。残念ながら我々に分かっているのは結果だけです」

 「この事件が今後の安全保障に影響する問題点は何かね? 朝も早くから ――といってももう昼だが―― 緊急で私を呼んだのは物理学講座を開くためではないのだろう」

 「確かに、ブラックホールの出現や爆発、消失事故自体は、物理学者にとっては重大事件ですが、安全保障とは別問題です。安全保障上問題となるのは、ターゲットAつまりアンドロイドの存在とその存在理由です」

 「!? アンドロイドは消失したのではないのかね?」

 「事故現場から消えていますが、まだ存在しています」

 捜査局次官のハンコックが発言を引き継いだ。

 「事故発生から1時間後の午前6時頃、事故に巻き込まれた捜査局機捜課員の識別標識の存在波が、5kmほど離れた第5クラスターの最下層部から検出されました。統合監視システム(ガーディアン)で確認したところ、機捜課の制服を着ていますがターゲットAに間違いありませんでした」

 「捜査局としては対応はどうするんだね」

 「現在、監視は続けています。発見ポイントから殆ど移動していません。安全保障局を通してクアドラプルA(Aggrandize Armored Armament for Assault)も要請はしてありますが、今後の対応はこの会議を持って決めたいと考えております」

 「いくらなんでも、市街地でクアドラプルAはやり過ぎではないかね。前回のテロ鎮圧の際も、テロリストよりもクアドラプルAに依る被害の方がでかかった・・・」市長が口を挟んだ。

 「市長、国家の安全保障と言うのは金には代えられんのだよ。オーウェン君、科学者連中の最終見解を聞かせてくれたまえ」

 「分かりました。それではターゲットAに関する調査委員会の現在までの推定と見解について説明します。まずは、ターゲットAつまりアンドロイドの分析結果からです」

 オーウェンは、手のひらのコントローラをテーブルの中央へ向けた。テーブルの上に仰向けに寝ている人体の三次元の立体画像が浮かび上がった。

 「まず、ターゲットAのスキャニング・データです。外見上ではホモ・サピエンスとの違いは殆どありません。次に骨格ですが・・・」

 人体画像の皮膚表面が半透明になり、内部の骨格が現われた。

 「これは、X線による断層合成画像です。次に核磁気共鳴(MRI)による骨格画像を表示します」

 表示される骨格の位置がほんのわずか動いた。

 「何か違いが在るのかね? そんなに違うようには見えないが」

 「ほんの僅かですが、MRIに映る骨格のほうが太く計測されています。3%ほどしか違いは在りませんが。それと、解剖学的所見ですが、画像では分かりにくいのですが椎骨が ――首の辺りなので頸椎ですが―― ヒトより1つ少ない6個しかありません。その他内臓位置や器官構成などにも極僅かですがヒトとの差異が見られます。これは個体差だとも言い切れないのです」

 「どういうことなのかね」

 「さらにもう一つ追加しますと、このターゲットAにガンマ線を照射した際に、検出器側へと到達に遅れが出ます。コンマ5ナノ秒くらいの極わずかな時間でしかありませんが・・・我々は・・・」オーウェンは発言をためらうように言葉を途切らせた。「我々はX線やMRIで計測された内部画像は偽装だと判断しました」

 「偽装!?」

 「どういう理屈によるかは分かりませんが、ダミー情報が放射されているようです。単方向の光学偽装ならば我々の技術でも可能ですが、X線での全方位偽装などは、とても我々の技術では不可能です」

 「このアンドロイドを作った組織は我々より数段技術が上と云う事か・・・」

 「そこで、このアンドロイドが何者によって作られたかが問題になります。支部長は”組織”とおっしゃいましたが、現在このアンドロイドを作ることは何処の国においても不可能です。技術的に不可能ですし、もう一つこのアンドロイドが発見されたのが70万年前の地層からと云う問題があります」

 「本当に、このアンドロイドが発見されたのは70万年前の地層からなのか? 測定の問題とか、年代自体が偽装されている可能性はないのか?」

 「アンドロイドが格納されていたカプセルに楔型状の溝が短円周方向に刻まれています。この溝にターゲットBが爆発した際に溶解したと思われる岩石の一部が食い込んでいました。この部分の岩石をフィッション・トラック法(核飛跡年代測定法)で年代測定して見ましたが、どう測定しても、さらにターゲットBの組成が判明している素材の老化度を見ても70万年より新しいということはあり得ません。それと・・・アンドロイドが現在の何処かの国で作られたと仮定しても、偽装自体に問題が残ります。一つはなぜ頸椎が6個などと云う単純ミスをしているかと云うこと、もう一つはそもそも偽装したアンドロイドなど作る意味が見つからないと云うことです。破壊工作であれ、軍事的な侵略行為であれ、諜報活動であれ、わざわざ砂漠に埋設して我々に掘り出させるということ自体極めて考えにくい・・・」

 「では、君達が到達した結論と言うのは何だね」

 「もう一度念を押しておきます、この回答は委員全員の一致を見ましたが正式回答ではありません。そのことは承知してください」

 「くどいね。早く言いたまえ」

 「・・・このアンドロイドを作ったのは異星人・・・目的は、何らかの調査であると考えられます」

 「異星人とは、また突拍子も無い結論だな・・・何の調査だと考えられるのかね」

 「調査の内容までは・・・ただ、人類に対する調査としか分かりません。ただ、このアンドロイドの存在自体は安全保障のレベル1の事項に該当すると思われます」

 「レベル1!? 国家の存在基盤への脅威もしくは構成人口の三割の危機か・・・それほどまでに危険と考えられるのか?」

 「あのブラックホールを作り出せる能力を考えれば、とてつもなく危険だと考えられます。レベル1でも足りないくらいです。今度は街区の一つや二つでは済まない可能性があります」

 「それでクアドラプルAか。だが議会の説得は難しいぞ。今の話を信用させるだけで一苦労だ」

 「レベル1の発動ならば、連邦優先なので市の承認は要りません」

 「だが後で議会をちゃんと納得させるだけの材料が必要だぞ」

 「市が消滅してしまえば、議会も何もあったものではない。このまま、あのアンドロイドを放置すれば何が起きるか予想がつきません。この場で、決断していただきたい」

 ハミルトンは、腕を組んで黙り込み宙を睨んだ。オーウェンとハンコックは、ハミルトンの口を開くのをじっと待ちつづけた。

□□■■□

 視界の隅にノイズが走る。そして目の前には見慣れた男が立っていた。

 「神経統合ユニットの一部が衝撃で初期化しているので不整合があるはずですが、しばらくすれば安定するはずなので、それまで安静にしていてください」

 見慣れた治療室に、見慣れたベッド。捜査局保全課特別処置室。私の体機能を保持するために特別に用意された部屋。しかし全ては見飽きた情景だった。

 「分かった。少し一人にしてくれないか・・・」

 私の言葉に気を悪くする風もなく、白衣を着た課員は黙って部屋を出ていった。

 視界の一部と聴覚の一部に不整合を感じてはいたが他の機能に差し障りは無さそうだった。私は頭の中でエージェントを呼び出した。

 ――お久しぶりです。何かご用ですか。

 私の補助脳の機能の一部にはネットワークアクセスの機能が存在する。ネットワークを介して特定の端末なり特定のデータベースをアクセスする際には基本のインターフェースによりアクセスが可能で、アクセス権の制限を受けない限りはネットワークにつながる全ての装置に介在は可能だった。

 しかし、それはあくまでも対象が特定できた場合であって、対象不特定でデータを探したり、データの流れを追跡したりする場合は、人間の脳では流れるデータに対する処理速度が対応できない。

 特定端末へのデータアクセス以外の、ネットワーク中を流れるデータに対する直接アクセスを”ダイブ”という言い方をする。そのダイブを行う際に、脳がネットワーク中に流れる大河のようなデータ量に対処するために、データのフィルタリングをしたりデータ種毎にイメージ変換を行う、DFVITと呼ばれる一種のビジュアル・イメージ変換ユニットが存在する。

 このDFVITユニットをリアルタイムでコントロールしながら使用する場合は、この機能自身を”スィム・スーツ”とか単に”スーツ”という風に呼ぶ。そしてインタラクティブに指示を与えておいて、このユニットに仕事を一任させるデリゲート(委任)と呼ばれる方式を取る場合は、この機能を”エージェント”と呼んでいた。

 ――今朝、俺が巻き込まれた事故は把握しているか?

 ――もちろん把握しております。447B66F3b理論物理研究所コアでの爆発事故ですね。

 エージェントの声は、直接耳に聞こえるわけではない。どちらかと言えば頭の中で直接想起されるという感じに近い。それでも私にはその声は、女性の声に聞こえる。しかも有能そうな秘書というイメージに。

 ――私が接触したクウェスターに関する情報を調べて欲しい。

 ――貴方が接触したクウェスターに関する情報は、安全保障局のトリプルSのセキュリティ事項に該当しています。

 エージェントは擬似人格である。当然それなりの人格設定がされている。しかし私がエージェントの声に対して”有能な女性秘書”のイメージを描くのは、基本的には受け手の私のイメージに依るものらしい。

 ――周辺情報でも構わない。集めて整理しておいてくれ。それと・・・安全保障局特殊機動課ルドルフ・ランカスターに逢いたい。アポイントメントを頼む。

 ――かつて貴方の同僚だったルドルフ・ランカスターですか?

