やぶにらみ雑記帳 since2001.3.25
立ち上げから5月末まで
ヨ
2001年5月29日(火)晴れ
電車の中の方が空いているので、ホームから「奥へ詰めて下さい」と言ったら、目が合った奴に殴り殺された。地下鉄の社内で「足を踏んだ、踏まない」で揉めて、4人にぶん殴られて殺された。これから何かあっても、注意するときは、すぐそばにお巡りさんや屈強な駅員さん(ひ弱そうな駅員さんではダメ)がいるときにしよう。それにしても、堪らない世の中だね。なんで人の心がこれほどまでに荒(すさ)ぶのか?
2001年5月27日(日)雨は、昼からとの天気予報だったのに、どうしてくれる?!
朝のテニスができず、テレビをつけると、高支持率をフォロー風にした(でもまだ政治の本質が見えてこない)総理大臣とか外務大臣の、この1週間を振り返る話ばかり。チャンネルを回せば、どこの局でも同じような映像ばかり繰り返し見せられて・・・、もういいよ、飽きたよ。視聴率欲しさから、あの強面で、声太のあくの強いおばはんの映像ばかり。こうして虚像に虚像を重ねていくマスコミにも罪がある。
2001年5月25日(金)梅雨のはしり? ここ2、3日、驟雨が続いたが、やっと晴れた。
金曜日になると、ホッとする。月曜から木曜までは、なにかに縛られているような窮屈な感じがするが、それも長年染みついたサラリーマン生活のため?
2001年5月20日(日)好天、暑い一日
テニスコートで一日の大半を過ごす。。汗疹(あせも)、それとも紫外線アレルギーか、こんな日の夕方、毎年必ず悩まされる手の甲や腕、首にできるブツブツ。それが今日は蔭を潜めている。日焼け止めクリーム「サンプレイ130」(ロート製薬)の効果抜群、とてもウレシイ。まあ単純な、他愛もない話デアル。
2001年5月19日(土)夕立のなか、御輿がゆれる
三社祭の真っ最中のおり、浅草、東京電力「テプコ浅草館」へ永井荷風先生原作による映画「墨東綺譚」(注=「さんずいの墨」の漢字がでてこない)を観に行く。1960年作品。監督、豊田四郎。主役は山本富士子、芥川比呂志、新珠三千代ほか。普通の会議室で上映、画面も小さい、映写機のリールの回転音が響き、映画の音声も聞き取りにくい。でも、そこから伝わってくる玉の井の風情は、いわく言い難し・・・。帰りがけに、また雷門通り・尾張屋に寄って、でっかい海老天が2本載った天ぷらそばをいただく。美味・・。そこに突然の雷雨、さっきの映画の冒頭みたい。・・・いきなり「檀那、そこまで入れてつてよ」といいさま、傘の下に眞白な首を突つ込んだ女・・街に出ても、そんな再現は起こらなかったね。
2001年5月15日(火)晴れ、暑い日差し
朝、食事のあと「21世紀森の公園」まで往復ジョギング1時間。すこしは体脂肪を燃やした気分で、シャワーを浴びて会社へいく。
2001年5月11日(金)晴れ、日中は暑くなる
別に自覚症状などがあったわけではないが、どちらかというと興味本位で、「脳ドッグ」を受診した。場所は赤坂。会社の健保の契約している脳神経外科で、費用7万円のところ5000円の個人負担ですむ、と思ったら最後に受診料2500円を取られた。健保の説明不足だよね、お金持っていなかったら恥かくところだった!
