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− アテネ旅行記−

ギリシャの美しいエーゲ海の風を
写真・水彩画・旅行記でお楽しみください。
エーゲ海の風をお尋ねいただき有難うございます。


What's new *** NEW!2004年3月8日最新更進日 ***

[1]成田までのみちのり
9月22日。(旅1日目)
  もう何年も前から思い描いていた「地中海をめぐる旅」を、私が本格的に計画をたてたのは一ヶ月前。
3ヶ月でギリシャ/イタリア/パリをまわり予算は30万円!?かなり貧乏旅行。とにかく飛行機のチケットを購入しなければこのまま計画倒れで終わってしまう。
 目的地はギリシャのアテネ、90日オープン。帰りはオープンジョーのパリ発。 ありました。ありました。
アエロフロート8万9千円。あっさり希望の日に予約もとれた。さぁ、もうあとにはもどれませんよ。
1998年9月22日12時。成田発の便に乗るべく、目黒の自宅を出発。荷物はリュックひとつ(中に布製のバックも入れたがこれが結構、重宝した)。 日暮里駅で降りて京成ライナーのチケットを購入しようと窓口へ。「あれぇ満席…」早めにでてきたのに…。
 各駅停車で成田第2ターミナルヘ到着。チェックインを済ませ、空港内の三菱銀行でイタリラ・リラと フランス・フランを両替した。まだ少し時間がある。そういえば、成田空港内で出発前にカレーを食べると 無事帰ってこれるってじんくすあったな…。私はカレーを食べることにした。お昼前のためか、サンドウイッチ以外は置いているところがすくなく、 私はカレーを求めさまよった。通路の端にセルフサービスのレストランがあり、そこでカレーとコーヒーで食事をとった。 「ふふふ。これで無事帰ってこれる。」私は確信のない安心感に包まれた。
 アエロフロートはボーデイングパスを渡してからバスで飛行機に向かう。1/3くらいは外国人の姿があった。少し緊張する。 じつは、私は英語がまったくできない。いままでことごとく一人旅のチャンスを逃した大きな理由のひとつだ。 これからこのことで不自由なおもいをすることになる。搭乗する飛行機はかなり小さく、旧式だった。成田発はまだ ましなほうでトランジット後のロシア発の飛行機はすごかった。より小さく、旧式で、食事用のテーブルは前席の人が 動くたび落ちてくる。手洗いのシンクは詰まって機内に水があふれていてもロシアのスチュワーデスさんは気にしない様子。 きわめつけは、トランジットのとき目を引いた、かわいいロシア人の新体操の選手たちで、飛行機がアテネに無事、 着陸したとき喜びのあまり全員が拍手していた。そ、そんなに落ちるの?さすが格安、片道4万4500円だ。

