活動日誌


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2005年1月21日 土星が見ごろなのだが...

名誉会長のバクの散歩を終え、見上げると夜空の状況が良だったので、10cm屈折望遠鏡を出して土星を見た。土星は14日に「衝」(地球を挟んで太陽の反対側に位置する。光を正面から受けるのでカッシーニの空隙や本体の模様等が見やすくなる)となり、見ごろをむかえている。

今日の土星は、冬には珍しく大気の揺らぎが少ない様子で、カッシーニの空隙がシャープに見えて本体の模様も薄らと見えていた。
薄モヤのベールを脱いだ美しい土星に、しばらく見とれていた。

後ろを振り返ると、たつや副会長の部屋に明かりが点いていたので、我が同好会的光通信(懐中電灯の光を窓に当てる)で合図を送った。そして、顔を出した副会長に土星が奇麗に見えている事を伝えた。
その後すぐに、GPD赤道儀を設置し15cm反射望遠鏡を載せ、撮影の準備に取りかかった。15cm反射は、屈折式の望遠鏡に比べ、望遠鏡(反射鏡)が温度順応するまでにかなりの時間を要するので、しばらく放置しておく。

しばらくして、えみさんがやって来た。少し遅れて、たつや副会長もやって来た。
えみさんは、右手にお茶の器、左手に小さな赤い物体を持っていた。
お茶の器を門柱の上に置き、赤い物体を大事そうに両手に持って私に見せてくれた。
薄暗い中でよく見ると、懐かしいホンダのモトコンポ(折りたたみ式ミニバイク)のプラモデルだった。
細かい所まで気を使って作ってある。多分、ピンセット等を使って細かい作業を息を詰めておこなって、仕上げていったのだろう。えみさんの、繊細さと集中力の高さが成せる技だと思う。

置いてあった15cm反射望遠鏡で土星を見てみる。まだ像はボヤッとしているが、反射鏡らしい色で少し黄色味のある白色の土星本体に、薄墨を流したような模様が見えている。
像が安定するまで少し間がありそうなので、マックホルツ彗星の方を双眼鏡で見てみた。
今日は、ペルセウス座のアルゴルの近くに、少し暗く少し小さくなって輝いていた。

たつや副会長と、私の故郷の種子島のサツマ芋(種子島ではカラ芋と言う)を使った焼き芋の話をした。テレビ番組で見たそうだが、関東で種子島の芋を使った焼き芋が非常に好評らしい。その芋は、焼いている時に中から蜜がしみ出して来るそうで、とても甘いとのこと。
私の子供の時のおやつは、毎日毎日芋だった。飽きるくらい食べたせいで、今ではあまり食べたいとは思わない。
としこさんが、カセットコンロを使った小さなストーブを持って来てくれたが、焼き芋の話を聞いて、種子島の親戚が送ってくれたサツマ芋が残っているので、焼き芋を作って来ると言って、再び家に戻った。

吹き始めた風に寒さが増してきて、小さなストーブでは暖が取れないので、七輪を用意し炭を燃やして暖まる事にした。いつもお世話になっている某鉄工所のオヤジさんとオバさんが、手際良く炭に火をつけてくれた。やはり炭火は暖かい。
としこさんが、出来上がった焼き芋を持って来たが、炭火を見て、さらに芋を持って来る事になった。
その芋を炭火の上に並べる。七輪を囲んで輪になって、芋が焼けるまで、皆が火についての見識を披露する。そうこうして科学的熱力学的に芋が焼けた。
味の方はどうだったのか、口にしなかった私には分からなかったが、皆の顔には「美味」と書いてあったような...。

