活動日誌


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2005年2月12日〜15日 グアム遠征記 (たつや)

「2月12日からグアムに行くぞ!」
そう聞いたのはいつの事だっただろう。年内だったように思う。
その時、私は海外などに全く興味は無く、またそんな話も冗談かと間に受けてはいなかった。
しかし、いざ2月に入ると何か家中が慌ただしくなり、ようやく海外へ行くのだと実感したのである。

旅行前夜、何もしていなかった準備を始め、心以外の準備は整ったのだが、
肝心の心の準備だけは出発ロビーを過ぎても日本に置きっぱなしであった。

<1日目>

3時間の旅を終え、私はグアムに降り立った。
と言ってもすんなり入れたわけではなく、入国審査に信じられない程待たされた。
ゲートは多数あるが係は2,3名。しかも作業もマイペース。
陽気な国ならではの光景なのか、悪びれた様子はまるでなかった。

空港を出てるとすぐ、南国特有の湿気の高い温い風が私を出迎えてくれた。
日本ではコートを着ても寒いと言う時期なのに、さすが南国であった。
バスに乗り込みホテルに向かったのだが、
まず道の舗装の悪さに驚き、同時に右側を走る事の違和感にも苛まれる。
しかし、見える景色の雄大さは着いてすぐもあったが妙に印象に残った。
初日はこの後、チェックイン→夕食→就寝となった。


<2日目>

この日、実は私は少し心に余裕があった。
何故なら、宿泊ホテルに無料インターネットスペースがあったからで、昨日見付けた折、早速触っていたのは言うまでもないことである。

それはさておき、この日はまずグアム最大のショッピングモールである「マイクロネシアモール」へ行った。
名前だけは超微細であるのに、行ってみてその広さに唖然とした。
まだ開店後すぐだったので人気は少なかったが、それがよけいにその広さをひきたてていた。
ここでは式に出席する為のアロハシャツを購入したのだが、私は自前の物を日本から2着持っていたので購入には立ち会わず、CDSHOPで時間をつぶしていた。
そこには昼過ぎまで滞在し、昼過ぎからはバスにのり、「グアムプレミアアウトレット」に向かう事となった。

「グアムプレミアアウトレット」は文字通りアウトレットのお店で、店内には服や靴などの店が豊富にあった。
そこでも少し買い物をして、荷物を置く為にホテルへと戻る事となった。

戻った後、式までまだ少し時間があったため、私が一度行ってみたかったハードロックカフェに行く事になった。
当初は店内でお茶でもする予定だったのだが、予想以上に時間も押し迫っていたこともあり、SHOP内だけで出る事にした。

と、外に出るとさっきまで晴れていたのに土砂降りの雨。
半ば呆然としながらも、時間がないので濡れながらホテルへ帰り、式への準備を行った。

その後、式も終わり、ホテルの最上階にあるレストランで食事をとった。
もう夜も22時を回っていたので、早く終われば遊びに行く予定だったが、解散し、部屋で着替えてからえみ氏と外へ出てカノープス探索に努めた。
グアムまできて何をしているのだと言われそうだが、会長からの特命による派遣の為、やらなければ日本に帰る事はできないのである。

さておき、やはり南国らしく、星の位置が大きくズレていたために、最初はオリオン座すらわからない状態であった。
しかし、天頂にカストルとポルックスと土星の3つで形成される三角形を見つけたので、それを目印に各星座を探してみた。
すると、シリウスの下の方に、一際目立つ星を見受ける事ができた。

日本からは見たことがない位置にあったため、うっかり新星を発見してしまったのかと思ったら、よくよく位置関係を見るとカノープスであった。
それほどまで、日本ではあり得ない位置にあった。
残念ながら南方向は街だったので少し明るく、他の星を見る事はできなかったが、もっとよく予習していれば南天の星座も拝めたのではないかと考えている。

また、西を向くと、異常に空が黒い。というのは、グアム島自体離れた小島である為、周りには何も明かりを発する物が無い。だから地平線まで真っ黒だったのである。
これもまた私たちの周りにはない環境だったと、妙に印象深く目に焼き付いている。

これが2日目であった。

<3日目>

3日目は島内観光にでかけることになっていたのだが、
集合場所をちゃんと聞いていなかった為、バタバタの出発になった。
まず初めに「海中展望塔」へ行く事となった。
ここは遠浅の海の中程まで遊歩道が延びていて、その先端にある島内を10m程下へ降りて海の中を見るという施設であった。
途中雨に見舞われながらも、無事にバスへと戻る事ができた。

