タニシの「奮闘記・番外編」 Takashi Ishikawa
** 平成21年 3月 3日更新 **
石川タニシ先輩の、天売島、ネパール、チベットなど以外の場所での 記録です。
「函館編」「伊平屋島編」「北限のサル編」などがあります。

タニシの『奮島記』 「函館編」
平成21(2009)年2月25日〜28日
世界の海鳥研究家が一堂に会する年次総会が、今年は函館で行われました。大会運営は日本の海鳥研究家の皆さんですが、函館は何といっても北海道大学の地元です。毎年天売島でお会いする皆さんが準備やら接待やらでてんてこ舞いでした。そんな最中にまったくの部外者である私が無理やり押しかけたのですからさぞ迷惑だったことでしょう。集まった研究者のうち希望者約40名の皆さんが下北半島で「世界の北限のサル」(『奮闘記』「北限のサル編」参照)を観察するというので、函館―おおま(大間)間のフェリーに同乗させてもらいました。
函館1
(写真左より)フェリーにてシーバードグループの皆さん / コクガンの群 / ワシカモメ
2時間足らずのフェリーでしたが、ウミスズメ、コウミスズメ、ハシブトウミガラス、シロエリオオハムなどに加えてオットセイまで近くに現れ、皆さん大はしゃぎの連続でした。大間の港ではコクガンの群れやワシカモメを楽しみました。「アメリカにはサルがいないので北限のサルが楽しみです」と喜ぶ彼らのバスを見送り、帰りのフェリーに乗り込みました。
翌日は北大生の友人が長万部方面の探鳥地を案内してくれました。途中のユーラップ川河口でオオハクチョウやオジロワシを見ましたが、いつもいるはずのオオワシが見当たりません。代わりにアトリやベニヒワ、ハギマシコなどが出てきてくれました。
函館1
長万部近くの小さな漁港ではすぐ近くにコオリガモが10羽もいて、大興奮でした。いつしか雪が激しく降ってきたのですが、まったく気づかず、車にもどった時には足が凍えていました。
帰りに食品加工工場に立ち寄りました。ここで廃棄される食べ物を求めておびただしい数のカモメが集まってきます。その数、数万は間違いないと思われます。地面から屋根の上から空中までカモメで埋め尽くされています。ヒチコックもこれにはびっくりでしょう。ほとんどがオオセグロカモメですがセグロカモメやシロカモメ、ワシカモメも時々混じっています。去年はこの中にカナダカモメがいたということですが、それを探すなどということは聞いただけで気が遠くなるような話です。
函館はやはり魚が旨いこと請け合いです。根ぼっけという回遊しないほっけがあって脂ののった刺身は絶品です。その他、ホタテやホヤ、カキやクジラなどをつまみながら、コオリガモを話題に飲む酒はついつい進んでしまいます。 アラスカの研究者が居酒屋に付き合ってくれました。大いに盛り上がりましたが東京から来た私は「やはり寒いね函館は」と言ったところ、彼曰く「アラスカではこのくらいはTシャツですよ」だそうです…。鳥も魚も夜景も友人もみんなすばらしい函館でした。
函館1
(写真左より)カモメの群舞 / 函館山からの夜景