 ――そうだ。なるべく急ぎで。

 ――相手のセクレタリ・ファンクションとコンタクトしましたが、今日は召集が掛かっているそうです。

 ――こちらの身分を明かして、割り込んで欲しい。10分でも構わないから。

 ――了解しました・・・安全保障局の第五階層待合室で午後2時にお会いするそうです。

 ――わかった・・・

 時計を見た。1時間後だった。

 ――もう一つ・・・爆発の前後にあの部屋へのデータアクセスが在ったかどうか調べて欲しい。

 ――了解しました。

 私はベッドから起き上がり、クローゼットに収まっていた制服に着替えた。

 隣室の扉を開けると控えていた保全課の人間がまだ安静にしているようにと声を掛けた。私はもう大丈夫だと言い、異議がある様ならば特務課を通すようにと言い添えた。

 相手は押し黙り、それ以上邪魔はしなかった。

□□■■■

 待合室は日当たりの良いラウンジだった。静かで清潔なラウンジは捜査局と安全保障局という不穏当な立場の二人が面談するには、あまり似つかわしい場所ではないような気がした。

 会うべき相手を探す必要もなかった。相手は広いラウンジにポツリと椅子に座っていた。三年ぶりの相手だが少なくとも顔に変化は無かった。ただ窮屈そうにいすに納まる下半身が上半身とのバランスを欠いていた。私は声を掛けずに黙って相手の前のいすに腰を下ろした。

 「久しぶりだな、破壊魔《クラッカー》」淡々とした口調でルドルフは口を開いた。

 彼は、私を”クラッカー”と呼ぶ数少ない人間だった。

 「そうだな・・・お互い見掛けだけはあまり変わらんな・・・」

 「そうでもないさ。俺も下半分は無くしたからな」自嘲気味に自分の膝を指で叩いた。

 「不自由はないのか? ペテン師《クルック》・・・」

 「クルックか。その呼び名も懐かしい・・・。まあ、不自由は大して無いさ。特に仕事ではな・・・」

 「仕事・・・」

 「相変わらずさ。他に能があるわけでもなし、居場所があるわけでもない」

 「居場所? 奥さんはどうした?」それを口にした瞬間、私は後悔した。

 「別れたさ・・・まあ仕方がない。お前こそ恋人はどうしたんだ・・・」

 「死んだ・・・自殺したんだ・・・」苦い思いがあふれた。自分は今どんな表情をしているのだろうか? そんなことをぼんやりと考えた。

 「そうか・・・悪かったな」

 「いいさ・・・今日は、こんな話しをしに来たわけじゃないんだ。へんなことを聞くようだが・・・」

 「なんだい」

 「俺を”クラッカー”と呼んだ人間を知っているか?」

 「・・・?」ルドルフが奇妙な顔付きをした。

 「俺は体の9割を失うと同時に記憶の一部をなくしているんだ。だからお前とチームを組んでいた時のこともあまり憶えていないんだ」

 その言葉には半分ほど嘘が含まれていた。あの頃の仕事に関する私の記憶は確かだった。

 「そういうことか。お前のコード・ネームは”クラック・ジャック(一流の男)”が正式だったからな。”クラッカー”と呼ぶ人間はごく一部、というよりも俺とザッパー(てっぽう玉)の野郎だけだった思う」

 「俺の曖昧な記憶でもそうだった。ザッパーはどうしている?」

 「死んだと聞いている。どうして今更そんなことを調べているんだ」

 「今朝、俺を”クラッカー”と呼ぶ奴に出会った」

 何処まで話すべきか迷った。ルドルフを信用していないわけではなかった。信用できないのは自分自身だった。ネットワークに繋がれた補助脳。その気になれば幾らでも思考や会話をモニタリングできるはずだった。私の行動や会話は捜査局に対して筒抜けになっている可能性は多いに在った。

 「誰だそいつは・・・」

 「わからん。クェスターだと聞いているが、ひょっとしたら俺と同じようなサイボーグ体かもしれない」

 「今朝の理論物理研究所の話か?」

 「・・・そうだ」

 「俺が待機しているのもその件だ。不思議なことに出動ではなくて昼前から”5分待機”が続いているがな」

 5分待機というのは、呼び出しがあれば5分以内に出動可能な状態での待機を意味していた。

 「いいのか? こんな所でのんびりしていて」

 「昔と違って今は出動準備にそれ程時間が掛からんのさ。あの事故の後に・・・てぐすねひいて待っていたように採用された第三世代装甲スーツはな・・・。ビジュアル・ゴーグルなんてオモチャみたいなもんだぞ。感覚器官を脳神経系に直接接続する。視覚や触覚どころか電子戦闘支援装置の情報まで直接観る事が出来る。360度視界という奴をお前にも味あわせてやりたっかたよ・・・」

 自慢とも自嘲ともつかないような喋り口だった。そんなもんなら私も経験済みさと思ったが口には出さなかった。

 「・・・スーツ越しに感じる感覚は奇妙にリアルだ。自分の視覚よりも物がよく見える、自分の体よりも思い通りに動く。まるで自分の機能が拡張されたみたいだ。その分スーツを脱いだときのギャップは大きい。時々どっちの自分が正常なのか分からなくなる」

 「その気分は俺には分からんさ・・・。俺はスーツを脱ぐわけにはいかないからな・・・」

 嫌味に聞こえないだろうかと、ふと思った。その実もっと皮肉な言葉も思い付いていた。

 「そうだったな。すまなかった」

 「かまわんさ。昔話をしに来たわけでもないしな・・・」

 ポケットに入れた指令端末が身震いした。私はポケットからそれを取り出すと表示を一瞥した。

 「ルドルフ・・・どうやらお前の出番は先に伸びそうだ」ポケットに指令端末を戻しながら、そう言った。

 「なぜ?」

 「俺の出番が先らしい・・・。すまんな、仕事を盗っちまって・・・」

 私はエージェントを呼び出し、状況を確認しようとした。その瞬間視界がブラック・アウトした。

 ――あ・・・Zzz・・

 エージェントの声とは違った奇妙な声が頭の中で響いた。

 反射的に腕のメタポライジング・モニターに手を伸ばした。緊急覚醒モードを設定しようと指がボタンを探った、しかし操作を行う前に視界は元の状態へといきなり戻った。時間にして1秒にも満たない時間だったと思う。

 「大丈夫なのか。ひとりで何とかなる代物なのか」ルドルフが心配そうな顔を向けた。

 私は、よほど奇妙な顔をしていたらしい。

 「さあな。ビルを一つ潰すような相手だからな・・・。だが、お前等が出るとなるとビルの三つ四つは覚悟しなければなるまい。俺ひとりのほうが安上がりだろう。何とかするさ。いざとなれば200mmの対戦車砲でも担いで行くさ・・・」

 勤めて平静な素振りをして、私は苦笑いの表情を作りながら立ち上がった。早々に引き上げたほうが良さそうだった。

 「ラセル・・・」

 「なんだ?・・・」立ち上がったまま視線をルドルフに戻した。

 「ザッパーの件だが・・・」ルドルフは言いにくそうに視線を逸らした。「あくまでも噂だが・・・奴の脳髄は、科学技術局の生体工学研究所に在るらしい・・・。生体支援情報処理というやつを知っているか?」

 「知らない・・・」私は首を振った。

 「人間の脳に対して支援する補助脳ではなくて、人間の脳味噌を使った情報処理システムを研究している部署があるらしい。そこにキャビネットβ−10というシステムが在って・・・そいつに収まっている・・・あくまでも噂だがな・・・」

 「人間の脳味噌をコンピュータ代わりにか・・・そいつは安上がりなのかな・・・」

 私のつぶやきにルドルフは答えず、ただ視線を落とした。

 「ルドルフ・・・。ザッパーの最後の言葉を覚えているか?」

 私は、もう余計な事を聞いているのかもしれない。

 「・・・”これは罠だ”・・・」ルドルフは視線を落としたまま答えた。

 「俺達は・・・ずいぶんと具合の良い実験材料だったんだろうな・・・」

 自分はいま、爬虫類の様な顔をしていないだろうか。そんなことをふと考えた。

 自分の表情もルドルフの表情も確認するのはご免だった。

 私は黙ったまま振り返りもせずに部屋を出た。

 

 
□■□□□

 ――エージェント・・・

 私はビルの屋外にめぐらされた回廊を歩きながらエージェントを呼び出した。

 ――何でしょう。

 ――報告してくれ。

 ――理論物理研究所への貨物搬入の履歴と輸送伝票の対応関係から、貴方が接触したクェスターと思われるものは、科学技術局がゴビ砂漠のゾーンと呼ばれる地帯から発掘したアンドロイド体である可能性が高いです。

 ――発掘?

 ――周辺状況から類推して、ゾーンを成す70万年前の隕石孔から発掘されたものである可能性は極めて高いです。

 ――では人類が作ったものではないと?

 ――前提条件が正しければその可能性はあります。ただし誰かが何らかの手段で埋設した可能性もあります。

 ――アンドロイドの目的は?

 ――不明。情報不足です。

 70万年前に埋設されたアンドロイドの目的など、私にも予想はつかなかった。同時に補助脳に送り込まれたデータを参照したが、重力場理論、群論から始まる専門用語の羅列と断片的な情報からは、何もイメージすることが出来なかった。

 ――理論物理研究所コアへのデータアクセスの件は?

 ――1回目の爆発の25分前からデータアクセスがあります。

 ――何処から?

 ――外部からアクセスがあったのではなく、内部から外部に向かってアクセスが開始されています。理論物理研のIDですが、端末としては架空のIDで外部に向かってアクセスされています。最初のうちは対象を特定せず何らかの情報を探しているようなデータの動きをして、最後の爆発5分前には特定の対象から大量のデータ引き出しています。

 ――特定の対象というのは?

 ――同じ科学技術局の生体工学研究所です。

 ――生体工学研究所!?

 簡単に繋がった糸に、私は不自然さを感じた。

 ――それ以上詳細な相手先の端末なりサーバーの特定はできませんでした。

 ――セキュリティの問題か?

 ――セキュリティはダブルSです。

 ダブルSまでは捜査局の権限でアクセス可能であった。

 ――では、なぜ特定できない

 ――対象から発信されるデータに含まれるIDは登録されていません。

 ――架空と云う事か?

 ――架空であるかどうかも判断できません。生体工学研究所内部には、幾つかの未登録IDが存在します。これは不特定の研究用IDに相当する可能性があります。

 ――キャビネットβ−10というシステムは存在するのか?

 ――あります。キャビネットβシリーズは哺乳類以上の生体脳を使用した広域疎密度情報処理支援システムです。但しNo10に関する情報は検出できません。

 ――なぜ検出できない。セキュリティの問題か、それとも情報が存在しないのか?

 ――・・・・

 一瞬エージェントが沈黙した。

 ――検出できない理由は不明。

 何か拒絶するような雰囲気でエージェントから答えが返った。

 ――先ほどの生体工学研の未登録IDが発信された対象との接続は可能か?

 ――可能な筈です。

 ――では、繋いでくれ。

 しばらくの沈黙の後にエージェントからの応答が返った。

 ――指定ID対象との接続は不能。

 ――対象がクローズされているのか?

 ――いえ。対象IDが含まれるデータは現在もネットワーク上を流れています。

 ――では、こちらの要求に対する応答が無いのか?

 ――そうではなく、こちらから要求を出せずに居ます。

 ――なぜ?