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[2]トランジット
9月22日。(旅2日目)
 トランジットでモスクワに一泊した。一泊1万1千円。手配してくれた旅行会社にもっと安いところでいいといったが「これ以上安いところはまるで監獄です。」と言われた。以前職場の人に「モスクワのトランジットホテルで牢獄みたいなところに泊まった。」と聞いていたので、「まんざらうそでもなさそう。それにこれからはろくにシャワーも浴びれないかもしれない。」と思い旅行中、最初で最後の贅沢な部屋に泊まった。  ロシアという国において観光客は全て、高い料金設定があるらしい。その割にあまりにっこり笑う人が少ない。サービス業ってなんだろう?と考えさせられた。
 9月22日17時30分モスクワ空港に着陸。薄暗く、人気のない空港の中をパスポート・コントロールの表示をまったく無視して人の列についていった。ここではぐれたらアテネにいけないどころか、銃を持ったロシア人に拘束されそうな恐怖にかりたてられた。あまり長くいたくない雰囲気だ。
 パスポートを見せ、ホテルクーポンをもらいトランジットの面々と一時間位まった。トランジットホテルへの送迎バス乗り場まで急ぎ足でつれていかれ、聞き取りにくい英語で「ホテル名を言うので自分のホテルが呼ばれたらホテルクーポンを提示した後、バスにのりこんでください。」とたぶん言っていた。同乗していた日本人はホテル名を言う度、確認のためホテルクーポンを提示していた。本当に聞き取りにくい英語なのだ。
 私は、ホテル・ノボテルのシングルに泊まった。バスでホテルに着くと、コンシェルジュの前で明日のことについて説明があった。みんなまわりは、日本人だ。このとき知ったのだが、アテネに行く人とトルコのイスタンブールに向かう人といて、朝食と出発の時間が異なり、説明してくれるロシア人の女性の英語による説明をそれぞれが真剣に読解にとりかかった。英語力がためされる。わたしは完全にお手上げであったが同じアテネ行の人をみつけていたのであと聞けばいい。と安心していた。
 説明の後パスポートを預けルームキーをもらうことになり列に並んだ。後ろの会話を聞いていると、みんな英語は自分と同じくらいしか理解していないことを知り、まずい…。と思った。せめて朝食と出発の時間だけでもはっきりさせなければ…。
 そうこうしているうち部屋の階までいくエレベータに乗るよう言われた。なんだこのエレベータは?まず防弾壁みたいな20Bはありそうな扉を閉めた後、おなじみのエレベータのドアが閉まるしくみだ。ところ変われば…である。
 男性は下の階で降りていき女性4人が残りそれぞれは不安も手伝ってすぐに打ち解け話しだした。かわいい感じの二人旅の女の子はアテネに一泊してサントリーニ島に渡ってアテネに戻るらしい。唯一、私と同じ一人旅の女性Sはアテネに一泊してサントリーニ島からミコノス島へ渡ってアテネへ、Sとは日程的にミコノス島で再会できそうだ。とりあえず、この3人とはアテネまで一緒だということで少しホッとした。
 後で知ったのだが9月25日にアテネでウルトラ・マラソン大会があるらしく飛行機もホテルも結構、混んでいたらしい。「さっきの説明わかった?」照合してみるとみんな理解した朝食の時間は、だいたい同じ時間だった。ただ一つアテネに行く人とイスタンブールに向かう人とでは朝食をとる階が違い全員わからなかった。通路に案内係の人がいたので聞こうとしたが、何のことはない聞きたいことは全て紙に日本語で書かれ、壁に貼ってあった。それを見て、なんだかどっと疲れがでた。
 私たちは明日、一緒に食堂に行くことを約束して足早にそれぞれの部屋に入った。
 部屋に着いたのは、夜の8時頃。部屋はとてもシンプルだった。夕食は1Fロビーのレストランでとれるらしい。外貨も使えるそうだ。たぶんかなり、高い上にメニューもよくわからず、気疲れして終わりそうなので、レストランは遠慮させて頂いた。 幸い、アエロフロートの機内食は量が多く、パン、ワイン、チーズくらいは残して持ってきたので、小腹がすいたときに、食べることにした。これは非常に助かった。その他に、歯ブラシと布製の折りたためるスリッパを機内で配られた。これも機内で、宿泊先で 役にたった。第一に軽いのがいい。
 さて、せっかく高価なホテルに泊まったのだからいろいろ利用したいが、書いてある英語がいまいちわからない。無料であることを祈ってテレビをつけてみた。あたりまえだが、ロシア語だ。あっバラエティもあるんだ。素人の女性が5〜6人、ヘアーメークをしてもらってどれくらい変身できるか?という番組らしい。ロシア人の女性も結構おしゃべり好きなんだ。顔が童顔だし。言葉ができれば親しくなれそう。でもアルファベットからしてロシア語はむずかしそうだ。今回は、ロシア語は遠慮しておこう。
 バスとトイレを見てみよう。長く大きなバスタブがある。後にも、先にも今回の旅行ではバスタブに入れるのはこれが最後だろう。たっぷりのお湯に泡をたっぷりたてて、気分はブリジッド・バルドー!?いざ入浴。うーしあわせー、で…シャワーはどうやって出すの?周囲にある突起物をいろいろためしたものの、結局、諦めて蛇口からお湯を出して洗髪した(突起物のボタンを強く引っぱるとシャワーが出たらしい。後で知った)。真っ白なふかふかのタオルにつつまれて、赤ワインを一杯飲んだ。
 ベッドはダブルベッド、自分の住んでいる部屋があまりに狭いので、広いベッドの上で一人で寝ていると、どうも落ち着かない。ホテルには悪いが、電気を消さず、テレビからロシア語を流しながら眠りについた。はたと中途半端な時間に目が覚めた。旅行をしていて不思議なのは、午前3時に必ず目が覚めること。まだ真っ暗だ。もうひと眠りしよう。