次は島内を一望できる高台へ移動し、知事公社前を通り過ぎて「ラッテストーンパーク」へ移動した。
これは未だに作られた経緯が謎の石らしく、キノコ状の、古代住居の柱的に扱われていたものらしい。確かに、見た目も謎であった。
その公園内には他に「旧日本軍地下総司令部の防空壕跡」があった。入り口の「防空壕」文字が印象的だった。

そこから歩いて数分もすると、「スペイン広場」と言う公園の様な場所へ出た。
ここは第2次対戦で殆どが焼けてしまった場所で、廃墟の様な所であった。
で、さらに歩いていくと、目の前にヤシの実ジュースを売るお店があり、ガイドの話だとグアム島に2件しかない物らしく、ネタにでもと飲んでみる事になった。
初めて口にするヤシの実ジュースであったが、どうにも私には受けつけない。
というのは、言い様のないメロンに似た青臭さがあったためである。

飲んだ後はその実を割り、中のゼラチン状の白い内壁をワサビ醤油で食べたのだが、これはイカの食感ににて意外と美味しかった。
にしても、誰がワサビ醤油で食べる事を提案したのだろうか。

そのヤシの実ジュース屋の向かいには教会があった。
そこには「奇跡のマリア像」と呼ばれるマリア様がいるとのことで、早速中に入ってみる事にした。
内部の想像を遙かに超える大きさに、否が応でも神聖な場であると感じさせられる程の威圧感を秘めていた。

その教会を後にし、グアムでも有数の名所である「恋人岬」へ行く事となった。
恋人岬は、その昔、チャモロ族の若い娘が、同じ村の青年に恋をしていたのにもかかわらず、娘の両親がみつけてきたスペイン将校と結婚させられる事となり、娘が青年と村を抜け出し、その岬で互いの髪を固く結び、身を投げたという伝説が残る場所である。
なんとも悲しい伝説がある場所だが、何故日本人はこのような場所に恋人同士で行きたがるのだろうか。
私には、理解できなかった。

そこでタロ芋アイスを食べ、昼食となり、観光を終えた。
もっとつまらない観光かと考えていたのだが、史跡などもあり非常におもしろいものであった。

昼食後は免税店に赴き、土産を買い漁り、ホテルへと戻る事になった。
帰路の途中、1本の電話が入った。内容を聞くと、どうやら別行動していた班が人命救助に立ち会ったらしく、FBIやら海軍やらに事情聴取をされていたようで、夕食が遅くなってしまった。

夕食も済み、今度は実弾射撃に行く事になった。
何ともうさんくさい店であったが、357マグナム、44マグナム、ベレッタ、M16マシンガン、ショットガン、以上の5種類の銃を撃ってきた。
全ての銃に言える事だったが、こんな物を人に向けて打っていたことを考えると、
当時の人間でもないのに何故か罪悪感に苛まれてしまう。
それほどまで、強烈だった。2度とはしたいとは思わない程である。

そこからホテルまでは歩いて30分ほどかけて帰ったのだが、明るい場所でも周りが暗いせいか、星がよく見えていた。
位置は前日に把握していた為迷う事はなかったが、カノープスだけは、慣れない。
今日もまた、全天で2番目らしい輝きを放っていた。

何はともあれ、3日目は実弾射撃が全てだったのかもしれない。

<最終日>

この日は夕方発の飛行機に乗って帰る予定だったので、それまでは買い物をすることになった。
行きつけの店になってしまった免税店「DFSギャラリア」に行き、
しばらく時間が余ったので、行き残していたハードロックカフェでお茶をすることになった。
メニューがギターのボディになっていたのにも驚いたのだが、店内の至る所に飾られたアーティストの私物は予想を裏切らない程、所狭しと並べられていた。
会計を終えた後、やり残しを終えた満足感があった。

それからホテルをチェックアウトし、空港へ向かう事となった。
相変わらず舗装の悪い道路を移動し、青さがどこからでもわかる海を眺めながら、空港に着くまで今回の旅を振り返った。
初めての海外でどうなるかと思ったが、私なりに収穫は多かったように思う。
特に暑さ、特に観光、特に実弾、そして南天の夜空。
次またこれらに出会う事があるかどうかは判らないが、その時はまた、新たな収穫があることを期待したい。

とりあえず今は、会長の特命を果たせただけでも胸を張って帰れるか・・・
と考えを巡らせていると、グアム国際空港が目の前に迫っていた。
旅も、もう終わりであった。


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2005年2月5日 カノープスを撮った

始まりは昨夜のこと。
えみさんとたつやさんに誘われて、カノープスの観望と、天体写真撮影に適した場所を探しに出かけた。候補地は、当然のこと南の視界が開けた海沿いの場所になる。

