<フェラーリ>

 チーム代表ピエロ・フサロ、マネージャーはチェザーレ・フィオリオ、 チーフデザイナーはスティーブ・ニコルス。 ティレルでガルウイング・ノーズを生み出した、ジャン−クロード・ミジョーが復帰した。
 シーズンオフのテストでは快調だった。
 開幕戦ではセナ(マクラーレン)に一秒以上の差をつけられ、テストの好調さもどこえやら。
 サンマリノGPではスタート直前に突然の雨。 濡れた路面に足を取られ、3周目には2台ともコース上に残っていなかった。 サンマリノGP後にプロストは首脳陣を批判した。 「フェラーリにはロン・デニスの様な、チームの状況を冷静に計算できる人材が必要だ。」
 モナコGPでは専用エンジンを使用するもセッティングが決まらず予選は良い所なし。 それでも決勝では二人とも入賞する。
 カナダGP前に突然フィオリオが不振の責任を問われる形で解雇される。 後任はピエロ・フェラーリ副社長とクラウディオ・ロンバルディ、 マルコ・ピッチーニの3人体制となる。
 新体制で望んだカナダGPではマシンの調子が良く、 2台とも上位を走行するがマシントラブルでリタイア。
 642はメキシコGPまでで、フランスGPから新型643が登場する。

<642>

 前年の641/2の進化型。すでに開幕前に3戦目あたりから643の登場が噂されていた。
 変更点としては、ボーテックス・ジェネレーターの大型化、 新規定により燃料タンクをすべてドライバー後方に移した。 途中、アンダーボディーを新しくしディフューザーを角型にした、642/2に進化した。
 サンマリノGPからはサイドポットを長くし、ディフューザーを変更した。 この時点で639から続いていた、サイドポッドの流れるような円形の曲線が消えてしまった。
 カナダGPでは左右のフロントサスを連結させる、モノショックの様なシステムを導入。 またシーズン中に、ジョン・バーナードが以前テストで試した、 トーションバー式をフロントサスペンションに採用した。
 フランスGPに開発の遅れていた新型643がようやくデビューした。
 結局、開幕前の好調がシーズンが始まると消えていた。 空力とサスペンション特性がかみ合わなかったようで、 セッティングに苦しみフロント部分では色々な事を試行錯誤していた。

 流れるようなサイドポンツーンのライン。このラインも第2戦サンマリノGPまで。
 641に見られたエアインテイク上の丸みが無くなっている

 大型化されたボーテックス・ジェネレータ。
 シーズン中にはサスペンション部分に色々工夫を凝らした。トーションバーの採用、左右サスの連結等。

 エンジンはV型12気筒。エンジン開発ではホンダに後れを取っていた。
 モナコGPではエキゾースト・パイプにバルブを取り付け排圧をコントロールしていた。

 新規定により燃料タンクはドライバーの後方にまとめられた。その分、ドライバーとエンジンの間が長くなった。

 

 640シリーズでは、カウルがフロントサスからエンドまで一体となっていた。

 
<アラン・プロスト>

 フランス国籍の36歳。 80年にマクラーレンからF1デビュー。81〜83年ルノー、84〜89年マクラーレン、 90年からフェラーリに。85、86、89年の3度、ワールド・チャンピオンを獲得。
 セナとの確執で前年マクラーレンから移籍した。
開幕戦アメリカGPでは予選2位、決勝でもポールのセナ(マクラーレン)に離され2位を走行。 タイヤ交換時にタイムをロスし7位で復帰。その後、ティレル2台、ピケ(ベネトン)を抜き、 アレジのスローダウン、パトレーゼのアクシデントもあり2位でフィニッシュ。 苦手な市街地コースで6点を獲得した。
 第2戦ブラジルGPはスペアカーしか使えなかった為か、ウイリアムズにも抜かれ予選6位に。 決勝でもハンドリングの悪さもあり、良い所無しの4位。
 サンマリノGPでは予選3位に。決勝はスタート30分前に突然雨が降り始める、スタート時には 止み青空になるが路面は濡れていた。フォーメーションラップでプロストは何とスピンしてしまい そのままマシンを降りてしまう。
 モナコGPでは予選7位。決勝では終盤3位につけていた。 タイヤが不調な為にピットインしたが交換に手間取ってしまう。 最終ラップにファステスト・ラップを記録するも5位がやっと。
 カナダGPでは予選4位からのスタート。マシンの調子も良く、 スタート後も3位のセナ(マクラーレン)の後ろにつけた。 ペースの上がらないセナを抜こうとするも抜けず、そのうちペースを上げたセナに離されてしまう。 この後ギヤボックス・トラブルでリタイアしてしまう。
 メキシコGPでは予選7位からスタートするも、エンジントラブルで16週目に姿を消す。

<ジャン・アレジ>

 フランス国籍の27歳。祖先はイタリアのシチリア出身。 89年にティレルからF1デビュー、90年までティレル、91年フェラーリに移籍。
 ティレルでの活躍からフェラーリへの抜擢となる。
 開幕戦アメリカGPでは1日目はトップだったが2日目にクラッシュ、予選は6位で通過。 決勝ではスタートで4位にジャンプアップ。 タイヤ交換後にファステスト・ラップを記録し、ピケ(ベネトン)を抜き昨年と同じ2位まで上がる。 がしかし、終盤にエンジン・トラブルでリタイアする。
 サンマリノGPでは予選7位。決勝、雨で濡れた路面で5位にジャンプアップするも、 3周目にモデナ(ティレル)を強引に抜こうとしてコースアウト。タイヤ・バリアに突っ込んでしまう。
 モナコGPでは決勝3位に。しかし、レース中にセミオートマチックが勝手に作動するトラブルがあった。
 カナダGPではスタートで7位から5位にジャンプアップし、同僚プロストの後ろにつける。 一時は3位につけるも、エンジン・トラブルでリタイアする。
 メキシコGPでは予選4位につける。決勝日ウォームアップ中にクラッシュし左足首を痛めてしまう。 スタートで2位にジャンプアップするも、すぐにセナ、パトレーゼ(ウイリアムズ)に抜かれてしまう。 セナに挑むがスピンして9位に後退、その後徐々に順位を回復し、 一時はまた4位に戻るがマシン・トラブルでリタイアに。


モデル
1/43ミニカー ROSSO社(日本) GP6 FERRARI F642 CAR NO 27 UNITED STATES G.P.
参考資料
・「GPX総集編 F1GP '91-'92」 山海堂発行
・「F1GPX」91年 U.S.A GP号〜オーストラリアGP号 山海堂発行
・フェラーリ・オフィシャル・サイト F1〜モデル〜F1-91
スペック・成績へ