MRI(磁気共鳴断層撮影)で、いま自分の脳はどんな様子になっているかをチェック。潜水艦の魚雷発射管みたいな中に押し入れられて、ダダダダダダ・・と奇妙な響きのなかに寝ること15分間。その結果もすぐ、頭の輪切りの連続写真を見せられて、異常なし。くも膜下出血を引き起こす脳動脈瘤などもなく、無事に社会復帰したのであった。
2001年5月10日(木)今日も霧雨の朝
今朝、パジェロ受け取りのために三菱まで、霧雨のなか走っていく。始業時間の9時半すぎに着いたら、あと30分待ってほしいというので、またその近辺をジョギングする。リアウインドウのワイパーも交換して修理代金合計24、517円。これだけお金をかけたんだから、新車を期待しているみなさんへお知らせ。来年の車検までは乗るつもりだったが、あと2年延長だ・・・・。
2001年5月9日(水)霧雨の朝
6月で14年目を迎える、わがパジェロのシートベルト(留め金のプラスチック部分)を、ドアに挟んで破損した。その修理を前から依頼していたのが、やっと部品が届いたとのことで、松飛台の三菱にもっていく。1日預かるというので、軽くジョギングしながら家に帰った。
2001年5月5日(土)連休もあと一日を残すのみ、休みはあっという間に終わる・・・
隣が造園業。ツツジのシーズンはこんな風景が窓の外、眼下に広がる。遠くに見えるのは、牧の原団地。
さて今日は、朝7時すぎから八が崎室内テニス。コーヒータイムの後、北豊島コートへ移動、11時半までテニス。昼食は、趣向を変えていつもの「ロイホ」ではなく、向かいの「三崎港」で小うどんと天ぷらなどのセット&中ジョッキ。なんとなく落ち着かない雰囲気。その後、一昨日の反省もあり、「ビクトリア」で210ヤードの安定ショットができる(?)ユーティリティクラブを購入、ブリジストンの「ビーム」25000円。練習場で納得の特訓、さらに「エグザス」でランニング、サウナ&お風呂。平和な一日・・・・・。
2001年5月4日(金)晴れ
朝テニス、昼は「ロイヤルホスト」でビール中ジョッキ、シーザーサラダ&チキンカツレツ&パン、コーヒー。昼寝のあと16時から18時まで「エグザス」でランニング、サウナとお風呂。夕食はピザ、ビール。
2001年5月3日(木)小雨のち曇り、のち晴れ
前日から雨の予報で気が重いなか、M谷くんなどとゴルフ。東北新幹線で上野から宇都宮まで。しかし天気は大崩れせず、ぱらぱらと小雨も降り、緊張感あった午前中はスコアも上出来(47)。昼からは晴れ間もみえるコンディションとなったが、逆にスコアの方が大崩れ(57)、第1目標の100を切ることもできず、失意のラウンドとなった。天気がよくなったぶん、「よーっし!」と余分な力が入った。敗因はフェアウェイウッドのミス、自分に腹が立つ!クラブにも八つ当たり!いやはや!
2001年4月28日(土)晴れ
三枝子さんのリクエストで、永井荷風先生の浅草散策の足跡を求めて趣向を凝らした一日を演出してみた。
まず浜松町まで行き、日の出桟橋から水上バスで浅草へ660円、所要時間40分の東京の小さな船旅。
浅草では浅草寺などを徘徊、それから東京電力「テプコ浅草館」でたまたま演っていた荷風写真展(入館無料、6月3日まで開催)を観たあと、雷門通りの「尾張屋」で「かしわなんばん」をいただいて、金町行きのバスで帰ってきたのであった・・・・。
荷風先生が好んで食べたという「かしわなんばん」、850円
2001年4月19日(木)細雨の朝。空は明るいから、これから天気は回復するんだろう。
先般、アーサー・ヘイリー「最後の診断」(新潮文庫、永井淳訳)を再読した。昭和50年12月(2刷)の文庫本ということは、その時期に買ったんだろうな。「ホテル(上)(下)」を読んで、すぐこれも買ったんだろう。ということは、25年以上昔に読んで以来の再読である。細かい筋立てなども忘れていたので、初めて読むようで、あれ?これからどうなったんだっけ、と思いながら読み進めて、それでいてまた新しい感動に出合うのも面白かった。
「自動車」「マネーチェンジャーズ(上)(下)」「権力者たち」「エネルギー(上)(下)」「ストロング・メディスン(上)(下)」「ニュースキャスター(上)(下)」
その後、文庫本になるまでじっと我慢して、新刊がでると飛びついて買った「アーサー・ヘイリーもの」。これらをもう一度読む機会があるだろうか?映画なら2時間位なので、もう一回、というのは簡単だが、なかなか難しいだろうな。そんな時間があれば、未知の本との出合いを求めた方が賢明かもしれない。でも、たまには、久しぶりに再読してみるのも、思わぬ拾いものをしたような気分で、いいもんだ。
ところであすは、月2回発行の「ビッグコミックオリジナル」発売の日!浴槽に浸かりながら(風呂場で)読んだりするから、本がふやけて2倍の厚さに膨れかえる。残念ながら、これはとっておくわけにはいかない。
2001年4月17日(火)体重は79.6キロ、体脂肪率は23。懲りもせず、またまた大減量作戦復活のときか?!