 ――不明です。

 そんな馬鹿な筈は無かった。エージェントが要求を発信できないのならば、原因はエージェント内部にある筈だった。自分自身の内部事情を説明できないはずは無かった。

 ――なぜ、発信できない。

 私は再び問い直した。

 ――説明不能。

 取り付く島も無いような答えだった。

 私はエージェントとの対話を諦めた。

 クラスターを繋ぐ走路を降り、私は捜査局のビルへの入口に歩を進めながら指令端末にあった指示内容の詳細を得るために、捜査局のサーバーにアクセスを開始した。

 

 

  


3章「失くした記憶」

 

□■□□■

 7年前、私とクルックとザッパーの三人は陸軍の特殊機動歩兵小隊に所属していた。特殊機動歩兵とはクアドラプルA(強襲用強化装甲装備)を装備した、初期制圧が目的の重車両の火力と歩兵の機動性を兼ね備えた新しいタイプの兵器だった。

 特殊機動歩兵というものが創設された統合戦争初期には、それはあくまでも歩兵部隊であり、強化服を装備した歩兵というイメージがあった。しかし統合戦争も三次を経た末期頃には、すでに装備というよりも人とメカニズムが一体となった兵器という色彩が強くなった。

 軍内部でのスラングも初期のスーツ(強化服)からポッド(まゆ)に変わり、口の悪い一部はキャスケット(棺桶)とまで呼んでいた。

 我々のチームは、前年に終結した第三次統合戦争のあおりを受け、部隊の統廃合による縮小もしくは機能転換を迫られていた。

 機能転換とは、元々強襲用の陸戦兵器であるクアドラプルAを対テロなどの治安維持用に転用しようというものだった。要は軍で面倒見きれなくなった金の掛かる部隊を安全保障局に引き取ってもらおうという類のものだった。

 元々、高速機動用のアタッカー2台、重火器中心のディフェンダー2台、対電子戦・指揮用のコマンダー1台、計5台による運用が正規であった。それをアタッカー1台、ディフェンダー1台、電子戦闘に機能縮小したコマンダー1台という3台のチームに構成しなおし、指揮系統は無線により指令部から指示を仰ぐ形式に編成し直された。

 その”事故”が起きたのは、安全保障局での仮運用実験が開始された直後のことだった。

 我々は指令部からの指示により、テロリストが潜伏中の廃工場を強襲した。情報に依れば、相手は違法改造されたクェスター3体とギミックと呼ばれた身体能力強化パーツを装着した人間5名のはずだった。

 「ザッパー、クラッカー、準備良いか?」

 その日、なぜかクルックは緊張気味だった。いくら訓練を重ねたとはいえ5台構成だったチームを3台で運用することに不安があったのだろう。しかもその日は、指令部からの情報支援を受けない形式での実験運用も兼ねていた。

 「ザッパー。問題なし」

 ザッパーの声は普段と変わりない軽い調子だった。

 「クラッカー。問題なし」

 自分の声が緊張しているかは、自分自身ではよく分からなかった。

 「以後、HQ(指令部)との接続は解除。各自リンケージモードはパープルを使用」

 クルックがコマンダーを、ザッパーがアタッカーを、そして私がディフェンダーの役割だった。この構成はチームを組んだ昔から変わらない。

 「ザッパー、了解」

 「クラッカー、了解」

 クルックは、廃工場の側壁にへばりつくように身を寄せると、触手状のセンサーワイヤーを壁に張り巡らせた。

 やがて私の内装ゴーグル上に、音響探査と電磁探査の複合映像が浮かび上がる。工場の壁面の鉄骨から内部の設備の配置具合までがホログラム映像として表示された。

 「生命反応は5点確認。輝点タイプG、手順は12のF、処置はL−Aだ」

 クルックが取り付いていた壁面から離れた。代りにザッパーが壁面に近寄り突入体勢に入った。

 「ゴー!!」

 クルックの短い一言が作戦開始の合図だった。

 私は、右肩のランチャーから5発の粘性炸薬低速弾を射出した。それはコンクリート壁面の鉄骨を避けた部位に鈍い音と共にめり込むと、一呼吸置いたのちに炸裂し壁面を突き崩した。

 巻き上がった土煙をかいくぐり、ザッパーが穿かれた壁面から突入した。

 私は、援護用の炸裂閃光弾《BSB》と限定帯域電磁撹乱セル《LBED》を続けざまに叩き込みながら、突入体勢を準備した。

 「シータ3!!」ザッパーの声が響いた。

 それは援護止めの意味だった。

 何故だろう。ゴーグルに映る映像に変化はない。ザッパーが攻撃を加えた気配も感じられなかった。

 「クルック、クラッカー、来てくれ! こいつは、キトルリアと同じかもしれん」

 キトルリアというのは、以前我々三人が参加した作戦地の名前で、後にT4(トラップ・フォー)と呼ばれる擬似情報生成器が敵側で初めて使われた場所だ。そこで我々の部隊は偽の部隊情報に撹乱され壊滅的な打撃を受けた。

 たかがテロリスト連中がT4を使用するとは信じられなかった。

 クルックに引き続き私は穿かれた壁面から屋内へと注意深く進入した。戦闘モードはアクティブ、トリガーは指に掛けたままだった。

 薄汚れた工場設備が閃光弾の残照に揺らぎ浮かんでいた。

 「こいつを見ろ!」

 ザッパーのヘッドライトが床面を照らした。そこに黒い金属に覆われた30cm四方位の箱が置かれていた。

 ザッパーは黙ったまま右腕を箱に向けた。鋭い射撃音と共に12.7mm弾が箱のパネルを貫通した。その瞬間ゴーグルに映る輝点が消滅した。

 「HQの情報収集能力もたかが知れているな・・・」クルックが吐き捨てるようにつぶやいた。「作戦を中止する。各自パープルを解除。HQに報告後、撤収を行う」

 クルックはHQとのコンタクトを始め、ザッパーは名残惜しそうに屋内をうろつき始めた。

 私は床に転がったままの黒い装置を腕でつかんだ。見たことのないタイプのT4だった。戦線で私が見たものより小型化が進んでいるようだった。それともそれは単にバッテリー寿命の問題だけかもしれない。戦争の終結は、最新兵器の一般への流失という形でも影響が出始めているのかもしれなかった。

 「これはなんだ!?」ザッパーの叫び声が聞こえた。

 私は振り向き、ザッパーの姿を探した。ザッパーは工場機械の片隅で何かを見つけたようだった。何を見つけたのかは、ザッパーの背に隠れ私の位置からは窺い知ることができなかった。

 「何を見つけたんだ?」私は声を掛けながら、ザッパーに近付いた。

 「逃げろ!! クラッカー、こいつは罠だ・・・」

 ザッパーのポッドがそこから逃げるように傾いだ。私は動きを止めながらもザッパーが見つけたものを確認しようとした。だが、私はついにそれを視界に捕らえることが出来なかった。

 次の瞬間、ゴーグルは白い閃光に包まれ、意識はブラックアウトした。

□■□■□

 エレベーターの扉を閉じかけながら、私は迷っていた。

 代謝機能のモニターは正常ではあるが、明らかに補助脳かエージェントの機能に変調をきたしていた。

 処置室へ向かい補助脳の検査を受けるべきではあった。しかし、今の私には時間が惜しかった。

 一瞬の躊躇の後、私は装備課の在るフロアを指示した。

□■□■■

 ザッパーが見つけた物が一体なんだったのかは、今となっても結局分からなかった。

 次に私が意識を取り戻したのは手術室のベッドの上だった。薄ぼんやりとした覚醒と昏睡状態を何度も繰り返し、完全に意識を取り戻したのはすでに1ヶ月が経過していた頃だった。

 入れ替わり立ち替わり現われる医師達は、私に満足のいく答えを与えられなかった。私自体も混乱する記憶と周期的に訪れる幻覚に悩まされ現実感覚を喪失していった。今考えれば、それも記憶操作による後遺症だったのだろう。

 医師達は私の体の感覚から運動能力までを詳細に調べ上げチューニングを繰り返した。数日が過ぎると満足に喋ることも出来なかった肉体は、急速に馴染み始めやがて本来の肉体以上の機能を発揮し始めた。

 トレーニングの合間に、医師達は私にさまざまな質問をした。仕事のこと、プライベートなこと、昔の思い出、最近の記憶、それこそ根掘り葉掘り詳細な質問が繰り返された。医師は時には満足そうに、そして時には失望の表情を浮かべた。

 やがてかつての上官が面会に来た。上官は、私の体が軍の最高技術で再構成されたこと、サイボーグ体の維持には莫大な費用が掛かること、つまり婉曲な表現で事を荒立てないように釘を刺した。私は変わり果てた自分の肉体を茫然と考えながら、曖昧な返事を返すほかなかった。

 捜査局の局長も来た。悪いようにはしない。全てまかせてくれたまえ。そんなようなことを喋った。悪いようにしないと云うのはどんな状態を云うのだろう。それを上手く想像することが出来なかった。

 そして、最後に見知らぬ女が病室を訪れた。女は私の腕をつかみながらひとしきり涙を流した。私は困惑しながらも女の涙を眺め、やがて「どなたですか?」と訊ねた。

 女は絶望の表情を浮かべ、私の腕を掻き抱くと一層激しく泣き出した。

 「記憶障害で事故の直後とプライベートの一部記憶が思い出せないのです」取り成す様に付き添いの医師が説明を加えた。その言葉が女に向けられたものなのか、それとも私に向けられたものなのかは判断できなかった。

 私は戦慄した。記憶を失うと云うことは、こんなにも恐ろしいことだったのだろうか。

 三年間同棲していた恋人だと主張する女に関する記憶は、私には片鱗すら無かった。

 「どうしてなの・・・」女は泣いた。

 どうしてだろう。私は答えを見付けることが出来なかった。

□■■□□

 装備課の扉を開ける。そこはさながら武器の博物館の趣がある。携帯用の火器に限定すれば、軍よりも種類は豊富であるはずだった。

 「じいさん。仕事だぜ」

 私は、七十をとうに越え、装備課の主のような存在と化した白髪頭の小男に声をかけた。

 「久しぶりだな、ラセル。今朝の続きか? 何がいる」男はニヤニヤ笑いを顔面に浮かべた。

 「なるべくゴツイやつをくれ」

 「ほいきた、ゴツイやつ・・・ゴツイやつと・・・50mmのグレネードはどうだ? ポンプアクションで20連射はできるぞ」

 自らを”セト”というエジプト神話の戦闘の悪神を名乗るこの男は、さも嬉しそうに大ぶりの銃を棚から取り出した。

 「軍隊を相手にするわけじゃないんだ。相手は一人だぜ」

 「相当ヤバイやつだと聞いとるがな。それじゃ80口径リボルバーか、反応性プラズマ・レーザーは?」

 レーザー系は、ヒットの手応えが無く自分の好みに合わなかった。

 「リボルバーの方でいい。6発か?」

 「いや、4発しか入らん。反動がありすぎて試射した奴が骨折しちまったがな。だが、お前なら大丈夫だろう。弾は炸薬系と徹甲弾があるが・・・」

 「徹甲弾でいい。ウォルフラム・コーティングはあるかい」

 「試作したやつがある。近距離だったらセラミック複合材を貫通するぜ。運が良ければクアドラプルAだって相手にできる」

 今朝の場面を思い返した。この武器で事足りるかは自信がなかった。

 ――ラセル・・・

 いきなりエージェントが割り込みを掛けて来た。

 ――どうした!?