いつの間にか時は過ぎて、けいこさん、ちさこさん、ともこさん、ひろこさんも、炭火の輪に加わって、新年会兼観望会状態になっていた。全員が集まるのは昨年末以来である。

炭火は食欲を誘うみたいで、焼き鳥を食べようと誰とも無く言出して、けいこさんに焼き鳥の材料を用意してもらった。
たつや副会長が焼き鳥用の金網を持って来て、空き缶を七輪のふちに並べ、その上に金網を置いた。炭火から離れた位置で焼くらしい。網の上にクシに通した鶏肉を整然と並べて、時々、鳥肉の油が炭火の上に落ちて立ち上る煙に目を細めながら、割り箸でクシを裏返す。
かくして「露天焼き鳥屋タイタン」は、順調に開店を迎えた。必然的に、女将さんはけいこさん、店員はたつや副会長だ。
お客は「ねぎま」が美味しいと言っていたが、私の辞書には存在しない言葉で意味不明。

露天焼き鳥屋タイタンの風景

焼き鳥を口にしない私は、一人寂しく河原に出かけて、マックホルツ彗星の撮影を開始した。
焼き鳥の匂いが風に乗って流れてくるし、近くのパチンコ屋の広告塔(灯)は暴力的光を空に投げていて、撮影には不適当な場所ではあるが、自宅付近では随一の暗い場所なので仕方ない。
数枚撮ったところに、えみさんが手伝いに来てくれた。優しい心遣いに感謝した。
えみさんにカメラを渡し、ピントを合わせてもらって撮影を再開した。
私の視力ではピントがあまい事が多いが、今日の星像は、いつもと違って細い線で写っていた。

マックホルツ彗星

その頃たつや副会長は、頭に鉢巻きをした焼き鳥屋オヤジ化して、団扇を片手に、お客の注文を撮っていたそうな...(想像的表現につき正確性を欠く)。ご苦労様。

十分な枚数を撮影したので、自宅前に戻って土星を撮影することにした。
15cm反射で見る土星は、天頂近くにあって、さらにシャープに見えていた。
この自作の反射鏡は、メッキが劣化して反射率が非常に低い状態なので、残念ながら、200倍程の高倍率にすると必然的に像が暗くなる。それでも眼視では十分なのだが撮影には不向きである。したがって、撮影は100倍程度の中倍率で行うことにした。
ここでも助手は、えみさんだった。
撮影した土星は、シャッター速度が遅かったため、揺らぎの影響を強く受けてカッシーニ空隙は写っていなかった。

ややピンぼけな土星

楽しい時間はあっという間に過ぎ、明日の30分前になった。すでに焼き鳥は売り切れ、今度は、金網の上に干したイワシが並んで、香ばしい匂いが漂ってきた。ようやく私の食べられるものが出てきた。
店員は、えみさんに交代していた。皆は、手際良くイワシを裏返していく、えみさんのハシの動きに見とれていた。
私は早々に焼き上がったイワシを片手に、「この内臓の苦みが美味しいのだよ」と精一杯オヤジぶって食べた。実際、冷えきった身体には、暖かいイワシが何よりも美味しかった。
そのイワシも売り切れ、「露天焼き鳥屋タイタン」は閉店となった。

東の空には、際立って明るい木星が昇ってきていた。
望遠鏡を向けてみると、ガリレオ衛星を従えた木星が、上空を吹く寒い風に必死に耐えて、ユラユラ揺れながら前に進んでいる様に見えた。

七輪の残り火が消えるまで話をしていたい雰囲気だったが、寒さには勝てず、後片付けを早々に済ませて、新年会兼観望会は終了した。


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2005年1月19日 マックホルツ彗星はペルセウス座を移動中

今日は天気が良く風も弱かったので、久しぶりに土星を撮影しようと思い、GPD赤道儀を設置し15cm反射式望遠鏡を乗せて早くから準備をしてあったのだが、21時頃には強い西風が吹いてきて、望遠鏡は揺れるし、土星の像もカッシーニの空隙が見えない程揺らめいていたので、早々に土星の撮影はあきらめた。

雲が少なくなってきたので双眼鏡でマックホルツ彗星を探すと、昴とカペラを一辺としてペルセウス座の方向に正三角形を書いた頂点あたりに、ボヤッと広がったマックホルツ彗星が確認できた。
さらに雲が少なくなったので、マックホルツ彗星を撮影することにした。