3月23日の交通事故被害の続報。三枝子さんは、手がまだ痛いので通院の日々がまだ続いている。東京海上火災保険からファックスが来た、4月5日のことだった。障害担当者のあいさつだった。その後、電話があり各補償の手続き上の書類を送ってきた。通院交通費請求書とか休業補償証明書とか主治医宛同意書などなど。支払先の銀行口座なども記入したので、なにがしか送ってくることになるんだろう。ペンをもつと、親指のつけ根が痛くて文字が書けないっていうのは、編集者にとっては致命的なこと。莫大な補償金(慰謝料)が振り込まれてくるのではないだろうか??料理づくりなどにも影響大で、哀れな家族にも見舞金を!
さて、今日のテーマは・・昨日、スポーツクラブのエグザスのお風呂で思わず考えたこと。
例えば、洗い場で隣(または後ろ)のシャワーのお湯が自分に降りかかってきたとき、「もしもし、こっちまでシャワーのお湯が飛んでくるんですけど」と言った方がいいのか、「なにするねん、気つけーてえなあ!」と大声で注意した方がいいのか、どう言えばいいのかなあと考えているうちに、そのシャワーを使い終わり、その人は行ってしまう。やれやれ、結局言いたいことも言えずに「腹ふくるる思い」をするのは自分なのだ。
電車のシルバーシートで座って寝たふりをしている連中、「おばあさん、ここシルバーシートだから、どうぞこちらに。座っている人は立って席を空けてくれますよ!」と大声で呼んでやろうか。いつかは感じたまま言いたいことを言う、そんなささやかな行動への誘惑にかられている。
2001年4月1日(日)3日前から咳がゴホンゴホンと止まらない。体力の衰え?今年になって早くも3度目の風邪。
[まだ終わっていないけど=結]
自転車の壊れたライトは、25日(日)に「あかねサイクル」で直してもらった。修理費2500円は、26日(月)の警察からの帰りにDさんから受け取ったとのこと。三枝子さんが負傷箇所にサポーターをしていたのを(看護婦さんという職業がらだろうか)Dさんが気が付き、その代金500円(本当は800円余りしたそうだが)も加算して3000円を受け取ったとのこと。
常盤平の「門野整形」だと通院が面倒だから、と三枝子さんは都内の勤務先に近い「青木医院」に通うことにした。レーザー治療というのをするんだそうだ。右手親指の付け根の腫れはまだ退かない。
自賠責というのは、手続きを一切、保険会社ではなくて、自分でするんだそうな。今回は車の持ち主であるDさんということになる。それで、治療の度に病院へその費用を支払い、完治した段階で、治療代金総額を保険会社に請求する。病院が保険会社に請求するんではない。知らなかったなあ、免許取って以来、無事故の私。
しかし、Dさんが三枝子さんに付き添って「青木医院」に同行して治療代を支払うこともできないので、三枝子さんが毎回、立て替えることになる。それも申し訳ないというので、Dさんが青木医院に相談すると、「三枝子さんのことはよく存じているので、あとからまとめて支払ってもらってもいいですよ」ということになったらしい。なんでも四十肩の治療で連日通っていたことをよく覚えていたみたいだ。
事故証明が発行されたらDさんが受け取りにいき、当方にもコピーがくる手はずになっているが、まだ時間がかかりそうだ。現場検証でのTさんの態度について、三枝子さんがDさんに「許せない」と言ったことを、Dさんから又聞きしたみたいで、その後、Tさんから「一度お伺いしたい」と電話があったとのこと。