まずは、某海水浴場へ行った。
堤防を降りると、そこには砂山があった。昨年秋の台風の影響で、海辺の砂が吹き寄せられて堤防の前で山を作っていた。その上を歩いて砂を楽しんだが、南天は雲が多くカノープスは見えなかった。
帰りは、堤防をよじ上って近道をした。堤防は私の胸の高さだったので、えみさんには無理しないで階段まで戻ることを勧めたが、持ち前の負けん気を発揮して果敢に堤防越えに挑んでいった。スカート姿で、芋虫のようによじ上っていく様子を見て、やんちゃな子供時代を想像することはたやすかった。

次は、某漁港の波止に行ってみた。
波止は水面からの高さが高く、高所が苦手な私は、普通に歩いて行く二人に遅れて、波止の真中をおそるおそる歩いた。
たつやさんが、ここで亡くなった人もいると、さりげなく言うので、背中に寒いものを感じながら早々に帰った。

最後は、岬を回る道路を走って、南が開けて駐車スペースのある場所を探した。そうしてバス停留所側に車を停めた。
この場所は、眼下に和歌浦湾が広がり、後ろには街の灯りを防ぐように小高い山があるので、空の状態はかなり良く、夜空の暗さが星明かりを際立たせていた。
たつやさんが、空を見上げて「夜空に星が張り付いているようだ」と、感嘆の声を上げた。
双眼鏡で見ると、視野一杯に、砂粒のような星がひしめき合って光っていた。
時が立つのを忘れて見入っていたが、北風が吹き始めて寒くなってきたので帰宅することにした。

帰路のこと、運転をしていたえみさんが、突然「あれは何??」と大声を上げた。
遠くの山並みの上に赤い光が見えたとのこと。
続いて、助手席のたつやさんも、「あっ、光った」と叫んだ。
慌てて車を停め、車を降りて不思議な光が現れた山並み付近を見回した。しかし再び光ることは無かった。
三人で知恵を出し合って、光は何だったのか検証してみたが、答えは出てこなかった。
したがって不思議な光は、未確認飛行物体という結論に至った。(未確認だからね...)

結局、昨夜はカノープスを見ること無く遠征を終えた。

ここからは今日のこと。
今日は、風が強く雲の流れも早く空も澄んでいたので、カノープスが見える可能性が大だった。

20時半頃、首に双眼鏡を下げ、両手にカメラと三脚を持ち外に出た。
某鉄工所の倉庫脇に荷物を置いて、カノープスが見えるのを待った。
双眼鏡で見ると、南の低空には雲が掛かっている。雲は北から南に早足で流れていたので、双眼鏡で風景を眺めたりして雲が去るのを待った。

昨夜は空振りだったが、今日は大丈夫な予感がしたので、カノープスが見えたら日周運動を撮ってみようと、早くから決めていた。
21時過ぎ、双眼鏡の視野の中に、突然にカノープスの光が見えた。肉眼で確認してみるが、全く見えなかった。
カメラを三脚にセットし、ファインダーを覗きピントを合わせ、構図を決め試し取りをしてみる。
撮影画像を液晶で確認すると、肉眼では見えなかったが、問題無くカノープスがオレンジ色に写っていた。

人の気配に振り返ると、えみさんが後ろに立っていた。用事で外に出てきたらしい。遅れてたつやさんも出てきた。二人に双眼鏡を渡して、カノープスを見てもらった。
遠くに行かなくても、身近な場所が、最良の観測場所なんだと改めて思った。

二人に、カノープスの日周運動を撮りたいことを告げて、撮影の助手を務めてもらうことにした。
いつもピントが甘いので、二人にピントを合わせてもらった。
撮影は、カメラの向きを固定して、5分間隔で2枚づつ写すことにした。
ファインダーの左隅にカノープスを置いて撮影を開始した。

通りがかった電気屋さんが、「見たら長生きできる星はどれですか」と声をかけてきた。今日は条件が良くないので肉眼では見えないことを説明し、双眼鏡で見てもらった。
しばらくして、ちさこさん、ともこさん、けいこさんが、風のようにやって来て、風のように去って行った。
次に、近所のいずみさんと妹さんが通りかかったので、カノープスと、M42などを見てもらった。「カノープスが見られたら願いが叶う」との言い伝えも有ると教えると、とても喜んでいた。
それにしても、我が同好会の近所の方は、不思議と星が好きな人が多い。(我々の影響を受けているからかな)

カノープスの撮影は、時々通る車のライトに邪魔されながら、カノープスが雲に隠れて見えなくなるまで続いた。
えみさん、たつやさん、長時間の撮影ご苦労様でした。

カノープスの日周運動


22時過ぎ、ミニ観望会的撮影会を終了した。
その後、我が家でお茶会を開いた。
話題は尽きず、あっと言う間に24時になっていた。
外に出ると、空には雲が広がっていた。