三脚とカメラを持って河原に行ってみたが、強風で砂埃が舞い上がる状況だったので、前回の撮影場所の車庫前に移動した。ここは西側に車庫があるので風の影響は少ない。

三脚とカメラをセットし、撮影を開始した。
撮影した画像を見ると、月がすぐ側に輝いていたが月の影響は殆ど感じられなかった。

ペルセウス座を移動中のマックホルツ彗星

前回撮影時(9日)よりも、明るさが少し下がってコマの広がりも少し小さくなったような気がするが、まだまだしばらくの間、色々と楽しませてもらえそうだ。


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2005年1月9日 マックホルツ彗星を撮影

昨夜(8日)は、マックホルツ彗星が昴に最も接近していたのだが、撮影のセッティングをしてる間に空全体に雲が広がり、雨まで降ってきて、観望も撮影も全くできなかった。
今日は、雲が多いが時々広い範囲が晴れるので、思い切ってGPD赤道儀を使って、恒星時自動追尾でマックホルツ彗星を撮影してみることにした。

できるだけ暗い撮影場所を探そうと外に出て見ると、いつものテレパシーが通じたようで、えみさんがベランダに出ていて私を見つけて声をかけてきた。良く見ると右手にウクレレを持っている。ウクレレは、この寒さが全く似合わない夏を連想する楽器だが、実はこれには訳があって...、書くと長くなるので以下省略。
それで「赤道儀でマックホルツ彗星を撮影しようと思っているので手伝って欲しい」と伝えて、場所探しを開始した。

良く利用する公園は、隣家の明かりが邪魔をして不可、近くの河原は、冷たい風が吹き抜けていて赤道儀を揺らす可能性が大なので不可(けっして寒いからでないのであしからず)。あちこち歩いて見つけた畑の横の車庫の前が、適当に暗く足元もアスファルトでしっかりしているので良、今日の撮影場所に決めた。

自宅に帰ると、厚着のたつやさんとえみさんが待っていた。
二人にバッテリーとカメラと双眼鏡を持ってもらい、私は最も重いGPD赤道儀を両手で抱き上げて、撮影場所まで移動した(けっして二人が年寄りをいたわる気持ちがないわけではなくて、GPDは私の宝物だから)。

赤道儀を置き、久しぶりに極軸望遠鏡を使って極軸を合わせを実施、遠視の私には時刻と月日を合わせる目盛りが見にくいので、えみさんに合わせてもらう。北極星の導入は簡単なので問題無し。
カメラを雲台に載せ、東の土星をファインター内に入れ、135mm望遠に切り替え、恒星時追尾のスイッチを入れた。
えみさんが、近くの街灯のスイッチをめざとく見つけ消灯してくれたので、あたりはさらに暗くなった。と言っても、お互いの顔を十分認識できる明るさである。

数分後、恒星追尾のモーター等が安定したのを見計らって、30秒程シャッターを開放してみる。
液晶画面で写り具合を確認する。
星像が流れていた。追尾が上手く行っていない。間違いなくモータは回っている。他の原因を探す。 そうだ、水平を合わすのを忘れていた。
赤道儀の三脚の長さを調整して水準器で水平をとり、再度極軸合わせを実施し、テスト撮影を行う。今度は星像は点で写っていた。OKだった。

ほぼ天頂にある昴を、身体を反らせながらカメラのファインダーを覗いて、視野の真中に入れる。私の視力では非常に見にくい。135mmの望遠の方が星が見やすいので、ズームを135mmにセットする。
シャッターを開いて撮影開始。60秒位カウントして閉めて、液晶画面で星像を確認。真中に昴があり、マックホルツ彗星が端の方に写っていた。
ここで選手交代、星野撮影担当のたつやさんに変わる。

たつやさんは、若者らしい柔軟な身体で窮屈な体勢をものともせず、首を思い切り曲げてファインダーを覗き、昴を導き、構図を決めている。私は気になって昴が見えるか聞いてみた。「楽勝で見えますよ」との返事に、私は、遠視の進行だけでなく、光を識別する能力も減衰しているのかと、少しへこんだ。

まずは、100mm望遠で撮ってみた。

マックホルツ彗星(100mm)