でも三枝子さんは「結構です」と断った。お見舞いか慰謝料を持ってくるつもりではなかったかと推測するのだが、三枝子さんは、Tさんとこれ以上関わり合いになりたくないと態度を硬化させるのみであった。
とりああえず、この話はおしまい。でももしかしたら、また続きがあるかも・・・
2001年3月31日(土)雪の降りしきるなか、ゴルフをした・・(積もらない雪って不思議だ)
[転の2]
26日(月)の夜8時から「安楽亭」前で現場検証、と聞いていたから、会社の帰りに「安楽亭」の前を通った。時間は9時。まだやっているかと思ったら誰もいない。ただ三枝子さんの自転車がそこの駐輪場に置いてあったので、あれ?現場検証をしてその後、松戸東警察署にでも行ったのかな?と思ったら、やはりそのとおりで、家に帰ってきたのは10時ごろだった。
「お店の前にパトカーやお巡りさんがいっぱいきたもんだから、店長が、何事がおきたんですか、とびっくりして飛び出してきたわよ」
現場検証が終わって、松戸東警察で調書をとるというので、「いい機会だから、パトカーに乗せてもらって警察まで行きたい」と言ったら、お巡りさんに「だめだ、乗せられない」と断られたので、Dさんの車で警察まで行って、帰りはまた「安楽亭」まで送ってもらったそうな・・
それで、なんで三枝子さんが憤慨したかというと、運転していたTさんから三枝子さんに、一言もお詫びやお見舞いの言葉もなく、しかも事情聴取のおり、一旦停車した車に三枝子さんが乗っていた自転車の方からぶつかってきた、と証言したそうで、お巡りさんに「あんたねえ、自転車からぶつかってきたらこんな車の傷にならないよ。この傷は、車が自転車にぶつけてできるものだよ」と諫められたそうだ。万事この調子で、これじゃ事故証明を発行できないと、お巡りさんが嘆いていたそうだ。
そりゃ、だれだって怒るよ。
ところで三枝子さんのけがの状況であるが、レントゲン検査の結果、幸いにして骨に異常はなく、打撲による痛みが1−2週間続くもようだ。このため、24日の早朝テニスの総会後、三枝子さん特製のピザを中心にしたパーティーを期待していた向きには、肝心のパイ生地をこねまわしたりすることができないので、残念ながら中止の連絡を余儀なくされたのであった。さらに左右の両膝の下部に打撲による内出血のあとがあるが、本人のたってない希望により写真掲載は却下となった。
で、話は、まだあしたに続く・・・
2001年3月30日(金) 子=腹が立っても顔には出さない [産経新聞・きょうのあなた(ケイ・マスモト)より]
[転の1]
その土曜日の夜、早朝テニスクラブの集まりで出かけた折り、今度は運転していた男性(Tさん)から三枝子さんに電話があった。「ご挨拶に伺いたい、ついてはお願いごとがある」と切り出したそうだが、三枝子さんは、(家に来られても困ると)その訪問を断ったらしい。すると彼は、「自分の入っている自動車保険で処理を進めたいから、自分の車が事故を起こしたようにつじつまを合わせてほしい」旨を申し入れてきた。そうですねえ、と返事はしたものの、後から考えると(そんな保険金詐欺の片棒をもつようなことはできないと思って)改めて断りの電話を入れた、とのことだった。
「よく考えたら、ずいぶん失礼な話だと思わない?ウソの申告をしろってさ、もし、ばれたら私が共犯になってしまうじゃないの」
--大体、誠意が感じられないね。まず、お見舞いにくるべきだよ、自分は悪くないって思っているんじゃないの。おばさんが、勝手に車に突っ込んできて勝手にスッ転がって、怪我をしたと言ってゴネていると思ってるんじゃないの
(そう言ったら三枝子さんは怒った怒った!)