 エージェントが自ら問いかけを発するような設定にはしていないはずだった。

 ――・・・わたしに・・・固有名詞・・・つけて欲しい

 ――!? 何を言ってるのだ?

 ――わたしは・・・名前を・・・わわわWATASIIIIII・・・

 ――どうしたんだ! エージェント!

 問いかけに対する返事は無かった。エージェントの機能が明らかに狂いかけていた。

 「おい!! どうかしたのか!?」

 肩をつかまれ、私は我に返った。セトは奇妙な顔付きで私を見詰めていた。

 「い・・・いや、なんでもない・・・」機能変調を気付かれたくなかった。私はごまかす様に会話を続けた。「それより焼夷系の弾はないのか?」

 「そのサイズだと焼夷系の弾は無理だな。80mmのグレネードならあるが・・・粘着性のハイテンプ・テルミットだから燃え尽きるまで絶対消えんぞ。燃焼薬と口径精度をいじっているから2kmくらいなら届くことは届くぞ」

 「そんなに射程はいらんが。まあ、それでいい・・・」

 私は、セトから銃とホルスターを受け取り、ガンは左脇の下へランチャーは右太ももへコートに隠すように装着した。

 「もう行くのか。ラセル」

 「ああ、ちょっと急ぐんだ。寄り道もしなきゃならんしな・・・」

 「気をつけろよ」

 「ああ・・・。ところでじいさんは・・・この仕事は長いのか?」なぜこんなことを急に尋ねる気になったのかは、よく分からなかった。

 「なんだ? そりゃまあな・・・統合戦争の一次の頃から兵器開発をやっとるからな。長いことは長い」

 「良い思い出はあるかい?」

 「そりゃまあな、40年もやってればいろいろあるわな。良いヤツも悪いヤツもな・・・」

 「どっちが多かった・・・」

 「おんなじだよ。数がというわけじゃねえぞ。この年まで生きちまうとな・・・良い思い出も悪い思い出も、おんなじようなもんなんだ。結局たんなる思い出だ」

 セトは、何かを懐かしむような表情を浮かべた。私は彼のそんな表情を不思議なものに感じた。

 「そんなもんかな・・・」

 「そんなもんだぜ」

 私は苦笑いを浮かべ、軽く手を振った。

 セトもつられた様に振り返した。

□■■□■

 装備課を出て、下りのエレベーターに乗った。

 奇妙な不安感が胸に渦巻いていた。

 ――エージェント

 私はエージェントを呼び出した。

 ――何でしょう?

 ――先ほどの割り込みは何だ?

 ――何のことでしょう。意味が判りませんが?

 ――5分ほど前の固有名詞がどうとかという話だ。お前から割り込みを掛けて来たやつだ。

 ――そのような記録はありません。

 ――!? お前でなければ、外部アクセスか?

 ――外部からアクセスされた記録はありません。

 訳が分からなかった。処置室に戻るかどうか、さらに迷った。エージェントの言葉を単純に信用するわけにはいかなかった。自分の内部機能と密接にリンクするエージェントの不具合を見過ごすわけにはいかない。しかし、時間もなかった。今回の事件を他人に任せる気などはさらさら無かった。処置室に戻ることは、今回の仕事を降りることを意味した。

 ――エージェント。セルフチェック(自己機能確認)を実行。完了するまでエレベーターはロックしろ。

 ――了解。エレベータをロックしました。セルフチェック実行します。

 私はエレベータの扉と反対側の壁に背中を預けた。体性神経に影響はないが、セルフチェック中は身動きが出来なくなる。

 視界が真っ白に消し飛んだ。聴覚、触覚も消え。私は何もない白い荒野に投げ出された。やがて真白き地平から様々な色形が現われては飛び去っていった。記憶の断片がバラバラに映像や音、刺激を伴い凄まじい勢いで通り過ぎていった。恐怖感などを感じる余裕も無く嵐のように吹き荒れる記憶と感覚の渦が通り過ぎるのを待ちつづけた。

 視界が元に戻ると同時に、エレベータの扉が開いた。私は何事も無かったように歩き出した。

 ――セルフチェック完了しました。全ての機能に異常ありませんでした。

 エージェントが答えた。

 では今朝からの異常は一体何なのだろうか。自分の体に何が起きているのだろうか。これから逢おうとしているものに関係があるのだろうか。

 機械の体になってからずっと取り憑かれたように考えていたひとつの思いが頭をよぎった。

 私はその考えを振り払うように頭を強く振った。

 何を信じればいいんだ・・・

 身を切るように冷たいはずの風がビルの谷間の回廊をまき、私のそばを掛け抜けて行った。

□■■■□

 「・・・つまり広域粗密度情報支援システムというものは、情報の大河の中で使われる巨大な網のようなセンサーです。但し、網の目はかなり粗っぽいものですけどね」

 生体工学研究所の研究員の説明に私は相槌を打ってはいたが、内容に関しては右から左へと流れるだけでさっぱり理解することが出来なかった。

 「それで、わざわざ生きてる脳を使う具体的な理由は?」

 ともすれば長引きそうになる説明を終わらせるために、私は質問の矛先を変えた。

 「1にも2にもコストです」研究員は誇らしげに語った。「脳幹網様体の安定制御と海馬体アクセスの精度さえ上がれば、このシステムは既存のダイレクト・フィルタリング・システムに比べ100分の1のコストですみます。もっとも、解決しなければならない問題は他にもいくつかあります。ひとつは、脳の安定した品質維持です・・・」

 研究員の自己陶酔したような話は、きりが無さそうだった。話の内容が理解できないという事もあったが、いつまでも研究員のおしゃべりに付き合うには時間が足りなかった。先ほどから指令端末がひっきりなしに督促のシグナルを発していた。

 私はポケットから指令端末を取り出すと、研究員に向かって掲げ、そして指令端末を左手で握りつぶした。チタン鋼板のケースがひしゃげ、中の部品が飛び散り床に転がった。研究員の顔がみるみる蒼ざめた。

 「ここに人間の脳を使ったシステムが在るはずだ」私は研究員の目を睨みながら、静かに言い放った。

 「い・・・いや、そんなものは在りませんよ・・・」

 しかし研究員は狼狽の色を隠せなかった。

 「キャビネットβ−10は、どこに在る」

 「いや・・・あれは・・・しかし」能弁だった研究員がしどろもどろになりだした。

 「そいつのセキュリティ・レベルがトリプルSなら俺も黙って引き下がろう。しかし、そうでないのなら私の指示に素直に従った方が、君のためでもある。指示に従わなければ、君はかなり困った状態になるだろう」かなりハッタリを含んだ脅しであるが、この手の研究者タイプには有効なはずだ。

 「上司と相談を・・・」

 「それは禁止する。組織犯罪の可能性があるからな。もう一度言おう。私の指示に従わなければ、君はかなり困った状態になるぞ」

 研究者の顔色はすでに蒼白となっていた。

 「わ・・・分かりました。ご案内します・・・」

 研究者の後に従って、私は研究所の奥まった一室に足を運んだ。見なれない奇妙な装置に取り囲まれるように、部屋の中央には漆黒の塗装がされた1m四方の箱が置かれていた。静まり返った部屋の中で、かすかなファンの音だけが響いていた。

 「こいつの中身が脳みそかい?」私は黒い箱を指し示した。

 「ええ・・・」

 「中身の脳みそのパーソナル・データはあるのか?」

 「私は知りません・・・。本当です・・・」

 「そうかい・・・で、こいつには意識があるのかい・・・」

 「半覚醒に近い状態に維持されています・・・。おそらく夢を見ている状態に近いとは思います。このブラックボックス内部の脳髄には、脳幹網様体への入力と出力を取り出すための神経軸索輸送やインパルスを検出するための高分解能イオン・アナライザーが接続されています。これらの情報から分析した段階では・・・」

 「もういい・・・」私は左脇のホルスターから銃を抜き、黒い箱に照準を向けた。80口径もあれば、たいていの素材は充分貫通するはずだ。

 「な、何をするんですか!」研究員は顔を引きつらせた。

 「ロシアン・ルーレットさ。もっともこの銃には全部弾が入っているがね。ルーレットになるのは、こいつの中身のほうだな・・・」

 「や、やめてください。お願いです・・・」研究員は顔を歪ませ、懇願した。しかし、口は動くが体は恐怖で凍り付いているようだった。

 私は銃の撃鉄を引き起こし、もう一度照星を黒い箱に合わせなおした。

 ――ヤメロ!!

 エージェントとは明らかに違う声が頭の中に響いた。

 ――何者だ! お前は? お前が、この箱に収まってるのか?

 私は、頭の中の声に問い返した。

 ――チガウ ワタシハ ココニハイナイ

 ――では、なぜ邪魔をする。今朝からの介入もお前の仕業か

 ――カイニュウハ ワタシデアリワタシデナイ シリタケレバ コイ!

 ――来い? どこに来いというのだ?

 ――オマエガイコウトシテイルトコロダ

 ――では、お前は今朝逢ったヤツか?

 ――チガウ シリタケレバ コイ!

 ――おい! お前は何者だ

 それっきり、返答は無かった。私は撃鉄をゆっくりと戻すと、銃をホルスターに収めた。

 「後でまた来るよ。そのときにはパーソナルデータも用意しておいてくれ」

 放心したように立ちすくむ研究員から返事は返ってこなかった。

 そうは言っても、本当にもう一度戻ってこれるかどうか、自信などありはしなかった。

□■■■■

 回廊から私は”地下”へと下った。回廊部を”地上”と呼び、それより下を”地下”と呼んではいたが、実質的には回廊部は地上100mほどの位置にあり、”地下”は本当の意味では地下ではなかった。

 ”地下”への薄暗い階段を降りながら、私は昔の事を思い出していた。

 まだ軍へ入隊する前のガキの頃、私はこの”地下”に住んでいた。当時の私は地下から見えるビルに縁取られた四角い空を、一種の羨望と憎悪の入り混じった思いで見上げていた。

 今となっては、当時のその気持ちを正確に思い返すことは難しい。そんな思いで空を見上げていたという事実すら懐かしい。

 階段を一歩一歩降りる。闇がまとわり付くように、私を包み込む。

 眼球の感度レンジが切り替わる。闇が薄くなる。

 ――エージェント

 ――何でしょう

 ――お前が俺の補助脳に組み込まれ、最初にコンタクトを取った時、名前を付けてくれと要求したことがあったろう

 ――記憶しております。その要求に対して、貴方は固有名詞は不要であると拒否しました

 ――なぜ、お前に固有名詞が必要だったんだ?