 9月23日朝5時に目が覚めた。気が張っているせいだろうか、朝、起きるのは苦にならない。少したつと、部屋の電話が鳴った。英語のテープの声で「6時です。起きましょう。」と言っている。私はやっぱりテープに向かって「サンキュー。」 といっていた。
 荷物をまとめ、約束の時間に廊下に出たが、どうやら私が一番のりだった。私の次に一人旅のSさん、次に二人旅の女の子が出てきた。
 朝食の食堂には、中華料理のような丸テーブルが3つおかれていた(さすがに回転台にはなっていなかったが…)。
 私たち4人はテーブルに早くついたので席を選ぶ余裕があったが、次々と食堂に入ってくる旅行者の中にはすまなそうに「ここ空いていますか?」と席を探している人もいた。
 席がほぼ満席になると、見事なもので、全員、日本人だった。ノボテル・ホテルは日本人が常連のようだ。廊下に張っていた日本語の説明書きもうなずける。
 ここの朝食はひどかった。冷めて固くなったパンにコーヒーとは思えない味の不思議なまずさだった。私は大のコーヒー好きなので必ず何処に行ってもコーヒーを飲む。機内もまずかったので、ロシアのコーヒーは一度も美味しいのにあたったことがない。もっともパスポートを見ると入国スタンプはおされていないのだから、ロシアでコーヒーを飲んだことにはならないか…。
 しかしハム類はなかなかおいしかった。日本人は香りに敏感すぎてスパイスの使い方が苦手なのか、おいしいパストラミ・ド・ビーフが少ない。今回、食べたロシア製のパストラミ・ド・ビーフは感動だった。
 一つのテーブルに10人程、座っていた旅行者は食事をとりながら会話をはじめた。旅は情報が大切。私も話に耳を傾けた。
 一人の男性は例のウルトラマラソンで「サポート役としてアテネへいく。」と言った。マラソン好きで有名なハザマ カンペイさんも参加するため、アテネ一の老舗ホテルといわれるグランド・ブルターニュに泊まっているらしい。9月25日の早朝パルテノン神殿あたりからスタートしてスパルタまで走るそうだ。ギリシャはオリンピック発祥の地だけあってイベントがとても多い。アテネでの楽しみが一つ増えた。彼は、私が今夜のホテルの予約をしていないことを知ると、とてもびっくりした。彼はウルトラマラソンがあるのでホテルも帰りの飛行機も席が一杯で予約をするのに大変だったとゆうのだ。私は少々不安になったが、いざとなればユース・ホテルのドミトリーがあるからと考えていた。
 私は新しい町につくときはなるべく明るいうちに到着し、2時間くらい街を散策しながら、安宿を探すことにきめていた。ただし、それができるのは荷物の身軽さと健康な体があればこそだ。どちらかがかけると見知らぬ土地で恐怖に震えるか、法外な出費に悩まされることになる。私にはスーツケースの旅など思いもつかない。朝食を食べ終わる頃、昨夜のロシア人の女性が何十冊ものパスポートを持ってあらわれた。みんな、パスポートを返してもらうまで緊張が解けない様子で、自分の名前がいつ呼ばれるかと神経を集中させた。ちなみに無事、全員パスポートは戻ってきた。
 午前8時モスクワ発アテネ行きの便に乗るため、私たちはホテルからバスに乗り込んだ。5分程走り、昨夜の空港に再び戻った。昨夜とは違い、空港内の雰囲気が柔らかく感じたのか、それぞれ写真を撮りはじめた。よく人に「モスクワのトランジットは銃を持った警備中のロシア人がいて、写真を撮っていると注意されすごく怖い思いをする。」と聞いたことがある。今回は 情勢にとくに変わったことがなかったのか、緊張した感じがなかった。先にも書いたが、乗り継ぎの飛行機はすごかった。せめて落ちるのなら、帰りの飛行機にしてくれ…。本気で祈った。
 座席は、成田発のときと場所が変わった。かなりがらがらで、横3列の席は1人か2人ですわっていた。一人旅のSと隣同士になりアテネにつくあいだずっとしゃべりっぱなしだった。ホテルで仲良くなった3人とはこの日中、一緒に行動することになる。




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ノボテル・ホテル/1泊 11,000円










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アエロフロートのアメニティーグッズ/0円










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アエロフロートの機内食パストラミドビーフは美味












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 (2000年11月08日〜)

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