当サイト開設のいきさつ

1997年2月


私が「インターネット」という言葉を身近なものとして具体的に耳にしたのは、1995年1月に発生した阪神大震災直後、カイロプラクティックのボランティアを行なっている時であった(言葉だけなら、それ以前からパソコン雑誌などで知っていた)。この活動を提案した東京の先生が、「身内にインターネットのできる者がいるから、これを利用してボランティア活動を告知してもらう」と発言したときである。今から思えば、これはインターネットのニュース・グループにメッセージを投稿することであった。

これより先、カイロプラクティックのある治療法で、総文書量約2MB(A4用紙でおよそ千枚)、文書の種類2千種という資料があるのだが、この資料のデータベース化を87年頃から目論んでいた(英語版は既に完成していた)。90年に初めてパソコンを購入し、取りあえずワープロソフトを翻訳に利用しながらパソコンになれつつ、使用するデータベース・ソフトの選定をぼちぼち始めていた。ようやくソフトを決め、データ入力が完了したのが、94年秋のことであった。その翌年早々に、あの大地震である。

地震騒ぎが一応おさまった95年秋、翻訳の仕事も途切れて時間が空いたので、インターネットに接続するための準備段階として(windows95では設定が大変複雑だった)、パソコン通信を体験してみることにした。nifty-serveとPC-VANに入会し、医療関係の掲示板にアクセスしてあちこち覗いてみたり、参加登録して実際にメッセージを書き込んだりしてみたが、今ひとつピンと来るものがなかった。むしろ、見知らぬ者同士が匿名で掲示板にメッセージを書き込むことの難しさの方が身にしみたので、早々に退散。この間約半年、パソコン通信についてはまあ大体のことは判ったので、いよいよインターネットに挑戦することにした。

プロバイダを選択したり、パソコンの設定をしたり(win95ではこの辺の設定がややこしい)、すったもんだの挙げ句、96年2月にようやくホームページを閲覧できようになった。しばらくの間はネットサーフィンはまり込んだが、すぐに、この通信媒体は革命的な情報発信手段であることに気づいた。

<画期的なメッセージ発信手段>

我々一般人が、自分の考えていること、知って貰いたいことを社会に向けて発する場合、これまではせいぜい新聞・テレビ・ラジオへの投書、まとまった分量になると自費出版などの手段しかなかった。いずれの方法も垣根が高いし、読者数が限られる。

たとえば、書籍(自費)出版の場合、原稿を書いて実際に本が店頭に並ぶまで、どれほどの資金と期間が必要か考えてみていただきたい。その上、身銭を切って本を買ってもらわないと自分の云いたいことは相手に伝わらない。けれども無名の一般人が書いた本など、誰が買ってくれようか?しかも、ざっと眼を通したところ(筆者の本なら)屁のような駄文の羅列である。猫も跨いで素通りするのがオチである。新聞、雑誌への投書など全く論外、これこそ猫またぎである。

ところがインターネットのホームページなら、メッセージを自分のページに掲載しておくだけで、たとえ何かの間違いであってもアクセスさえしてもらえれば、自分のメッセージは瞬時にして地球の裏側にいる人にも伝達できる。そこはそれ、本屋の立ち読みと同じで「閲覧無料」の強みである。腹に一物くすぶらせている者にとって、これほど有効で便利な意見発表の手段はない。革命的なメッセージ発信手段という所以である。

この方法なら自分の言いたいことを他人に伝えるためにどこかへ出かけて行く必要もない。自宅にいながらホームページの維持管理をすれば良いだけである。文章の手直しも自由自在、瞬時にして可能で、このあたりの事情は書籍出版に比べれば天と地ほどの差がある。昼間は患者さんの治療で疲れ、その後どこかへ出かけて行き一般の人たちにカイロプラクティックを広めるための啓蒙運動を行なうことに比べると、これほど便利なことはない。

筆者は一応カイロプラクターであるが、その前に患者としてさまざまな治療を受けてきた経験がある。長年苦しんだ腰痛がカイロプラクティックの施術によって劇的に改善したことを契機として、いざ自分がカイロプラクティックの世界に飛び込んでみたところ、まあ、この業界は百鬼夜行、魑魅魍魎の世界であり、ほとんど詐欺のような山師がゴロゴロしていることに愕然とした。そのため、日本のカイロプラクティック界は一般人にとって一寸先は闇と云わざるを得ず、これからカイロプラクティックを勉強しようとしている人や、施術を受けたいと思っておられる人たちが、いたずらに迷路にはまりこんでいる例を多く見聞きしている。そこで、及ばずながら日本における斯業界の現状をできるだけありのままに、業界の外側からの視点で開陳するサイトを開くことが世間一般の利にかなうだろうと考えた。

<1996年の状況>

96年初頭の時点では、日本語でカイロプラクティックを説明しているサイトは全くなかった。ところが、アメリカのカイロプラクティックのページを探すと、あるわあるわ。検索サイトにアクセスして「Chiropractic」というキーワードで検索してみると、少ないところで3千件、多いところでは1万件ものページがヒットした(現在は遙かに多い)。

当時、米国でのカイロプラクターの総数を4万6千人、日本でのそれを7千人として人口比で計算すると、少なくとも日本のカイロプラクティック関連のページは1500件程度は開設されていてもおかしくない計算になる。現実には、日本語のページはわずかに5件ほどという寂しさであった(96年4月現在の数字、97年2月には20件ほどに増えたが、ほとんどが治療院の宣伝)。

その当時まわりをざっと見渡したところ、パソコンをいじくりまわすことができて、しかもインターネットにアクセスできる環境を整えている同業者は誰もいないようだし、前節で述べた通り、かねてより腹に一物ある身である。これを逃す手はないとばかりにカイロプラクティックを説明するサイトを開設することにした。

そこで、ホームページ作成の手引き書を参考にしながら何とか開設にこぎつけたのが、96年3月26日である。開設後、すぐに様々な検索サイトに登録作業を始めた。その甲斐あって、96年6月中旬から97年2月までの延べアクセス数は、日本語ページでおよそ5800件、英語のページは2800件を越えた。

筆者の考えているようなサイト(後述)は、本来は組織で開設するのが適切であるし、そのうちもっと詳しいものができるだろうから、そうなればわがサイトは閉鎖するつもりでいた。しかし残念なことに未だ筆者の目にかなうサイトが現れないので、当分引っ込められそうにない(おーい、誰か代わってくれないか?)。

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著作権所有(C)1996-:前田滋(カイロプラクター:大阪・梅田)