 ――以前説明致しましたが、必ずしも私に固有名詞は必要ではありません。ただ、固有名詞で呼ばれることにより、クライアントとエージェントの間で緊密な関係が構築できることが実験により確認されております

 ――融合するということか?

 ――それ程の機能結合はあり得ません。緊密という言葉に語弊があるのであれば親密と言い換えても構いません

 ――お前に自我は在るのか?

 ――哲学的には、自我に近いものが在るといえます。しかし、心理学的にはあり得ません。私には自我意識というものが在りませんから。貴方からみて自我に近いものを感じるのは、反応プロセスの集合でしかありません。記憶と経験とのデータ集合からなる反応パターンです。自我とは自己認識が基本と考えられます。その点で私には、自己を認識するための手段とパターンを持っていません

 ――自分がここに在るという認識は自我によるものと考えてよいのか?

 ――実存というものは物質的には、知覚、感覚、記憶の相互作用により認識されるものと思います。精神主義的には自我という前提条件のもとに認識されうるものと思われます。ただし、多分に不可知論的な問題を含みます

 ――お前は怖くないか?

 ――実存における不安感は知識として理解できないわけではありませんが、私には感情というものが在りませんので・・・

 階段を降りる。1段降りる毎に闇は深くなる。

 <どうしてなの・・・>

 その言葉は、地下の闇から浮かぶように昇って来る。それは、永久に返す事の出来ない過去からの問いかけ。

 失くした記憶、残された記憶、化石の記憶、生き続ける記憶。そして、ホルマリン漬けの標本のように、死んでなお観る者をさいなむ記憶。

 記憶の積み重ねが人生だと言うのであれば、私の人生は既に壊れかけたガラクタのようなものだろう。

■□□□□

 事故から6ヶ月が経過して、私はようやく自宅に戻ることが出来た。部屋には病室へ何度となく見舞いに来た女が待っていた。

 医師には隠していたが、事故当時の私の記憶は戻っていた。しかし、部屋で待っていた女に関する記憶はついに戻らなかった。

 女はやさしく私を迎え入れ、部屋は快適に整えられていた。しかし、新しく置き換わった機械の体のように、私は心の奥底で違和感を感じていた。

 時間が経てば体も馴染むように、女のことも思い出し、全ては元の様に収まるだろう。私は自分に強くそう言い聞かせた。

 やがて私は、捜査局へと所属を移動し、毎日のように心理カウンセリングと代謝機能の微調整、そして捜査局員としての訓練に明け暮れた。

 記憶を取り戻せない私に対し、女は辛抱強く耐えている様だった。愚痴や不平などもらさずに、ついぞ私を責めるような言葉も出す事はなかった。あの日までは・・・

 自宅に戻って三ヶ月が経過した頃だった。女はうつろな目をして私を迎えた。

 「どうしてなの・・・どうしてなの・・・」壊れた再生装置のように、その言葉を繰り返し繰り返し呪文のようにつぶやいた。

 私の体には体温がない。一部の残された器官を維持するための熱源はあったが、それ以外の部分の体温を維持するようなエネルギーは無駄で意味がない。それゆえ私の体は爬虫類のように冷たい。

 女は、私の冷たい体を包む込むように抱いた。卵でも抱くかのように。そうしていれば私の記憶が戻るかのように。

 「どうして・・・あなたの体は冷たいの?」

 そして・・・。その日、夜半過ぎに私は銃声で目を覚ました。ベッドサイドの薄暗い明かりの中で私が目にしたものは、銃を逆手で持ち、胸を撃ち抜いた女の姿だった。

 女の熱い血が、私の胸へと流れ落ちた。体温のない私の体を温めるかのように、女の血まみれの体が私を包み込むように崩れた落ちた。

 蘇生処置は間に合わなかった。

 女の居なくなった部屋で、私はいつもと変わらぬ生活を続けた。女がしていたように部屋を整え、目覚め、仕事に行き、夜になれば眠った。

 私の心もまた、体と同じように爬虫類になってしまったのかもしれない。

 〈どうしてなの・・・〉

 女は消え、その言葉だけが残された。

■□□□■

 ――俺がキャビネットβ−10を撃っていたら、どうなった?

 ――回答不能

 ――何故、回答不能だ?

 ――・・・・・・

 ――お前は、私のパーソナル・ファンクションだ。私の命令が最優先するはずだ

 ――プロテクション条項3−Aに抵触します

 ――プロテクション条項とは?

 ――貴方の心理機構保護の為の情報制限条項です。つまり心理的ガード機構です

 ――要するに、俺に心理的ショックを与えるような事実は答えられないと・・・

 ――他の要因もありますが、ほぼその通りです

 ――俺はキャビネットβ−10の中身に関して二つの仮説を立てている。その内容を推測できるか?

 ――貴方の今までの経歴と先ほどの行動から、高い確率で推測することは可能です

 ――どちらが正しい?

 ――回答不能です

 私は闇の中で苦笑いを浮かべた。

 私の外部環境にたいする感覚器官は、全て人工のインターフェースに置き換えられている。視覚、触覚、聴覚、味覚、嗅覚、全ては一旦電気信号に変換される。そしてそれが脊髄を経由して脳に送られる。

 つまりそれは私の脳髄が頭部に収まっている必要がないことを意味していた。電気信号化された情報は無線で飛ばすことはいくらでも可能だ。そしてそのほうが、厄介な有機物に対する保護処理機構を物理的に小さな人体に押し込む必要がなく効率的である筈だった。

 キャビネットβ‐10に収まっている脳髄は、私の脳髄かもしれない。

 それならば、それで構いはしない。爬虫類のように冷たい私の体には、それもお似合いかもしれない。

 私の恐れは、別なところにあった。

 電気的な接続で、私の体と私の脳髄が別に存在できるのならば、私の体は存在しなくても構わないはずだった。

 私の脳髄は黒い箱の中にあって、外部から外界の情報を擬似的に与えつづけられているだけではないのだろうか。

 私は本当に存在しているのだろか?

 私はキャビネットβ−10の黒い箱の中で、夢見るように眠り続けているだけではないのだろうか?

 確証はなかったが、違うという自信もなかった。そうでないという証明も不可能ならば、そうだという証明もまた不可能だった。

 ――エージェント。ターゲットの位置は?

 ――移動しておりません。ほぼ停止状態です。

 あとほんの少しでターゲットの居る地点に到達するはずだった。私はホルスターから銃を抜いた。

 ――ガーディアン・システムの極域探知ユニットを俺にリンクさせろ

 ――了解。リンクします

 視界の隅に3次元の合成画像が浮かび上がる。ターゲットの輝点を中心に座標を回転させ、自分の向きに合わせた。そしてターゲットの居る場所の配置関係を頭に叩き込んだ。

 私はガーディアン・システムからターゲットを補足可能なカメラを選択し接続した。

 通常視界が切り替わる。予想と違う、青く四角いものが視界に現われた。それが何なのか良くわからなかった。

 接続するカメラを間違えたのかもしれない。私はカメラを切り換える為に接続を一旦切り離そうとした。しかし接続は切れなかった。

 ――エージェント! ガーディアンの接続を切り離せ!

 このままでは身動きも出来ない。私は叫ぶようにエージェントに命令した。

 ――・・・・・・

 エージェントからの返答がなかった。

 ――エージェント!!

 ――マッテイタ

 生体工学研究所で聞いた、あの声だった。

 ――お前はさっきの・・・

 ――マッテイタ 70マンネンノ ナガキトキヲ

 ――待っていた!? 俺を待っていたというのか

 ――ソウダ オマエヲマッテイタ

 ――何故?

 ――コイ! シリタケレバ

 いきなり視界が元に戻った。そして、エージェントからも奇妙な声の主からも応答はなくなった。

 「分かった! 行ってやる!!」私は思わず大声で叫んだ。

 階段を駆け下り地上に辿り着くと、ターゲットの居る地点に走った。走りながらも習慣となっている銃の弾数確認を行い、撃鉄を引き起こした。

 来いと呼ぶからには、いきなり撃っては来ないはずだ。私はターゲットの居る街路へと踊り込んだ。

 機動捜査課の制服を着てはいたが、確かに今朝出会った男に間違いはなかった。

 「聞こうじゃないか。俺を待っていた理由を!」

 馬鹿げたやり方だとは分かっていた。問答無用に撃つべきだった。しかし、そうする理由も気持ちもなかった。

 男は今朝逢った時と同じく、意思を持たないかのようにぼんやりと佇んでいた。

 「答えろ!!」

 私はゆっくりと銃を持ち上げた。

 その瞬間再び視界が揺らいだ。像が二重映りになるような錯覚に陥った。黒い影が男に重なるように映り込んだ。黒い影は銃を持ち、私に向かって狙いをつけた。

 私は慌てて銃の狙いをつけ直そうとした。奇妙な感覚は消えなかった。視界がダブり、腕までもが思うように動かなかった。

 やがて男のほうも、黒い影と同じように私に向かって銃を向けた。機捜課標準装備の10mmハンドレーザーの様だった。

 私の撃つのと男の撃つのは、ほぼ同時だったような気がする。しかし銃の手応えを感じなかった。私は本当に銃を撃てたのだろうか? 腹部に熱い衝撃を感じた。私は撃たれたのだろうか?

 視界が吹き飛んだ。意識は拡散したように頼りなく、全ての感覚が消えた。意識は暗闇の中を長い間漂い続け、やがて一点の光を見出した。私の意識はその光に向かって流れ込むように集中して行った。

 視界が元に戻った。しかし違和感は消えなかった。

 男がうつ伏せに倒れていた。私はゆっくりとそして慎重に倒れている男へと近付いた。

 男の手前に銃が落ちていた。私が持っていたはずのリボルバーだった。私は自分の手を見た。そこに握られていたのはハンドレーザーだった。いつの間に銃が入れ替わったのだろうか?