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2005年2月3日 カノープスを見た

木枯らしが吹く寒空の下で、凛として眩い光を放つシリウスを眺めていると、若い頃の思い出がよみがえってきます。

種子島での高校生活を謳歌していた頃のこと、お年玉を貯めて買ったオリンパスペンハーフ(古い物だから知っている人はいないかな)のカメラを、木材とボルトナットを組み合わせて作った手動式の簡易赤道儀に載せ、裏の畑で、初めて恒星時追尾撮影に挑戦しました。真冬だったので、オリオンとシリウスを狙って撮影を開始しました。

当時のフイルムはモノクロで感度はISO200でした。そのため出来るだけ長時間露出することが、星野写真を見栄え良く仕上げるための必要条件でした。
簡易赤道儀には紙筒で作ったガイド鏡も載せてあり、そのガイド鏡を覗きながら手動で極軸を回す事で恒星時を追尾します。撮影は、カイド鏡を覗いた体勢を長時間維持しないといけないので、非常に大変な作業でした。
撮影を終了したフイルムも自分で現像しましたので、印画紙に焼き付けた星野写真は、どれもが手作りの宝物でした。

初めて撮影したオリオンとシリウスの写真は、信じられないくらい多くの星々の光と星雲が、競い合うかのよう奇麗に写っていました。その写真は、今は紛失してしまって記憶の中にしか残っていませんが、これらの体験が、私の天体観測の原点になっていることは間違いありません。

そんな思い入れがある冬の空なのですが、最近はさらに、カノープスのことが気になってきました。

カノープスは、りゅうこつ座のα星で、全天でシリウスに次ぐ2番目に明るい恒星(-0.7等級)です。
竜骨座は南天の星座で、その星座の全形は日本では見ることができませんが、カノープスだけは、冬期に南の地平線すれすれに姿を現します。そのため、大気による減光で3〜4等級程度の明るさで見え、低空を移動して短時間で地平線下に隠れてしまうので、なかなかその姿を確認することができません。

カノープスは、中国や日本で、古くからその存在は知られていました。「南極老人星」や「寿老人星」と呼ばれて、「見ることができたら長生きできるめでたい星」として崇められてきました。

種子島では、南中時のカノープスの高度は7度ありますから、さして苦労せずに見ることができます。
しかし若い頃の私には、長生きできるとか、めでたいとか、そんなことには全く関心がなかったので、カノープスを見たような見なかったような、あやふやな記憶しか残っていません。(見たことは確かなのですが...)

最近は、加齢とともに、死というものをより身近なものとして感じられるようになりました。
愛おしいもの(人)が増えるたびに、死に対する恐れも増えていきます。
どう抗っても人の寿命は変えられないものならば、せめてもの気休めとして、カノープスを見て長寿を願うこともあっても良いかなと、思えるようになりました。

和歌山市での南中高度は4度です。南の視界が開けた場所でないとカノープスは見えません。
前日に南の視界の開けた場所を探して回りましたが、結局、良くお世話になる近所の某鉄工所の倉庫の横が、観望に最適なことが分かりました。

今夜は雲が多く、南の空にも分厚い雲が居座っていましたが、北風が強く吹いて雲の流れも早かったので、もしかしたら雲の切れ間からカノープスが姿を現すかもとの淡い期待を抱いて、21時頃から観測を開始しました。
しかし、双眼鏡を南に向けてじっと空を見つめていても、いっこうに雲の切れ間さえ現れず、カノープスの微かな光が洩れて来ることもありませんでした。
時々、マックホルツ彗星や他の星座に双眼鏡を向け直して、気分転換をしながら辛抱強く雲が切れるのを待ちました。

それから30分後、北の空から雲が消え始めて晴天域が南へ広がってきたのですが、南の低空の薄雲は、なかなか消える気配もありません。

あきらめようかと思った22時頃、双眼鏡の視野の中に、ついにカノープスの光を確認しました。(残念ながら肉眼では見えませんでした)
遠くの家の屋根の上に、突然に、薄暗く、薄赤く、カノープスが輝いていました。

長寿を願うことも忘れて、しばらくの間カノープスの光に見とれていました。
双眼鏡で見ていると、地上の風景と比較できるので、ゆっくりと西の方向へ移動して行くのが分かります。
それは、沈む太陽を見ている時と同じ様に、宇宙のいとなみの荘厳さを感じさせるものでした。

そして、静かに建物の陰に消えて行きました。

屋根の上を移動するカノープス


カノープスを見るには、第一に忍耐が、第二に運が必要です。

天は、厳冬の寒さを楽しみ、冬の夜空を楽しみ、なかなか晴れない空を楽しみ、ゆっくり流れる時を楽しみ、そしてカノープスが見えて喜ぶ、そんな純な心の人に、カノープスを見せてくれるのでしょう。


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