少し青く、大きく広がった彗星のコマが印象的だった。

次に、28mm広角で撮ってみた。

マックホルツ彗星(28mm)

広角では雲が写り込むので、雲が途切れるまで辛抱強く待った。
写った彗星は小さく迫力に欠ける。もっと暗い場所で撮影して、長時間露出で星像数を増やさないと、ちょっと寂しい。

最後は、基本の50mm標準で撮った。

マックホルツ彗星(50mm)

彗星は、135mmと同じようにコマの広がりが良く分かって、さらに昴の星々を取り巻く星雲も微かに写っていた。それを見て「感動した!」と、何処かで聞いたセリフが出てきた。

残念なのは、アストロアーツの投稿等で見かける、細長い彗星の尾が写っていなかったこと。
市街地の明るい夜空では無理なことと分かってはいるが...。

後は、オリオン座、双子座、ぎょしゃ座を撮影し予定終了となった。
(ここまで私が撮影した様に書いてあるが、撮影は全てたつやさんが行ない、私とえみさんは邪魔にならないよう空を眺めていただけでした)

自宅に帰り、冷えきった身体をストーブで暖め、熱々のあん餅を食べながら、反省会をおこなった。
たつやさんは、撮影した画像を確認しながら、良く写っていると頬が緩みっぱなしだった。
私は、拡大しても星像が点で写っていたので、中古ながら、GPD赤道儀の恒星時追尾機能の高さに、改めて所有する喜びを噛み締めていた。
その時、えみさんは、私のiPod miniを手に持って、入っている曲を全て聴こうと耳栓タイプのヘッドホーンを耳に入れ、私達の声は聞こえず、必死になって曲を聴いていた。
でも、えみさんは不思議な人で、居るだけで空が晴れる我が同好会の守り神だから、それで良いのだ。


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2005年1月7日 マックホルツ彗星が昴に接近

マックホルツ彗星が昴に接近中で、天気も回復してきたので、21時から観望会を開くことにした。

けいこさん、ともこさん、ひろこさんが参加した頃は、低い雲が次から次へ北西から流れてきて、彗星の位置を「昴のちょっと右」と説明しても、昴の位置さえ分かりにくい状況だった。
ちょっと遅れて、えみさん、たつやさんが加わった頃は、雲の間隔が広がり、皆、5cm7倍の双眼鏡で簡単に視野中に昴とマックホルツ彗星を導くことができた。

双眼鏡で見る彗星は、天頂付近に位置しているので先日見た時よりも明るくて、コマの広がりも大きくなっているような気がした。
街灯りで薄明るい空では、肉眼で彗星を確認することはできなかった。

雲が少なくなってきたので、近所の公園に移動し、デジカメで撮影することにした。
今回も、撮影は、星野写真担当のたつやさんに委託した。

観望会の様子

カメラをセットし構図を決めて、雲が流れて来るタイミングを計りながらシャッターを押す。
空が明るく、ISO1600なら20秒開放で白く被ってしまうので、シャッター速度は10秒程度にしてあるが、雲の流れ来る速度が速くて、白く雲の走った後が残る画像が結構たくさんで来てしまった。
広角(28mm)での撮影は、多少雲が写っていてもトリミングでごまかすことにして、雲の動きをあまり気にせず撮影した。
望遠(135mm)は、じっくり構えて、雲が写らないタイミングまで待って撮った。

マックホルツ彗星と昴

マックホルツ彗星と昴とヒアデス

23時を過ぎると雲が少なくなって、南の空には、オリオンとシリウスが奇麗に輝いていた。
もう少し暗い場所で撮影したいと思い、近所のさらに暗い場所に移動した。

その場所で、オリオン座、おおいぬ座を撮影していると、犬を散歩させていた人が「彗星を撮っているのですか」と声をかけてきた。ニュースで聞いた様子で、彗星の位置を説明して双眼鏡を手渡した。すぐに彗星を見つけて、感嘆の声を上げていた。
その人は、天文に関心があるとのことだったので、我が同好会のことを宣伝をして別れた。