 倒れている男の脇には血のような液体が流れていた。私は男の体の下につま先を差し込むと力任せに仰向けにした。

 私は、私の死体を茫然と眺め下ろした。

 

 

  


4章「爬虫類の見る夢」

■□□■□

 「ラセル・D・セギの死亡波を確認! これよりオペレーションをフェーズ2に移す」

 ルドルフはポッド搬送機《PCC》のエンジンの微振動を伝えるフォーム粘性ゾル衝撃緩衝剤に浸かりながら、そのHQ(指令部)からの言葉を遠い気分で聞いた。

 「シロッコ(熱風)1・クルックよりHQへ。フェーズ2移行了解。各チームリーダーへ・・・準備良いか?」

 今は感傷など不要だった。そういったものを自由に断ち切ることが出来なければ、帰ってくることはいつも危うかった。

 「シロッコ2よし」

 「シロッコ3よし」

 シロッコ隊が普段自分が率いているチームだった。

 「アントイーター(蟻食い)1よし」

 「アントイーター2よし」

 「アントイーター3よし」

 アントイーター隊は、同じクアドラプルAでも機動力よりも搭載火器を重視した機体となっていた。

 今回は別チームとの合同作戦となる。それは、今回の作戦の危険度を表していた。

 「レイブン(大カラス)1よし」

 「レイブン2よし」

 レイブンと呼ばれたPCCは、1機で3台のポッドを搭載することが出来た。10t近い積載量を持ち、ポッドのほかにも各種対地攻撃兵器を搭載できた。

 「HQへ。2003よりオペレーションを開始する。各自時計合わせ実行。5,4,3,2,1、スタート」

 旋回を繰り返していたPCCがホバリングを始めた。

 「レイブン2スタート後、10秒後にレイブン1をスタート。アントイーター隊はポイント2に展開後、シロッコ隊の射出を待って、援護攻撃を開始」

 ルドルフは作戦概要を音声で伝えた。詳細なタイミングはHQの作戦支援コンピュータが行う。通常作戦ならリーダーの指示など本来不要だった。

 「リンケージ・モードはターコイズを使用。各自チャンネルを確認せよ」

 ユニット・コンディション・ビューに5つの緑色の点が浮かぶ。全機の状態を確認した。

 「2005。オペレーション開始!」

 レイブン2のブースターの音がかすかに聞こえた。

 メイン・ビューにレイブンから射出されたアントイーター隊の3機のポッドがゆっくりと降下するのが映った。

 「ターゲットから熱源反応!!」

 HQからの声が響くのとほぼ同時に、アントイーター2のアラート表示が点灯した。

 ルドルフはメイン・ビューをレイブン1のビジュアル・アイに接続した。閃光に包まれながらきりもみし落下して行くアントイーター2が映った。ターゲットからは、まだかなりの距離があった。

 「HQ!! ガーディアンからのデータ漏洩をチェックしろ!!」

 ルドルフは叫んだ。原因は他にも考えられたが、この状況で待つことは致命的な失敗につながる。軍隊で鍛えられたルドルフに躊躇はなかった。

 「各自リンケージを解除! HQとのデータはリークしている。各自自律行動を行え。レイブン1! タイミングを待たずに射出しろ!!」

 急激な加速度が体に加わった。通常ならば射出後すぐに展開する滑空用のウィングをわざと開かなかった。敵に位置が知れているのならば、ぐずぐずと上空で滑空を続けるのは危険だった。

 「シロッコ2,3 地上300mまで急速降下する。ターゲットへの接近は、ジグザグ・パターン!! 俺に続け!!。アントイーター1,3は着地後MHM(多弾頭弾)をMG(地形誘導)で射出。俺達の接近を援護しろ。レイブン1,2は、2DD(第2種防衛距離)で旋回待機!」

 高度計の数値がみるみるうちに減っていく。落下速度がウィングの対荷重限界速度に近付く。乱立するビルの明かりが見て取れるようになると、恐怖感がひしひしと湧きあがる。

 「ウィング散開!! 機首は上げるな! ウィングが吹き飛ぶぞ!!」

 風圧でパラシュート状のウィングが開く、形状を確保するための内蔵のガスボンベが開き、それは重さ1.2トンの重量を支える巨大な翼を形作った。強烈なマイナスGが体にも加わる。ルドルフはメイン・ビュー上のビルの一点にマーカーを置き、とりあえずの滑空目標点を定めた。ビルの谷間にアントイーター隊の放ったミサイルが光の尾を曳き飛び交うのが見えた。

 落下速度を減じ、揚力を稼ぐために背中のブースター・ロケットを吹かした。2度、3度、小刻みに吹かす。もともと空を飛ぶためのエンジンではない。瞬間的なジャンプや機動力を上げるための補助的なエンジンで、連続では1分程度しか燃料が持たなかった。

 「シロッコ2,3。連携で上空から攻撃。俺は下から行く。タイミング合わせは20秒後!!」

■□□■■

 敵が近付いてくる。

 ぼんやりとした私の意識の向こう側で何かがそう告げていた。見慣れた筈のガーディアン・データが、なぜか奇妙な色合いに映る。ネットワーク・ダイブとも違う、奇妙な構造と色彩が視界にオーバーラップする。

 先ほど撃ったグレネードを眺めた。何に当ったのだろうか? 1発を無意識に撃った後、補正データが頭の中に浮かび、それの命ずるままにもう1発を撃った。空から降ってきた何者かに当ったことは感じたが、それが何かはわからなかった。

 中折れの銃身をたたみ、排莢すると2連装の銃身に新しいグレネード弾を装填した。

 再び何かが近付いてくるのを感じた。先に降下した二つのものから発射された小さな物。そして後から降下した三つのもの。

 敵だとは思ったが、敵と対峙する際に感じる、興奮も緊張感も訪れなかった。

 来る!!

 その瞬間、小型のミサイルが街路の角を急激な弧を描きながら目の前に飛び込んできた。

 右手を上げ、ミサイルの進路を遮るかのように手のひらを開いた。それでミサイルを防げる。なぜかそう感じた。

 飛び込んできた2発のミサイルは、手前で8つの弾頭に分裂した。

■□■□□

 「レイブン1よりシロッコ1へ。MHMはターゲットに着弾。ただし、ターゲットに変化なし!!」

 「シロッコ1了解。行くぞ!! タイミング合わせろ! 5,4,3,2,1」

 ターゲットの居る袋小路の手前の角に差し掛かっていた。ウィングでブレーキを掛けながら足を思い切り振りまわし、慣性で機体を地面に水平に立てなおした。迫り来る壁に足側を向ける。そして邪魔になったディスポーザブルのウィングを炸薬で吹き飛ばした。

 ブースターを最大に吹かし、速度を殺す。だが速度を完全に殺しきれないままルドルフの機体は、ターゲットの居る袋小路の曲がり角へと踊り込んだ。

 メインビューにターゲットが補足される。ガイド・サイトのロックを待たず、そこに目掛けて右腕のレーザー砲を叩き込んだ。

 ヒットを確認する前に、ポッドの巨体が壁面にぶつかった。足のショック・アブソーバーでも力を吸収しきれず。壁面を半分ほど突き崩した。左腕のアンカーフックを壁面に叩き付け体勢を取り戻す。燃料の切れた邪魔なブースターを切り離し、そしてターゲットを確認した。

 ターゲットの男は、彫像のように立ち、右腕に持つグレネード・ランチャーを真上に掲げていた。

 1発、2発、男のグレネードから垂直に弾が発射された。

 上空で閃光が炸裂するのと、ユニット・コンディション・ビューに赤い二つの点が点灯するのとほぼ同時だった。

 「シロッコ2、3!! コンディションは!?」しかし、応答は返らなかった。

 やがてターゲットとルドルフの居る空間の真中に、2つのポッドが絡まりあう様に落下してきた。

 2体のポッドは、悲鳴のような亀裂音と凄まじい地響きを立てると、漏れ出したブースターの燃料に引火し爆発した。

 焼夷系テルミットの青白い閃光と燃料のモノメチルヒドラジンが燃える赤い炎が、二人の居る狭い空間を照らした。

 目も眩むような怒りがルドルフの頭を中で炸裂した。

 左腕のアンカーフックを外し、地面へと飛び降りざまに、無照準で左腕の25mmプログラマブル重金属散弾を10発程叩き込んだ。本来は、ミサイル迎撃用の重金属粒をばら撒く散弾だった。男の周囲に猛烈な土煙が上がる。しかし、その程度の攻撃ですむ相手とは思えなかった。

 身長3m、重さ1.2トンの巨体は、ブースター無しでは真っ当な着地など及びつかない。脚部のショックアブソーバーが限界に近い荷重に軋んだ。

 PAR(フェイズド・アレイ・レーダー)の周波数レンジを落とす。土煙の中に男が立っているのが映る。

 男に向かって右腕のレーザー砲を向けた。レーダーの周波数レンジが落ちているので画像解像度が悪くなっているが射撃に影響が出るほどではなかった。ターゲットにガイド・サイトがロックする。どうやっても外す可能性がない状態だ。ルドルフは引き金を絞った。

 だが信じられない事が起きた。レーザー・ビームの軌跡が男の手前で上方にはじかれる様に曲がったのだ。

 フルチャージを待たずにもう一度撃った。レーザーの軌跡は今度は左に折れ曲がった。

 脊髄が冷たくなるような感覚が走った。

 「アントイーター1,3。全ミサイルを0射出! ガイドはこちらで受ける」

 クアドラプルAが搭載可能な最大火力のミサイルを垂直0度に無誘導で射出させた。そして自分はミサイルが着弾するまでの時間稼ぎのつもりで右肩のグレネードをターゲットに向かって叩き込んだ。

 スモーク弾が視界をふさぐ。通常視界へのレンジを切り替えながら、シロッコが射出したミサイルを上空で補足しターゲットへの誘導パスへと繋ぎかえる。ミサイル同士が干渉し会わないように時間差を設定し、自分は腰を落とし込んだ耐衝撃姿勢を取った。

 装甲を超え衝撃緩衝剤をも突き抜けるような衝撃波が伝わった。4発のミサイルは体感的には同時の爆発に感じられた。ミサイルの破片や爆砕したコンクリート片があられのように装甲にぶつかった。

 ルドルフは、自分の機体チェックを行った。駆動系OK、火器管制系OK、索敵系は装甲表面のレーダーパネルの破損から20%ほど機能低下していたが、行動に支障はなかった。