タニシの『奮島記』  「伊平屋島・2006夏編」
平成18(2006)年7月2日〜12日
沖縄県の最北端の伊平屋島(いへやじま)でのタニシの『奮島記』です。
このページの下に「伊平屋島・2005春編」があります。
伊平屋海 伊平屋の海
フェリーを降り、炎天下を宿舎である公民館に向かいました。公民館ではおおぜいの島民が集まり、今まさに大懇親会が始まろうとしています。もしかして私の歓迎会…?
そんなことはありませんよね。今日はこの地区の「区民の日」なのだそうです。区長をはじめ学校の先生方や錚々たる区民の皆さんが集まっています。
[右:宿舎の前泊(まえどまり)公民館]
公民館
やがて区長のあいさつです。隣にいた私を紹介して「この方は東京から野鳥の調査研究に来られた方です。どうかよろしく!」「ちょっと待って下さい」と区長を遮る勇気は私にはありませんでした。
 翌日も、その次の日もかんかん照りの快晴です。手拭でほおかぶりをし、スコープをかついで歩く私を島民の皆さんが振り返ります。
「まじめに調査研究してるのか」と言っているようでもあり、「このくそ暑いのに何と物好きな」と言っているようでもあります。アカショウビンやエリグロアジサシが見られ、サンコウチョウやホトトギスの声が聞こえます。でもとにかく暑い…。
 毎日毎日強烈な日差しと猛烈な暑さが続いていますが、3日目頃になるとこんな声が聞こえてきました。
「台風が近づいています。7日か8日には島が直撃されるかもしれない」。
こう言われてもピンとこなかった私ですが、そうなるとフェリーの欠航はもちろん、スーパーや食堂を含むあらゆる商店がシャッターを下ろし、全島民はひたすら家にこもって台風の通過を待つということです。公民館暮らしの私にとってスーパーや食堂がないことは、日干しになることを意味します。
(右:台風に強い伊平屋の民家)
民家
 今年はわが早大生物同好会の3年後輩の皆さんが島にやってくることになっています。7月7日の予定です。
私が先輩風を目いっぱい吹かせ“颯爽と”島を案内する筋書きですが、これでは台風とモロに鉢合わせではないですか。
 7月5日になると、やる気を根こそぎ奪ってしまう暑さに加え、湿度がぐんと上がってきました。
セッカ
こんな日は無謀な行動を控え、何といっても昼寝です。そして探鳥は夕日の傾く頃…。(上:セッカ)
 田んぼの中の水路に沿って、そんなに高くはない松の木がぽつんぽつんと立っています。夕暮れ時の松の梢の暗がりから、何かがこちらをじっと見ている気配です。私もそおっと見返します。
白い顔が浮かんできました。シロハラクイナです。
この鳥をはじめて見たのは北海道の天売島でした。3年前のことです。天売島における初記録でした。思い出のシロハラクイナにここでまた出会えたのです。
胸の高鳴る一瞬でしたがちょうどその時、最悪のタイミングで携帯電話のベルが鳴ったのです。 後輩の一行9名の幹事役高野氏からの電話です。
「7日のフェリーは大丈夫でしょうか」。「それどころじゃないんだよ。こっちはシロハラクイナだよ」。言われた彼もさぞかし困ったことでしょう。
右:左からダイサギ、アオサギ、コサギ
鷺3種
 伊平屋島は沖縄屈指の米どころです。平野部には水田が広がり水も豊富です。(右写真:実りの時)
刈り取りは年3回できるそうです。ちょうど稲穂も実り、あと一週間ほどで刈り取りというところです。台風の通過を待って稲刈りをするか、台風の被害に遭う前に刈り取ってしまうか、島民も悩むところです。
公民館
 7月6日早朝、明日から台風通過までフェリー欠航の旨、有線放送が流れました。6日の午後5時、フェリーは本島の避難港に避難するということです。
こうなると最低でも4日は欠航ということを島の人は知っています。従ってその間に本島に用事のある人は、今日の避難便に乗らないと用がたせないのです。
そして用事が済んでも4〜5日は帰ってこられません。私もこの避難便で島を脱出することになりました。
 後輩の皆さんとは翌日名護で合流し、「本場の台風体験ツアー」が始まりました。詳しくは、「沖縄やんばるの旅」をご参照ください。