オリオン座とおおいぬ座

自宅前まで帰って来ると、すっかり空は曇ってしまった。
いつもの様に、「寒い!寒い!」と、たつやさんが身震いを始めたので、これにて観望会はお開きとなった。


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2005年1月3日/4日 しぶんぎ座流星群極大日

しぶんぎ流星群の極大は3日21時とのことだったので、輻射点が昇って来る23時頃に外に出てみたが、寒冷前線を伴った低気圧に向かって南風が吹き込んでいるため、絶え間なく低い雲が南西から流れてきて星は全く見えなかった。

仕方なく流星の電波観測のサイトを見て、流星の流れる雰囲気を想像して楽しんでいたが、徐々にエコー数が増えてきた様子に、居ても立ってもおられず外に出てみた。すると雲が切れオリオン座が見えていた。
北の空が見える道路まで出て空を見上げていると、背後から私を呼ぶ声が聞こえた。えみさんだった。ちょうど時を同じくしてベランダに出てきたらしい。
一言二言会話を交わして、防寒対策をするために家に戻った。

防寒対策の厚着をして再び外に出ると、先程の晴れ間が嘘のように空は雲の海に変わっていた。
某鉄工所の倉庫前に座り、輻射点がある方向の北東の空のあたり見ていたが、相変わらず雲は早足で駆け抜けても星は全く見えてこない。
ラジオをイヤホーンで聞きながら退屈さを紛らす。

しばらくして、えみさんが参加した。
「さっきまで晴れていたのに、いつの間にか曇ってしまいましたね」との第一声。彼女が髪を乾かしている間に空は雲に覆われてしまったらしく、残念そうな表情で空を見上げていた。
今日の空には、彼女の「晴れ女力」も通用しないようだ。

いつものように、あきらめの雑談モードにひたっていると、たつやさんが表れた。
「yueさんのところは雪だそうです」とのこと。
この時の和歌山市の気温は12度あったが、暖かい南風は新潟までは届いていないのかと思い、皆と同じ星空を共有し、同じ時を過ごした、先日の双子座流星群の観望会のことを思い出していた。

今朝の犬の散歩時に近所の方と出会い、先日の双子座流星群のことが話題になった。それで、今晩も流星が見られますよと教えてあげたのだが、一緒に居た年配の方が「どこで?和歌山市内で見えるのですか?」と聞いてきた。言葉使いから県外から来られた人のようだった。

同時刻に日本中で見ている星空は、どこで見ても同じもので、そこを流れる流星は、多くの県をまたがって見えることを知らないらしい。ちょっと寂しかった。大人でこの様子なのだから、子供が太陽の方が動いていると考えていても仕方ないと思う。もっと自然ふれる機会を増やして欲しい、自然は大きな学校なんだから。

その後、雑談モードは切り替えられることなく時は過ぎて、午前1時になった。
いくら待っても晴れそうにないので、これにて観測を終了することにした。
「来年こそはしぶんぎ座流星群を見るぞ」と、鬼が大笑いをしそうなことをつぶやきながら帰宅した。


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2005年1月2日 日の出を撮る

初日の出を名草山の頂上で撮影する予定だったが、1日早朝はあいにくの雨で中止となった。夜型の私には早起きは苦行に等しく、相当頑張らないと出来ないことだったのに...。残念。

2日午前6時、思わぬ早い時刻に目覚めた。外に出て空模様を確認したところ、雲は多いが晴れていたので、急遽、日の出を見に行くことに決めた。としこさんを起し、慌ただしく準備を整え自転車で名草山に向かった。

まだ暗い東の空には、寒さが増すような鋭い光を放つ金星と、それに寄り添うように輝く水星が、明け行く夜を惜しむように仲良く居残っていた。
途中の道路は、夜中に降ったと思われる雨が道路を濡らし、それが明け方の寒さでパリパリに凍っていた。信号でブレーキをかけるとツルリと滑ってしまうので怖かった。