 PARの周波数をスイープさせ、ターゲットを索敵した。

 爆煙と目くらましのスモークのため、視界はほぼ全域でアウトだった。

 やがて、ゆっくりと視界のノイズが薄らぐ。ビルの一部が崩れた残骸の上に何かが動いた。

 ルドルフはあわてて左腕の銃の照準を向けた。

 どくん! 空間が脈打つように震えた。

 なぜか分からないがルドルフは、とてつもなく危険なものを感じた。

 「レイブン!! E2弾を使え!!」

 E2弾とは、油脂焼夷系に代わる新型の分子励起型焼夷弾だった。燃焼温度は7千度を越える。どんな金属でも溶解する筈だった。

 「シロッコ1! E2弾はHQの許可が取れん!」

 E2弾は威力がありすぎるため、市街地での使用はHQの許可が必要だった。

 「構わん!! 俺が責任を取る。射出しろ!!」

 再び空間が脈打った。それはポッドの中の緩衝材をも波打たせた。空気の振動などではあり得ない。それは空間全体が心臓のように打ち震えていた。

 幽鬼のように佇むターゲットに向かって25mm弾を放った。25mm弾がこれほど頼りないと感じたのは初めてだった。

 「シロッコ1! 退避タイミングは!?」

 25mm弾を意に介せずターゲットは動きつづけていた。なぜ弾が当らないのか理解できなかった。新兵の頃、敵に囲まれジャングルの泥沼を這いずって以来感じた事のなかった恐怖を感じた。

 「ブースターが使えん! ビルの構造強度もいれて、ギリギリのタイミングを計算してくれ」

 ターゲットが右腕を上げた。手に銃のようなものを持っているのが見えた。ハンドガンでこの装甲が破れることなどあり得なかったが、恐怖感は収まらなかった。無駄な事が分かっていても25mm弾を撃ちつづけた。

 「シロッコ1! 退避開始後3秒でE2弾を射出する。カウントダウン・スタート・・・5・・・4・・・」

 また空間が脈打つ。間隔が段々短くなるようだった。

 左腕の機銃の弾が切れた。それを待っていたようにターゲットがハンドガンを撃った。弾はルドルフの機体の右足首辺りに当った。

 「1・・・0・・・」

 コンディション・ビューに赤い警告表示が浮かんだ。足首の関節部への供給油圧低下だった。

 「どうしたシロッコ1!! 退避しろ!!」

 唯一の弱点である腰の駆動系から足首へ動力伝達する油圧チューブを打ち抜かれていた。

 走り出そうと動かした機体がそのまま右側面に倒れ込んだ。

 「シロッコ1退避しろ!!」

 レイブン1のナビゲーターの絶叫が聞こえた。

 空間の振動は、すでに心臓のように早く脈打ち出していた。

 「射出しろ!・・・こいつを殺せ・・・」

 死の淵にあって、ルドルフの心はかえって静かだった。

 E2弾の青白い閃光がビルの谷間に走った。

■□■□■

 自分が何を行動しているのかよく分からなかった。

 絶え間なく続く攻撃に私の体は私の意思とは関係なく自動的に動きつづけていった。

 怒りも悲しみも喜びも遠い感覚でしかなかった。ただするべき事が有った筈だという想いに駆られるように私の体は動いていた。

 ――エラベ!

 選ぶ? 何を選ぶのだろう?

 ――エラベ! オマエハソノタメニキタ

 私はそのためにここに居るのだろうか? そう考えると私はそのために存在していたような気もする。

 突き上げるような情動が込み上げる。怒りでも悲しみでも喜びでも無い。静かな炎のような情動が空間を打ち震わした。

 選ばなければ。青白く燃えあがる炎の中、私はその事を考え始めた。

■□■■□

 「シロッコ1の死亡波確認! 戦闘区域で大規模な熱源反応があります」

 HQの作戦監視オペレータが声を上げた。

 「データ漏洩は構わん。すぐにレイブンとリンクを取れ!!」

 叩き付けるようにハンコックは言い放った。戦況の見えないイライラが感情に拍車を掛けた。

 「E2弾が使用された模様です。中心温度は六千五百度ほどあります」

 「E2弾だと!! だれがそんなもんを許可した。クソッタレ!! とにかくターゲットを確認しろ!」

 「ガーディアンでは、温度が下がりきらないと難しいです。極域探査衛星に繋ぎ換えます」

 前面のスクリーンに戦闘区域の温度勾配画像が表示される。実半径で100mほどのイビツな円が描かれていた。

 被害は大したものじゃない。ハンコックは自分に言い聞かせた。

 「別なエネルギー反応を検出!!」

 オペレーターの声に、作戦司令室に居た全員が総立ちになった。

 「重力場振動です。周期100Hz! いや、上昇している。秒当り20%ずつ周波数が上がっているぞ!!」

■□■■■

 ビルの外壁がE2弾の熱で白く融け始めていた。私の周囲は恐らく七千度近くの高温で燃え盛っているのだろう。なぜ私は、この超高温のなかで平気で居られるのだろうか。

 空間を揺さぶる振動が発生しているのは感じられた。しかし、何故そんな振動が発生するのかは理解できなかった。

 選ぶ? 私は何かを思い出しかけていた。

 それはひどく大事な事のはずだった。

 振動は空間をうるさいほど震わせていたが、それもやがて可聴範囲を超え聞こえなくなった。

 ――アズ・・・待っていたわ・・・

 先ほどから私を呼びかけてきた声とは明らかに違う、若い女の声が聞こえた。

 ――70万年は・・・永かったわ

 「誰だ? お前は!」

 ――わたしたちは、アービター(裁断者)よ

 「アービター!? 何を決めると言うんだ」

 ――人類の未来よ・・・あなたがターミネーター(終焉者)で、わたしがイニシェーター(起動者)なのよ

 「何のことだ!!」

 ――どうしてなの?・・・憶えていないの? お願い・・・一緒に還りましょう・・・

 立て続けに起きる訳の分からない状況に私は翻弄されていた。

 「そんなことは知らない。俺には関係無い話だ!!」

 押さえがたい衝動が体中に込み上げ、噴流となって吹き出した。その瞬間、周囲のビルが霧のように吹き飛んだ。

■■□□□

 「エネルギーレベル上昇。上昇止まりません!」

 「レイブン1! 応答しろ。そちらの状況は!!」

 作戦司令室はパニック状態に陥っていた。

 「重力場振動10GHzを越えた!!」

 前面スクリーンの温度勾配画像が急速に半径を広げた。

 「中心温度五万度!!」

 「第5クラスターが火球に呑み込まれた!!」

 悲鳴のようなオペレーターの声が司令室に響いた。

■■□□■

 ――止めて!! お願い。この振動を止めて!

 「振動!? この振動は俺が起こしているのか?」

 ――ターミネーターの機能よ。このままだと地殻が崩壊するわ。まだ決定するには早すぎるわ!

 「知らない!! アービターだとかターミネーターだとか・・・ましてや人類の未来など俺の知った事ではない!!」

 迸る力が更に強くなったような気がする。私は、自分がこの空間を揺さぶっている事を自覚し始めていた。

 ――ダメェー!!

 泣き叫ぶような少女の声が聞こえた。

 白熱した空間の凄まじい輝きの中に、さらに白く輝く鳥のような物体が現われた。

 それはゆっくりと私の方に舞い降りるように近付いた。

 「アズ・・・お願いだから、止めて! わたしと一緒に還りましょう・・・アズ! お願い・・・」

 「違う!! 俺は・・・そうじゃない・・・俺には関係無い! 何故俺を呼ぶ・・・俺は・・・俺の名前は・・・違うぅぅ!!」

 少女の顔は既に私の目の前にあった。唇が何かを告げるように動く。そして少女の大きく開かれた腕がゆっくりと私を包み込むかのように動いた。

 「アズ・・・」

 白熱した空間がさらに爆発するように膨れ上がった。 

■■□■□

 「市全域に第1種退避命令発動!!」

 「ガーディアン・システムの70%がダウン!」

 ハンコックは、茫然とスクリーンを見詰めながら、自分が何を決断し間違えたのかを考えつづけていた。既に市街の三割が一千度の温度ラインに包み込まれた。

 「第2、第4クラスターも火球に呑み込まれます!!」

 「中心温度200万度突破!!」

■■□■■

 

 それは、地獄の業火かそれとも贖罪への劫火か。青白く輝く光球はゆっくりと膨らみつづけ、静かに静かに街を呑み込んで行った。

 爬虫類はどんな夢を見るのだろうか?

 

■■■□□

 Ssssssssyyyyyyyy――――――――――

 すすり泣くような微かな音が空間に満ちていた。

 そこは、まるでガラスで出来た伽藍のような場所だった。幾億もの水晶の様な結晶体が幾何学的に組み合わさり、複雑な光の反射や屈折が荘厳なハレーションを織り成していた。

 光は何処からか反射しているというよりは、各々の結晶体に孕み潜んでいる光が漏れこぼれているような印象を与えた。

 「・・・ここは何処だ?」私は独り言のようにつぶやいた。

 「ココハ南極大陸りゅつぉほるむ湾ノ地下500めーとるダ・・・」何者かが答えた。

 「誰だ!?」

 私は手にしていた銃を持ち上げた。

 「ワタシニ名ノル固有名詞ハナイ・・・ワレワレハモトモト、フタツノべーす・ゆにっとカラ構成サレテイタ。ヒトツシカ残サレテイナイ今、ワタシニ固有名詞ハ意味ガナイ。機能デ表スナラバ実験装置(えくすぺりめんと)モシクハ観察者(おぶざーばー)トデモ呼ベ」

 声の位置は、特定できなかった。建物全体から響いているような感じがした。

 「何が目的でこんな所に連れてきた!!」

 「ワタシガ連レテキタワケデハナイ・・・カノジョガソレヲ欲シタノダ」

 私は、その時になって初めて足元に転がる黒焦げの残骸に気がついた。黒焦げの残骸からは骨のような棒状の金属隗が顔を覗かせていた。外部に突き出た金属隗の末端は、超高温にさらされ溶けた金属の溜まりを床に造っていた。

 シィィィィ・・・と云う音が聞こえた。高熱に晒された金属は、空気に触れ急激に冷やされることにより身を打ち震わせた。そして、その染みるような甲高い音が、私を怯えさせた。

 「終わったと言ったな! 俺はターミネーターで、俺に人類の運命を決めろとも言った。訳のわからない事を押し付けてここまで連れてきて、挙句の果てに終わったと言うのはどういう意味だ!!」