タニシの『奮島記』  「伊平屋島(いへやじま)・2005春編」
伊平屋島
平成17年(2005)2月27日〜3月10日
☆「伊平屋島」と言うと「え??!! 知らないなあ!」というのがほとんどの答え。沖縄県最北端のこの島、周囲約34km、人口約1600人。琉球を統一し、第一尚氏王朝を作り上げた尚氏の先祖はこの島の出と伝えられています。結構由緒ある島なのです。
☆私もあまり偉そうなことは言えません。この島を知ったのは、中学校の同級生が6年間ほどこの島で暮らしていたからです。歯科医のご主人と一緒に島の歯科診療所に赴任していました。
 私が毎年通っている北海道の天売島で、シロハラクイナやヤツガシラ、ヤマショウビンなどが見られましたが、これらの鳥にこの島でも会えるかもしれない、と思ったのがこの島を訪れるきっかけとなりました。
伊平屋鷹
☆さすがに歯科医夫人です。十数年前の滞在にもかかわらず、村長さんから教育委員会、地区の区長さんや居酒屋のマスターまで紹介してくれました。宿は地区の公民館。区長さんが2階の事務室にベッドを担ぎ上げてくれました。これで1泊1000円とはまことにありがたいことです。
     ☆準備万端整っていよいよ明日からサンゴ礁に囲まれた島で、南国の明るい日差しのなか、珍しい野鳥たちと遊ぶ日々……。考えただけで胸が高鳴ります。
 ところがどっこい、私の考えはかなり甘かったようです。翌日から雨は降るわ、風は吹き荒れるわ、気温は日に日に下がっていきます。とうとうフェリーは欠航し、島の人が「こんな寒いの生まれて初めて」と言いだす始末。それもそのはず3月6日には奄美大島に104年ぶりに雪が降ったということです。結局晴れたのは7日からの3日間だけ――。
伊平屋鷹
☆「うちの畑に変な鳥がいる」。隣のホテルのご主人が車で案内してくれました。雨の切れ間に耕した畑をタゲリが歩いていました。たまに夕食を食べに行くだけのあまり良い客とはいえない私への心温まる好意は、旅の魅力の一つでしょうか。
☆居酒屋のマスターが、やはり珍しい鳥がいると言って案内してくれました。ミサゴでした。「近くの無人島にウサギがたくさんいて、友人がそれを捕まえて一杯飲もうと言っている」と言って私を誘ってくれたのもこのマスターです。残念ながら天候悪化のため実現はしませんでした。
☆この島で鳥を見て気づいたのは、サシバとチョウゲンボウ、シロハラがとても多いということです。大きなバッタがいてチョウゲンボウはよくそれを食べていました。シロハラはたくさんいるのですがアカハラはごく少数でした。カラスは全く見ませんでした。この状況がいつものことなのか、時期的なものなのかは分かりません。もう一度確かめに行ってみたいものです。
伊平屋鷹
☆嵐の去った後半の3日間、終日あちこち歩き回りましたが確認できたのは…  リュウキュウツバメ、ズアカアオバト、クサシギ、イソシギ、チュウヒ、ツミ、アカエリカイツブリ、ハシビロガモ、ミヤマホオジロ、ヤツガシラ、チゴモズ他、計43種にとどまりました。記録的寒波の襲来に加え渡りの時期にも少し早かったようです。
☆村の教育委員会の資料ではこの島で記録された野鳥は約110種ということです。誰か腰を据えて調査する人がいれば、もっと増えてもよい数字だと思うのですが、どなたか如何でしょうか。公民館で合宿でもしてみませんか? 

タニシの奮闘記 脇野沢編   「北限のニホンザルとカモシカを求めて」
サル0
平成16年(2004)2月17日〜20日
青森県下北半島脇野沢村といえば同好会OB諸兄姉には説明不要でしょう。世界のサルの北限の地として有名な所です。天然記念物に指定されています。
さらに「生物同好会と脇野沢」と聞いてピンときた方はおいででしょうか?
平成12年、生物同好会は創立50周年を迎えました。近辻宏帰氏や高田勝氏を招いて、盛大な記念式典が開催されたのは記憶に新しいところです。
同時に「早稲田生物」の50周年記念号が発刊されました。その中で脇野沢のカモシカ調査について蔵田美鈴さん(1993年卒)が報告しています。
毎年3月、雪に埋もれながら調査を続けたようです。
そして調査に協力し助けてくれたのが「脇野沢ユースホステル」の磯山隆幸さんご夫妻でした。磯山さんからも記念号にお祝いの言葉が寄せられています。
  磯山さんはプロの写真家でもあり、地元でサルやカモシカの保護活動も続けております。
私の訪問にあたっても温かく迎えてくれ、発信機をつけたサルを追って車を走らせてくれたりもしました。
カモシカ1
カモシカ2
かつて脇野沢のサルは村びととはお互いに干渉せず、それぞれの生活を送っているというごく自然な関係でした。
しかしだんだん「北限のサル」として注目を浴びてくると、もっと身近にサルを呼びたいと考える人たちと、サルを増やして観光客を呼びたいと考える人たちが増えてきました。
自然保護を考える人と、観光客誘致を考える人の意見が一致したのです。おりしも高崎山のサルが脚光を浴びていた時期でした。
村の人はサルに餌をやってみました。やがてサルは手渡しで餌を受け取るようになりました。餌付けの成功に村びとは大喜びでした。
サルも山から降りてきました。観光客も増加しました。めでたしめでたし、と言いたいところですが、それだけでは終わりませんでした。

そのうちサルは畑を荒らすようになり、家の中まで入ってきて部屋を引っ掻き回し、食べ物を盗むようになりました。
サルの被害に怒った農家の人たちはサルの駆除を叫ぶようになりました。村びとの意見が二つに割れてしまったのです。
現在脇野沢村ではサルを山に返そうという運動を展開中です。
また元の関係に戻ろうということでしょうか。人間の都合で、呼び寄せられたり追い返されたり、サルこそが一番の被害者ではないでしょうか。
 「自然保護」の難しさをつくづく感じさせられた今回の旅でした。
北限猿1
北限猿2
北限猿2

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