実はTさんが運転した車であるが、任意保険は家族限定とされていた。車の持ち主(Dさん)が保険料を多少でも安くしようとして(そんな家族限定などという)ケチな契約をしていたのが、今回あだとなった。だから、Tさんが自分の任意保険を使おうなどと邪心を抱く羽目になったようだ。
さて賢明な読者は、なにかお気づきだろうか。なぜこの件で自賠責を適用しようとしないのか、と。
実を言うと、私は「自賠責は死亡事例でしか適用されない」と思いこんでいたのであった。三枝子さんが会社の同僚のSさん(元運転手)に電話で聞いてみると、そんなことはないと言われたので、先方の(車の持ち主である)Dさんに連絡。どうやらDさんもそのことを知らなかったらしい。
そこで、そのためにはやはり事故証明が欠かせない。当事者が集まる時間を調整して警察に連絡、改めて現場検証などをすることになった。これが土曜日の夜から日曜日にかけての展開であった。
早速、月曜日(26日)の夜8時から現場検証などが行われ、松戸東警察から戻ってきたのは10時ごろ。それから三枝子さんがまた怒り狂うのであるが、その話はまたあした・・
2001年3月29日(木)サクラ満開宣言もきょうの雨で、サクラ散る・・か?
[承]
さて、翌土曜日の朝、三枝子さんは先方(車の持ち主の看護婦さん)の勧めもあって常盤平の門野整形へいった。10時半ごろ、どんな具合かと早朝テニスの帰りに病院に寄ってみたら、治療は終わったみたいで手に包帯を巻いて、待合室で脇にいる女性と談笑していた。エグザスの知り合いかと思ったら、その人が例の看護婦さん(Dさん)だった。治療代の支払いもあるので来たらしい。三枝子さんは私を見つけると「こちら加害者のかた」と紹介したが、その人は「いえ、(加害者ではなくて)持ち主です」と名乗った。レントゲンを撮り結果を待っているとのことで、たいしたこともなさそうだったので、じゃあ先に帰るわ、と言って別れた。三枝子さんが帰ってきたのはそれから2時間ちかく経ってからだった。
「とりあえず、今日の治療代1万円はDさんが支払って、それから喫茶店でおしゃべりしていたの。車にかかっている任意保険は、家族限定だから保険が効かないんだって」
--保険で支払おうっていうのかいな。たいしたことないんだから、運転者(Tさん)と持ち主(Dさん)で相談して3万でも5万円でも見舞金を持ってくれば、それですむ話じゃないの。
「まだ手が痛いんだから、これからまだ治療費いくらかかるか、わかんないし、先方もそれが不安じゃないのかしら、だからなんとか保険で処理できないか、としているらしい」
--それなら事故証明をとらないと、話が進まないよ。だから昨晩、警察を呼んだ方がいいって言ったのに。
「昨日の晩、私が帰ったあと、Dさんは警察に電話したんだけど、と言っていたわ」
と話は段々ややこしくなる・・・(続きは、またあしたに)
2001年3月28日(水)
本日のお題目は、「三枝子さん、交通事故に遭う」の記。これから毎日連載していくかも・・・
[起]
3月23日(金)、ゴルフ仲間の「きんこんかん」の集まりがあり、その2次会を神田駅そばの「魚魚や」でやっていたら、夜10時、三枝子さんから携帯に電話が。
「いま、エグザス(スポーツクラブ)からの帰り。焼き肉「安楽亭」の駐車場からでてきた車にぶつけられて怪我をした。私は自転車で歩道を走っていただけ。こんなことは初めてだからどうしたらいいの」
--それで大丈夫?どんな具合?
