同期や上下の代のOB訃報・墓参

この頁には、同期や上下の代のOB訃報・墓参などの情報を載せています。
(2017年 10月 08日更新)

平成29(2017)年4月24日濱田義治君の墓参を柿生霊園で
その後、新百合が丘で昼食会を行う。


平成26(2014)年6月19日(月) 武蔵メモリアル・パーク
5月に亡くなった横倉邦雄君の納骨後、典子夫人の案内で同期有志で、 武蔵嵐山の墓地で墓参を行い、その後近くの寿司屋でヨコちゃんを しのんで語り合いました。
 横倉夫人、竹川、奥村、岩瀬、水口、千野、高野♂♀
 山村、服部、佐藤、吉田、福地、小林、大場

平成26(2014)年1月20日(月) 町田いずみ浄園。
高田勝の納骨の翌日、尚子夫人の案内で同期有志で墓参を行いました。 墓石には故薮内正幸画伯のハヤブサのイラストが彫り込まれていて、 薮内さん自身もこっそり紛れ込んで入っているとか。
参列者:高田(尚・横倉・水口・高野♂♀・竹川・ 吉田・服部・山村・佐藤・福地

近辻遺影
「高田勝さん お別れ会」は、早稲田大学の大隈会館で、2013.11.11.に 110名あまりの出席のもと、盛会裡に行われました。 遠方からも、札幌、岩手、佐渡、山形、大阪などから駆けつけた方も多く、 お別れの言葉は上野動物園前園長の小宮さんはじめ、同好会の先輩・後輩、 NHK番組の制作者、風露荘の最多回宿泊者など、多彩な顔ぶれにお願い しましたが、皆マサル君との個人的な思い出などを語られ、少なくとも義理 で出席した人は居なかったと感じました。

[高田勝さん逝去]
近辻遺影 高田勝さん(1967年卒)が、2013年9月21日に68歳で逝去された。
同好会で副幹事長を努め、 結婚後は根室に移住し、牧場で働いたりしたあと、風蓮湖の近くに鳥見客相手の 民宿「風露荘」を開いた。
高野伸二、蒲谷鶴彦、前田真三、薮内正幸など、いずれもこの世界でよく知られた 方々の定宿として愛されたが、皆のあとを追うように他界。
著書に「ニムオロ原野の片隅から」「原寸大羽図鑑」「風露荘の春秋」など多く有り、特に最初の著書に啓発されて民宿経営を始めたり、地方に移住した人達も、 全国各地にいる模様。

[村井吉敬さん逝去]
近辻遺影 村井吉敬さん(1966年卒)が、2013年3月23日に69歳で逝去された。
同好会で副幹事長を努め、 卒業後は東南アジア、特にインドネシアの開発・環境問題を研究され、著書も多く、 特に「エビと日本人」 (岩波新書)などが知られる。 晩年は早稲田大学に戻り、アジア研究機構教授として活躍され、明るく親しみやすい 人柄で敬愛された。

[近辻宏帰さん逝去]
近辻遺影 2009年5月5日未明、近辻宏帰さんが佐渡総合病院で亡くなりました。
近辻さんは1965(昭和40)年に早稲田大学を卒業、1967年春に高野伸二さん のご紹介で、トキの保護を担当するため佐渡に渡り、以来40年以上を佐渡 の地でトキの保護に尽力されました。
我々仲間達の夢を代行してくれていたという思いが強かっただけに、まこと に残念ですが、昨年秋にトキの放鳥も実現し、ライフワークをやり遂げたと いう思いもあったのかもしれません。ご冥福をお祈りします。
詳しい記事は 「トキと近辻宏帰さん」の頁にあります。

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