10数分後、登山口に着いた。2日の和歌山の日の出時刻は7時5分、腕時計を見るとすでに6時30分、頂上まで30分で登らないと日の出を見逃すことになる(男性の急ぎ足休憩無しで頂上まで25分かかる)。はやる気持ちを抑えて、まだ暗い登山道を、懐中電灯の明かりをたよりに登り始めた。

辺りが急速に明るくなり懐中電灯がいらなくなった頃、中間地点の一本松に着いた。約15分でここまで登って来たが、かなりのハイペースだった。この調子ならなんとか日の出に間に合いそうだ。しかし、このハイペースに、としこさんがダウンしてしまった。おまけに、アラレのような雪も降ってきた。
あきらめて下山するつもりでいたが、しばらく休憩して体力が回復してきたとしこさんが、せっかくここまで来たのだから頂上まで登ると言うので、今度はスローペスで再び登り始めた。

登山道随一の急な坂がある竹やぶの中を登る頃には、サワサワと音を立てて降っていた雪が止んで、青空が広がってきた。
うっそうとした竹やぶが終わると急に視界が明るくなり、雪で白く化粧した尾根道が始まる。木立の隙間から、東側には、竜門山、生石山から高野山へと続く山並みが見え、西側には、和歌山市街地と紀伊水道、遠くは四国まで見えていた。
時刻は7時5分を過ぎていたが、太陽はまだ顔を見せていない。遠くの山並みの高さを昇って来る分だけ日の出は遅くなる。そのことに今頃気がついた。あんなに慌てる必要は無かったのだ。

尾根道を数分歩いて、東西の視界が開けた馬の背のような場所に着いた。ここが日の出を撮影するのに最適な場所だった。
先に来ていた常連さんらしき人に、日が昇って来る位置を聞いた。生石山の左方の辺りだと教えてくれた。ちょうど先程雪を降らせた雲が、その辺りを覆っている。その人は、雲で隠れて見えないかもと言っていた。運は天まかせ風まかせ状態の様相だ。

カメラをバックから取り出す。気温はマイナス1度位、カメラの操作のため手袋を外すと、指がすぐに冷えて切れそうに痛い。撮影はプログラムAEモード、ISOは400に設定し、135mmズームレンズのAFと手ブレ防止ジャイロのスイッチをONにする。
下を向いてカメラをセットしている時に、「昇ってきた!」の声が上がった。ついていた。太陽は、雲が途切れた辺りに顔を出してくれた。

あわててカメラを構え、山並みの稜線から顔を出した太陽をファインダーで捕らえ、構図を決めて、立て続けにシャッター切る。ズーミングしてさらに数枚撮る。
とりあえず十枚程取れたので画像を確認すると、太陽が明るすぎて円形の輪郭が全く写っていない。プログラムAEモードではダメなのだろうと思い、マニュアルに切り替え、絞りとシャッター速度をセットし、再び数枚撮ってみる。確認すると、マニュアルでも円形の太陽は撮れていなかった。
そうこうする内に、太陽はすぐ上の雪雲に隠れてしまった。
(パソコンで画像を確認したところ、太陽が写っている付近は雪が降っていた様子で、その為もあって、太陽の輪郭がハッキリしないようだ)

日の出の写真1

日の出の写真2

日の出の撮影を終え西側に目を移すと、朝焼けに染まる和歌浦和湾を越えて、遠く雪をいただく四国の山並みがはっきりと見えている。常連さんによれば、こんなにはっきり四国が見えるのは、年に数回しか無いとのこと。
あの尖った山が「剣山」だよと説明してくれる。申し訳ないが、山並みの何処が尖っているのか、遠すぎて見分けがつかない。一応カメラを向け撮ってみた。撮った画像を拡大して、どうやら「剣山」らしき尖りを確認した。
(下画像の、真中から少し左側の尖った山が「四国剣山」かな?)

紀伊水道を越えて見える四国の写真

その後、数分歩いて頂上に到着し、和歌山市街地の、名草山の影で暗い町並みと、朝日が当たり始めて白く輝く町並みの、美しく壮大なコントラストを目にとどめ、朝焼けの色を写した海が淡い青から青に、ゆっくり変わっていく様を眺め、お腹もすいてきたので帰路についた。


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