- 川崎で暮らし初めて7年目の春、SEとしてのスキルアップも思うように行かず、このままいくと、SEとしては緩慢な死を迎えるのは間違いないと思い始めるようになっていました。
- Uターン情報誌に登録して、スキル等を聞かれ、汎用機上のアプリの保守をしているというと、今、紹介できるところはなく、この先(景気が回復しても)ない可能性が高いと言われ、6年間やってきた仕事はほかでは使いものにならないと悟ったのです。
- それほどひどいのに遭遇はしていないのですが、帰省ラッシュにも飽きてきたのでした。
家族への根回し
東京(正確には川崎)での暮らしになれている女房に未知の世界である岐阜(女房は岡山から東京(正確には川崎)にでてきていた)での暮らしができるか、これが(今思えば)一番の問題でした。
Uターン情報の取得方法
- Uターン情報誌主催のUターンフェアで岐阜県ブースを訪ね、Uターン希望者として県の機関に登録。(新宿Lタワーでありました)
- 帰省したときに、人材銀行に登録。(労働省系の組織だったようです。岐阜では金町のとある生命ビルに入ってます)
- Uターン情報誌に登録(技術者として。しかしながら、汎用機アプリ(FのCOBOLのバッチ)保守を技術としては認められなかったようです。)
- 地元にいる親族からの紹介(個人的にはあまり頼らない方がいいと思います。迷惑かけるし。ほんとに。丁重にお断りしました。)
Uターン転職活動時に注意したこと
- 当然ですが、職場の誰にも絶対に就職活動をしていることを明かさなかったこと。
- 決まったら一番に直属の上司に報告したこと。とはいえ、いつも世話になっている上司に切り出すタイミングをはかるのは難しく、結局内定がでてから2週間が経過してしまいました。やめて何年かたつと、あらためてお世話になってたんだなーとわかったり
しますねえ。
感謝してます。
- 前職で配属された当時からお世話になった職場の人々。
- それにもまして私をかわいがって下さった某政府系金融機関の情報システム部の職員のみなさま。
決まってからやったこと
- 私の場合、内定から初出勤まで実に半年足らずの期間があったので、何とか後任への引継はできるかな、と思っていたのですが、あっと言う間に時間は過ぎて・・・(今でもたまに引き継いだ業務に関する質問がメールで届いたりするのだけれど、)要は、スムーズな引継を行えるよう、細心の注意を払う必要があるということです。
- 顧客への報告。といいたいところだけれど、直接の担当者には自分の口からはいえませんでした。結局、上司が顧客の担当者の上司に報告する形で話が伝わりました。
- 住宅の確保。バス、鉄道が網の目のように張られている川崎に比べ、岐阜のそれは利用するに耐えられないと感じるのは私だけでしょうか。とはいえ、交通手段として車がないと話にならないのは言うまでもないのですが、万が一車が使えない状態となったときには頼るしかありません。結局、車で職場にすぐ行けて、万が一の時は公共交通機関を使える場所を居住地として探しました。(・・職場までは車で15分で行くのですが、公共交通機関を乗り継ぐと、95分(運賃1130円)もかかります。(川崎からJRで1130円かけるといったいどこまでいけるんだろう?)ちょっと話が脱線してしまいました。公共の賃貸住宅をいろいろ当たってみましたが、たとえば県営の住宅。数カ月県内で勤務した実績がないと入居できないらしい。これはUターンしてきた者は受け入れられないということなのだろうか。で、県住宅供給公社の空き家。これは古さと環境をのぞけばよい案件でした。雇用促進住宅なんていうのも見学しましたがちょっと話になりませんね。(すんでる方ごめんなさい。でもごみをほかの地区に車で捨てに来るのはだめよ)
- 新しい職場での自分のポジションを予想しておく。右も左もわからない新卒の新人とは違うので、採用された時点で、当然具体的な仕事内容が決まっているはずです。その仕事内容に必要なスキル(たいてい前職から派生するものでしょう)を養っておく必要があります。私の場合はネットワーク関連の雑誌を読むようにしていました。記載されている具体的な事例が役に立つと思ったからです。そしてそれが新しい職場での私の仕事の一部となったのでした。(そのうち全部になりそう)。とにかく、汎用機というジャンルのコンピュータに関連した仕事をしていた、というプロフィールはいつのまにかコンピュータのことはなんでも知ってるという誤解に変わるのでした。スキルアップにつながればいいいのですが。
こんなはずじゃなかったこと(独白)
- とにかく田舎だ。わかっていたつもりだが、夏の夜の虫の量は尋常ではない。マンションの上の方の階にバッタみたいな緑色の虫の集団が壁にびっしりくっついている様といったら(妹の息子(3歳)が腰を抜かした>>本当)。夜道に街灯がなく、虫達の格好の目標となっているようだ。でも、最初の年(1997年夏)より数はへった。でも、自転車で夜はしると、額とかにでっかい虫がバンバンあたる。かなりいたい。しかもたまに口に飛び込んでしまい食べてしまう。おいしくない。
- 言葉の問題。昔は自分も話していたはずの言葉が、理解不能な状態になっていた。(最近ようやくなれてきたけど、岡山弁と東京弁のバイリンガルである奥さんにはしばしばイントネーションの違いを指摘される。が最近おくさんも岐阜弁に侵略されてきてしまった。)
- 家賃以外の物価が高い。価格競争が激しくないとこんなにものの値段は違うのか。
- プロバイダのアクセスポイントが遠くなったこと。早くアクセスポイント一覧に岐阜県内のものを乗せて欲しい。と思っていたら、知らないうちにちゃあんと岐阜市のアクセスポイントができてるじゃないか。次は関市にお願い。でもこれは要するに、電話料金が高すぎるってことだよなあ。けっ。職場のインターネットの専用線はNTT使ってないもんね。
- 雑誌が入手しにくくなった。秋葉にいけば山と積んである雑誌が岐阜市内のどの書店を探してもない。これは職場に出入りしている書店からの予約購入という形で収まったが。(LinuxJapanは手に入れにくかったけど、書店売りがめだつようになった)
- 太った。(自分のせいだけど)。以前は自転車で通勤していたので、昼飯を自転車で買いに行ってそのまま多摩川の土手までいって食べるなんてこともしてたが、車通勤がこれほど運動不足となるとは。本当に緩慢な死を迎えたりして。てなわけで、始めました。自転車通勤。で、感じたこと。自転車、歩行者(交通弱者)を軽視するドライバの多いこと(対川崎比)!!岐阜のドライバのみなさん。弱者優先の安全運転を心がけましょう。安全運転で自転車通勤をするように心がけているのだが、
3度ほど乗用車のドライバとけんかした。
- 職場に出入りする各業種の業者の質がよくない。というか、殿様商売を社訓にしているのか。客がかもられているだけなのか。
いやいや、実は職場の方針?として、古くからの付き合いがあるから、高くても頼むのだ、ということが最近わかってきた。これが学費を無駄につかうことになるのがわかんないのかな。
- 冬はひどく寒い。駐車場の車は朝氷づけになっているのであった。
土地紹介にも書きました。
ほかにもいろいろいいたいことがある。
東京圏から地方へのUターンを考えてるあなた。興味があったらメール下さい。
で、最近、働きはじめて12年目の方、私と同じ年齢ですよね、ほぼ、そういう年齢の方からのメール増えましたね。
なやんでいようがいまいが、ぶつけてくださいな。おーさまのみみはろばのみみ!を掘った穴に向かって
ゆーのと同じ程度に、気軽にどーぞ。
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