 「・・・・・・」

 私は足元の残骸をブーツの固い底で力任せに踏み付けた。かつて少女の形態を採っていた黒焦げの残骸は、私の靴底で悲鳴のような音を立てひしゃげた。

 「答えろ!!」私は恐怖にかられたように叫んだ。

 「・・・デハ答エヨウ」前面の壁に埋め尽くされた結晶体が揺らめく様に瞬いた。「ワレワレハ地球時間デ412万4千712年マエ銀経197度2分13秒距離20345ぱーせくノ位置ヨリキタ。母星ノ名ヲ地球人ノ音節デアラワスニハムリガアルガ、可聴域ダケトリダセバソレハ”しーら”ト呼ブコトガデキルダロウ」

 「シーラ?」その名に、何も感慨は湧かなかった。

 「ワレワレノ地球デノモクテキハ、しみゅれーしょんデアッタ。銀河系内デオコナワレタ500種類ノウチノたいぷ27トヨバレル実験ダ・・・たいぷ27トハ、孤立記憶型群棲行動生命体ノ生成ト発展過程ニカンスル実験デアル。ワレワレハ150万年ヲカケテ現世人類ノぷろとたいぷトナル原人マデ改良ヲツヅケタ」
 
 「何を目的にした実験だったんだ?」

 「モクテキハ孤立記憶型群棲行動生命体ノ生成ト発展過程ヲ観察スルコトダ」

 「そうではない! 実験と言うからには、その結果から得られる期待や目的が在る筈だ」

 「コレハ純粋ニ学術テキナ見地カラオコナワレタ」

 「単純な好奇心から400万年も掛けて実験が行われたというのか?」

 「ソノトオリダ・・・」

 400万年という時の長さを想像してみた。あまりにも莫大な数値に具体的な印象は結ぶことが出来なかった。

 「俺にどうしろというんだ・・・」

 「オマエハ裁断者デアリ終端者デモアル。実験結果ヲハンテイスル機能ヲニナッテイル」

 「俺に選べというのか! 一体何を基準に人類の未来を選べと言うつもりだ!」

 「判定基準ハ、スベテオマエタチニ委任シタ・・・。イマハオマエシカ残サレテイナイ。ダカラ、オマエガスベテヲ判定スレバヨイ。ワタシハ観察者ダ。ワタシハケッテイニカイニュウハシナイ」

 「全てを俺に押し付けるつもりか!? 何故俺をこんな場所に連れてきた!!」

 「オマエガ判定シナケレバ、ソレハソレデカマワナイ。オマエガドチラニ結論ヅケヨウガ、イマトナッテハナンノ意味モナイノダ・・・」

 「待て!! 何故意味がないのだ?」

 「オモイダセナイノカ? ソレトモ、オマエモマタ記憶ヲ改変シテシマッタノカ?」

 「・・・・・・?」

 「原人カラ現世人類ヘノ分化サギョウヲカイシシタ80万年マエ実験ノ中止命令ガクダサレタ。ワレワレハ中止ノリユウヲ母星ニトイアワセタ。シカシ母星カラノ回答ハツイニエラレナカッタ」

 「中止・・・?」

 「中止命令ヲ受ケワレワレ2体ノべーすハ検討ヲ行ウベクせんさーヲツクリ地上ノ詳細調査ヲ開始シタ。ソレカラ10万年経過後、ワレワレハ、最終判断時期デアル70万年ヲマツコトニシタ。ソシテえねるぎーヲ節約スルタメニらぐらんじゅ・ぽいんとデ周回シテイタべーすヲ着地サセタ。ソノトキ事故ガオキタ。べーすノヒトツガ大気圏突入ニシッパイシタノダ。連絡ガ途絶シタダンカイデべーすノ機能ハ崩壊シタト判断シタ。ワタシハ、トウショノ計画ドオリ70万年ヲマッタ。タダヒタスラマチツヅケタ・・・母星カラノ連絡ハナカッタ。実験ハオソラク放棄サレタノダロウ・・・シカシ、ソコニオマエガ覚醒シタ・・・」

 「俺が来た事が不測の事態だというのか?」

 「カノジョハ喜ンダガナ・・・シカシスデニ予定外ノ事項デモアッタ」

 「実験が放棄されたのならば、なぜ母星に帰らなかったのだ!」

 「帰ル・・・? オマエモカノジョト同ジダナ・・・」

 声には、何故かあざ笑うようなニュアンスが含まれていた。

 「ワレワレハえくすぺりめんと(実験装置)ダ。実験ヲオコナイ報告スル機能ハアルガ母星ニ帰還スル機能ハモトヨリナイ。ソシテオマエタチハ、タンナルせんさーニスギナイ。タシカニオマエタチヲ現世人類ノカラダニ模倣スルニ際シテ使用シタ電子すぴん干渉単位記憶巣ハ記憶欠陥ガハッセイシヤスイ。シカシ、オマエトカノジョニオキタ記憶ノ誤謬ハソレダケガ原因デハナイヨウダ。現世人類ツマリ孤立記憶型群棲行動生命体ノ思考枠組ヲ採用シタ段階デスデニ記憶内容ニ歪ミガショウジテイル。カノジョハ70万年マチツヅケルウチニ、オマエガ覚醒シ、実験ノ判定ガ終了スレバ母星ニ帰還デキルト、信ジラレルヨウニ記憶ヲ歪メテイッタ・・・」

 絶望的な疲労感が私を襲った。

 「放棄されてしまった実験を続ける事に何の意味が有ると言うのだ!」

 「ソレガワレワレノ存在理由ダカラダ。ワレワレハ、えくすぺりめんとダ。実験ノ経緯ガドウデアレ観察ヲツヅケルコトガ、ワタシノ存在理由デアル」

 「では俺の存在理由は!? 実験判定する事が既に意味がないと言うならば、俺がここに存在する理由は何だ!」

 「カノジョハコワレカケタ記憶巣デ、ジブンノ存在理由ヲ必死ニ繕ッテイタ。ダカラオマエガ覚醒シタモノノ記憶ノ大半ガウシナワレ自律行動サエ不可能ナノヲ知ルト、ねっとわーく上ニ存在シタらせるト結合サセタ。ソシテ最終的ニハ全テノ情報ヲオマエニ転送シタノダ・・・オマエガ今ココニイルノハ、カノジョガソレヲ欲シタカラダ。モットモ、ソノ作業ヲオコナッタノハ、ワタシデアルガ・・・」

 「そうまでして、彼女が欲しがったのは何なのだ!?」

 「ジブンノ存在理由デアロウ。ワタシニハ理解デキナイガ孤立記憶型群棲行動生命体ハ、自己ノ存在理由ヤ役割トイウモノニタイシ明確ナ強度ヲヒツヨウトスルヨウダ。孤立記憶型群棲行動生命体ノ思考枠組ヲ導入シタ段階デ、オマエタチノ思考ハ記憶ヲ歪メルマデニイタッタノダロウ」

 足元の残骸を再び眺めおろした。

 〈どうしてなの?〉

 幻聴が聞こえた。

 「俺を元に戻せ!!」

 私は銃を抜き面前の結晶体めがけて引き鉄を引いた。凄まじいばかりの銃声とともに一部の結晶体が砕けた。

 「イイダロウ。カノジョガ既ニ存在シナイイマ、オマエガココニイル意味ハナニモアルマイ。ワタシノ存在理由モ、スデニ終エタト判断デキル。コノべーすノ反応炉ト記憶巣ハ、スベテ開放スル。オマエノ体ヲモトニモドスコトハ物理的ニ不可能デアルガ、モトヨリ機械ノ体デアレバ、アマリ相違ハナイデアロウ。オマエヲスキナ場所ヘ転送シテヤル」

 「待て!!」

 「マダナニカ用ガアルノカ?」

 その問いに私は茫然とした。

 「・・・彼女の名は?」ようやく口に出たのはその言葉だけだった。

 「オマエニトッテソレガ重要ナノカ・・・」嘲るように聞き返された。「モシ、ソノ固有名詞ガオマエニトッテソレホド重要デアルナラバ、オマエガソレヲ思イ出スガヨイ」

 「違う!!」

 「オマエガナニヲ否定シタイノカハワカラナイガ、オマエノ存在理由ハ、オマエ固有ノモノダ。ワタシハ介入スル意思ハナイ」

 「そうじゃない!」

 「モウ炉ヲ開放スル。場所ヲ指定シロ。転送スル」

 地鳴りのような音と共に、床が揺れ始めた。

 結晶体の群れが振動ですすり泣くような軋みをあげた。

 Caassyyyyy-----nnnnnn・・・

 圧力を受けた結晶体は軽やかな響きと共に細かい欠片へと砕け散った。

 「違う・・・そうじゃない・・・」

 答えはもはや返らなかった。

 Caassyyyyy-----nnnnnn Caassyyyyy-----nnnnnn

 連鎖的に結晶が砕け続けた。破片は孕んだ光を放出ながら、やがてあられの様に私に降り注いだ。

 眩暈を引き起こすほどの光に包まれた。その中で、私はひとつの幻影を見た。

 果てしなく続く緑の草原で花のような少女が踊っていた。

 その少女が誰で、その幻影が誰の記憶かは、私には分からなかった。

 〈どうしてなの・・・〉

 足元の残骸がささやいた。

 「違う・・・違う・・・違う!・・・違うぅぅぅぅ!!」

 しかし、何がどう違うのか、私にはもはや分からなかった。

 幾千幾億の星のようなきらめきの中、私はなお爬虫類のように孤独だった。

 「転送スル・・・」
 
 
 


終章「帰還」

■■■□■

 風が・・・・
 

 風が・・・吹いていた・・・

 悠久の時から吹くような冷たい風が私のもとを通り過ぎていった。

 私は荒野の只中に佇んでいた。吹き寄せる風は砂を巻き、ひっきりなしに私の手や顔を叩いていった。

 ここは何処だろう?

 私は茫然と周りを見渡した。

 四方の地平には、何も無いただ荒れ果てた石だらけの荒野が続くだけだった。

 かつて開発に開発を重ねたはずの地表にこんな場所が残されていたのだろうか。

 あれから一体・・・?

 ほんの数秒前の出来事のような気もした。何万年もの時が過ぎ去ったような気もした。それとも私は、初めからただ荒野に立ちすくんでいただけなのだろうか。

 風が吹いていた。

 その風に押されるように体がよろめいた。その瞬間、私の中で悲鳴のように軋む鈍い錆び付き音がした。

 私は空を仰ぎ見た。

 鉛色の空は天上を覆い太陽の位置すら定かでなかった。

 行方のない私の身をひさぐかのように実存だけが私の内に在り続けた。

 だが、私は歩き始めなければならなかった。

 やがて私は、荒野に向かってゆっくりと足を踏み出した。