「転んで、膝下をぶつけて手首も痛い。自転車のライトがころころと転がった」
--警察を呼んで、事故証明をとらなきゃ。相手は?
「いま、話し合っているんだけど、警察が入ったらいろいろと時間もとられるし大変なので、治療代もきちんとしますからっていうから、住所や電話番号をいま書いてもらっているところ」
--「安楽亭」からでてきたっていうことは、むこうは飲んでいたんじゃないの。だから警察がイヤなんじゃないの?警察呼んだほうがいいって!ここから俺が電話してやろうか。
「いいわよ、そこまでしなくても。もう一度言ってみるね」
神田で一緒にいた飲み仲間も、そんな会話を聞いていて、「なんだ、どうしたの」「そりゃ、あとからおかしくなったりするから絶対、第三者がいなけりゃ」とうるさいこと。
しばらくして・・・
--どうなったの?
「相手は某病院の看護婦さん、この人が車の持ち主(以後Dさんと呼ぶ)。でも運転していたのは男の人で、その病院に出入りの薬剤師だって(以後Tさんと呼ぶ)。その人が警察を呼びたがらなかったので、とにかく治療費や自転車修理代金もきちんとしますというから、家に帰ってきたわよ。明朝、病院にいかなきゃ。いつまでも、ぐだぐだ飲んでいないで早く帰ってらっしゃい」
この話、長くなりそうなので、またあしたに続く。
2001年3月27日(火)
計算すると六百八十二文字、産経新聞一面掲載の石井英夫論説委員のコラム「産経抄」のファンである。そこで今日は、三十年間毎日書くことに身を削る思いであろう氏に敬意を表して文字数をきちんと合わせて、難行苦行を体験してみる ▼というのも、石井論説委員が肥後守で鉛筆を削りながら、呻吟(しんぎん)しつつ原稿用紙に向かう姿をみるたびに、まさに身を削ることで、言葉を紡ぎ出しているのを感じる…云々と、後輩である某記者が昨日の夕刊コラムに暴露(?)していた ▼ここまで、まだ二百二十六文字。三分の一の道程、これは長い。某記者は「ワープロのキーをたたきながら、ひょっとしておれも手書きにすれば上達するかも…などと愚にもつかないことを思ったりする」のである ▼ついには文章作法以前の問題として、「書く」ことに対する覚悟と気迫、さらに国を愛する心。こういったことを政治評論家の屋山太郎氏も引き合いに出して、「ジャーナリストを志す君へ」と題して論じていたのであった ▼さて、我が身を振り返ると、この「やぶにらみ雑記帳」は、書き出した動機がいまひとつはっきりしていない。どこか間違っている政治、経済、社会、文化、そんな世の中に対する怒りを爆発させたいのか。かすりもしない宝くじ、不運で不遇な自分の身の上を嘆きたいのか、そんなことを考えていたら文字数が尽きた ▼という形で終わらせたかったが、浅はかな思惑は見事に外れて、まだ五十字以上も空欄が残っている。暇な人は▼マークと、その前の一文字分の余白も数に入れて全文字数を計算してみて下さい。やはり六百八十二文字は、聞きしにまさる難行苦行であった。
2001年3月26日(月)
そういえば、昔、君は大器晩成型だと、だれかに言われたことが・・。もしかしたら、「ぼくら」とか「少年マガジン」「中学一年生」なんかでの性格占いだったかも。自分でも天才型ではなく、コツコツタイプの「純正」努力型だと思っていたが、ところで、晩成っていうのは、何歳から言うのかな?たびたび話は変わるが、あの「つぶやきシロー」はどこへ行ったんでしょう?私は彼のテレビ芸能界への復活を心から願っている。